てぃーだブログ › blog ZENBEAT › 夢の領域 › 夢野 イメノ

2012年08月24日

夢野 イメノ

長いお盆休みは

ただひたすら 本を読んですごした。

夢 に関する本が主でした。

…………………………………………………………………

埴谷雄高/編集  というタイトルの随筆集


この本の中で 面白かったのが

夢金(ゆめきん)という落語の話

日本の話芸のセンスの良いユーモア

そして 最後のオチで 思わず吹き出してしまった。


そして もう一つ

井上ひさしさんの 一月に一度くらいは

繰り返し見るという 夢の話


荒涼たる野原で座禅を組んでいる老坊主と

その額の汗を拭いている美女の夢

夢の度に変わる美女の話

<この方は いま うたたねをしておいでなのだよ、

そして、あなたの夢をみていなさる。

おわかり?

この方があなたの夢を見ているから

あなたは存在しているのよ。

この方が夢から覚めれば、

あなたはもうどこにもいないわけなのね>



月一度必ず見るというのも不思議ですが

彼がこの夢を見ている以上

彼は存在していることになるが

彼が最後に見る夢は

老坊主が目覚める夢かもしれない。

そして 夢から醒めることはもうできはしない。


井上ひさしさんの夢のなかに坊主がいて

その坊主の夢の中に井上ひさしがいて

という 補い合うポジネガの入れ子構造

人は誰も気が付かない もう一人の自分を

隠し持っているのかもしれない。

…………………………………………………………………

西郷信綱 著 古代人と夢


ユメは古くはイメで、寝目(イメ) すなわち

睡眠中の目ということ だそうです。

この本のなかに 夢を売ったり、買ったり

盗んだり、盗まれたりの話があり

だから 夢の話は他人にするなと昔から言われている。

夢にも  をかけておく必要がありそうだ。

…………………………………………………………………

中野 孝次 著 清貧の思想

これは夢の本ではありませんが

今こそ読まれるべき内容の本だと思います。

古代の先人たちの清く貧しくも豊かな思想と

今の西洋の所有文明に毒された日本人を比較した

現代文明批判の書です。

…………………………………………………………………

そして 日野 啓三 評論集

名づけられぬものの岸辺にて

その中の

夢見る力 というタイトルの中で

こう書いている


あれは私の夢だったといえるが、

私がみようと思ってみたゆめではないし、

私がそのような物語を創った記憶はない。

とすれば、あの夢の作者は、

少なくともこの私ではない。

ではだれなのか。


夢のドラマの観客であり読者であり

若干の程度批評家でさえあったが、

作者ではない


では 夢の真の作者はどこにいるのか


このことの答えかどうか解らないが

ヴァン・デル・ポストの<狩猟民の心>から

こんな話を引用している。


世界の始まりについてヴァン・デル・ポストが

南アフリカの原住民のブッシュマンに聞いたところ

<それはむつかしいですよ。

われわれを夢見ている夢が

いつもあるのですから>


と答えたという。


われわれを夢見ている夢 が

先程の夢の作者である とは言えないが

なにか ヒントになるものが隠されていて

神話的なニュアンスを感じる。


別の評論で

アボリジニのことでこんなことを

アボリジニの語源はラテン語で「Aboriginal」で、

「原住民」という意味だそうです。

Abの接頭語の意味が離脱なので?ですが

original という語はうなづける。


アボリジニにとって過去は昨日まで

それ以前は神話的世界に属し

それを かれらは Dream Time と呼ぶ


この Dream Time は

西郷信綱の 古代人と夢 の中にも出てくる

…………………………………………………………………

僕は以前の 夢ブログで

写真集をめくっているときの夢の話をしました。


大判の分厚い写真集で

1ページごとに1枚の写真が載っている

風景とかの写真もありますが

主に抽象的なイメージ的写真です

ただ 抽象的といえども ページをめくる度に

僕が以前に見たこともない 写真を

各ページ 全く違った 写真を

次々に見せてくれる 夢

その夢を見ながら ぼくは夢であることを意識していて

さて この 夢の奴

僕がページをパラパラめくる度に

はたして 確実に違った絵を見せてくれるだろうか?

と めくる速度を早めていきますが

無限に出してくることに 夢見ることも忘れて

驚き 目をこらして 写真を見ていた。


この夢の話でもわかりますが

この夢の作者は 私ではありません。

他の夢でもそうですが

確かに 自分の知人や親や子や

会社の仕事や 経験がでてきます。

見ている夢は

自分が知っていることの夢が核になっています

素材としては 自分の経験や見たこと思ったことですが

それらをコラージュしストーリーらしきものを作り

僕に見せてくれる夢の作者というか編集者は

私では ありません

それは 誰でしょうか 

自分じゃない魂や精神のようなものなのか

あるいは 装置なのか システムなのか

それは わかりませんが

私のなかに 私を超えた大きな存在があるとしか

思えないのですが

…………………………………………………………………

前の K のブログ

黄泉の国への旅 の ビデオ

収録されていませんが このビデオの後で

K が言っています。

こういう明確な幻影を 見せてくれる

知 といわれるような 大きな 他なるものが

我々の中か廻りに確かに存在する と。

…………………………………………………………………

自分が死んで 肉体を脱ぎ捨てた時に

わかるかもしれませんし

その正体と出逢えるかもしれません。


ただ 自分と 自分じゃないものとが

出逢える場が 夢 

という領域なのかも知れません。

…………………………………………………………………
夢野 イメノ



カ フ カ  お は よ う

お は よ う  カ フ カ



オーダー よさこい屋


同じカテゴリー(夢の領域)の記事
夢のお話 No.11
夢のお話 No.11(2019-05-08 09:54)

さまよう プラハ
さまよう プラハ(2017-03-19 20:59)

彷徨いにすぎない
彷徨いにすぎない(2016-12-07 16:58)

さざなみ その2
さざなみ その2(2016-11-01 21:27)


Posted by hamabeat at 18:38│Comments(0)夢の領域
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。