2010年03月01日
夢めくり

随分お世話になった 久米繊維さんのサイトから
こちらに引っ越しして来たのが 1月末
いまだに お年賀ブログでは 具合が悪い。
旧正月かよ と怒られそう
..................................
はじめまして はまG と申します。
これから こちらでお世話になります。
宜しくお願いいたします。
..................................
さて、昨夜というより今朝見た夢のお話です。
沢山の夢を見て、あいだ あいだに 目が覚めて
その度に 見た夢の反芻をしていましたが
見た数が多いので 押し出し式に前の夢を忘れてしまった。
最後に見た夢ははっきり憶えているが
よく記憶に留めておかなくては消えていくのが夢で
朝食の時、イカリさん(わが女房、過去の京都時代には 佐々 という)に
必ず話をして、再度 夢の内容を 焼き付けることにしている。
今朝は イカリのタイからのおみやげのクルミパンを食べながら 話した
イカリさんは年に一度のタイ参りをする。まだ熱くはないタイへ
飛行運賃の安い2月に
彼女が買ってきたおみやげは 今度 また ご披露します。
..................................
その夢 その壱
見晴らし塔のような 木造の背の高い工場の
てっぺんの部屋 といっても吹きさらしで 地上階も見通せる建物
ドアの無い入り口から地上まで 細く長い木のハシゴが伸びている
そのてっぺんの部屋 といっても 隙間だらけの荒い無垢板の床
背の高い 三角錐型の 木造の掘ったて小屋 という感じ。
そこで、直径1メーターくらいの木の桶に水を張り
インクを何種類か入れて 軽くかき混ぜ
墨流しの如く 布に むら染めをしている夢
これがまた 良い具合に染まり
オレンジ色の太いストライプが何本か横に流れていて
そのストライプとストライプの間に 筋のような細いランダムな線が
幾本も縦に染め上げられている。
蜘蛛の糸のように細い線というか 筋のよれた流れが
とても 美しい
その布を水の桶に入れて定着させ(水では定着しないが そこは夢)
も一度別の桶にインクを入れて染め上げようとしますが
今度は 白インクを入れるのです。(染めで白というのはありませんが これもまた夢)
そこで 場面が変わってしまった。
染め上がりの感じを見れなかった。
もう起きねばならぬ 続きはまた今度 か
..................................
場面が変わった後は なにか アメリカのコンビニ風のレジのところで
店の人が ディランの 7インチEPレコードを 手に持っていた。
このジャケットが黒地に細かい斑模様でした。
この夢が出て来たのには原因があって
以前 ディランの EPレコードを片付けたのだが 何処へいったのかわからず
随分長い間捜していた。この前ゴソゴソしてたら出てきましたね
BASF のオープンリールテープのプラスティックのケースの中から。
中味のリールテープは前に処分済みで この中に仕舞ってあったのです。
そのレアなレコードがこれ オークションでは高値です。

ケースには <Bob Dylan &The Band>の <The Basement Tapes>とシールが貼ってあった。

なるほど 地下(Basement or subtarenian)に眠っていた訳だ。
..................................
夢をも一つ憶いだした。
こちらの夢の方が面白い。
夢のまた夢 というより
夢を見ている 僕を また夢で見ている という感じでしょうか
その夢の内容を記述し 読み返し イカリさんにも確認しましたが
ワカランワ! そして 僕には解るが
読んだ人には解らんだろうな と 結論
一応、解らんでもいいから 説明しますと
..................................
夢の中で白黒の大判の写真集を見ている。
そして 僕は 夢でこの写真集を見ていることを はっきり理解している。
夢の中ですが 僕は今夢を見ているんだということを 意識しているということです。
というのは
夢ではなく現実に雑誌のページをめくれば めくるたびに
写真は現れてきます。当然のことですよね。
でも 夢の中です。ペラペラとページをめくって
瞬時に写真が次々に出てくるのかなと
夢が そんなに早く絵を繰り出してこれるのかなと
絶対 タイムラグはある筈だし 種も尽きるだろうと。
夢の中で ぼくは 夢に挑戦しているのですが
夢のやつ 何事も無かったかの様に
現実に本のページをめくっているかのように
次々と写真を出現させるのです。
ぼくは 意地になって パラパラ速度 を増してページをめくりますが
なんの なんの 見事に 見せてくれます。
僕がページをめくるより 早いのかもしれない。
その写真は 抽象的なイメージ写真という感じですが
どの写真も同じではなく、僕が以前にどこかで見た物ではない。
夢のオリジナル作品集なのです。
ぼくは そんな筈はない、夢にこんな芸当できるわけがないと
目を凝らして というより 寝てるので 意識を凝らして
見ているという そんな感じの夢。
夢の中で 完璧 醒めた状態で 夢と格闘しているという夢でした。
解りましたでしょうか? みなさん
説明が 難しい 内容の夢でした。
みなさんが 僕の夢の中へ 入り込んで来てくれたら
ぼくは 夢の中で この夢を上映しながら説明できるのですが。
..................................
イカリ 曰く あなたにも解らないことを
私や読者に解る訳無いでしょ
そうなんですよね
この夢を見て 一つ なんとなく思ったこと
夢という主体があるわけではないということ
夢を見ているのではなく
見ていること自体が 夢なのじゃないか と
..................................
精神だとか、言葉だとか、想い といった 形の無い姿でしか
入っていけない 領域 があります。
夢の領土には 眠り というパスポートが 必要なようです。
死は 完全な眠り ですが そういう意味では
死んで 完璧な夢の世界に 入っていくのかもしれない。
..................................
イカリさん
あなたは 現実を 夢みたいに思ってるし
夢が 現実なんじゃない? って
そうかもしれない
..................................
夢は白黒かカラーか といった論議が以前にあった様に思うが
夢は カラーです。 少なくとも僕にとっては
色で印象的な夢はよく見ます。
今回のオレンジ色のストライプもそうですし
過去にみた 古代ガラスの 深い深い 青
夢が 白黒である必要は全く無い
..................................
今年の年賀状である人から一行
<おまえのブログはさっぱりわからん!>
そうさ このブログはもっと わからんばい。
ということで
カフカ おはよう 。 オ ハ ヨ ウ カ フ カ です。
夢見る はまGでした。
夢見る 職人によるアートな サイト
染型工房 横山工藝
夢見る 職人による華麗な よさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
2010年01月01日
お年賀2010
2010年
開けましておめでとうございます。

3回目の お年賀ブログになります。
去年は 8月に 親しい友人が亡くなり
9月には 孫が産まれ
生 と 死 喜び と 悲しみ
人生の 裏と表 を経験した 一年でした。
一年の始まりです。誕生の喜びの話から始めたいと思います。
...........................................................................................
孫の名前は 楓士(ふうと)
息子夫婦が付けた名前です。
考えてみれば 約30年周期 で 子と孫が産まれています。
この30年を振り返ると いろいろなことがありました。
横山工藝に入社してからも30年余りになります。
やく10年周期で 仕事の内容も世相も変わってきたように思えます。
生き物は体の大きさによって心拍数が変わるといいます。
小さいほど心拍数は多いのですが
楓士は大人の2倍くらいの心拍数です。
2倍以上の密度で生きているように思えます。
30年後 楓士はどういう生き方をしてるでしょうか?
地球や世界や政治がどうなっているかは解りませんが
せめて 家庭が楽しく生活できる 場とマナー の基盤を作っていきたい。


これ 楓士と モビルスーツ
2枚目の写真 頭の毛は薄いですが 旋風頭(せんふうと)
まだまだ できそこないのロボットのようですが
この世に産まれてきて
未知の世界との新しい体験を経て
脳のなかに地図を作り
言葉を憶え 歩けるようになり 自立していくための
必死の努力をしているようで
日々変化していく様子を見ているだけで 楽しいです。
......................................................................................
さて 以前に中古で買った ポラロイド SX-70 LAND CAMERA
ALPHA 1 MODEL2
外装の黒革がボロボロになっていますが 中はきれいです。
革は自分で張り替えるつもりです。

結局一度も撮影せずに置きっぱなしになっていました。
フィルムが製造中止になったため もうオブジェかとあきらめていましたが
フィルム製造復活のうれしいニュースを見て
減光フィルターをAmazonで買い、期限切れ600フィルムをオークションで買い
お正月は家族5人の写真をポラロイドで撮るつもりです。
孫の楓士は 高画素数のデジカメに例えれば
わたし ポラロイド ならぬ ホラ(法螺)ロイド
さて 今年の一句
デジカメに 負けてたまるか ホラロイド
ネットで拾ったソフト
デジカメ写真をドラッグすると ポラロイド写真のように
白枠付きで しかもポラロイド風の色調にしてくれる。
名前が POLADROID (ポラドロイド)
アンドロイドみたいなニュアンスがまたよい
しかも ポラロイド写真のようにゆっくりと 像が浮かび上がってくる演出が
ニクイ
次は Amazonで買った本
THE POLAROID BOOK TASHEN出版 ハードカバー350ページ

ポラロイド社の写真コレクションで 写真がすごくよいし 値段がすごく安い
LOST な テイスト お薦めです。
...................................................................................................
去年10月より 家族5人の同居生活。
年末ににかけて完全な引っ越しを実現
同居に伴い お互いの荷物を 相当処分しました。
僕も 本、レコード、ビデオテープ、レーザーディスク、家具、衣類と
大量に処分しましたが まだ 大量に残っています。
こういうことでもなければ 思い切って物を捨てることはできませんが
今年一年はさらに身の回りの整理をするつもりです。
身を軽くすること それが 別れの準備 ナノ
初めての家族5人のお正月です。
天気はひどく荒れそうですが
家族の気持ちは 晴れやかです。
皆さんにとっても よいお年になりますように
浮きウキオ の 浜 でした。
.....................................
職人によるアートなTシャツ作り
全面インクジェットTシャツプリント
白インクプリント、抜染プリント
は
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
開けましておめでとうございます。

3回目の お年賀ブログになります。
去年は 8月に 親しい友人が亡くなり
9月には 孫が産まれ
生 と 死 喜び と 悲しみ
人生の 裏と表 を経験した 一年でした。
一年の始まりです。誕生の喜びの話から始めたいと思います。
...........................................................................................
孫の名前は 楓士(ふうと)
息子夫婦が付けた名前です。
考えてみれば 約30年周期 で 子と孫が産まれています。
この30年を振り返ると いろいろなことがありました。
横山工藝に入社してからも30年余りになります。
やく10年周期で 仕事の内容も世相も変わってきたように思えます。
生き物は体の大きさによって心拍数が変わるといいます。
小さいほど心拍数は多いのですが
楓士は大人の2倍くらいの心拍数です。
2倍以上の密度で生きているように思えます。
30年後 楓士はどういう生き方をしてるでしょうか?
地球や世界や政治がどうなっているかは解りませんが
せめて 家庭が楽しく生活できる 場とマナー の基盤を作っていきたい。


これ 楓士と モビルスーツ
2枚目の写真 頭の毛は薄いですが 旋風頭(せんふうと)
まだまだ できそこないのロボットのようですが
この世に産まれてきて
未知の世界との新しい体験を経て
脳のなかに地図を作り
言葉を憶え 歩けるようになり 自立していくための
必死の努力をしているようで
日々変化していく様子を見ているだけで 楽しいです。
......................................................................................
さて 以前に中古で買った ポラロイド SX-70 LAND CAMERA
ALPHA 1 MODEL2
外装の黒革がボロボロになっていますが 中はきれいです。
革は自分で張り替えるつもりです。

結局一度も撮影せずに置きっぱなしになっていました。
フィルムが製造中止になったため もうオブジェかとあきらめていましたが
フィルム製造復活のうれしいニュースを見て
減光フィルターをAmazonで買い、期限切れ600フィルムをオークションで買い
お正月は家族5人の写真をポラロイドで撮るつもりです。
孫の楓士は 高画素数のデジカメに例えれば
わたし ポラロイド ならぬ ホラ(法螺)ロイド
さて 今年の一句
デジカメに 負けてたまるか ホラロイド
ネットで拾ったソフト
デジカメ写真をドラッグすると ポラロイド写真のように
白枠付きで しかもポラロイド風の色調にしてくれる。
名前が POLADROID (ポラドロイド)
アンドロイドみたいなニュアンスがまたよい
しかも ポラロイド写真のようにゆっくりと 像が浮かび上がってくる演出が
ニクイ
次は Amazonで買った本
THE POLAROID BOOK TASHEN出版 ハードカバー350ページ

ポラロイド社の写真コレクションで 写真がすごくよいし 値段がすごく安い
LOST な テイスト お薦めです。
...................................................................................................
去年10月より 家族5人の同居生活。
年末ににかけて完全な引っ越しを実現
同居に伴い お互いの荷物を 相当処分しました。
僕も 本、レコード、ビデオテープ、レーザーディスク、家具、衣類と
大量に処分しましたが まだ 大量に残っています。
こういうことでもなければ 思い切って物を捨てることはできませんが
今年一年はさらに身の回りの整理をするつもりです。
身を軽くすること それが 別れの準備 ナノ
初めての家族5人のお正月です。
天気はひどく荒れそうですが
家族の気持ちは 晴れやかです。
皆さんにとっても よいお年になりますように
浮きウキオ の 浜 でした。
.....................................
職人によるアートなTシャツ作り
全面インクジェットTシャツプリント
白インクプリント、抜染プリント
は
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
2009年11月26日
別れの準備-6
随分前になるが 朝 8時頃 福井の自宅の電話が鳴った。
” 浜やんか もう あかんワ さよなら ありがとう ”
それだけ言い残して電話は切れた。
京都の友達、A子 ちゃん
僕は会社に行く前 どうしようかとたじろいだ。
今から京都まで車を飛ばしても間に合わない。
すぐ、京都の友達に電話をした。
事情を話して すぐ彼女のところへ駆けつけてくれ と
それでなんとか無事に収まった。
..............................
彼女は 京都 岡崎のアパート 北白川の銀月アパート の頃からの友達で
佐々は 彼女のところへよく遊びにいっていた。
彼女 カナダの離島のコミューン へ独りで行ったときの話ですが
お父さん(福井出身の方でした)に見つかると止められるので
2階の自分の部屋から荷物を外に落とし
玄関からゲタ履いて ちょっと出てくるワ と
カナダまて 行ったそうです.
そんな すごい行動力の持ち主でしたが
僕たちが福井に帰った頃
日本に陶芸を学びに来ていた北欧の人と知り合って
京都の山奥の周山に窯を作り 二人きりでこもることになったせいか
そこで 鬱病になってしまいました。
福井からよく二人のところへ遊びにいきましたが
鬱病も進行し、彼が国に帰ることになったため よけいに悪くなったようで
人にも会えず、外にも出ず 生活保護でなんとか生計をたてていました。
..............................
朝の電話の件は 無事に済みましたが
それからは 佐々と二人で電話をよくかけ 出来るだけ長々とおしゃべりしました。
気心の知れた友達と話しているのが 一番 心が和む と言ってました.
彼女 こんなことを 言ったことがあります。
” いつも 死ぬことばかり考えてた。
そして裏山に登り ずーと川を眺めているの。
ある時 気がついたワ ああ 川の流れの様に
心も流さんといけんのや と ”
..............................
DVD で映画を見た The Bridge というタイトル

ブリッジとは サンフランシスコの ゴールデン・ゲイト・ブリッジ のことですが
この美しい橋を舞台にした 自殺のドキュメンタリー映画でした。
海面までの距離66メーター 自殺者の数1300人以上(世界最多)だそうです。
映画の中で ある若い男の人が言っていたことが印象に残りました。
死ぬことばかり考えていたが 飛び込んだ瞬間に 生きたいと思った
宙を舞いながら助かることを考えた。
頭から突っ込むか、足から突っ込むか と
結局、足から突っ込んで かなりのダメージを受けながらも
命は助かったようです。
映画の中では 自殺する前に よく 携帯電話で 電話をしています。
別れの準備 というより サヨナラの挨拶 のようですが
パソコンでメールを送ってからと言う人もいますし
直接のコミュニケーションが苦手な人や 鬱病の人も多いようです。
でも 亡くなった人は そこで 終わり になりますが
残された人は そこからが 始まりです。
あの時 ああ言っておけば良かった とか ああしてあげてれば とか
表情も言葉も帰って来ない人との 悔いの長い対話 が始まります。
愛していた人や子供だったら どんなに苦しい対話になるかわかりません。
..............................
この映画の監督が特典映像のインタビューで
”どんなに大変でも生きていかなければと思う人と
もう一日だって耐えられないと思う人との
境界線はどこにあるのか”
”この橋では 常に自殺が起きている
白昼に<アメリカの宝>と言える場所でだ
しかも周りには人がいる
公の場で自殺するという行為は 他の自殺と大きく異なる
概して通常は人に見られない場所で自殺する
寮の部屋 浴室 ガレージ 納屋 森 といった場所が多い
だが この橋では人に見られる”
..............................
こちら側の世界 と 向こうの世界
此岸 と 彼岸
この 境界に渡すものとしての 橋
それが この映画のタイトル Bridge の意味だと思う。
..............................
楽しいことは 揮発性で 上に昇っていく
一日のうち楽しいことが一つでもあれば
その日一日は とても楽しく心は軽く舞い上がる。
でも 揮発性 だから そう長くは持たない
一晩寝ると メモリー はリセットされて ゼロになる。
苦しいことは 沈殿し圧縮されていて 重い
だから 一週間は 引き摺ってしまう。
人によっては一生かも知れない。
..............................
ふさぎこんで 死ぬことばかり考えていると その気持ちが
どんどん加速、増幅していって 死 に取り込まれていくようになる。
ブリッジの話も 川の流れ の話もそうですが ある 転換モード を経験すること
そのきっかけは 人 様々 だと思いますが 廻りの私たちにも
お手伝いできることがあればと思います。
..............................
この映画を見て 彼女の電話 のことを憶いだしました。
最近は 電話をしていませんが 年に一度の年賀状は届きます。
2009年11月12日
銀月アパート-その壱
35年くらい前に 佐々と二人で 銀月アパートに住んでいた。
当時、皆は 銀月アパートと呼んでいたので
銀月アパートメントより この呼び名の方が馴染みがある。

このアパート 映画 クローズド・ノート で話題になりましたが
僕にとっても クローズド・ノート
閉じられた過去の1ページ
My Back Pages ということで
僕なりの思い出を綴ります。
銀月アパート その壱です
.........................................................................................................
最初にこのアパートを知ったのは 岡崎に下宿している頃。
友達の イッペイ君 が 銀月アパートに住んでいた。
同人誌 ディスタンスの 仲間で 時々、彼の部屋に遊びにいった。
銀月アパート 北棟の一階 一番西側の角の部屋 でした。
彼は美大を出て絵を描いて それとなく自由に暮らしていたので
質素でアートな雰囲気の部屋でした。
自作の歌を生ギター弾き語りで聞かせてくれました。
彼の部屋でよく憶えているのは パーフェクションのストーブで
電気を消して天井に映るストーブの模様がファンタジックでした。
僕も福井に帰ってからパーフェクションのストーブを買い
今でも愛用しています。
イッペイ君 はそのうち引っ越していきましたが
僕と佐々は 1974〜5年頃に 岡崎の下宿から 銀月アパート に移ります。
北棟の二階の階段上がってすぐ左の部屋 15号室でした。
.............................................................................................................
その 銀月アパート 映画の クローズド・ノート で話題になったので
DVD 借りて見ました。

映画そのものはたいして面白くもなかったですが
ストーリーや配役は 無視して
背景の 京都の 町並みばかり 見てました。
あの 万年筆屋さん 寺町二条上がるの あるお店ですが
随分以前に 気になって撮った写真が出てきたのは これ

昔は何かのお店だったみたいですが いつも白いカーテンが掛かっていた。
京都にいる頃は よく行っていた 三月書房 という本屋さん
その丁度 斜め向かいにある お店でした。
この 三月書房 は思想、哲学系の 知る人ぞ知る こだわりの書店です。
............................................................................................................
この映画で 銀月アパートが出てきます。
映画での 南棟の階段 と リュウ の部屋ですが
この リュウ の部屋は 廊下と扉だけで

中の部屋は スタジオのセットでの撮影のようです。
銀月アパートの部屋は あんなに広くはなく もっとシンプルなものだった。
そして廊下の突き当たりの部屋は たしか6号室
これは映画では目隠ししてありました。
..............................................................................................................
映画は映画なので 映画の話はそれくらいにして
この 銀月アパートに越して 沢山の友に出逢いました。
その目隠しの6号室の くんちゃん 彼女 イギリス製の自転車に乗っていて
僕のバイト先の近くで 当時、古着屋 という屋号で 古着屋 をやってました。
佐々は彼女から随分いろんなことを 学んだようです。
非常にエキゾチックな魅力の女性で 部屋には 一面 漆色の籐むしろが敷いてあり
数冊の本が床に置いてあるくらいで 生活臭のない きわめてシンプルな部屋でした。
その後 風の噂では スペインのフラメンコギター奏者に恋をして姿を消したようです。
も一度 ふっと どこかで 逢いたい人です。
..........................................................................................................
南棟いちばん西の部屋には 前のブログ REI の親友 青森出身のコウジがいて
その南隣の部屋には ケイとケン という若い同棲の二人がいた。
北棟の一番東の部屋には老夫婦がいて いろいろお世話になり
一緒にお茶を飲んだり、おしゃべりしたり のどかで楽しい日々を過ごしていました。
大家さんは 以前、進駐軍の通訳をしていたようですが
今は息子さんのいるカナダで暮らしていると聞きましたが
当時は、南の庭で ミツバチを飼い、網を被って蜂蜜をとったり
夏には 屋根のコールタールを塗ったり、
焚き物でお風呂を湧かしたりと 微笑ましい生活をされてました。
................................................................................................................
その 銀月アパートも メンテナンスをする人がいなくなったせいか
それとも 住民のコミュニケーションや みんなが お掃除をしなくなったせいか
ここ数年京都に行く度に訪れる 銀月アパートですが
老朽化はまぬがれませんが それより 質素でも生活のすがすがしい匂いのする
雰囲気が全く感じられず、いつも淋しい思いをして帰ってきます。
どんなに時代が変わろうと 一番大切なことは 変わってほしくないのですが。
..........................................................................................................
このアパート 共同の炊事場、共同のトイレ(水洗ではありません)
お風呂は近くの銭湯 でしたが なぜか 都市ガスは引いてありました。
次の写真は その15号室の内側から撮った写真ですが
一口ガスコンロと フランス製セブの圧力釜、ロッジ社の鋳物のフライパン/スキレットに
小さな白い冷蔵庫 だけの生活でした。

貧しいからこそ、友達も多く皆で生活を分かち合い、助け合う生活でした。
ネイティブ・アメリカンの言葉ですが
奪い合えば 足りなります 分かち合えば 余ってきます。
これは物質的なことだけではなく 精神的なことにも言える言葉だと思います。
苦しいことは人に打ち明けなさい。そうすれは 心は軽くなります。
楽しいことは 人に伝えなさい。 分かち合うことで喜びはさらに大きくなります。
これも ネイティブ・アメリカンの言葉です。
................................................................................................................
さて このブログも長くなりそうです。
銀月アパート シリーズは さらに続きます。
重ねた歳だって 分かち合いたい ハマジイ でした。
当時、皆は 銀月アパートと呼んでいたので
銀月アパートメントより この呼び名の方が馴染みがある。

このアパート 映画 クローズド・ノート で話題になりましたが
僕にとっても クローズド・ノート
閉じられた過去の1ページ
My Back Pages ということで
僕なりの思い出を綴ります。
銀月アパート その壱です
.........................................................................................................
最初にこのアパートを知ったのは 岡崎に下宿している頃。
友達の イッペイ君 が 銀月アパートに住んでいた。
同人誌 ディスタンスの 仲間で 時々、彼の部屋に遊びにいった。
銀月アパート 北棟の一階 一番西側の角の部屋 でした。
彼は美大を出て絵を描いて それとなく自由に暮らしていたので
質素でアートな雰囲気の部屋でした。
自作の歌を生ギター弾き語りで聞かせてくれました。
彼の部屋でよく憶えているのは パーフェクションのストーブで
電気を消して天井に映るストーブの模様がファンタジックでした。
僕も福井に帰ってからパーフェクションのストーブを買い
今でも愛用しています。
イッペイ君 はそのうち引っ越していきましたが
僕と佐々は 1974〜5年頃に 岡崎の下宿から 銀月アパート に移ります。
北棟の二階の階段上がってすぐ左の部屋 15号室でした。
.............................................................................................................
その 銀月アパート 映画の クローズド・ノート で話題になったので
DVD 借りて見ました。

映画そのものはたいして面白くもなかったですが
ストーリーや配役は 無視して
背景の 京都の 町並みばかり 見てました。
あの 万年筆屋さん 寺町二条上がるの あるお店ですが
随分以前に 気になって撮った写真が出てきたのは これ

昔は何かのお店だったみたいですが いつも白いカーテンが掛かっていた。
京都にいる頃は よく行っていた 三月書房 という本屋さん
その丁度 斜め向かいにある お店でした。
この 三月書房 は思想、哲学系の 知る人ぞ知る こだわりの書店です。
............................................................................................................
この映画で 銀月アパートが出てきます。
映画での 南棟の階段 と リュウ の部屋ですが
この リュウ の部屋は 廊下と扉だけで

中の部屋は スタジオのセットでの撮影のようです。
銀月アパートの部屋は あんなに広くはなく もっとシンプルなものだった。
そして廊下の突き当たりの部屋は たしか6号室
これは映画では目隠ししてありました。
..............................................................................................................
映画は映画なので 映画の話はそれくらいにして
この 銀月アパートに越して 沢山の友に出逢いました。
その目隠しの6号室の くんちゃん 彼女 イギリス製の自転車に乗っていて
僕のバイト先の近くで 当時、古着屋 という屋号で 古着屋 をやってました。
佐々は彼女から随分いろんなことを 学んだようです。
非常にエキゾチックな魅力の女性で 部屋には 一面 漆色の籐むしろが敷いてあり
数冊の本が床に置いてあるくらいで 生活臭のない きわめてシンプルな部屋でした。
その後 風の噂では スペインのフラメンコギター奏者に恋をして姿を消したようです。
も一度 ふっと どこかで 逢いたい人です。
..........................................................................................................
南棟いちばん西の部屋には 前のブログ REI の親友 青森出身のコウジがいて
その南隣の部屋には ケイとケン という若い同棲の二人がいた。
北棟の一番東の部屋には老夫婦がいて いろいろお世話になり
一緒にお茶を飲んだり、おしゃべりしたり のどかで楽しい日々を過ごしていました。
大家さんは 以前、進駐軍の通訳をしていたようですが
今は息子さんのいるカナダで暮らしていると聞きましたが
当時は、南の庭で ミツバチを飼い、網を被って蜂蜜をとったり
夏には 屋根のコールタールを塗ったり、
焚き物でお風呂を湧かしたりと 微笑ましい生活をされてました。
................................................................................................................
その 銀月アパートも メンテナンスをする人がいなくなったせいか
それとも 住民のコミュニケーションや みんなが お掃除をしなくなったせいか
ここ数年京都に行く度に訪れる 銀月アパートですが
老朽化はまぬがれませんが それより 質素でも生活のすがすがしい匂いのする
雰囲気が全く感じられず、いつも淋しい思いをして帰ってきます。
どんなに時代が変わろうと 一番大切なことは 変わってほしくないのですが。
..........................................................................................................
このアパート 共同の炊事場、共同のトイレ(水洗ではありません)
お風呂は近くの銭湯 でしたが なぜか 都市ガスは引いてありました。
次の写真は その15号室の内側から撮った写真ですが
一口ガスコンロと フランス製セブの圧力釜、ロッジ社の鋳物のフライパン/スキレットに
小さな白い冷蔵庫 だけの生活でした。

貧しいからこそ、友達も多く皆で生活を分かち合い、助け合う生活でした。
ネイティブ・アメリカンの言葉ですが
奪い合えば 足りなります 分かち合えば 余ってきます。
これは物質的なことだけではなく 精神的なことにも言える言葉だと思います。
苦しいことは人に打ち明けなさい。そうすれは 心は軽くなります。
楽しいことは 人に伝えなさい。 分かち合うことで喜びはさらに大きくなります。
これも ネイティブ・アメリカンの言葉です。
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さて このブログも長くなりそうです。
銀月アパート シリーズは さらに続きます。
重ねた歳だって 分かち合いたい ハマジイ でした。
2009年11月08日
別れの準備-5
イカリさんが 以前にラジオを聞いていて成る程とおもったというお話ですが
死に逝く為に できるだけ身を軽くすること
それが 物忘れ だと
最近、ワタシ 物忘れなんて ひどいものだが
年とれば、眼だって うとくなる
あぁ 世界が 遠くに見える
耳も うとくなる
そう 世界が だんだん遠ざかっていく
感覚だって 鈍っていく
でも それって 美しい 距離感 かも
今ある世界を 遠くから 感じ取れる 感性
茫洋としてこそ ワタシ になれる
これは 年取らないと わかんないでしょう
その領域が 別れの準備 というモード なの
.................................................................................................................
そして 現実に眼を移せば イカリさん
ピンピンコロリ がいい。
という。
病気して、入院して、皆に世話してもらって死ぬのはいや と
誰でもそう願っていると思いますが
なかなかそういう風にいかないのが
世の常というもんです。
.................................................................................................................
谷川俊太郎の エトセテラ リミックスという本の中に こんなことが
葬式出スナ
全集出スナ
アンマリ泣クナ
墓モイラナイ
つまり死んだら、もう生きてたころのことはさっぱり忘れて
死んだことに熱中しようと思うのだ。
この言葉は 死をもっと真剣に生きようとしているようにも思える。
でも アンマリ という言葉は 決別していない
一筋の涙くらいは 流してくれよな と
どこか 希望を感じさせてくれる。
.................................................................................................................
高村 光太郎の詩のなかに
<死ねば死にきり、自然は水際立っている>
これは 潔くて よい。
.................................................................................................................
次にインドの人の言葉
誕生の時には、あなたは泣き
全世界は喜びに沸く。
死ぬときは、全世界は泣き
あなたは喜びにあふれる。
誕生を苦の始まりとし、死を解放ととらえている。
.................................................................................................................

そして ネイティブ・アメリカ・インディアン の言葉
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
もう自分は役目を全うし、自然の調和のなかに帰ろうという
美しい言葉である。
.................................................................................................................
生まれてくるときは皆同じ様に身一つで無垢ですが
死ぬときは人それぞれのモードがある。
だからどういう死に方をしたいかというのは希望としてでも考えといた方がよい。
前回のブログ の 助田さんと 木村さんの 法名の話から
イカリさんと二人で法名の話はよくする。
僕は 浮き尾 とおもったが
釈 忘我 にしようかなと思っている。
物忘れより 我を忘れる
イカリ さんは 釈尼 如何離(イカリ) ですかね。
如何に 離別 するか
エ 何とです?
.................................................................................................................
今度は 以前僕がラジオを聞いていて 成る程と思ったこと。
火葬場(荼毘所)の 焼き人 のお話でしたが
火葬といっても これはよほどの経験に裏打ちされた技術を持っていないとだめで
非常に難しいものです。
ご遺体には 老人ばかりでなく、赤ちゃんもいれば 大きく頑強な人もいる。
骨の病気の人もいるし それこそ いろんな遺体がありますから
きれいに骨を残して焼くというのは大変なことなんです。
特に 乳幼児などは 火加減が難しいです。 と
なるほど、餅は餅屋です ナ
.................................................................................................................
京都のイカリさんの友達ヨウコさんの猫トム君が最近亡くなって
彼女、火葬後、骨を拾いにいったそうですが
猫の尻尾の先の尖った所まできれいに骨が残っていたと
いたく 感動していました。
.................................................................................................................
イカリさんは 言います。
私は骨は残さんといて
全部灰にして
お墓にも入りたくない。
と
死にきる とは そういうことかもしれない。
昔の火葬は長いガスバーナーで着火という感じでしたが
これ 残酷なので 廃止になったようで
今は 重い観音開きの鉄扉を閉め、ロックして
はい ボタンを押してください。 です
ボタンは一つきりなのです。
レアは困るが
ミディアム 骨残す と
火力強め 全灰
くらいの選択肢があってもよい。
.................................................................................................................
ところが、裸一つで生まれて来ても 死ぬときは お荷物だって一杯ある。
これを 始末せねばと最近思っている。
自分の想い出が染み付いていて、お宝だと思ってはいても
残された者にしてみれば ゴミみたいなものだろう
で この前、滋賀の友達に
僕が死んだら何でもいいからトラックで取りに来てくれと言っておいた。
お宝だと解る人には今から手を打っておかないと。
皆一度に来ると大変なことになるから
せめて整理券でも作っておくか。
.................................................................................................................
葬儀は いたってシンプルが いい
新聞のお悔やみ欄には出さず、親しい人だけに伝える。
外でやるのもよい。野机に野の花、ローソク、香爐で灰葬
皆でお酒でも飲みながら あんなこと、こんなことを
笑いながら話してくれたらいい。
僕が聞いていたお気に入りの一曲というのも選んでおき 聞いて欲しいが
沢山ありすぎて 一曲を選ぶとなると むつかしい。
置き土産という意味でもシンプルに一品がよい
ローソクは一本、線香も一本、花一輪、詩集一冊、曲は一曲
花と詩集と曲は そのうち選ぶ。
遺書は一行 さよなら ありがとう で良い。
イカリさんは アメイジング・グレイスがいいという。
そしてバッハのブランデンブルクがいいかな。
さて その時は 前のブログで書いた
大阪の K にお願いする。
.................................................................................................................
まるで 自分の遺書のように 長々と書いてしまったが
遺書は一行 さよなら ありがとう が良い。
最後に ネイティブ・アメリカ・インディアンの最も好きな言葉
春にはそっと歩く。
母なる大地は
いま身籠っているのだから
.................................................................................................................
まだ 別れの準備-6 に続きます
僕が生きている限り Never Ending Farewell Tour Show になるかも
増えてきた(増やしてきた?)ので
別れの準備 というカテゴリーを作りました。
では 我を忘れる ハマジイ より
.....................................
職人によるアートなTシャツ作り
全面インクジェットTシャツプリント
白インクプリント、抜染プリント
は
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
2009年10月29日
別れの準備-4
別れの準備-4
別れの準備も折にふれ続いていきそうな気がする。
.............................
去年、2008年4月 桜の花咲く金沢で 息子の結婚式がありました。
その頃、 野の花の絵師、助田茂蔵じいちゃんが
93歳で亡くなりました。
法名は「釈 相應(そうおう)」で、生前にご自分でつけられたそうです。
相應 さりげなく そして 深い 法名です。
<花を見ている。花も見ている。> という茂蔵じいちゃんの言葉
野の花を描き続けることで、野の花に学び
野に生きる思想家でもありました。
野の花の様に清楚に散っていかれました。
息子の結婚祝いに茂蔵さんのご子息の篤郎さんより
謄写版印刷による野の花の額を頂きました。

春、かたくりの花を見ると憶いだすおじいちゃんの後ろ姿です。
篤郎さんとは 茂蔵じいちゃんの Tシャツのプリント でコラボしました。
それから翌年 2009年8月 に親しい友が亡くなりました。
笑いの研究で有名な 関西大学教授の 木村洋二さん です。
木村さんには 忙しい中 息子の結婚式に ご挨拶をして頂き、
<馬鹿の寄せ鍋>の話に皆 おおいに盛り上がりました。
今年の お年賀ブログ に写真入りで載せましたが
その時の 去年12月におそば屋さんで撮影した
そのショットが最後になってしまいました。
以前、福井市のカフェで開催された 助田茂蔵 野の花展 での
お二人の元気な頃の写真です。

<もともとせっかちなタチなので> という奥さんの言葉通り
別れの準備も無く あっという間に逝ってしまった。
彼の法名「釈 愚門(ぐもん)」これも彼が自分で付けた法名です。
愚門 という名は 以前からペンネームで使っていたものです。
湯谷での葬儀の帰り道 野には一面 白ユリが咲いていました。
ぼくにとって 8月の白い野のユリ が彼の花です。
.............................
ところで わたし 9月に孫が生まれました。
文字通り ハマ爺 になりました。
秋に生まれたからなのか 息子夫婦が 「楓士(ふうと)」と名付けました。
なかなか良い名です。
風になびく 木 になるのか
木にそよぐ 風 になるのか
まだ 僕には わかりません。
でも 豊かな風を孕んだ力強い樹になって欲しい
そう願っています。
暖かい風も、いや、冷たく厳しい風にこそ
立ち向かって強くなってほしいと想っています。
...............................................................................................
かえで(メープル)はカナダの木です。
カエルの手に似ていることから名付けられたそうですが
日本では紅葉(モミジ)のことをいいます。
楓士の手もモミジのように小さいが
まだ、透き通るように白い。
...............................................................................................
十月初頭に助田篤郎さんからはがきが届きました。
その切手が広島の紅葉(モミジ)の絵でした。

以下、はがきの文面です。
<孔版画のお知らせ>
<早いもので父が亡くなって二度目のお盆も過ぎ、
天高くさまざまな雲に広がりを感じる候となりました。
この度、小品ながら孔版画を越前手漉き黒塗り和紙に制作しました。
用紙が真っ黒なものに刷り重ねることは初の試みで試行錯誤でしたが
丁寧に仕上げることに専念いたしました。
どうぞご支援の程、お願いいたします。>
その 3枚の孔版画 です。

上 白花曼珠沙華(ヒガンバナ科)孔版12度刷り
下左 蒲公英(タンポポ)冠毛 (キク科)孔版11度刷り
下右 綿(アオイ科)孔版12度刷り
以前 篤郎さんとお話している時に
<孔版画(ガリ版)の原紙(版)は紙で弱いので
大量に刷ることはできないので できる部数が限られてくるのです。>
ですから 本当の意味で 限定作品 なのです。
11色〜12色の刷り重ねによる精細な版画プリントです。
220部限定の貴重な版画 残り少ないと思われますので
無くなる前にお求めください。
連絡先はこちらです。
直接お葉書かお電話でお願いいたします。
〒916-0047 鯖江市柳町2丁目3-13
野の花の会 助田篤郎(すけた あつろう) 様
TEL 0778-51-0222
...............................................................................................
別れの準備 というより
別れの後 というブログになってしまいました。
裸のまま 体一つで 生まれて来ますが
逝くときも また身一つです。
喜びと悲しみが 入り混じった この2年でした。
書きたいことはまだありますが 長くなったので
次回の 別れの準備-5 にまわします。
では それなりに はまじい でした。
.....................................
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白インクプリント、抜染プリント
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職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
別れの準備も折にふれ続いていきそうな気がする。
.............................
去年、2008年4月 桜の花咲く金沢で 息子の結婚式がありました。
その頃、 野の花の絵師、助田茂蔵じいちゃんが
93歳で亡くなりました。
法名は「釈 相應(そうおう)」で、生前にご自分でつけられたそうです。
相應 さりげなく そして 深い 法名です。
<花を見ている。花も見ている。> という茂蔵じいちゃんの言葉
野の花を描き続けることで、野の花に学び
野に生きる思想家でもありました。
野の花の様に清楚に散っていかれました。
息子の結婚祝いに茂蔵さんのご子息の篤郎さんより
謄写版印刷による野の花の額を頂きました。

春、かたくりの花を見ると憶いだすおじいちゃんの後ろ姿です。
篤郎さんとは 茂蔵じいちゃんの Tシャツのプリント でコラボしました。
それから翌年 2009年8月 に親しい友が亡くなりました。
笑いの研究で有名な 関西大学教授の 木村洋二さん です。
木村さんには 忙しい中 息子の結婚式に ご挨拶をして頂き、
<馬鹿の寄せ鍋>の話に皆 おおいに盛り上がりました。
今年の お年賀ブログ に写真入りで載せましたが
その時の 去年12月におそば屋さんで撮影した
そのショットが最後になってしまいました。
以前、福井市のカフェで開催された 助田茂蔵 野の花展 での
お二人の元気な頃の写真です。

<もともとせっかちなタチなので> という奥さんの言葉通り
別れの準備も無く あっという間に逝ってしまった。
彼の法名「釈 愚門(ぐもん)」これも彼が自分で付けた法名です。
愚門 という名は 以前からペンネームで使っていたものです。
湯谷での葬儀の帰り道 野には一面 白ユリが咲いていました。
ぼくにとって 8月の白い野のユリ が彼の花です。
.............................
ところで わたし 9月に孫が生まれました。
文字通り ハマ爺 になりました。
秋に生まれたからなのか 息子夫婦が 「楓士(ふうと)」と名付けました。
なかなか良い名です。
風になびく 木 になるのか
木にそよぐ 風 になるのか
まだ 僕には わかりません。
でも 豊かな風を孕んだ力強い樹になって欲しい
そう願っています。
暖かい風も、いや、冷たく厳しい風にこそ
立ち向かって強くなってほしいと想っています。
...............................................................................................
かえで(メープル)はカナダの木です。
カエルの手に似ていることから名付けられたそうですが
日本では紅葉(モミジ)のことをいいます。
楓士の手もモミジのように小さいが
まだ、透き通るように白い。
...............................................................................................
十月初頭に助田篤郎さんからはがきが届きました。
その切手が広島の紅葉(モミジ)の絵でした。

以下、はがきの文面です。
<孔版画のお知らせ>
<早いもので父が亡くなって二度目のお盆も過ぎ、
天高くさまざまな雲に広がりを感じる候となりました。
この度、小品ながら孔版画を越前手漉き黒塗り和紙に制作しました。
用紙が真っ黒なものに刷り重ねることは初の試みで試行錯誤でしたが
丁寧に仕上げることに専念いたしました。
どうぞご支援の程、お願いいたします。>
その 3枚の孔版画 です。

上 白花曼珠沙華(ヒガンバナ科)孔版12度刷り
下左 蒲公英(タンポポ)冠毛 (キク科)孔版11度刷り
下右 綿(アオイ科)孔版12度刷り
以前 篤郎さんとお話している時に
<孔版画(ガリ版)の原紙(版)は紙で弱いので
大量に刷ることはできないので できる部数が限られてくるのです。>
ですから 本当の意味で 限定作品 なのです。
11色〜12色の刷り重ねによる精細な版画プリントです。
220部限定の貴重な版画 残り少ないと思われますので
無くなる前にお求めください。
連絡先はこちらです。
直接お葉書かお電話でお願いいたします。
〒916-0047 鯖江市柳町2丁目3-13
野の花の会 助田篤郎(すけた あつろう) 様
TEL 0778-51-0222
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別れの準備 というより
別れの後 というブログになってしまいました。
裸のまま 体一つで 生まれて来ますが
逝くときも また身一つです。
喜びと悲しみが 入り混じった この2年でした。
書きたいことはまだありますが 長くなったので
次回の 別れの準備-5 にまわします。
では それなりに はまじい でした。
.....................................
職人によるアートなTシャツ作り
全面インクジェットTシャツプリント
白インクプリント、抜染プリント
は
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
2009年10月17日
5人の写真家

Peter BEARD(ピーター・ビアード)
1938年ニューヨーク生まれ。1955年(17歳)に初めてアフリカを旅。
1961年(23歳)ケニヤに移住。
写真家という括りの人ではない
1965年の著書「 The End of the Game 」では
白人によるアフリカの侵略と破壊を痛烈に批判している。
「日記」による膨大なコラージュ作品に圧倒される。

.....................................
Robert Frank(ロバート・フランク)
1924年スイスのチューリヒ生まれ。
1947年、23歳のときにアメリカに移民
1950年代の古きアメリカを切り取った写真集が良い。

逆光の 伸びていく アスファルトの 荒さが 荒野への道を 感じさせる。


前のブログ にも書いたローリング・ストーンズの メイン・ストリートのならず者
Exile on Main St.のLPジャケのカバーがよい。
ちなみにこのLPの中味 音は写真でいうと粒子の荒い、ざらざらした白黒写真のよう
スラムの汚れた地下室で録音したような ブラック&ブロークンな雰囲気が好きです。
Robert Frankの写真が実にピッタリとオブラートされている。
.....................................
Saul Leiter(ソール・ライター)
1923年ピッツバーク生まれ。23歳のときにニューヨークへ移り住みます。

ほとんど知られていないフォトグラファーですが、
実に絵画的な写真を撮る人で僕の感性に最も近い人です。
イカリさん曰く、まるでウキオの写真集みたい。と
構図の切り取り方といい、自然なフィルター
(窓ガラス越し、曇りガラスこしなどの)を通過したショットが多い
カメラのレンズと被写体の間に彼の感性や記憶の何気ないフィルターがある。
そこが好き
.....................................
Josef Koudelka(ジョセフ・クーデルカ)
1938年チェコスロバキア生まれ。
初めて見たこの人の衝撃的写真は次

プラハ1968.8.22
ソヴィエトの戦車が入ってきた瞬間の写真かもしれない
マグナムに属しHenri Cartier-Bresson(アンリ・カルティエ=ブレッソン)の
DVDにチラっと出ていました.
テオ・アンゲロプロス監督とも接点がある。
.....................................
Bruce Weber(ブルース・ウェバー)
1946年米国ペンシルベニア州グリンズバーグ生まれ
チェット・ベイカーのドキュメンタリー映画のこの1枚の写真

ビートニク的 カミソリで傷つけたような モノクローム写真
構築ではなく 崩れさっていく儚さの美しさ が好い
生まれは僕に最も近いので 近さは感じるが
どちらかというと 前者4人の 50年代という時代に
ノスタルジーを感じてしまいます。
経験し得なかった領土なのか
失われたもの、あるいは 味わったことのない料理なのか
残されたこれらの写真を 味わうことしか出来ません
.....................................
好きな5人の写真家を紹介しましたが
いずれも亡くなってはいませんが同時代の人達です。
この頃の時代も好かったと思いますが
20代に何を見、経験し、感じていたかで その人の人生が
決定付けられている様な気がします。
.....................................
昔の戦争映画で、落下傘降下部隊輸送用飛行機の中で
神経を尖らせている若い兵隊に 上官が
< 鉛筆もあまり削って尖らせているとすぐ折れるんだよ >
と 諭している場面がありましたが
20代の頃は皆 削って削って尖って 折れたらまた削っての
繰り返しで命を削っていましたよね。
そのうち芯が すぽっと抜ける鉛筆なんてのもありましたから
鉛筆は芯のあるうちに削らないと
今じゃ、丸くなった芯の ちびた短い鉛筆に
鉛筆ホルダーなんかしっかり嵌めて
長生きしようなんてご時世で
お尻の方には 立派な 消しゴム が付いていて
そう これって 記憶消しゴム のような気がしませんか?
では また
なんとなく hama でした
.....................................
職人によるアートなTシャツ作り
全面インクジェットTシャツプリント
白インクプリント、抜染プリント
は
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
2009年10月09日
全面インクジェットTシャツプリント
さて前回のブログに引き続いてTシャツプリントのお話です。
ブログをなかなか書けなかったのは大型インクジェットマシンが入って来て
それの稼働に忙しかった為ですが
ようやくプリントのメドがたちました。
このマシンは生地巾165センチの反物がプリント可能です。
水性顔料プリントでロール・ツウ・ロールでプリントできます。
平生地用のプリンターですが天然繊維もポリエステルもプリント可能です。
このような総柄の連続プリントが本来の目的ですが

このマシンでTシャツの全面プリントをやってみました。
以下、3枚の LOST シリーズです。






やはり 迫力 アリ
裏面もプリントしてみようと思っています。
サイドの白抜け筋はどうしても入るでしょうが。
これから色々とテストしていくつもりです。
順次 ブログに 掲載予定です。
ご質問あれば どしどし どうぞ
まずは 結果報告です。
hama でした。
職人によるアートなTシャツ作り
全面インクジェットTシャツプリント
白インクプリント、抜染プリント
は
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
ブログをなかなか書けなかったのは大型インクジェットマシンが入って来て
それの稼働に忙しかった為ですが
ようやくプリントのメドがたちました。
このマシンは生地巾165センチの反物がプリント可能です。
水性顔料プリントでロール・ツウ・ロールでプリントできます。
平生地用のプリンターですが天然繊維もポリエステルもプリント可能です。
このような総柄の連続プリントが本来の目的ですが

このマシンでTシャツの全面プリントをやってみました。
以下、3枚の LOST シリーズです。






やはり 迫力 アリ
裏面もプリントしてみようと思っています。
サイドの白抜け筋はどうしても入るでしょうが。
これから色々とテストしていくつもりです。
順次 ブログに 掲載予定です。
ご質問あれば どしどし どうぞ
まずは 結果報告です。
hama でした。
職人によるアートなTシャツ作り
全面インクジェットTシャツプリント
白インクプリント、抜染プリント
は
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
2009年09月04日
InkJet Print
インクジェットプリンター
白プリントのマシンが入ってきましたので
あれこれとテストプリントをしていましたが
これがなかなかの ジャジャ馬で
言うことを聞いてくれず
手なづけるのに随分時間がかかりました。
いまだに機嫌の悪い時が多い お馬さん です。
....................................................................................................
まづ 白ベタ だけのプリントで
2匹の兎 と 荒波 の和柄を プリント

(株)横山工藝謹製 兎兎印(トトジルシ)
の 黒の 兎兎バック(トトバック)用です。
兎兎印 で 和柄をシリーズで作るつもりです。
和紙の 兎兎バック も予定しています。
....................................................................................................
さて 久米繊維さん のショールームで
展示させていただいた Lost シリーズ

これもインクジェットプインターでプリントしたものです。
この様に 白でもグラデーションでプリントできるところが優れています。
この上からフルカラーのインクを乗せることもできますので
ブラックマジック手法を使うと面白いものができます。
....................................................................................................
この柄を使って
このプリンター用に
新たに作成したもののご紹介。
作成したデータがこれです。

プリントしたものをスキャナーで取り込んだものが次です。

比較しますと 白の下引きの荒さが目立ちます。
ザラザラしたラフな柄の場合はより強調されて良くなるかもしれません.
比べると全体に黄色が少ない感じですが
これは調整で解決できます。
難しいのは黒の奥行き感です。
下引きの白のデータの修正が鍵になります。
これは何度もトライし、データ修正のノウハウにかかってきます。
さて、色を調整し、黒の締まりを強調し
プリントしたものがこれです。

良い感じに上がりました。
....................................................................................................
次にマシンとデータを変えて
白Tシャツにプリントしてみました。
データがこれです。

プリントしたものをスキャナーで取り込んだものが次です。

そこそこ きていますが
色としては 赤が弱いですが
これも 調整で解決できます。
次が 色補正して黒を強調してプリントしたものの Scan 画像です。

ほぼ データ画像の色になりました。
荒さは残りますが
以上 黒T と 白T へのプリント比較です。
データは RGB ですから 彩度も高く
透明感のある発色でから
プリントの画像とは比較になりません。
レーザーコピーでの紙プリントは この中間くらいで
布にプリントしたものには近いです。
....................................................................................................
抜染でやるとまたテイストがガラリとかわってきます。
これが抜染プリントのスキャン画像です。

好みの問題になりますが
染料プリントに近い風合いと
ダークな色合いは 抜染ならではの雰囲気で
僕はこれが 一番好きです。
抜染はそれようにデータを編集しなくてはならず
抜染の技術は非常に難しいです。
…………………………………………………………………
インクジェットの特徴として
色や濃淡のメリハリがなくなり
全体にフラットな感じになります。
ただコストを考えずに手間をかければ
もっといいものはできます。
家庭用のインクジェットプリンターと同じで
紙と布の違いこそあれ
データを頂いて、プリントボタンを押せばプリントできます。
でも より良い結果を出そうと思うと
それなりの 経験とノウハウが必要になってきます。
インクジェットプリンターのメーカーは 同じ機種の機械は
どの機械も同じ出力結果を出す様に努力します。
だとしたら世界中同じマシンを使えば全く同じものが出来上がるかというと
そうではない
そこに 人の関わる 何かがあると おもふ。
僕の 得意技でもあるけれど
時には 機械だって 騙す必要がある。
インクジェットでプリントしたものには違いないけど
果たして どうやって プリントしたのかな?
と 唸らせるようなものを 作らなきゃ
では、この辺で 浜でした
…………………………………………………………………
職人によるアートなTシャツ作りには
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
白プリントのマシンが入ってきましたので
あれこれとテストプリントをしていましたが
これがなかなかの ジャジャ馬で
言うことを聞いてくれず
手なづけるのに随分時間がかかりました。
いまだに機嫌の悪い時が多い お馬さん です。
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まづ 白ベタ だけのプリントで
2匹の兎 と 荒波 の和柄を プリント

(株)横山工藝謹製 兎兎印(トトジルシ)
の 黒の 兎兎バック(トトバック)用です。
兎兎印 で 和柄をシリーズで作るつもりです。
和紙の 兎兎バック も予定しています。
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さて 久米繊維さん のショールームで
展示させていただいた Lost シリーズ

これもインクジェットプインターでプリントしたものです。
この様に 白でもグラデーションでプリントできるところが優れています。
この上からフルカラーのインクを乗せることもできますので
ブラックマジック手法を使うと面白いものができます。
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この柄を使って
このプリンター用に
新たに作成したもののご紹介。
作成したデータがこれです。

プリントしたものをスキャナーで取り込んだものが次です。

比較しますと 白の下引きの荒さが目立ちます。
ザラザラしたラフな柄の場合はより強調されて良くなるかもしれません.
比べると全体に黄色が少ない感じですが
これは調整で解決できます。
難しいのは黒の奥行き感です。
下引きの白のデータの修正が鍵になります。
これは何度もトライし、データ修正のノウハウにかかってきます。
さて、色を調整し、黒の締まりを強調し
プリントしたものがこれです。

良い感じに上がりました。
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次にマシンとデータを変えて
白Tシャツにプリントしてみました。
データがこれです。

プリントしたものをスキャナーで取り込んだものが次です。

そこそこ きていますが
色としては 赤が弱いですが
これも 調整で解決できます。
次が 色補正して黒を強調してプリントしたものの Scan 画像です。

ほぼ データ画像の色になりました。
荒さは残りますが
以上 黒T と 白T へのプリント比較です。
データは RGB ですから 彩度も高く
透明感のある発色でから
プリントの画像とは比較になりません。
レーザーコピーでの紙プリントは この中間くらいで
布にプリントしたものには近いです。
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抜染でやるとまたテイストがガラリとかわってきます。
これが抜染プリントのスキャン画像です。

好みの問題になりますが
染料プリントに近い風合いと
ダークな色合いは 抜染ならではの雰囲気で
僕はこれが 一番好きです。
抜染はそれようにデータを編集しなくてはならず
抜染の技術は非常に難しいです。
…………………………………………………………………
インクジェットの特徴として
色や濃淡のメリハリがなくなり
全体にフラットな感じになります。
ただコストを考えずに手間をかければ
もっといいものはできます。
家庭用のインクジェットプリンターと同じで
紙と布の違いこそあれ
データを頂いて、プリントボタンを押せばプリントできます。
でも より良い結果を出そうと思うと
それなりの 経験とノウハウが必要になってきます。
インクジェットプリンターのメーカーは 同じ機種の機械は
どの機械も同じ出力結果を出す様に努力します。
だとしたら世界中同じマシンを使えば全く同じものが出来上がるかというと
そうではない
そこに 人の関わる 何かがあると おもふ。
僕の 得意技でもあるけれど
時には 機械だって 騙す必要がある。
インクジェットでプリントしたものには違いないけど
果たして どうやって プリントしたのかな?
と 唸らせるようなものを 作らなきゃ
では、この辺で 浜でした
…………………………………………………………………
職人によるアートなTシャツ作りには
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
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2009年08月01日
Cats Paint
猫のお絵描き
憎っくき ヨモ への仇は
前回のブログでとったような気もするが
逆に 憎さ が 100倍 甦った感 がある。

こいつが その ヨモ である。
…………………………………………………………………
前回の 補足 ですが
いろんな動物によって それぞれ時間の尺度が違うようです。
心拍数は体の大きさによって違っていて
体の小さいものほど心拍数は多いといいますが
どんな動物も一生の内に 心拍数はおおよそ15億回だそうです。
人間の寿命が80歳、 猫は15歳としますと
猫は 約5倍の密度 で生きていることになりますから
人間は猫と 10分 遊んだと思っていても
猫にとっては 約1時間 遊ばれた様なもので
猫にとっては 迷惑な話かも知れません。
…………………………………………………………………
この前奇妙な光景を目にしました。
おにいさんが 犬と散歩していました。
犬は普通にひもで繋がれた状態で主人と散歩しています。
主人は 通常の人の歩く速度で歩いていますが
犬は主人の3倍くらいのスピードで歩いています。
ひもが伸びるわけでもなく
犬と主人はお互いのスピードを保ちながら
普通に移動していきます。
さて どうなっているか わかりますか?
見れば 一目瞭然で ナルホド と思います。
考えてみてください。

?
これ 猫の後姿 による ハテナ ? マーク
答えは最後に
…………………………………………………………………
さて 今回のブログは
Why cats Paint と
Why Paint Cats の2冊の本のご紹介です。
ネコ は 何故 絵を描くのか と
ネコ に 何故 絵を描くのか の違いです。
…………………………………………………………………
まず、WHY CATS PAINT - ネコはなぜ絵をかくのか -
A theory of feline aesthetics
キャットアートの理論 ヘザー・ブッシュ、バートン・シルバー 共著
出版社TASCHEN 発行

洋書としては Amazon で手に入りますが
この本は日本語に翻訳されているもので、現在絶版かと思われます。
様々なネコのアーティスト名とその絵画的表現手法が紹介されていますので
日本語版を見つけたら 即買われることをオススメします。

画風は ZenBeat 的です。まけそう

左右両手使いで 蝶のように舞って 描いた 優雅なペイント

ゴッホよりも シンプル 雑念 などというもの が 無いのだ。

やっぱり 煙となんとかと 猫は 高いとこ 上がりたがる。
この様に ネコ族は 高度な抽象画を 得意とします。
こういう 絵を描かせるために ネコを飼うのもよい
でも 全ての猫がアーチストとも限らないかも。
…………………………………………………………………
次に Why Paint Cats - ネコに何故 絵を描くのか -
The ethics of feline aesthetics
Burton Silver Heather Busch 共著

沢山の画像がインターネットで検索すれば出てきますので
是非 ご覧ください。


思わず 笑っちゃいます。
ヨモ を捕まえたら
まず、 ヨモに 思いっきり 絵を描かせ
そして 奴の顔に 絵を描いてやろうと思う。
エッ? 動物虐待?
虐待されたのは こっちの方だ
…………………………………………………………………
さて 最後に 犬の散歩の答えです。
主人は普通の速度(歩く速度)で歩いています。
犬は主人の3倍くらいの速度で小走りです。
どちらも同じ速度で移動していきます。
主人は犬の首輪に繋がったロープを 普通に歩きながら
右手から左手に渡し、左手は体の後ろから右手に渡しています。
つまり、体を中心にロープの先端を左回りにぐるぐる廻しております。
犬は主人の廻りを左回りにぐるぐる小走りで廻りながら
主人の移動と同じ速度で移動していきます。
ロープはもつれません。
おわかりでしょうか?
実際に見ればナルホドと解るのですが
文章にすると解りにくいです。
…………………………………………………………………
職人によるアートなTシャツ作りには
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
憎っくき ヨモ への仇は
前回のブログでとったような気もするが
逆に 憎さ が 100倍 甦った感 がある。

こいつが その ヨモ である。
…………………………………………………………………
前回の 補足 ですが
いろんな動物によって それぞれ時間の尺度が違うようです。
心拍数は体の大きさによって違っていて
体の小さいものほど心拍数は多いといいますが
どんな動物も一生の内に 心拍数はおおよそ15億回だそうです。
人間の寿命が80歳、 猫は15歳としますと
猫は 約5倍の密度 で生きていることになりますから
人間は猫と 10分 遊んだと思っていても
猫にとっては 約1時間 遊ばれた様なもので
猫にとっては 迷惑な話かも知れません。
…………………………………………………………………
この前奇妙な光景を目にしました。
おにいさんが 犬と散歩していました。
犬は普通にひもで繋がれた状態で主人と散歩しています。
主人は 通常の人の歩く速度で歩いていますが
犬は主人の3倍くらいのスピードで歩いています。
ひもが伸びるわけでもなく
犬と主人はお互いのスピードを保ちながら
普通に移動していきます。
さて どうなっているか わかりますか?
見れば 一目瞭然で ナルホド と思います。
考えてみてください。

?
これ 猫の後姿 による ハテナ ? マーク
答えは最後に
…………………………………………………………………
さて 今回のブログは
Why cats Paint と
Why Paint Cats の2冊の本のご紹介です。
ネコ は 何故 絵を描くのか と
ネコ に 何故 絵を描くのか の違いです。
…………………………………………………………………
まず、WHY CATS PAINT - ネコはなぜ絵をかくのか -
A theory of feline aesthetics
キャットアートの理論 ヘザー・ブッシュ、バートン・シルバー 共著
出版社TASCHEN 発行

洋書としては Amazon で手に入りますが
この本は日本語に翻訳されているもので、現在絶版かと思われます。
様々なネコのアーティスト名とその絵画的表現手法が紹介されていますので
日本語版を見つけたら 即買われることをオススメします。

画風は ZenBeat 的です。まけそう

左右両手使いで 蝶のように舞って 描いた 優雅なペイント

ゴッホよりも シンプル 雑念 などというもの が 無いのだ。

やっぱり 煙となんとかと 猫は 高いとこ 上がりたがる。
この様に ネコ族は 高度な抽象画を 得意とします。
こういう 絵を描かせるために ネコを飼うのもよい
でも 全ての猫がアーチストとも限らないかも。
…………………………………………………………………
次に Why Paint Cats - ネコに何故 絵を描くのか -
The ethics of feline aesthetics
Burton Silver Heather Busch 共著

沢山の画像がインターネットで検索すれば出てきますので
是非 ご覧ください。


思わず 笑っちゃいます。
ヨモ を捕まえたら
まず、 ヨモに 思いっきり 絵を描かせ
そして 奴の顔に 絵を描いてやろうと思う。
エッ? 動物虐待?
虐待されたのは こっちの方だ
…………………………………………………………………
さて 最後に 犬の散歩の答えです。
主人は普通の速度(歩く速度)で歩いています。
犬は主人の3倍くらいの速度で小走りです。
どちらも同じ速度で移動していきます。
主人は犬の首輪に繋がったロープを 普通に歩きながら
右手から左手に渡し、左手は体の後ろから右手に渡しています。
つまり、体を中心にロープの先端を左回りにぐるぐる廻しております。
犬は主人の廻りを左回りにぐるぐる小走りで廻りながら
主人の移動と同じ速度で移動していきます。
ロープはもつれません。
おわかりでしょうか?
実際に見ればナルホドと解るのですが
文章にすると解りにくいです。
…………………………………………………………………
職人によるアートなTシャツ作りには
染型工房 横山工藝
職人による華麗なよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
2009年07月01日
10 pieces exhibition
久米繊維工業さんの 10 pieces exhibition
10枚のTシャツでこそ表現できること
このショールームに出展させて頂くことになり
この1ヶ月 ブログも書かず Tシャツを作っておりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月6日(月曜日)から 7月31日(土曜日)まで
展示させていただきます。
月曜日から土曜日(日曜、祝日はお休みです)
10:00〜17:00
※土曜日は16:00まで
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久米繊維工業株式会社 本社プレスルームのアクセスマップは
こちら
東京錦糸町です。東京近郊の方は是非お立ち寄りください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10枚のTシャツの タイトルは Lost です。
失われたもの 無くしたもの 忘れ去られたたもの
喪失 失念 忘失 忘却 紛失 消失 忘我 望郷
形を亡くし 心の底で忘れ去られている 想い が テーマです。
最近、二つのセリフに出逢いました。
<人は 何かを失わずに 何かを得ることは できない。>
<人は 失った物を取り戻そうとして また、何かを 失う。>
歳を重ねるにしたがって、得たものも多くなるが
失ったものも また 多い。
老人は半ば想い出のなかに沈み、記憶に耽る
それもまた 美しい生き方 だと 思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



10枚のTシャツは インクジェットプリントによるものです。
インクジェットプリントの弱点はフラット(平坦)な仕上がりです。
色の 深み、メリハリ、立体感 を出すためには
色々な工夫が必要です。
コンピューターでの画像の処理も必要ですし
プリンターの複合的な使い方も大切です。
こだわってプリントした結果を解って頂けると嬉しいです。
詳細な画像とTシャツにプリントしたデジカメ画像は
こちら
スライドショーでご覧頂けます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後に お世話くださった
久米繊維工業株式会社の皆様に
深く感謝いたします。
久米繊維工業株式会社さんのプレスルームと
久米繊維工業株式会社の編集長
盛本 純子さんのブログ に 展示の動画が 掲載されました。
ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アートなTシャツ作りには
染型工房 横山工藝
激しくも美しいよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
10枚のTシャツでこそ表現できること
このショールームに出展させて頂くことになり
この1ヶ月 ブログも書かず Tシャツを作っておりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月6日(月曜日)から 7月31日(土曜日)まで
展示させていただきます。
月曜日から土曜日(日曜、祝日はお休みです)
10:00〜17:00
※土曜日は16:00まで
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久米繊維工業株式会社 本社プレスルームのアクセスマップは
こちら
東京錦糸町です。東京近郊の方は是非お立ち寄りください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10枚のTシャツの タイトルは Lost です。
失われたもの 無くしたもの 忘れ去られたたもの
喪失 失念 忘失 忘却 紛失 消失 忘我 望郷
形を亡くし 心の底で忘れ去られている 想い が テーマです。
最近、二つのセリフに出逢いました。
<人は 何かを失わずに 何かを得ることは できない。>
<人は 失った物を取り戻そうとして また、何かを 失う。>
歳を重ねるにしたがって、得たものも多くなるが
失ったものも また 多い。
老人は半ば想い出のなかに沈み、記憶に耽る
それもまた 美しい生き方 だと 思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



10枚のTシャツは インクジェットプリントによるものです。
インクジェットプリントの弱点はフラット(平坦)な仕上がりです。
色の 深み、メリハリ、立体感 を出すためには
色々な工夫が必要です。
コンピューターでの画像の処理も必要ですし
プリンターの複合的な使い方も大切です。
こだわってプリントした結果を解って頂けると嬉しいです。
詳細な画像とTシャツにプリントしたデジカメ画像は
こちら
スライドショーでご覧頂けます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後に お世話くださった
久米繊維工業株式会社の皆様に
深く感謝いたします。
久米繊維工業株式会社さんのプレスルームと
久米繊維工業株式会社の編集長
盛本 純子さんのブログ に 展示の動画が 掲載されました。
ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アートなTシャツ作りには
染型工房 横山工藝
激しくも美しいよさこい衣裳は
オーダー よさこい屋
2009年05月17日
Gillian Welch
ジリアン・ウェルチ(ギリアン・ウェルチ?)の紹介です。
前のブログでも何度か名前だけは出していますが
Mary Gauthier と LUCINDA WILLIAMS の紹介は終わりましたので
最後 Gillian Welch になりました。
この人は日本ではほとんど知られていませんが
知っているひとは よほど SSW や Folk,Country,Bluesの
Old な アメリカン ルーツミュージックに関心のある人でしょう。
どちらかというと オルタナ カントリー のカテゴリーですが
カントリーの派手さや にぎやかさ は全くなく
暗くしずかに 淡々と歌っています。
最初に聞いたのは Revival 1996 というファーストアルバムです。
ジャケ買いですが、アメリカの田舎の納屋の前で撮ったような
モノクロの暗い写真のジャケットです。
曲調もジャケット通りの 物憂いもので
昔のトラディショナルの曲を歌っているのかなと思っていたら
全て彼女とご主人の David Rawlings の共作ということで
今時、こんな感じの曲を作って歌うひとは珍しいと驚きました。
現在まで4枚のCDを出しています。
Revival 1996
Hell Among the Yearlings 1998
Time (The Revelator) 2001
Soul Journey 2003

コンピレーションやオムニバスCDにもよく入っていて
映画サントラでは
Horse Whisperer や オーブラザーのCDに入っています。

DVDは Revelator Collection (啓示者、予言者)
このDVDは 白黒の実に美しい静謐な映像で
その映像から沸き上がってくるアコースティックな音が
素晴らしいです。
自分たちのオリジナル曲 と
カバー曲としては
Bob Dylan の Billy
Neil Young の Pocahontas
Bill Monroe の I'm On My Way Back To The Old Home
Townes Van Zandt の White Freightliner Blues (白いコンテナ貨物のブルーズ)
をライブで歌っていますが 二人の息の合った演奏がよろしいです。
Gillian Welch は 1956 Gibson J-50
David Rawlings は 1935 Epiphone Olympicを使用していますが
David Rawlingsのギターをブンブン振り回しながらの演奏は
素晴らしいものです。
テクニックもすごいですが どこか繊細な音を出す人です。

DVD で ゲストとして出演しているものに
The Chieftains の
Down the Old Plank Road: Nashville Sessions (2003)
それから Norah Jones & Handsom Band Live in 2004
で Loretta を歌っています。
彼女はいつも カーボーイ・ハットにワンピース
ウエスタン・ブーツ という衣裳で
彼はノーネクタイの白いシャツにダーク・スーツという
地味な格好で 好感がもてます。
YouTubeでライブが見れますが CDやDVDでの感じではなく
かなり ノリノリ の激しいプレーが多いです。

まあ 万人向けの曲調では全くありませんが
こういう 古いアメリカのチューンが好きな人には
聞いてほしい 音楽です。
これからに期待したいミュージシャンです。
前のブログでも何度か名前だけは出していますが
Mary Gauthier と LUCINDA WILLIAMS の紹介は終わりましたので
最後 Gillian Welch になりました。
この人は日本ではほとんど知られていませんが
知っているひとは よほど SSW や Folk,Country,Bluesの
Old な アメリカン ルーツミュージックに関心のある人でしょう。
どちらかというと オルタナ カントリー のカテゴリーですが
カントリーの派手さや にぎやかさ は全くなく
暗くしずかに 淡々と歌っています。
最初に聞いたのは Revival 1996 というファーストアルバムです。
ジャケ買いですが、アメリカの田舎の納屋の前で撮ったような
モノクロの暗い写真のジャケットです。
曲調もジャケット通りの 物憂いもので
昔のトラディショナルの曲を歌っているのかなと思っていたら
全て彼女とご主人の David Rawlings の共作ということで
今時、こんな感じの曲を作って歌うひとは珍しいと驚きました。
現在まで4枚のCDを出しています。
Revival 1996
Hell Among the Yearlings 1998
Time (The Revelator) 2001
Soul Journey 2003

コンピレーションやオムニバスCDにもよく入っていて
映画サントラでは
Horse Whisperer や オーブラザーのCDに入っています。

DVDは Revelator Collection (啓示者、予言者)
このDVDは 白黒の実に美しい静謐な映像で
その映像から沸き上がってくるアコースティックな音が
素晴らしいです。
自分たちのオリジナル曲 と
カバー曲としては
Bob Dylan の Billy
Neil Young の Pocahontas
Bill Monroe の I'm On My Way Back To The Old Home
Townes Van Zandt の White Freightliner Blues (白いコンテナ貨物のブルーズ)
をライブで歌っていますが 二人の息の合った演奏がよろしいです。
Gillian Welch は 1956 Gibson J-50
David Rawlings は 1935 Epiphone Olympicを使用していますが
David Rawlingsのギターをブンブン振り回しながらの演奏は
素晴らしいものです。
テクニックもすごいですが どこか繊細な音を出す人です。

DVD で ゲストとして出演しているものに
The Chieftains の
Down the Old Plank Road: Nashville Sessions (2003)
それから Norah Jones & Handsom Band Live in 2004
で Loretta を歌っています。
彼女はいつも カーボーイ・ハットにワンピース
ウエスタン・ブーツ という衣裳で
彼はノーネクタイの白いシャツにダーク・スーツという
地味な格好で 好感がもてます。
YouTubeでライブが見れますが CDやDVDでの感じではなく
かなり ノリノリ の激しいプレーが多いです。

まあ 万人向けの曲調では全くありませんが
こういう 古いアメリカのチューンが好きな人には
聞いてほしい 音楽です。
これからに期待したいミュージシャンです。
2009年05月12日
ヨモ猫の恩知らず
犬は ワン となき、猫は ニャン となく
ワン は『はい』『イエス』のような語感だし
ニャン は『いいや』『ノー』のような響きがある。
犬は肯定的で、素直で、従順で、恩を忘れない
猫は 否定的で、我が儘で、反抗的で、恩知らずで、華麗な冷淡さを持っている。
僕は 猫も犬も飼ってはいないが
どちらを飼うかと言われれば ネコ がよい。
人は ネコを 飼っていると思っているが
ネコ が人を飼っている といったほうが当たっている。
……………………………………………………………………………
ネコは沢山の家を持ち、多くの名前を持つ。
タマ、ヨモ、シロ、ヒゲ、ハナ 等々 と
行く先々で 違った名前で呼ばれるが
ちゃんと その名前になりきって ニャア と答える。
ネコは 無国籍で アナーキストで パルチザンで
ゲリラ好きで 孤独なハンターである。
犬は群れるが 猫は群れない。
党だとかサークルだとか会議とかが 大の嫌いで
従って 十二支にも 参加していない。
でも 最近は世の中 豊かで 平和 なせいか
涎垂らして鼻筋に 縦じわ立てて、牙剥いて威嚇する犬も
フー と体をまるめて 逆毛を立てて 威嚇する猫も いない。
猫同士 の けんか はよくやっているし
耳をかじられて ボロボロのネコ もたまに見かける。
なんか 年老いたパルチザン と言う感じで
戦いの痕跡 が体中にあって かっこいいというより 痛々しい。
いかにも この世を恨んでいるかの様な
振り向き顔の その淋しき眼差し。
……………………………………………………………………………
家の裏庭 は 草がいっぱい生えていて
2-3段の低いブロック積みで四方が囲われているので
ちょうどいい猫の通路になっている。
ブロック道を通って 抜けていく奴もいれば
草の間を散歩する奴もいる。
3〜4匹の猫が それぞれ だいたい同じ時刻に同じ所を通っていく。
ご出勤である。
……………………………………………………………………………
時々家の縁側でゴロゴロと昼寝をし
イカリさんが 『これっ ヨモ!』というと
擦り寄ってくる。
イカリさん 草むしりしていても
寄っていって しばらく遊ぶ。
でも 僕の所には決して来ない。
どんなに 優しい声で ヨモチャン と呼ぼうが。
僕たち 距離を置いた 孤独な関係 を好んでいる。
……………………………………………………………………………
その ヨモ が 今回のブログ の主人公です。

まだ屋根に雪が残っている 今年始めのことである。
家の中にいると 外の何処からともなく ニャーニャーと鳴き声がきこえる。
家と家の間にでも入って出られなくなっているのかと思っていたが
そのうち出て行くだろうと 放っておいた。
明くる日になっても 鳴きやまない。
あちこち捜すが何処にもいない。
鳴き声だけが聞こえる。
それも前よりも頻繁に鳴く様になった。
その鳴き声が あっちこっち と動くから始末が悪い。
外に出て家の廻りをぐるぐるまわり 捜すが見つからない。
上から聞こえてくるようでもあり
家の間であるようにも
縁の下であるようでも
隣の家から聞こえてくるようでもある。
結局 あきらめたが
その辺で死なれたら 非常に困る。
どうか 死ぬのなら この家のあたりから 抜け出て
僕の眼の届かぬ所で 死んでほしい。
さて かれこれ 3日目のことである。
3日となると 空腹で動けなくなる可能性が高いし
そうなれば さっきの予感も 現実になってしまう。
こちらが 泣きたくなって来た。
どうも 屋根かも知れん。窓の小屋根かも知れん。 と
窓から身を乗り出して捜すが見つからない。
すると ピンポン と タイミッグよく訪ねて来た人がいた。
隣の町内のおじさん KZ さんで
一緒に町内会の役やってたので よく知っている。
『あ の お うちの猫が お宅の屋根に おじゃま していて
降りれん様になってるみたいなんやけど なんとかしてくれるかの』
あ やっぱり 屋根か しかも 大屋根 か
ともかく上着を着込んで 長靴はいて はしごで 大屋根に
二つ屋根のあわさった間でひっそりと鳴いておる
見ず知らずじゃないから逃げずにいるだろう
こっちはわざわざ助けに来たのじゃから
しかし ヨモ め 恐怖心と空腹感で パニックになっている
近づくと逃げていきよる
雪が少し積もっていて 溶けはじめているから 足元がすべる。
パニックになってはいても恐いもんだから屋根の端にはいけず
その手前の方でうずくまっている。
そーっと しゃがんで 近づくと こわばってじっとしている。
両手で捕まえ 胸に抱き 怖がらないよう撫でてやったが
さて はしごを降りだすと様相が変わって来た。
こちらは 右手はハシゴの横棒を掴み
左手はヨモを胸に抱き 降りはじめると
ヨモ にしてみれば 宙を浮いてる様なものか
再び恐怖が甦って来て
眼は引きつり 両手は爪を剥き出して 左右の手を交互に
高速のピストンの如く ハシゴの横棒に引っ掛けようとする。
こちらだって 宙を浮いてるには違いないのだ
左手だけで 必死にもがきあばれているヨモを落とさない様に気を使い
右手は 俺だって 落ちない様に しっかりつかまり
一段一段慎重に降りていったけど
ハシゴの途中でチカラつき 物干場にドドンと落ちた。
そのはずみで ヨモの奴 手から外れ
一階の屋根を飛び降り 一目散で逃げていきよった。
何人かの町内の人達が高みの見物
『大丈夫ですかー』 と声をかけられたが
大丈夫! 大丈夫! と 愛想笑いをするものの
内心 おだやかでは ない。
こんなことなら あの大屋根から そのまま 落としてやればよかったと
今 オモウ が である
飼い主の KZ さん 心配そうに見ている
彼は 僕のことより 猫のことが心配なのだから
下手なことも出来ない。
屋根でビシャビシャの雪の上に座り込んだものだから
ズボンから パンツ まで ビショヌレ
ヨモ の 奴め
その KZ さんにアリガトウとお礼を言われたが
そのおじさん ネコ に似ていて
口元がそっくりで 長いヒゲでも生えていれば
そのマンマ という感じ。
動物が飼い主に似てくるとよく言いますが
どうも猫の場合は 飼い主が 猫に似てくるのダワ。
坊主 憎けりゃ のくちで
この おやじ を叩きたくなった が
たかが うちの 猫の ことぐらいで といわれそうで
やめた。
……………………………………………………………………………
イカリさんに この話をすると
吹き出しながら こう言う
煙と ナントカ は高いとこ上がりたがる っていうじゃない?
バカ な ヨモ
それから 数週間たって また 例の鳴き声がきこえる
まさか と思い 外を見ると あの 阿呆 ヨモ
こんどは 裏向かいのお宅の一階の屋根で 助けを呼んどる。
あれぐらいだったら 降りれるのに とイカリ
おばさん ナニゴトかと 窓を開けて見るには見たが
完全に 無視
無視されては かたなし で しばらく鳴いてはいたが
観念して 飛び降りて 何処かへ 消えていった。
登るのは 楽だけど
降りるのは 難しい
まるで どこかの 政治屋 さん みたい
……………………………………………………………………………
『ところで お宅では あの猫を 何と言う名前で 呼んでいるんですか?』
くらい聞いておけば良かった。
その名前を呼べば 捕まえて お仕置き くらいは できたかも。
その時のものだと思うが
未だに 僕の左足の膝には 三つの爪痕 が残っている。
しつこい 奴だ。
風呂に入るたびに 怒りが込み上げてくる。
猫の恩知らず というか
その後も 時々 ヨモ と 道路ですれ違う
何喰わぬ顔で 涼しい顔して トットット と小走りに遠ざかっていく。
一度 取っ捕まえて 叩いてやろう と思うのだが...............
……………………………………………………………………………

実は ネコ は お絵描き好きの
アーティスト である という ブログを書く予定だったのに
このことを書かずにはいられなかった。
書いているうちに 熱がはいってきて
長くなってしまったので 次回にまわします。
わかってください この キモチ
……………………………………………………………………………
でも 猫はね アバンギャルド で パンクな アーティストなのですよ。
2009年04月10日
運び屋
ちょっと お酒がはいると 遠くを
お も ふ
イカリさんと 話してても 最近 言葉が
と お い
最近、眺めている 雑誌は coyote と い ふ 旅する
ざ っ し
仕事してて 旅や放浪ができるわけもないから 頭ん中を
あ る く
どこかに ふっ と消えたい と思う こころ を 旅の雑誌で
ま か な う ?
夢 は 実現できないから そういう形で
お ぎ な う ?
男って どこか 淋しい深淵とやらをを もっている
の か も
そういう話をすると イカリさんは 決まって
お こ る
でも 男って 面白いし 魅力的なものよ
だ っ て
最近 その 関連で 本を買って
よ ん だ?
前のブログの アリマキの話のその
ひ と
最近、話題の人で 福岡伸一さん という
そ の ひ と
ようやく 謎 が
と け た
……………………………………………………
本の題名は
生物と無生物の間 と
できそこないの男たち
この 2冊 です。
できそこないの男たち は ほぼ読みました。
この題名は ? ナニ? という感じ
それこそ イカリさん 怒りましたよ
ぼくも やりすぎ じゃない? と思いましたが
でも内容 は 途中で読むのを
やめることができなかった くらい
非常に面白かった。
できそこない というのは 誤解を受けやすいタイトルです。
内容を読むと わからなくもないけど……
……………………………………………………
生命の デフォルト は メス であると 言ってます。
コンピューター を 例にして 説明します
ソフトもハードも 純正 でつくられたものが デフォルトの メス と しますと
それを 改造して ボードを組み込み メモリーを増設し と
カスタマイズ されたものが オス であるようです。
その結果 不整合、不具合が起きやすく、暴走したり
フリーズしたりと システムエラーを 起こしやすい。
病気 にも ウイルスにも かかりやすい。
だから平均寿命は 男 は 女性 より短いと。
……………………………………………………
僕がずっと思っていた ナゾ
男は 何故 根無し草のように 放浪や蒸発 をしたがり
遠くを思い 形而上学的な考えを 好むのか?
その 答えの ヒント が この本で 見つかりました。
父親 と 母親の 遺伝子 を 他の女性 に運ぶのが
男の役割 であり その意味では
男は 遺伝子の 運び屋 である と あります。
運び屋は 早く 遠くに 何処にでも 運ばなければならない。
まず、空間的距離 を 移動しなければならない。
これが ひとつ
もうひとつは 時間的差異
少なくとも 母親よりも 若い 女性に 運ぶ必要がある。
それは 時間を さかのぼる と考えてもいいが
もっと 若くて 可能性のある 女性に
遺伝子を 載せ変える と言う感じでしょうか。
この 空間的距離 と 時間的差異 が
ナゾ を 解く カギ だと 思う
最初のブログで 異種混交(クロス・ブリード)のことを書きました。
血は 全くの ミックスジュース である
出来るだけ 遠くの 血 と 混ぜ合わされなければならない と
そのこと も 説明できる。
母親と密通する ということは どういうことなか
空間的距離 と 時間的差異 で言うと
どちらも ゼロ なのです。
パゾリーニ の 映画 [アポロンの地獄] で
知らずに 父親を殺し 母親と交わったこと が解った 主人公は
自らの 両眼 を 潰し 若い従者を 伴って さすらう
最後の セリフ
”人生は 始まった処で 終わるのだ”
このセリフには 言葉通りの 意味もありますが
母親から 生まれ 母親へと 閉じられていく 悲劇
の 意味 も あるように思う。
コンピューター では 周辺機器を 接続する時の タブーとして
ループ という 接続 がある
出口と入り口を 繋いで 閉じてしまう ことですが
無限ループ に 陥る
元に 戻っては いけない
螺旋は 上昇し 解放系 で なければ ならないようです。
…………………………………………………………
福岡伸一さん 最後のほうで こんなことを
ジェットコースターを例にとって
時間はとらえることはできないが 感じることはできる
時間を 追い越す 時に。
男の あの 快感 は
時間を加速した 快感だと 言ってます。
おもしろいですね このひと
運び屋に もたらされた 贈り物 かもしれない し
この 加速感 を 忘れるんじゃないぞ という
戒め かもしれない。
…………………………………………………………

あなたの アタマ は 解放系 だと おもう
でも アタシ が 糸で 繋いでおかないと
どっか へ 飛んでいきそうな気がする。
と
イカリさん が 言います.
僕 は ブンブン 廻り
イカリさん も 一緒に 上昇していきますが
糸が切れたら
僕は どこかへ 飛んでいってしまうし
イカリさん は 真っ逆さまに おちてしまう。
そうならないように 糸 も 2本 にしようかな?
エッ もつれて 二人とも 落ちる ?
お も ふ
イカリさんと 話してても 最近 言葉が
と お い
最近、眺めている 雑誌は coyote と い ふ 旅する
ざ っ し
仕事してて 旅や放浪ができるわけもないから 頭ん中を
あ る く
どこかに ふっ と消えたい と思う こころ を 旅の雑誌で
ま か な う ?
夢 は 実現できないから そういう形で
お ぎ な う ?
男って どこか 淋しい深淵とやらをを もっている
の か も
そういう話をすると イカリさんは 決まって
お こ る
でも 男って 面白いし 魅力的なものよ
だ っ て
最近 その 関連で 本を買って
よ ん だ?
前のブログの アリマキの話のその
ひ と
最近、話題の人で 福岡伸一さん という
そ の ひ と
ようやく 謎 が
と け た
……………………………………………………
本の題名は
生物と無生物の間 と
できそこないの男たち
この 2冊 です。
できそこないの男たち は ほぼ読みました。
この題名は ? ナニ? という感じ
それこそ イカリさん 怒りましたよ
ぼくも やりすぎ じゃない? と思いましたが
でも内容 は 途中で読むのを
やめることができなかった くらい
非常に面白かった。
できそこない というのは 誤解を受けやすいタイトルです。
内容を読むと わからなくもないけど……
……………………………………………………
生命の デフォルト は メス であると 言ってます。
コンピューター を 例にして 説明します
ソフトもハードも 純正 でつくられたものが デフォルトの メス と しますと
それを 改造して ボードを組み込み メモリーを増設し と
カスタマイズ されたものが オス であるようです。
その結果 不整合、不具合が起きやすく、暴走したり
フリーズしたりと システムエラーを 起こしやすい。
病気 にも ウイルスにも かかりやすい。
だから平均寿命は 男 は 女性 より短いと。
……………………………………………………
僕がずっと思っていた ナゾ
男は 何故 根無し草のように 放浪や蒸発 をしたがり
遠くを思い 形而上学的な考えを 好むのか?
その 答えの ヒント が この本で 見つかりました。
父親 と 母親の 遺伝子 を 他の女性 に運ぶのが
男の役割 であり その意味では
男は 遺伝子の 運び屋 である と あります。
運び屋は 早く 遠くに 何処にでも 運ばなければならない。
まず、空間的距離 を 移動しなければならない。
これが ひとつ
もうひとつは 時間的差異
少なくとも 母親よりも 若い 女性に 運ぶ必要がある。
それは 時間を さかのぼる と考えてもいいが
もっと 若くて 可能性のある 女性に
遺伝子を 載せ変える と言う感じでしょうか。
この 空間的距離 と 時間的差異 が
ナゾ を 解く カギ だと 思う
最初のブログで 異種混交(クロス・ブリード)のことを書きました。
血は 全くの ミックスジュース である
出来るだけ 遠くの 血 と 混ぜ合わされなければならない と
そのこと も 説明できる。
母親と密通する ということは どういうことなか
空間的距離 と 時間的差異 で言うと
どちらも ゼロ なのです。
パゾリーニ の 映画 [アポロンの地獄] で
知らずに 父親を殺し 母親と交わったこと が解った 主人公は
自らの 両眼 を 潰し 若い従者を 伴って さすらう
最後の セリフ
”人生は 始まった処で 終わるのだ”
このセリフには 言葉通りの 意味もありますが
母親から 生まれ 母親へと 閉じられていく 悲劇
の 意味 も あるように思う。
コンピューター では 周辺機器を 接続する時の タブーとして
ループ という 接続 がある
出口と入り口を 繋いで 閉じてしまう ことですが
無限ループ に 陥る
元に 戻っては いけない
螺旋は 上昇し 解放系 で なければ ならないようです。
…………………………………………………………
福岡伸一さん 最後のほうで こんなことを
ジェットコースターを例にとって
時間はとらえることはできないが 感じることはできる
時間を 追い越す 時に。
男の あの 快感 は
時間を加速した 快感だと 言ってます。
おもしろいですね このひと
運び屋に もたらされた 贈り物 かもしれない し
この 加速感 を 忘れるんじゃないぞ という
戒め かもしれない。
…………………………………………………………

あなたの アタマ は 解放系 だと おもう
でも アタシ が 糸で 繋いでおかないと
どっか へ 飛んでいきそうな気がする。
と
イカリさん が 言います.
僕 は ブンブン 廻り
イカリさん も 一緒に 上昇していきますが
糸が切れたら
僕は どこかへ 飛んでいってしまうし
イカリさん は 真っ逆さまに おちてしまう。
そうならないように 糸 も 2本 にしようかな?
エッ もつれて 二人とも 落ちる ?
2009年04月04日
サノシゲ本
前回のブログ の続きになります。
版元の みずのわ出版さん から
佐野繁次郎装幀集成 -西村コレクションを中心にして-
林 哲夫 構成 が届きました。



装丁もフランス風で美しく
111ページ中90ページに及ぶサノシゲ単行本の装丁は
全てカラーで素晴らしい内容のものです。
西村義孝氏のコレクションですが
よくこれだけ集められたと関心します。
構成は 林 哲夫氏で
お二人の努力と 出版社の みずのわ出版さん に深く感謝いたします。
2008年11月1日に 初版第一刷 ですぐに完売になったようで
僕が購入したものは 初版第二刷発行のものです。
興味のある方は早めに注文しておいた方がよいです。
こちらの サイト で その他 注目の出版社です。
既に 在庫僅少 だそうです。
林 哲夫さんのブログも古書に興味のある方には
とても面白い内容なので是非ご覧ください。
こちら です。
…………………………………………………………………
話は変わりますが
さて この 板
シルクスクリーンの版 のカバーに プリント屋さんが使っていたもので
あまったインクをなすり付けたりしていたもでしょうが
左右で両面になりますが
これはもう完成度の高いアートです。
ラウシェンバーク の世界です。

…………………………………………………………………
次は 僕が作った コラージュ
ロートレアモンのマルドロールの歌にインスパイアされて

…………………………………………………………………
これは 1970年代に仲間達と京都で出していた
同人誌 on の表紙です。

ネガになっていますが 一番上の 写真の人は
ルイ・アラゴン です。
紺色に白のシルクスクリーン印刷です。
仲間たちと 手作り の 詩と写真の同人誌です。
…………………………………………………………………
これは 雑誌の切り抜きですが
溶剤で溶かして作ったものです。

色々 過去に作りためたものを
僕も 再構築 して
整理していこうと思っています。
では また。
染型工房横山工藝 は こちら
オーダーよさこい屋 は こちら
版元の みずのわ出版さん から
佐野繁次郎装幀集成 -西村コレクションを中心にして-
林 哲夫 構成 が届きました。



装丁もフランス風で美しく
111ページ中90ページに及ぶサノシゲ単行本の装丁は
全てカラーで素晴らしい内容のものです。
西村義孝氏のコレクションですが
よくこれだけ集められたと関心します。
構成は 林 哲夫氏で
お二人の努力と 出版社の みずのわ出版さん に深く感謝いたします。
2008年11月1日に 初版第一刷 ですぐに完売になったようで
僕が購入したものは 初版第二刷発行のものです。
興味のある方は早めに注文しておいた方がよいです。
こちらの サイト で その他 注目の出版社です。
既に 在庫僅少 だそうです。
林 哲夫さんのブログも古書に興味のある方には
とても面白い内容なので是非ご覧ください。
こちら です。
…………………………………………………………………
話は変わりますが
さて この 板
シルクスクリーンの版 のカバーに プリント屋さんが使っていたもので
あまったインクをなすり付けたりしていたもでしょうが
左右で両面になりますが
これはもう完成度の高いアートです。
ラウシェンバーク の世界です。

…………………………………………………………………
次は 僕が作った コラージュ
ロートレアモンのマルドロールの歌にインスパイアされて

…………………………………………………………………
これは 1970年代に仲間達と京都で出していた
同人誌 on の表紙です。

ネガになっていますが 一番上の 写真の人は
ルイ・アラゴン です。
紺色に白のシルクスクリーン印刷です。
仲間たちと 手作り の 詩と写真の同人誌です。
…………………………………………………………………
これは 雑誌の切り抜きですが
溶剤で溶かして作ったものです。

色々 過去に作りためたものを
僕も 再構築 して
整理していこうと思っています。
では また。
染型工房横山工藝 は こちら
オーダーよさこい屋 は こちら
2009年04月04日
コラージュ
コラージュが好き
………………………………………………………………
夢も イメージ の コラージュ だと思う
時間軸 で コラージュ されている
………………………………………………………………
コラージュ という 言葉と作品 に最初に出逢ったのが
美術手帖 の クルト・シュヴィッタース特集
その時の 切り抜き が出て来たので掲載します。


この人 印刷屋さんのゴミ箱 を よく漁っていた
といったことが 記事には 書かれていたと思います。
僕も 小さい頃から 印刷物には異常な程 興味があり
皆さんがゴミ と思うもの 捨ててしまうものに とても関心がありました。
紙タグ、布タグ、パッケージ、包装紙、生地の切れ端
雑誌の切り抜き、タバコの箱、紙マッチ
説明書、チラシ、切手、手紙、はがき、荷札
お菓子の包み、フィルムの切れ端
といったものが 今でも箱の中にいっぱい詰まっています。

これはゴミ箱の中味ではなく 僕の宝箱 の中味です。
勿論、何でもかんでも取っておくわけではなく
セレクトしてはいますが
これがセレクトされたもの? と思うでしょうが........
当然、本も大好きで 僕の部屋の床は 沢山の本の山積み状態 です。
レコードなども ジャケット や レーベルのデザイン に興味がある。
本は 読むというより 眺めて楽しむ。
古い本の 活字や書体 イラストや写真 といったものに興味があるし
古びた変色 や 本の匂い シミや擦れにも 愛着があります。
古本屋ではよく レトロな栞や書籍案内 がはいっていたりすると
それが欲しい為に 本を買ったりもする。
昔は 本が良く売れていたし、よく読まれていたので
デザインや装丁 に凝ったものが多く
本に 存在感と気品 があった。
最近の本は 読み捨て的な出来のものが多くて 悲しい。
でも 新しい本の匂い インキの匂いですが
その 真新しいインキ の匂いに うっとりします。
焼きたてのパン の匂いに うっとりとする子供のように。
………………………………………………………………
話がそれてしまいましたが
クルト・シュヴィッタース Kurt Schwitters
ドイツ ダダ メルツ シュールレアリズム
そして ロシア・アヴァンギャルド バウハウス フルクサス
へと 受け継がれて行きます。
最初に出逢った クルト・シュヴィッタースのコラージュ が
自分の 好みや癖 に 理由と方向性 を 与えてくれました。
………………………………………………………………
ディランの 難解で哲学的で感覚的 な歌詞にも
コラージュ、タイポグラフィ、カットアップ、自動記述
コンクレート・ポエム といった
実験的 で 即興的 な 手法が窺えます。
………………………………………………………………
さて この頃、同じ時期の切り抜きに
佐野 繁次郎 のものがあります。



これも コラージュ ですが
パピエ・コレ とよばれています。
粗い布 が多く使われており
手描きの文字 や イラスト も味のあるものです。
たしか 暮しの手帖 の特集記事だったとおもいます。
暮しの手帖 の表紙絵も 彼の絵に良く似ていますが
関連があるようです。
この人は 本の表紙 をたくさん描かれていますが
表紙やパッケージデザインに向いた作品が多いです。
みずのわ出版さんに
佐野繁次郎装幀集成 -西村コレクションを中心にして-
林 哲夫 構成 を注文しました。
すぐに無くなりそうなので 興味のある方は
早めに注文しておいた方がよいです。
こちらのサイトで
続きは こちら ですよ。
………………………………………………………………
次は 僕が作った photoLogo collage 風
インクジェットによる 紺のボディに 抜染 プリント(A2サイズ)です。
今年の お年賀ブログ の柄です。

大竹伸朗 の コラージュ も
Peter Beard ピーター・ビアード の 日記コラージュも
よいですが
またの機会に ご紹介します。
このブログは 次 に続いています
染型工房横山工藝 は こちら
オーダーよさこい屋 は こちら
………………………………………………………………
夢も イメージ の コラージュ だと思う
時間軸 で コラージュ されている
………………………………………………………………
コラージュ という 言葉と作品 に最初に出逢ったのが
美術手帖 の クルト・シュヴィッタース特集
その時の 切り抜き が出て来たので掲載します。


この人 印刷屋さんのゴミ箱 を よく漁っていた
といったことが 記事には 書かれていたと思います。
僕も 小さい頃から 印刷物には異常な程 興味があり
皆さんがゴミ と思うもの 捨ててしまうものに とても関心がありました。
紙タグ、布タグ、パッケージ、包装紙、生地の切れ端
雑誌の切り抜き、タバコの箱、紙マッチ
説明書、チラシ、切手、手紙、はがき、荷札
お菓子の包み、フィルムの切れ端
といったものが 今でも箱の中にいっぱい詰まっています。

これはゴミ箱の中味ではなく 僕の宝箱 の中味です。
勿論、何でもかんでも取っておくわけではなく
セレクトしてはいますが
これがセレクトされたもの? と思うでしょうが........
当然、本も大好きで 僕の部屋の床は 沢山の本の山積み状態 です。
レコードなども ジャケット や レーベルのデザイン に興味がある。
本は 読むというより 眺めて楽しむ。
古い本の 活字や書体 イラストや写真 といったものに興味があるし
古びた変色 や 本の匂い シミや擦れにも 愛着があります。
古本屋ではよく レトロな栞や書籍案内 がはいっていたりすると
それが欲しい為に 本を買ったりもする。
昔は 本が良く売れていたし、よく読まれていたので
デザインや装丁 に凝ったものが多く
本に 存在感と気品 があった。
最近の本は 読み捨て的な出来のものが多くて 悲しい。
でも 新しい本の匂い インキの匂いですが
その 真新しいインキ の匂いに うっとりします。
焼きたてのパン の匂いに うっとりとする子供のように。
………………………………………………………………
話がそれてしまいましたが
クルト・シュヴィッタース Kurt Schwitters
ドイツ ダダ メルツ シュールレアリズム
そして ロシア・アヴァンギャルド バウハウス フルクサス
へと 受け継がれて行きます。
最初に出逢った クルト・シュヴィッタースのコラージュ が
自分の 好みや癖 に 理由と方向性 を 与えてくれました。
………………………………………………………………
ディランの 難解で哲学的で感覚的 な歌詞にも
コラージュ、タイポグラフィ、カットアップ、自動記述
コンクレート・ポエム といった
実験的 で 即興的 な 手法が窺えます。
………………………………………………………………
さて この頃、同じ時期の切り抜きに
佐野 繁次郎 のものがあります。



これも コラージュ ですが
パピエ・コレ とよばれています。
粗い布 が多く使われており
手描きの文字 や イラスト も味のあるものです。
たしか 暮しの手帖 の特集記事だったとおもいます。
暮しの手帖 の表紙絵も 彼の絵に良く似ていますが
関連があるようです。
この人は 本の表紙 をたくさん描かれていますが
表紙やパッケージデザインに向いた作品が多いです。
みずのわ出版さんに
佐野繁次郎装幀集成 -西村コレクションを中心にして-
林 哲夫 構成 を注文しました。
すぐに無くなりそうなので 興味のある方は
早めに注文しておいた方がよいです。
こちらのサイトで
続きは こちら ですよ。
………………………………………………………………
次は 僕が作った photoLogo collage 風
インクジェットによる 紺のボディに 抜染 プリント(A2サイズ)です。
今年の お年賀ブログ の柄です。

大竹伸朗 の コラージュ も
Peter Beard ピーター・ビアード の 日記コラージュも
よいですが
またの機会に ご紹介します。
このブログは 次 に続いています
染型工房横山工藝 は こちら
オーダーよさこい屋 は こちら
2009年03月19日
お風呂のお話
さぁ 暖簾をくぐって
どうぞ いらっしゃいませ。

お風呂が 沸きました よ
.........................................................................................
友人の 京大宇宙物理学の教授 と 以前お話していた時のこと
面白いアイデア や 思いつきは
どんな時にうまれてくるの?
と質問したら
”僕は自転車に乗って ゆっくりと
そして。とりとめも無く移動している時に
面白いアイデアが浮かびます”
との返事でした。
なるほど、
浮遊している時
か
.........................................................................................
僕は、お風呂に入っているときが一番多い。
お風呂は 勿論 僕だって
裸で入りますし
お風呂場には
ラジオも無ければ 本 も無い。
裸で、何も無い空間
しかも 暖かい湯船に浸かっていれば
重力もさほど感じない。
一種。気持ちのよい
解放状態
これ 胎内カプセル の中にいる感覚 か
この状態で
僕の思考は 独り歩きする。
結構 良いアイデア や ヒント が浮かぶ。
.........................................................................................
もひとつは、夜中に目が覚めた時。
仕事とかで解決できないことがあった時とか
いろいろ考えてはいるが
なかなか答えが 見つからない。
醒めてる時は 案外まともな範囲でしか
物事を考えない。
そんな時は早く寝る。
寝ている間、きっと色々な雑念が沈殿していって
様々な情報 や ストックされた考え が
浮かんできて
いろんな思いが
リンクし合っているのかもしれない。
ふっ と目覚めた時に 意外な 答 が出てくる。
あっ そうか そうだったのか、そうかもしれない。
それは 仕事で思い込んでいたことの延長ではなく
まったく 違った領域からの 答 だったことが多い。
明くる日、会社でそのことを試してみる。
たいがいそれでうまくいく。
そんな風に解決した問題がかなりあります。
新しいアイデアもそんな感じで生まれます。
.........................................................................................
さて今回は お風呂のお話 です。
家のお風呂は 築後25年で給湯器が壊れました。
よく25年も保ったねと言われましたが。
前の給湯器は
お湯と水を微妙に水温調整して
蛇口から湯船に注いで お湯張り をしていましたが
自動で給水を停止してくれず
うっかり忘れて飛んで行くと
湯船から溢れております。
最初、湯船に入ることもできず
精一杯かかり湯をして
先に体、頭を洗いますが
湯船のお湯を できるだけ使って
お湯を減らしてから入るしかありません。
それがですよ
新しい給湯器は
ボタン一つで設定温度のお湯が給湯され
設定水位でちゃんと止まってくれます。
そしてなにより女性の声で 事前に
”もうすぐお風呂が沸きます”
そしてですよ 給湯が止まると
”お風呂が沸きました”
とアナウンスがあります。
嬉しいじゃありませんか。
僕の心だって 湧きます よ。
お風呂場との 内線通話ができるのも便利
イカリさん ”
イカリが上がるわよ”
と
おお
ウキオ の出番
と
赤ちゃんをお風呂に入れる時は
これ とても 便利だと思う。
ところが
お風呂が冷めてくるくると
追い炊きをする。
この時も アナウンス
”追い炊きをします” と
これが 僕の耳には
"老い炊きをします”
に聞こえて来て
気分が悪い。
老いは焚きあげるものかよ
と 独り言
.........................................................................................
独り言で思い出したので 余談ですが
ちょっと 独り言
イカリさんは おしゃべり なほうではないので
つい 僕独りで 受け答えのおしゃべり をするときがある。
特に、寝る時は 彼女はすでにお休みなので
”イカリお休み” といい
自分に
”お休みウキオ”
と言ったりする。
これは独り言ともいえないので
僕は、ふたり言 と言ってます。
イカリさん 僕のことを
二枚舌だから と言います。
さて、今日はどちらの舌で話をしようか
二枚の舌を使い分けていると
果たしてどちらの舌が正しいのか 解らなくなる。
時には 二枚の舌がからんで 喋れなくなることすらある。
困ったものだ。
.........................................................................................
さて、昔は内風呂なんて無かったから
いつも 銭湯
夏は 行水
最初の頃の銭湯の湯船は 木でできていたし
座りイス も 桶も 木だった。
.........................................................................................
京都は学生が多く 銭湯はいつも一杯
湯船に浸かっている時も 何処の場所が開きそうか
ウオッチ
早く終わりそうな人の後ろに桶を置いておいたりと
ゆっくり湯船でくつろぐなんてことは出来なかったな。
引っ越し すると
隣の住人に最初に聞くのが 決まって
近くのお風呂は どこですか
イカリさんと二人で風呂桶をもって
路地をカランコロン
暖簾は
男湯 と 女湯
ここでお別れ
だいたいの時間をきめて 別々に入りますが
番台のおばちゃんも 顔なじみになってくると
おくさん そろそろ出られますよ
と言ってくれる。
なんか 僕 旦那さんになったような気分でうれしかった。
浴場のガラスの仕切り越しに
石鹸やシャンプーを渡している夫婦もいれば
番台のところで お風呂やの おばちゃんが
赤ちゃんを受け渡していたりと
銭湯って 日本の 文化の原点のような気がする。
二人で帰る 帰り道
月が きれいな 路地裏を
カラン と コロン
そういえば
岡崎の下宿のとき
イカリさんの 女友達(U)が遊びに来て
二人で近くの 疎水湯(ソスイユ) へ
帰ってくるなり
その友 U が
”パンツが無い 落として来たみたい”
バタバタと階段を いつものように 慌ただしく走り降りて
幸い 路地 で拾って来たと
大笑い しましたが
いまだに
イカリさんとの間では
お酒の つまみの 語り草
.........................................................................................
銀月アパートにいる頃
4ヵ月ほど 北海道に
アルバイトしながら
放浪の旅
北海道は至る所で温泉が沸いている。
だから銭湯は朝からやっていて 人は少ない。
この頃のメモが出て来た。
釧路の市営の風呂 25円
アイヌ部落 100円
函館 115円
屈斜路コタン 40円
30年以上前の価格ですが
函館は都市だし アイヌ部落は阿寒岳のてっぺんだからか
入浴料は高い。
釧路と屈斜路湖の風呂は 管理料くらいの値段で入れた。
.........................................................................................
自宅の風呂は
たいがい一人で入るでしょうから
風呂は 個人的な秘密の空間 です。
風呂の入り方や洗う順番などは 人それぞれ個性があるでしょう。
イカリさんは頭から洗うけど、僕は体から洗う。
食後にお風呂に入るから 歯ブラシ持参
湯船につかっている時に
時間をかけて歯磨きをする。
僕は最初につかった時に 歯磨きをして
上がり湯でくつろぐが
イカリさんは 最初は ゆっくりくつろいで入って
上がり湯の時に歯磨きをする。
人によって モードが違うところが 面白いし
その人の性格も 出ている様に思う。
.........................................................................................
湯船では
お月さんのように
ポッカリ浮いているのが好き
腹だって 最近 満月のように 丸い
も少し湯船が大きいと
体延ばして浮けるんだけど
ちょっと無重力状態で
とりとめのないことを考えているのがよい。
ユラユラ と 湯楽っくす
外の景色が見えたり
空が見えると最高なんだけど
とりあえず
頭ん中を 散歩するのも良い。
.........................................................................................
ジョン・C・リリーのアイソレーションタンク
これも このお風呂の延長みたいなもので
そのうち ブログに書きます。
さぁ 今夜も
湯船の中で
魚になろっと。
どうぞ いらっしゃいませ。

お風呂が 沸きました よ
.........................................................................................
友人の 京大宇宙物理学の教授 と 以前お話していた時のこと
面白いアイデア や 思いつきは
どんな時にうまれてくるの?
と質問したら
”僕は自転車に乗って ゆっくりと
そして。とりとめも無く移動している時に
面白いアイデアが浮かびます”
との返事でした。
なるほど、
浮遊している時
か
.........................................................................................
僕は、お風呂に入っているときが一番多い。
お風呂は 勿論 僕だって
裸で入りますし
お風呂場には
ラジオも無ければ 本 も無い。
裸で、何も無い空間
しかも 暖かい湯船に浸かっていれば
重力もさほど感じない。
一種。気持ちのよい
解放状態
これ 胎内カプセル の中にいる感覚 か
この状態で
僕の思考は 独り歩きする。
結構 良いアイデア や ヒント が浮かぶ。
.........................................................................................
もひとつは、夜中に目が覚めた時。
仕事とかで解決できないことがあった時とか
いろいろ考えてはいるが
なかなか答えが 見つからない。
醒めてる時は 案外まともな範囲でしか
物事を考えない。
そんな時は早く寝る。
寝ている間、きっと色々な雑念が沈殿していって
様々な情報 や ストックされた考え が
浮かんできて
いろんな思いが
リンクし合っているのかもしれない。
ふっ と目覚めた時に 意外な 答 が出てくる。
あっ そうか そうだったのか、そうかもしれない。
それは 仕事で思い込んでいたことの延長ではなく
まったく 違った領域からの 答 だったことが多い。
明くる日、会社でそのことを試してみる。
たいがいそれでうまくいく。
そんな風に解決した問題がかなりあります。
新しいアイデアもそんな感じで生まれます。
.........................................................................................
さて今回は お風呂のお話 です。
家のお風呂は 築後25年で給湯器が壊れました。
よく25年も保ったねと言われましたが。
前の給湯器は
お湯と水を微妙に水温調整して
蛇口から湯船に注いで お湯張り をしていましたが
自動で給水を停止してくれず
うっかり忘れて飛んで行くと
湯船から溢れております。
最初、湯船に入ることもできず
精一杯かかり湯をして
先に体、頭を洗いますが
湯船のお湯を できるだけ使って
お湯を減らしてから入るしかありません。
それがですよ
新しい給湯器は
ボタン一つで設定温度のお湯が給湯され
設定水位でちゃんと止まってくれます。
そしてなにより女性の声で 事前に
”もうすぐお風呂が沸きます”
そしてですよ 給湯が止まると
”お風呂が沸きました”
とアナウンスがあります。
嬉しいじゃありませんか。
僕の心だって 湧きます よ。
お風呂場との 内線通話ができるのも便利
イカリさん ”
イカリが上がるわよ”
と
おお
ウキオ の出番
と
赤ちゃんをお風呂に入れる時は
これ とても 便利だと思う。
ところが
お風呂が冷めてくるくると
追い炊きをする。
この時も アナウンス
”追い炊きをします” と
これが 僕の耳には
"老い炊きをします”
に聞こえて来て
気分が悪い。
老いは焚きあげるものかよ
と 独り言
.........................................................................................
独り言で思い出したので 余談ですが
ちょっと 独り言
イカリさんは おしゃべり なほうではないので
つい 僕独りで 受け答えのおしゃべり をするときがある。
特に、寝る時は 彼女はすでにお休みなので
”イカリお休み” といい
自分に
”お休みウキオ”
と言ったりする。
これは独り言ともいえないので
僕は、ふたり言 と言ってます。
イカリさん 僕のことを
二枚舌だから と言います。
さて、今日はどちらの舌で話をしようか
二枚の舌を使い分けていると
果たしてどちらの舌が正しいのか 解らなくなる。
時には 二枚の舌がからんで 喋れなくなることすらある。
困ったものだ。
.........................................................................................
さて、昔は内風呂なんて無かったから
いつも 銭湯
夏は 行水
最初の頃の銭湯の湯船は 木でできていたし
座りイス も 桶も 木だった。
.........................................................................................
京都は学生が多く 銭湯はいつも一杯
湯船に浸かっている時も 何処の場所が開きそうか
ウオッチ
早く終わりそうな人の後ろに桶を置いておいたりと
ゆっくり湯船でくつろぐなんてことは出来なかったな。
引っ越し すると
隣の住人に最初に聞くのが 決まって
近くのお風呂は どこですか
イカリさんと二人で風呂桶をもって
路地をカランコロン
暖簾は
男湯 と 女湯
ここでお別れ
だいたいの時間をきめて 別々に入りますが
番台のおばちゃんも 顔なじみになってくると
おくさん そろそろ出られますよ
と言ってくれる。
なんか 僕 旦那さんになったような気分でうれしかった。
浴場のガラスの仕切り越しに
石鹸やシャンプーを渡している夫婦もいれば
番台のところで お風呂やの おばちゃんが
赤ちゃんを受け渡していたりと
銭湯って 日本の 文化の原点のような気がする。
二人で帰る 帰り道
月が きれいな 路地裏を
カラン と コロン
そういえば
岡崎の下宿のとき
イカリさんの 女友達(U)が遊びに来て
二人で近くの 疎水湯(ソスイユ) へ
帰ってくるなり
その友 U が
”パンツが無い 落として来たみたい”
バタバタと階段を いつものように 慌ただしく走り降りて
幸い 路地 で拾って来たと
大笑い しましたが
いまだに
イカリさんとの間では
お酒の つまみの 語り草
.........................................................................................
銀月アパートにいる頃
4ヵ月ほど 北海道に
アルバイトしながら
放浪の旅
北海道は至る所で温泉が沸いている。
だから銭湯は朝からやっていて 人は少ない。
この頃のメモが出て来た。
釧路の市営の風呂 25円
アイヌ部落 100円
函館 115円
屈斜路コタン 40円
30年以上前の価格ですが
函館は都市だし アイヌ部落は阿寒岳のてっぺんだからか
入浴料は高い。
釧路と屈斜路湖の風呂は 管理料くらいの値段で入れた。
.........................................................................................
自宅の風呂は
たいがい一人で入るでしょうから
風呂は 個人的な秘密の空間 です。
風呂の入り方や洗う順番などは 人それぞれ個性があるでしょう。
イカリさんは頭から洗うけど、僕は体から洗う。
食後にお風呂に入るから 歯ブラシ持参
湯船につかっている時に
時間をかけて歯磨きをする。
僕は最初につかった時に 歯磨きをして
上がり湯でくつろぐが
イカリさんは 最初は ゆっくりくつろいで入って
上がり湯の時に歯磨きをする。
人によって モードが違うところが 面白いし
その人の性格も 出ている様に思う。
.........................................................................................
湯船では
お月さんのように
ポッカリ浮いているのが好き
腹だって 最近 満月のように 丸い
も少し湯船が大きいと
体延ばして浮けるんだけど
ちょっと無重力状態で
とりとめのないことを考えているのがよい。
ユラユラ と 湯楽っくす
外の景色が見えたり
空が見えると最高なんだけど
とりあえず
頭ん中を 散歩するのも良い。
.........................................................................................
ジョン・C・リリーのアイソレーションタンク
これも このお風呂の延長みたいなもので
そのうち ブログに書きます。
さぁ 今夜も
湯船の中で
魚になろっと。
2009年02月24日
死
随分前、20年くらい前でしょうか?
福井 の友人がこう言いました。
「人間や生き物は なんで死ぬか解るか?」 と
僕はまともに答えられませんでした。
「みんな生き物は死ぬもの
寿命はそれぞれの生物によって決まっているんじゃない?」
くらいの答えくらいしかできなかったと思います。
.........................................................................................
彼 は こう言いました。
「死はあらかじめ生命の中にプログラムされている」
と
.........................................................................................
これ以上詳しい話にはならなかったと記憶していますが
その プログラム という答えに
何故か 真理のような 確実な答えを 感じたことを憶えています。
.........................................................................................
つい 最近 ある本を読んでいる時に
そのことの 説明 に出逢いました。
その本とは
龍村 仁著
魂の旅 地球交響曲(ガイヤシンフォニー)第三番
角川ソフィア文庫
.........................................................................................
以前のブログ 「ガイアシンフォニー」の龍村 仁監督による
テレビ・ドキュメンタリーの「宇宙船とカヌー」にシンクしていますが
その 死 の秘密は この本のなかでこの様に書かれています。
宇宙物理学者 フリーマン・ダイソンの言葉です。
長いですが 引用します。
.........................................................................................
三十五億年の昔、この地球に初めて生命が誕生した頃、
「死」はまだ生命システムの中に組み込まれていなかった。
原初生命体は分裂増殖を繰り返すだけで、
必ず死ぬ と定められているわけではなかった。
誕生したものは必ず死ぬ。という仕組みが
生命システムの中にプログラムされたのは、
性が誕生した時からだ。
この地球に生命を誕生させた なにかの 意志 が、
次にその単純な生命を複雑・多様化するために
雌と雄をつくり、それが合体して新たな生命をつくる、
という仕組みを生み出した。
その時 同時に、個体の 死 が生命システムのなかに
プログラムされたのだ。
とあります。
ようやく 謎が解けた 感じです。
これ以上の答えを知りません。
.........................................................................................
話は変わりますが
去年、車の中でFMラジヲを聞いていて
気になっていたことのお話です。
イカリさんと一緒にふと何気なく聞いていたお話ですが
二人で熱中して聞きいってしまいました。
お話されてた方は 生物学か遺伝子の権威ある学者さんだと思います。
そのお話の内容はこんな感じだったと思います。
アリマキ(アブラムシ)を例に説明していましたが
アリマキの単体生殖、メスがメスだけでメスを産む
つまり、生殖行為なく次世代の個体を驚異的な数で産み出していくことができる。
オスというのは不要な世界なのです。
ただ、それでは単調な縦系列になっていくので
お遊び的に 雄 という横系列をつくるときがある。
それも忙しいときはメスばかり産んでいますが
ちょっと暇になってきたときにオスを産んだりするそうです。
このお話は生物学的で学術的なものでした。
正確に書き留めたものではなく
記憶での説明なので間違いがあればお許しください。
これで、男の謎が少し解けたように思いました。
お遊び的に 暇になってきたとき というところ。
本来、根無し草みたいなものなので 生の淋しさを知り
ふと 遠くを思い、消えたいと思う。
抽象的なことを考え 訳の解らないことに熱中する。
男ってそういう生き物かも知れない。
.........................................................................................
アリマキについて調べてみると
アリマキ。英語でAnt cow(蟻 牛)。
日本語では蟻牧(アリマキ=蟻の牧場)であるから
どちらも同じ意味を持つ名称となっている。
非常に広範囲に渉る植物の主に茎に大群で定住し、樹液を吸う。
ひ弱な庭木の樹精などお構いなしに吸ってしまう。
甘いものを好むアリは彼らが醸成した甘美な分泌物を好んで食糧とする。
アリマキの大群自体を害することなく、アリは甘い汁をすすり続ける。
だからアリの牛という名が付いている。
アリマキは単体生殖を行う。
メスだけで生殖行為もないまま次世代の個体を産み出すことができる。
その増え方ときたら、ねずみ算など他愛なく思えるほどの強烈さで
この量の脅威は暴力的ですらある。
数が増えすぎると、食料となる植物が足りなくなるので
天敵を呼び寄せる物質を放出して
自らを食べさせることによって種の個体数を調節するらしいです。
.........................................................................................
「parasite(パラサイト)」とは,和訳すれば「寄生」となりますが,
もとを正せば,「…のそばに」を表すparaという接続語と,
ギリシャ語の(食べ物)が語源であるsiteが合体した言葉だそうです。
つまり、食べ物のそばに という意味です。
生命は全て天敵との共生で成り立っています。
パラサイトに食料を提供し、パラサイトに天敵から命を守ってもらう。
逆に、人間は天敵を撲滅し、病気を撲滅し
自分たちだけの種の長期延命への努力をしてるようですが
人間にとっての天敵は人間でしかなくなったということでしょうか?
戦争、自殺、テロ、犯罪、事故、同性愛 産児制限 等による
種の数量調節しか方法がないということかな?
最近の犯罪や記事は これに当てはまる内容のものが多いです。
生命の自然死も 広い意味では
プログラムされた自殺といえます。
.........................................................................................
ゴッドフリー・レジオ監督によるカルト・ムービー『カッツィ』シリーズ3部作
全てのタイトルは アメリカ先住民ホピ族の言葉です。
第一部「コヤニスカッツィ」とは
“バランスを失った世界”
第二部『ポワカッツィ』とは
自己の繁栄のために他人の生命力を食い物にする生き方の意味。
第三部「ナコイカッツィ」は、
「日常と化した戦争」


このホピ族の ホピ とは 平和 を意味する言葉だそうです。
これらの映像を見ていると
人はどこへ向かっているかが解かるような気がします。
.........................................................................................
死と引き換えに性を獲得したことは
個体の死によって種の繁栄(生)を確保するということですが
この死のプログラムの意味を
もう一度考え直す必要があるように思えます。
フリーマン・ダイソンのお話の
真意と希望を再確認してみたいと思います。
.........................................................................................
日本映画「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。
見てみたい映画です。
日本の葬儀の様式や言葉には深いものがあります。
我々日本人にとっても 外国の人々にとっても
非常に興味のある儀式であると思われます。
葬儀を題材にした ブログ は 別れの準備 のカテゴリーでご覧ください。
では また。
福井 の友人がこう言いました。
「人間や生き物は なんで死ぬか解るか?」 と
僕はまともに答えられませんでした。
「みんな生き物は死ぬもの
寿命はそれぞれの生物によって決まっているんじゃない?」
くらいの答えくらいしかできなかったと思います。
.........................................................................................
彼 は こう言いました。
「死はあらかじめ生命の中にプログラムされている」
と
.........................................................................................
これ以上詳しい話にはならなかったと記憶していますが
その プログラム という答えに
何故か 真理のような 確実な答えを 感じたことを憶えています。
.........................................................................................
つい 最近 ある本を読んでいる時に
そのことの 説明 に出逢いました。
その本とは
龍村 仁著
魂の旅 地球交響曲(ガイヤシンフォニー)第三番
角川ソフィア文庫
.........................................................................................
以前のブログ 「ガイアシンフォニー」の龍村 仁監督による
テレビ・ドキュメンタリーの「宇宙船とカヌー」にシンクしていますが
その 死 の秘密は この本のなかでこの様に書かれています。
宇宙物理学者 フリーマン・ダイソンの言葉です。
長いですが 引用します。
.........................................................................................
三十五億年の昔、この地球に初めて生命が誕生した頃、
「死」はまだ生命システムの中に組み込まれていなかった。
原初生命体は分裂増殖を繰り返すだけで、
必ず死ぬ と定められているわけではなかった。
誕生したものは必ず死ぬ。という仕組みが
生命システムの中にプログラムされたのは、
性が誕生した時からだ。
この地球に生命を誕生させた なにかの 意志 が、
次にその単純な生命を複雑・多様化するために
雌と雄をつくり、それが合体して新たな生命をつくる、
という仕組みを生み出した。
その時 同時に、個体の 死 が生命システムのなかに
プログラムされたのだ。
とあります。
ようやく 謎が解けた 感じです。
これ以上の答えを知りません。
.........................................................................................
話は変わりますが
去年、車の中でFMラジヲを聞いていて
気になっていたことのお話です。
イカリさんと一緒にふと何気なく聞いていたお話ですが
二人で熱中して聞きいってしまいました。
お話されてた方は 生物学か遺伝子の権威ある学者さんだと思います。
そのお話の内容はこんな感じだったと思います。
アリマキ(アブラムシ)を例に説明していましたが
アリマキの単体生殖、メスがメスだけでメスを産む
つまり、生殖行為なく次世代の個体を驚異的な数で産み出していくことができる。
オスというのは不要な世界なのです。
ただ、それでは単調な縦系列になっていくので
お遊び的に 雄 という横系列をつくるときがある。
それも忙しいときはメスばかり産んでいますが
ちょっと暇になってきたときにオスを産んだりするそうです。
このお話は生物学的で学術的なものでした。
正確に書き留めたものではなく
記憶での説明なので間違いがあればお許しください。
これで、男の謎が少し解けたように思いました。
お遊び的に 暇になってきたとき というところ。
本来、根無し草みたいなものなので 生の淋しさを知り
ふと 遠くを思い、消えたいと思う。
抽象的なことを考え 訳の解らないことに熱中する。
男ってそういう生き物かも知れない。
.........................................................................................
アリマキについて調べてみると
アリマキ。英語でAnt cow(蟻 牛)。
日本語では蟻牧(アリマキ=蟻の牧場)であるから
どちらも同じ意味を持つ名称となっている。
非常に広範囲に渉る植物の主に茎に大群で定住し、樹液を吸う。
ひ弱な庭木の樹精などお構いなしに吸ってしまう。
甘いものを好むアリは彼らが醸成した甘美な分泌物を好んで食糧とする。
アリマキの大群自体を害することなく、アリは甘い汁をすすり続ける。
だからアリの牛という名が付いている。
アリマキは単体生殖を行う。
メスだけで生殖行為もないまま次世代の個体を産み出すことができる。
その増え方ときたら、ねずみ算など他愛なく思えるほどの強烈さで
この量の脅威は暴力的ですらある。
数が増えすぎると、食料となる植物が足りなくなるので
天敵を呼び寄せる物質を放出して
自らを食べさせることによって種の個体数を調節するらしいです。
.........................................................................................
「parasite(パラサイト)」とは,和訳すれば「寄生」となりますが,
もとを正せば,「…のそばに」を表すparaという接続語と,
ギリシャ語の(食べ物)が語源であるsiteが合体した言葉だそうです。
つまり、食べ物のそばに という意味です。
生命は全て天敵との共生で成り立っています。
パラサイトに食料を提供し、パラサイトに天敵から命を守ってもらう。
逆に、人間は天敵を撲滅し、病気を撲滅し
自分たちだけの種の長期延命への努力をしてるようですが
人間にとっての天敵は人間でしかなくなったということでしょうか?
戦争、自殺、テロ、犯罪、事故、同性愛 産児制限 等による
種の数量調節しか方法がないということかな?
最近の犯罪や記事は これに当てはまる内容のものが多いです。
生命の自然死も 広い意味では
プログラムされた自殺といえます。
.........................................................................................
ゴッドフリー・レジオ監督によるカルト・ムービー『カッツィ』シリーズ3部作
全てのタイトルは アメリカ先住民ホピ族の言葉です。
第一部「コヤニスカッツィ」とは
“バランスを失った世界”
第二部『ポワカッツィ』とは
自己の繁栄のために他人の生命力を食い物にする生き方の意味。
第三部「ナコイカッツィ」は、
「日常と化した戦争」


このホピ族の ホピ とは 平和 を意味する言葉だそうです。
これらの映像を見ていると
人はどこへ向かっているかが解かるような気がします。
.........................................................................................
死と引き換えに性を獲得したことは
個体の死によって種の繁栄(生)を確保するということですが
この死のプログラムの意味を
もう一度考え直す必要があるように思えます。
フリーマン・ダイソンのお話の
真意と希望を再確認してみたいと思います。
.........................................................................................
日本映画「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。
見てみたい映画です。
日本の葬儀の様式や言葉には深いものがあります。
我々日本人にとっても 外国の人々にとっても
非常に興味のある儀式であると思われます。
葬儀を題材にした ブログ は 別れの準備 のカテゴリーでご覧ください。
では また。
2009年02月02日
1972年京都
1972年
大阪から京都へ戻る。
東山通り二条 岡崎にある下宿
ここの部屋は広かったが、東山通りに面していて
朝5時の始発の市電(路面電車)の音で目が覚める。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
この頃、京都には 所謂、ロック喫茶 とか Folk喫茶 とかが沢山あった。
1969年9月 京都初のロック喫茶 MAP 開店。
1973年2月 日本最古のライヴハウス 拾得 が京都で創業

拾得
中でもよく足を運んだのは
MAP 飢餓(現在の KAZABANA)名前の無い喫茶店 噴(ふん) 拾得
特に MAP へはよく行った。
開店時にいくとディランのセルフポートレートや
ザ・バンド の Music From Big Pink がかかっていた。
豊田勇造がよくこの店でブルースの弾き語りしていた。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
河原町四条の喫茶店(名前は忘れた)では
ひょっこり現れた 高田 渡 がギターを取り出し
いきなりトーキングブルースを歌ったりと
この頃の京都はこんな風景が当たり前だったような気がする。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
お店では新着輸入盤のRolling Stonesのレコード
スティッキー・フィンガーズやメイン・ストリートのならず者 が
大きな音でガンガンかかっていた。
どちらもジャケのデザインがよい。

カバーフロント アンダーカバー カバーバック
前者はアンディ・ウォーホールのジッパー(本物のジッパー付き/日本版はYKK)デザイン
(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの皮むきバナナのジャケといい名作です)

後者は ロバート・フランク の写真が沢山使われている。
(LPアルバムのカバー特集もそのうちやります。)
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
東京からもよくロック喫茶通いに来ていた人が多く
そんな人達ともすぐ友達になりました。
高円寺のT君もその一人で
彼は高円寺で店を開こうとしていて京都のお店を視察に来ていたようで
僕たちの岡崎の下宿を寝ぐらにしてあちこち廻っていた。
後に高円寺 JEFFERSON を開店

Jefferson Airplane や ホット・ツナが好きで付けた店の名前
東京へ行くとこの店を僕たちは寝ぐらにして行動しました。
このお店、窓はなく 木の板壁にドライフラワー
ソニー・ボーイ・ウィリアムソンの白黒写真が貼ってあったな。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
岡崎の下宿には いろんな友達が毎日集まりました。
前回のブログ 別れの準備-3 の REIは僕の部屋の斜め向かいの部屋で
ニール・ヤングやピンク・フロイドをかけていたし
となりのS君はいつもウディ・ガスリーを聞いていた。
友人が大阪の電気屋さんに勤めていたので
TEAC のオープンリールのテープデッキを買う。
カセットデッキが出始めの頃でしたが
やはり雰囲気的にオープンリール。
動かなくなったので随分前に捨てました。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
1973年に最初のオイルショックが起きます
テレビもなく、ラジオも聞かずで情報には疎かったため
世の中で何が起きているのかも知らず
まさか トイレットペーパーが 無くなるなんてことは信じられず
後になって レコード盤が年々薄くなっていくことで
やっと実感として掴めたかな。
反っている輸入盤のレコード多くなった。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
この頃、イカリさんは精力的に動いてました。
中津川フォークジャンボリー
ランブリン・ジャック・エリオットのコンサート
熊本のコミューン
僕はどこへも行かなかったので
彼女は一人で放浪してた。
帰ってくると数日後には
行った先で知り合った友達が沢山押しかけて来た。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
東京の友達も車一台で予告もせずにいきなり押しかけて来た。
男5人と毎日 雑魚寝の日々。
夜はお酒を飲んで 毎晩 論争の日々。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
ササ は近くのジャスコの肉屋でバイトしていましたが
この岡崎の後半から次の銀月アパートの前半まで
一澤帆布に勤める。
おじさんや おばさん ばかりが働いていた所に
若いヒッピー娘が入り込んできたので
皆さん驚いたでしょうが
皆にかわいがられていたようでした。
木造のお店の壁面には天井まで帆布の鞄がかけてあり
その頃からマニアの人たちの人気スポットでした。
ササがやめてからそういった若い女の人が
仕事を求めてくるようになったそうで
そういう意味では 先人なのかもしれない。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
この時からワタルに誘われて同人誌に詩を寄稿します。
岡崎から銀月アパートの頃まで同人誌を出しますが
この話は長くなりますので次回に廻します。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
ホームページは リニューアル しましたので ご覧ください。
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
大阪から京都へ戻る。
東山通り二条 岡崎にある下宿
ここの部屋は広かったが、東山通りに面していて
朝5時の始発の市電(路面電車)の音で目が覚める。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
この頃、京都には 所謂、ロック喫茶 とか Folk喫茶 とかが沢山あった。
1969年9月 京都初のロック喫茶 MAP 開店。
1973年2月 日本最古のライヴハウス 拾得 が京都で創業

拾得
中でもよく足を運んだのは
MAP 飢餓(現在の KAZABANA)名前の無い喫茶店 噴(ふん) 拾得
特に MAP へはよく行った。
開店時にいくとディランのセルフポートレートや
ザ・バンド の Music From Big Pink がかかっていた。
豊田勇造がよくこの店でブルースの弾き語りしていた。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
河原町四条の喫茶店(名前は忘れた)では
ひょっこり現れた 高田 渡 がギターを取り出し
いきなりトーキングブルースを歌ったりと
この頃の京都はこんな風景が当たり前だったような気がする。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
お店では新着輸入盤のRolling Stonesのレコード
スティッキー・フィンガーズやメイン・ストリートのならず者 が
大きな音でガンガンかかっていた。
どちらもジャケのデザインがよい。

カバーフロント アンダーカバー カバーバック
前者はアンディ・ウォーホールのジッパー(本物のジッパー付き/日本版はYKK)デザイン
(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの皮むきバナナのジャケといい名作です)

後者は ロバート・フランク の写真が沢山使われている。
(LPアルバムのカバー特集もそのうちやります。)
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
東京からもよくロック喫茶通いに来ていた人が多く
そんな人達ともすぐ友達になりました。
高円寺のT君もその一人で
彼は高円寺で店を開こうとしていて京都のお店を視察に来ていたようで
僕たちの岡崎の下宿を寝ぐらにしてあちこち廻っていた。
後に高円寺 JEFFERSON を開店

Jefferson Airplane や ホット・ツナが好きで付けた店の名前
東京へ行くとこの店を僕たちは寝ぐらにして行動しました。
このお店、窓はなく 木の板壁にドライフラワー
ソニー・ボーイ・ウィリアムソンの白黒写真が貼ってあったな。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
岡崎の下宿には いろんな友達が毎日集まりました。
前回のブログ 別れの準備-3 の REIは僕の部屋の斜め向かいの部屋で
ニール・ヤングやピンク・フロイドをかけていたし
となりのS君はいつもウディ・ガスリーを聞いていた。
友人が大阪の電気屋さんに勤めていたので
TEAC のオープンリールのテープデッキを買う。
カセットデッキが出始めの頃でしたが
やはり雰囲気的にオープンリール。
動かなくなったので随分前に捨てました。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
1973年に最初のオイルショックが起きます
テレビもなく、ラジオも聞かずで情報には疎かったため
世の中で何が起きているのかも知らず
まさか トイレットペーパーが 無くなるなんてことは信じられず
後になって レコード盤が年々薄くなっていくことで
やっと実感として掴めたかな。
反っている輸入盤のレコード多くなった。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
この頃、イカリさんは精力的に動いてました。
中津川フォークジャンボリー
ランブリン・ジャック・エリオットのコンサート
熊本のコミューン
僕はどこへも行かなかったので
彼女は一人で放浪してた。
帰ってくると数日後には
行った先で知り合った友達が沢山押しかけて来た。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
東京の友達も車一台で予告もせずにいきなり押しかけて来た。
男5人と毎日 雑魚寝の日々。
夜はお酒を飲んで 毎晩 論争の日々。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
ササ は近くのジャスコの肉屋でバイトしていましたが
この岡崎の後半から次の銀月アパートの前半まで
一澤帆布に勤める。
おじさんや おばさん ばかりが働いていた所に
若いヒッピー娘が入り込んできたので
皆さん驚いたでしょうが
皆にかわいがられていたようでした。
木造のお店の壁面には天井まで帆布の鞄がかけてあり
その頃からマニアの人たちの人気スポットでした。
ササがやめてからそういった若い女の人が
仕事を求めてくるようになったそうで
そういう意味では 先人なのかもしれない。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
この時からワタルに誘われて同人誌に詩を寄稿します。
岡崎から銀月アパートの頃まで同人誌を出しますが
この話は長くなりますので次回に廻します。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
ホームページは リニューアル しましたので ご覧ください。
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
2009年01月01日
2009/お年賀
2009年
明けましておめでとうございます。

去年一年 色々なことがありました。
今年は仕事の上でも大変な年になりそうです。
......................................................................
1月中には横山工藝のホームページをリニューアルします。
ほぼ草稿は出来上がっておりますので
年明けから具体化にかかる予定です。
......................................................................
去年は延岡の友人二人と京都で逢いました。
イカリさん含めて4人で居酒屋でお酒を飲み
四条木屋町下がるの カフェバー KAZABANA
(昔の/1972岡崎ブログ予定/飢餓というロック喫茶です)
で ブルースを聞きながら ウイスキーを飲み
明くる日は 懐かしの銀月アパートを訪れ
疎水べりを下り京大農学部グランドを抜け
喫茶ベーカリー 進々堂でコーヒーと思いましたが
ちょうど お休みで とても残念でした。
北山の タムサバイ Taam Sabaai で
辛いタイ料理をたべました。
......................................................................
その延岡のMK君から年末に延岡の焼酎
”銀の水”黒ラベル が送られてきました。
しかも 6本1箱 です。
この銀の水は 以前MK君の依頼で作った
店頭幕の銘柄なので 懐かしいのもありますが
めっぽう うまい

黒麹仕込みのマイルドな味
こいつは春から縁起がええということで
数の子 と なまこで 一杯
乾杯でございます。
......................................................................
去年12月20日
第二回 関大ふくい 笑い講 が福井で
亀岡の友人、関西大学社会学部教授 木村洋二さんが
”笑い測定器”持参で講演されました。
講演終了後、鯖江の助田さんちへ訪問後
彼と福井の蕎麦屋さんへ
その時の写真です。

笑いの研究では 時の人 です。
この 乾杯 の カフカ的 ほころび笑い
この 笑い で 今年の幕開け
笑いを肴に 乾杯でございます。
......................................................................
なんか 笑い測定器 も マーク2 に進化したようで
ターボ・チャージャーを搭載していたりして
でも 笑いは もともと ターボかもしれない
他人が笑うことで更に笑いが加速する
この 笑い の単位が aH(アッハ)だそうで
笑いの壁を突き抜けると MaH(マッハ)になるかも
......................................................................
彼とは以前よく 三国の浜に行き
打ち上げられたオブジェならぬ漂流ゴミを拾い集めておりました。
彼の研究室には漂流オブジェが並べられているはずです。
船の舳先まであると自慢しておりましたが.........。
ところで当時 イカリさんは 僕たちのことを
磯乞食(イソコジキ)
と呼んでおりました。

これまさに 磯乞食 木村洋二の姿
鬼気迫る ものが ある。
また いきましょ か 三国の浜へ
......................................................................

これ 家にある 骨董好きのイカリさんが買ってきた七福人
お正月のいつものお飾り
とても かわいい
ぼくの お気に入りは次の一番右

皆、微笑み笑いしてるのに
こいつだけ
笑っていそうで笑ってない
怒っていそうで怒ってない
この ハニカミ がよい
にせんくねん 七つの海を 七福人
と 一句
決して セブン の映画のように 七つの大罪ではなく
七つ といわず 一つでも 福 がありますように
......................................................................
と いうことで
皆様にとりましても 良いお年になりますように
カフカ お は よ う
お は よ う カ フ カ です。
今年も宜しくお願いいたします。
hama より
......................................................................
染型工房横山工藝 は こちら
オーダーよさこい屋 は こちら
明けましておめでとうございます。

去年一年 色々なことがありました。
今年は仕事の上でも大変な年になりそうです。
......................................................................
1月中には横山工藝のホームページをリニューアルします。
ほぼ草稿は出来上がっておりますので
年明けから具体化にかかる予定です。
......................................................................
去年は延岡の友人二人と京都で逢いました。
イカリさん含めて4人で居酒屋でお酒を飲み
四条木屋町下がるの カフェバー KAZABANA
(昔の/1972岡崎ブログ予定/飢餓というロック喫茶です)
で ブルースを聞きながら ウイスキーを飲み
明くる日は 懐かしの銀月アパートを訪れ
疎水べりを下り京大農学部グランドを抜け
喫茶ベーカリー 進々堂でコーヒーと思いましたが
ちょうど お休みで とても残念でした。
北山の タムサバイ Taam Sabaai で
辛いタイ料理をたべました。
......................................................................
その延岡のMK君から年末に延岡の焼酎
”銀の水”黒ラベル が送られてきました。
しかも 6本1箱 です。
この銀の水は 以前MK君の依頼で作った
店頭幕の銘柄なので 懐かしいのもありますが
めっぽう うまい

黒麹仕込みのマイルドな味
こいつは春から縁起がええということで
数の子 と なまこで 一杯
乾杯でございます。
......................................................................
去年12月20日
第二回 関大ふくい 笑い講 が福井で
亀岡の友人、関西大学社会学部教授 木村洋二さんが
”笑い測定器”持参で講演されました。
講演終了後、鯖江の助田さんちへ訪問後
彼と福井の蕎麦屋さんへ
その時の写真です。

笑いの研究では 時の人 です。
この 乾杯 の カフカ的 ほころび笑い
この 笑い で 今年の幕開け
笑いを肴に 乾杯でございます。
......................................................................
なんか 笑い測定器 も マーク2 に進化したようで
ターボ・チャージャーを搭載していたりして
でも 笑いは もともと ターボかもしれない
他人が笑うことで更に笑いが加速する
この 笑い の単位が aH(アッハ)だそうで
笑いの壁を突き抜けると MaH(マッハ)になるかも
......................................................................
彼とは以前よく 三国の浜に行き
打ち上げられたオブジェならぬ漂流ゴミを拾い集めておりました。
彼の研究室には漂流オブジェが並べられているはずです。
船の舳先まであると自慢しておりましたが.........。
ところで当時 イカリさんは 僕たちのことを
磯乞食(イソコジキ)
と呼んでおりました。

これまさに 磯乞食 木村洋二の姿
鬼気迫る ものが ある。
また いきましょ か 三国の浜へ
......................................................................

これ 家にある 骨董好きのイカリさんが買ってきた七福人
お正月のいつものお飾り
とても かわいい
ぼくの お気に入りは次の一番右

皆、微笑み笑いしてるのに
こいつだけ
笑っていそうで笑ってない
怒っていそうで怒ってない
この ハニカミ がよい
にせんくねん 七つの海を 七福人
と 一句
決して セブン の映画のように 七つの大罪ではなく
七つ といわず 一つでも 福 がありますように
......................................................................
と いうことで
皆様にとりましても 良いお年になりますように
カフカ お は よ う
お は よ う カ フ カ です。
今年も宜しくお願いいたします。
hama より
......................................................................
染型工房横山工藝 は こちら
オーダーよさこい屋 は こちら
2008年12月06日
別れの準備-3
津軽の友人 REM への レクイエム
死なうと思っていた。
ことしの正月、よそから着物を一反もらった。
お年玉としてである。着物の布地は麻であった。
鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。
これは夏に着る着物であらう。
夏まで生きていゐようと思った。
...............................................................................................
太宰 治 「晩年」 「葉」 の 冒頭
この一節には お洒落な 希望 のようなものがある
ここだけ読んで本を閉じた 18歳の夏
そろそろ僕も晩年にさしかかる
その後を読んでみようと思う。
袖を通してなかった着物を着るように。
...............................................................................................
太宰治も寺山修司も津軽の弘前に縁のある人達である。
...............................................................................................
寺山修司10代の遺作集 「われに五月を」後記 「僕のノート」より
この作品集に収められた作品たちは
全て僕の青年の所産である。
言葉を更えて言えば
この作品集を発行すると同時に
僕の内で死んだ独りの青年の葬いの花束とも言っていいだろう
しかし青年は死んだがその意識は僕の内に保たれる
「大人になった僕」を想像することは僕の日日にとっては
なるほど最も許しがたく思われたものだ。
...............................................................................................
寺山修司は 青春の青と五月という季節 に固執する
四月では決してない
五月の詩・序詞 に
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ。
「われに五月を」の表紙をめくると
五月に咲いた 花だった のに
散ったのも 五月でした 母

とある
寺山修司にとって季節とは五月だけでよかったのかもしれない
五月 青い季節 青い春 青い年
五月は季節の中では青春であり
その季節の中で 青年としてしか 生きたくなかった
むせかえる夏も 成熟していく秋も 死に絶えて行く冬も
彼には必要なかったのかもしれない。
分別とやらを身につけて 大人になって行くのが恐かったのかもしれない
彼の喋り方もずーと青かった。
青森弁だったもの
...............................................................................................
1998年 今から10年前
津軽の 友人 REM が
一月始め 福井まで訪ねて来ました
...............................................................................................
喉頭癌を患い治療中の身で
駅前のエスニックカフェで話。
大阪で仕事で世話になった人がいるので
挨拶にいかなければならないし
あまり長く話をすると疲れるのでと
3時間程で駅に向かった。
...............................................................................................
無人の駅が悲しいのではない
準備して別れるのが悲しいのだ
―詩集:別れの準備 より―
これが 彼の 別れの準備 だったのかと 今 思う。
...............................................................................................
それから数ヶ月後に彼から電話があった。
ササが電話をとる
いきなり彼はものも言わずに泣きじゃくったと言います。
ササには何が起きたのかとっさに分かったといいます。
医者の処置のミスもあり体中に転移していて
取り返しのつかない状態になっていたようです。
...............................................................................................
7月10日 雨の 京都 嵐山
最後の酒宴を開くため
彼は京都時代の仲間達 皆を集めます。
みんなの顔を眺め納得したのか
少し涙を浮かべながら切り出します
後 3ヶ月の命 と聞いております。
僕は 一日を百年の密度で 生きて行きます。
さあー パーっと行きましょうや
ぱぁーと
...............................................................................................
明くる日は車で
何故か 僕とササが暮らしていた
銀月アパートの15号室の前で
みな 無言
そのあと 百万遍の 進々堂でコーヒーを飲み
そこで 固く握手をして 別れた。
この時撮ったデジカメの写真は なぜか全て ボケている
彼は既に ピントの合わない世界に いたのかもしれない。
...............................................................................................
進々堂は銀月アパートとバイト先の中間くらいです。
1975年当時 毎朝 一人 早朝 部屋 を抜け出して
そこで コーヒーを飲み クロワッサンを食べ
ポール・ニザン や ブランショ や ランボオ を読んでいた。
そのうち 彼も 同じ時間に来るようになり
目で挨拶をし 互いに離れて
本を読んでいました。
ササはそのころ
ロレンス・ダレルの『アレキサンドリア・カルテット』
「ジュスティーヌ」「バルタザール」「マウントオリーブ」「クレア」からなる4部作
を読んでいたっけ
...............................................................................................
さて その年も 8月に入り
何度か彼とは電話で話をしておりましたから
彼がすぐ死ぬなんてことも信じられず
そのうち 津軽の弘前のホスピスへ
逢いに行こうと思っておりましたが
いきなり奥さんの Tk から電話がかかってきて
もう 危ないので すぐ来てくれる?
8月28日 夜行寝台急行 日本海 で 津軽 へ
明29日の昼頃 着きましたが
Kt なんとか間に合ったわ
先生から 今月一杯 保たないって言われた
エッ 今月一杯? あと 2日しかないじゃないか
病室に入ると たくさんの管につながれ
意識のない彼がベットの上に眠っていました。
REM 遅くなってごめんな
ポール・ニザン 憶えているか?
耳元で囁く僕の言葉に かすかに頷いたように思えました。
彼の閉じた瞳もかすかに濡れていたように思います。
...............................................................................................
彼と最初に出逢ったのが 1973年京都岡崎の下宿
彼は The Band や Neil Young をいつも聞いていた。
僕は 25歳 彼は 20歳
僕は20歳だった。
それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。
ポール・ニザン アデン・アラビア
...............................................................................................
1989年 津軽 弘前
彼は45歳 僕は 50歳
30日 病院の近く で昼食をとる時に 本屋さんへ
アレキサンドリア生まれの ウンガレッティ の 詩集を買う

...............................................................................................
僕は宇宙に酔い痴れている
海へ出て
ぼくは
そよ風の
柩に入った
ー ジョゼッペ・ウンガレッティ 「 美しい夜」 より ー
...............................................................................................
食事を済ませ病室に戻った時
彼は 息を引き取った 直後でした
まだ 暖かい 彼の頭を抱く
1989年8月30日 PM1時20分
僕の中で眠る 青い柩 の中へと
静かに入って行った
君のなかの 美しい少年
...............................................................................................
彼の結婚式でみんなで歌った Bob Dylan の
I Shall be Released が流れる
I see my light come shining
?From the west unto the east.
?Any day now, any day now,
?I shall be released.
西から東へと 輝いて行く光が見える
いつの日か いつの日か
解き放たれる日が来るだろう
...............................................................................................
病院で遺体を清めている間に
彼の家に戻り 彼の部屋に独り座る
...............................................................................................

何故か 1996年1月のままのカレンダー
雑誌 SWITCH の Tom Waits 特集
Dylan Thomas の詩集
一澤帆布のラベンダー色に色褪せたトートバック
Rawlings の新しいグローブ
彼の高校時代のボロボロの学生帽
部屋の窓に淋しく立てかけてある
ディランの The Freewheelin' のレコードジャケット
(このジャケ写真はディランのアルバムのなかでは
最も青い春を感じさせる)

そして 詩集:別れの準備
...............................................................................................
形見に 詩集:別れの準備 を持ち帰る。
8月30日 夜行寝台急行 日本海 で 福井へ
もう一度 書こう
詩集 別れの準備 藤本直規著 より
さあ 別れの準備をしよう
例えば
刑場の草を刈ろうか
屠殺刀を研磨しようか
あるいは死化粧をしようか
本当のことを言えば
私たちは別れの準備のためだけに生きていて
悲しい
知っている?
死化粧のために用意される綿花・布・白粉等一揃えは
何故か
天使(エンゼル)セットと呼ばれていることを
...............................................................................................

Bob Dylan のブートレグシリーズ第4弾
1966 Royal Albert Hall 発売(1998年11月発売)前
1998年 8月の夏の終わり 津軽
君の花のような美しさと 花のような脆さ
モンブランの氷に閉ざされた君の笑顔が
僕たちの涙で解けて
北の大地に吸い込まれて行きますように
僕たちの足元から消えた草の匂いが
君の天国での草原となりますように
さようなら REM
注釈:「モンブラン」とは彼の会社で製造した かち割り氷
の商品名として彼がつけた名前です。
彼はこの命名をすごく自慢していました。
...............................................................................................
この 別れの準備 はこれから続きます。
別れの準備 のカテゴリーでご覧頂けます。
2008年12月03日
別れの準備-2
とあることで
35年前に別れた友人の連絡先が解り
すぐ 携帯に電話しました。
.............................................................................................................
その友人 K は
My Back Pages シリーズの次回
1971年 京都 岡崎 (このブログはまだ書いていません。)
の頃 一緒に遊んだ友人です。
当時 彼は京都の魚の卸売り市場で働いていたので
おいしい魚をいつも土産に持ってきました。
イカリさんは近くのジャスコの中の お肉屋さんでアルバイトをしてましたから
貧乏ながら 美味しいものを食べるのにはこと欠かなかったのです。
.............................................................................................................
さて唐突に 彼に電話
もしもし? Kか hama や
エッー 嘘だろー
といった風で 慎重な受け答えをします。
しばらく話していると 打ち解けて来て
ササ(イカリの当時の呼び名)と食事しながら酒呑んでるんや
えー まだ 一緒におんのかいな
ああ まだ 一緒のおんの これからも ずーっと
今 なんの仕事しとんや
今 葬儀社に勤めとる。
靭帯を切ってしもて 労災で12月一杯まで休みなんや
そのうち 遊びにいくわ と K
それで電話を切った
10月の終わり
.............................................................................................................
11月の20日頃
22日に遊びにいくわ と Kから電話
さて その11月22日土曜日 午後6時
改札を出てすぐ右の広場に出て待っててくれるか? と電話をし 駅に車で迎えに。
さて これからが問題なのです。
なにせ 35年ぶりですから 彼の顔姿は
想像するしかありません。
最後に逢った20代の頃の顔を頭に浮かべ
35年の年月の劣化と肉体の増加を加減していっても
想像を遥かに超えたところにいるのが我々2人です。
その外の広場の待合場に着きましたが
6時を廻っていて薄暗く 何人かの男の人が
それぞれの迎えをまっていましたので 一目で分かるはずもない。
そこで彼の携帯に電話しました。
きょろきょろと見回し、さて 誰が携帯を取り出すか?
取り出した途端に
やあ!
とお互い手を挙げましたが
それが すぐ 前の 男 でした。
おいおい 電車で向かいに座っていてもお互いに解らへんな
と 帰りの車の中で 笑いながら 我が家に 着きました。
ササとも同様なご対面でしたが
一緒にお酒を呑みながら話しているうちに和んできました。
でも 声や喋り方やアクセントなんかは全然変わってないな
ということに落ち着きました。
35年の歳月のギャップもお酒が廻り始めるころには
どこかへいってしまいましたが
なんだろうね これって
.............................................................................................................
7〜8年前に東京のビックサイトの展示会場に行った時
ブースの人と僕が喋っている時に
いきなりとなりの男が 浜やんやんけ
と 大声をあげました。
この友人 僕の声と喋り方で気がついたといいます。
今は年一回の年賀状が月遅れで中国から届きます。
.............................................................................................................
さて K の話に戻ります。
大阪でも大手の葬儀社らしく
それはそれは 大変忙しいようです。
靭帯を切ったのは湯灌の時
100キロくらいの人を持ち上げた時にいきなり と
それはそうでしょう 上がるはずが無いですよね
相撲取りなんかの葬儀もあるそうで
そんなでかい棺は特注で作るんやろな
どうやって運ぶの?
弟子たちが何人かで運ぶんや
ナルホド ね
神戸の震災の時とかの苦労話を沢山聞かせてもらいました。
最後に
俺が死んだら 頼む わ と
予約しておきました。
.............................................................................................................
明くる日は3人で おそばを食べ
三国湊の 旧森田銀行の通りを 散策し

東尋坊の近くの 風の扉(ドア)という
おしゃれな喫茶店で紅茶を飲み

(ここは また 別な時にご紹介します)
いつも笑顔のおしゃれな 奥さんと 朴訥とした ご主人
好きな人たちです
また 鋳物の白いメールボックス がよいのです。

.............................................................................................................
そして 湯でたての蟹を買って帰りました。
今年はずわい蟹が豊漁でメスのせいこが少ない水揚げだったせいか
値段がそう変わらず、おかげで ずわい を買いました。

その夜は3人で ものもいわず ただ
むしゃむしゃ づるづる ちゅーちゅー と
蟹をむさぼり お酒を飲んだのは いうまでもありません。
こんな 湯でたてのおいしい蟹はこちらでもなかなか食べれないので
ぼくもイカリも大満足でございました。
明くる日、Kは 奥様への せいこガニを持って大阪へと帰って行きました。
夜、このせいこガニの方が
数段美味しいと 電話がありました。
.............................................................................................................
京都1967年のブロクに書いた
下鴨高木町の下宿にいた時の友人が
2004年に送って来たメールの中に
こんな一節がありました。
.............................................................................................................
山頭火の句に
”分け入っても分け入っても青い山”
というのがある。
青い山(せいざん)には 死に場所という意味があるそうで
山頭火 とは 焼き場の意味だそうです。
最近、彷徨ってます
.............................................................................................................
この最後の一行
はて 困ったな
彷徨うのは僕だけにしておいて欲しい。
.............................................................................................................
僕とイカリが最初に出逢ったのは 42年前
夏のキャンプの肝試しのパートナーとして
その村の近くの 三昧(さんまい:火葬場のこと)まで
二人で手をつないで 肩寄せ合って 恐る恐る
というのが そもそもなので
なにかそういう縁があるのかな
ということで
別れの準備 その2でした。
次回は 津軽の友人 REM へと飛びます
35年前に別れた友人の連絡先が解り
すぐ 携帯に電話しました。
.............................................................................................................
その友人 K は
My Back Pages シリーズの次回
1971年 京都 岡崎 (このブログはまだ書いていません。)
の頃 一緒に遊んだ友人です。
当時 彼は京都の魚の卸売り市場で働いていたので
おいしい魚をいつも土産に持ってきました。
イカリさんは近くのジャスコの中の お肉屋さんでアルバイトをしてましたから
貧乏ながら 美味しいものを食べるのにはこと欠かなかったのです。
.............................................................................................................
さて唐突に 彼に電話
もしもし? Kか hama や
エッー 嘘だろー
といった風で 慎重な受け答えをします。
しばらく話していると 打ち解けて来て
ササ(イカリの当時の呼び名)と食事しながら酒呑んでるんや
えー まだ 一緒におんのかいな
ああ まだ 一緒のおんの これからも ずーっと
今 なんの仕事しとんや
今 葬儀社に勤めとる。
靭帯を切ってしもて 労災で12月一杯まで休みなんや
そのうち 遊びにいくわ と K
それで電話を切った
10月の終わり
.............................................................................................................
11月の20日頃
22日に遊びにいくわ と Kから電話
さて その11月22日土曜日 午後6時
改札を出てすぐ右の広場に出て待っててくれるか? と電話をし 駅に車で迎えに。
さて これからが問題なのです。
なにせ 35年ぶりですから 彼の顔姿は
想像するしかありません。
最後に逢った20代の頃の顔を頭に浮かべ
35年の年月の劣化と肉体の増加を加減していっても
想像を遥かに超えたところにいるのが我々2人です。
その外の広場の待合場に着きましたが
6時を廻っていて薄暗く 何人かの男の人が
それぞれの迎えをまっていましたので 一目で分かるはずもない。
そこで彼の携帯に電話しました。
きょろきょろと見回し、さて 誰が携帯を取り出すか?
取り出した途端に
やあ!
とお互い手を挙げましたが
それが すぐ 前の 男 でした。
おいおい 電車で向かいに座っていてもお互いに解らへんな
と 帰りの車の中で 笑いながら 我が家に 着きました。
ササとも同様なご対面でしたが
一緒にお酒を呑みながら話しているうちに和んできました。
でも 声や喋り方やアクセントなんかは全然変わってないな
ということに落ち着きました。
35年の歳月のギャップもお酒が廻り始めるころには
どこかへいってしまいましたが
なんだろうね これって
.............................................................................................................
7〜8年前に東京のビックサイトの展示会場に行った時
ブースの人と僕が喋っている時に
いきなりとなりの男が 浜やんやんけ
と 大声をあげました。
この友人 僕の声と喋り方で気がついたといいます。
今は年一回の年賀状が月遅れで中国から届きます。
.............................................................................................................
さて K の話に戻ります。
大阪でも大手の葬儀社らしく
それはそれは 大変忙しいようです。
靭帯を切ったのは湯灌の時
100キロくらいの人を持ち上げた時にいきなり と
それはそうでしょう 上がるはずが無いですよね
相撲取りなんかの葬儀もあるそうで
そんなでかい棺は特注で作るんやろな
どうやって運ぶの?
弟子たちが何人かで運ぶんや
ナルホド ね
神戸の震災の時とかの苦労話を沢山聞かせてもらいました。
最後に
俺が死んだら 頼む わ と
予約しておきました。
.............................................................................................................
明くる日は3人で おそばを食べ
三国湊の 旧森田銀行の通りを 散策し

東尋坊の近くの 風の扉(ドア)という
おしゃれな喫茶店で紅茶を飲み

(ここは また 別な時にご紹介します)
いつも笑顔のおしゃれな 奥さんと 朴訥とした ご主人
好きな人たちです
また 鋳物の白いメールボックス がよいのです。

.............................................................................................................
そして 湯でたての蟹を買って帰りました。
今年はずわい蟹が豊漁でメスのせいこが少ない水揚げだったせいか
値段がそう変わらず、おかげで ずわい を買いました。

その夜は3人で ものもいわず ただ
むしゃむしゃ づるづる ちゅーちゅー と
蟹をむさぼり お酒を飲んだのは いうまでもありません。
こんな 湯でたてのおいしい蟹はこちらでもなかなか食べれないので
ぼくもイカリも大満足でございました。
明くる日、Kは 奥様への せいこガニを持って大阪へと帰って行きました。
夜、このせいこガニの方が
数段美味しいと 電話がありました。
.............................................................................................................
京都1967年のブロクに書いた
下鴨高木町の下宿にいた時の友人が
2004年に送って来たメールの中に
こんな一節がありました。
.............................................................................................................
山頭火の句に
”分け入っても分け入っても青い山”
というのがある。
青い山(せいざん)には 死に場所という意味があるそうで
山頭火 とは 焼き場の意味だそうです。
最近、彷徨ってます
.............................................................................................................
この最後の一行
はて 困ったな
彷徨うのは僕だけにしておいて欲しい。
.............................................................................................................
僕とイカリが最初に出逢ったのは 42年前
夏のキャンプの肝試しのパートナーとして
その村の近くの 三昧(さんまい:火葬場のこと)まで
二人で手をつないで 肩寄せ合って 恐る恐る
というのが そもそもなので
なにかそういう縁があるのかな
ということで
別れの準備 その2でした。
次回は 津軽の友人 REM へと飛びます
2008年12月02日
別れの準備-1
年のせいか 死に方のことを 最近 よく考える。
...................................................................................................................
今年、私 町内会長を引き受けました。
町内のことなど全く知らなかったのですが
人の名前や生活ぶり、行事など色々なことを知る機会を得ました。
50人くらいの町内ですが
子供はすくなく、老人の世帯がほとんどで
一人暮らしも多く これ日本の縮図のように思います。
...................................................................................................................
今年、4人の方が亡くなりました。
町内会長としては葬儀のお手伝いに忙しいはずなのですが
1件のお葬式を手伝っただけです。
...................................................................................................................
4月に一人目のおじいちゃんが亡くなりました。
跡継ぎもおられ、年相応の大往生ということで
通常のお葬式で私たち3役もお手伝いしました。
...................................................................................................................
二人目の方は年金暮らしでパチンコで生計を建てていた
一人暮らしの75歳くらいのおじさん
体の具合が悪くなり、しばらく入院されてました。
イカリさんが見舞いにいきましたが
ガリガリにやせ細っていたようで
その数日後に病院で亡くなられました。
従兄弟の方が丁重に葬儀と後始末をされました。
誰にも知らせず、従兄弟さんの家族だけでのお葬式でした。
町内会と連合会と私個人の香典を持ち お焼香をさせて頂きましたが
なかなか香典 を受け取ってはくれませんでした。
...................................................................................................................
3人目の方は町内の方ですが町内会に入っておらず
一人暮らしの名前も顔も歳も知らないおばさんでした。
コンビニの捨てられた弁当などを集めて暮らしていたようで
その帰りの早朝 通りを横切る時に車に跳ねられたようです。
即死状態だったようです。
警察の方が身寄りの人に連絡を取り
四国の方から遺体を引き取りに来たと聞いております。
...................................................................................................................
さて4人目のおじいさん 11月30日(日曜日)に亡くなりました。
80歳くらいで少しアクの強い方でしたが
話をするとかわいいおじいさんででした。
敬老の日には わしは絶対行くからなと力んでおりましたが
その数日前に病院に運ばれ入院かと思われましたが
病院から逃げ出して敬老会のパーティーに出席したそうです。
11月30日 雨の日曜日、班長さんが知らせにきてくれました。
駆けつけると、警察の方が二人おられました。
身寄りの方に連絡がまだとれないと言っていました。
もし身寄りの方がおられなかったらどうするんですか?と聞くと
それは市がやるしかないでしょうね。との答え
検死等にしばらく時間がかかるのでということで
私の連絡先の電話番号を教え 自宅に帰りました。
12月2日火曜日に警察から電話
親戚の方々が引き取りを拒否しましたので
市の方で葬儀、埋葬を行うことになりました。 と
お骨は?
無縁仏の埋葬地に埋められるでしょうね。
借家でしたが 後の始末は?
大家さんが家ごと取り壊すと言ってましたよ。
...................................................................................................................
今年 4人の方が亡くなりましたが
葬儀のお手伝いをしたのは一回だけです。
何とも寂しい話でしたが
葬儀は残された者が執り行なうとして
死 とは そういうことかもしれない
1、2、3、4と回を追うごとに寂しい死に方になってきましたが
さて 5番目の死に方とは?
どこか人知れず 山の奥か大海原で
遺体の回収もされず、埋葬もされず
行方の解らぬまま 野たれ死ぬ ということかな。
...................................................................................................................
一人の死に
功績や功労や貢献、遺産、遺言、遺族や友人の悲しみ
いろいろな事柄が付随していますが
死亡証明書、火葬許可書、埋葬許可書
戸籍からの抹消等
履歴が確実に閉じられるということ
これが 確実な 死 の意味かもしれない。
あとは どれだけ 人の心に残っていられるかということで
友の心の中から消えることが僕にとっての死亡証明かもしれない。
そういう意味では
4人目のおじいさんは
亡くなる前から死んでいたのかもしれない。
...................................................................................................................
別れの準備 というタイトルは
詩集 別れの準備 藤本直規著 からとりました。
その中の 別れの準備
という詩の最後に
...................................................................................................................
さあ 別れの準備をしよう
例えば
刑場の草を刈ろうか
屠殺刀を研磨しようか
あるいは死化粧をしようか
本当のことを言えば
私たちは別れの準備のためだけに生きていて
悲しい
知っている?
死化粧のために用意される綿花・布・白粉等一揃えは
何故か
天使(エンゼル)セットと呼ばれていることを
...................................................................................................................
この人の詩はとても深い
この詩集は津軽の友人が亡くなった時に
形見として持ち帰ったものです。
別れの準備 はまだ続きます。
大阪の友人、津軽の友人 へ と。
...................................................................................................................
今年、私 町内会長を引き受けました。
町内のことなど全く知らなかったのですが
人の名前や生活ぶり、行事など色々なことを知る機会を得ました。
50人くらいの町内ですが
子供はすくなく、老人の世帯がほとんどで
一人暮らしも多く これ日本の縮図のように思います。
...................................................................................................................
今年、4人の方が亡くなりました。
町内会長としては葬儀のお手伝いに忙しいはずなのですが
1件のお葬式を手伝っただけです。
...................................................................................................................
4月に一人目のおじいちゃんが亡くなりました。
跡継ぎもおられ、年相応の大往生ということで
通常のお葬式で私たち3役もお手伝いしました。
...................................................................................................................
二人目の方は年金暮らしでパチンコで生計を建てていた
一人暮らしの75歳くらいのおじさん
体の具合が悪くなり、しばらく入院されてました。
イカリさんが見舞いにいきましたが
ガリガリにやせ細っていたようで
その数日後に病院で亡くなられました。
従兄弟の方が丁重に葬儀と後始末をされました。
誰にも知らせず、従兄弟さんの家族だけでのお葬式でした。
町内会と連合会と私個人の香典を持ち お焼香をさせて頂きましたが
なかなか香典 を受け取ってはくれませんでした。
...................................................................................................................
3人目の方は町内の方ですが町内会に入っておらず
一人暮らしの名前も顔も歳も知らないおばさんでした。
コンビニの捨てられた弁当などを集めて暮らしていたようで
その帰りの早朝 通りを横切る時に車に跳ねられたようです。
即死状態だったようです。
警察の方が身寄りの人に連絡を取り
四国の方から遺体を引き取りに来たと聞いております。
...................................................................................................................
さて4人目のおじいさん 11月30日(日曜日)に亡くなりました。
80歳くらいで少しアクの強い方でしたが
話をするとかわいいおじいさんででした。
敬老の日には わしは絶対行くからなと力んでおりましたが
その数日前に病院に運ばれ入院かと思われましたが
病院から逃げ出して敬老会のパーティーに出席したそうです。
11月30日 雨の日曜日、班長さんが知らせにきてくれました。
駆けつけると、警察の方が二人おられました。
身寄りの方に連絡がまだとれないと言っていました。
もし身寄りの方がおられなかったらどうするんですか?と聞くと
それは市がやるしかないでしょうね。との答え
検死等にしばらく時間がかかるのでということで
私の連絡先の電話番号を教え 自宅に帰りました。
12月2日火曜日に警察から電話
親戚の方々が引き取りを拒否しましたので
市の方で葬儀、埋葬を行うことになりました。 と
お骨は?
無縁仏の埋葬地に埋められるでしょうね。
借家でしたが 後の始末は?
大家さんが家ごと取り壊すと言ってましたよ。
...................................................................................................................
今年 4人の方が亡くなりましたが
葬儀のお手伝いをしたのは一回だけです。
何とも寂しい話でしたが
葬儀は残された者が執り行なうとして
死 とは そういうことかもしれない
1、2、3、4と回を追うごとに寂しい死に方になってきましたが
さて 5番目の死に方とは?
どこか人知れず 山の奥か大海原で
遺体の回収もされず、埋葬もされず
行方の解らぬまま 野たれ死ぬ ということかな。
...................................................................................................................
一人の死に
功績や功労や貢献、遺産、遺言、遺族や友人の悲しみ
いろいろな事柄が付随していますが
死亡証明書、火葬許可書、埋葬許可書
戸籍からの抹消等
履歴が確実に閉じられるということ
これが 確実な 死 の意味かもしれない。
あとは どれだけ 人の心に残っていられるかということで
友の心の中から消えることが僕にとっての死亡証明かもしれない。
そういう意味では
4人目のおじいさんは
亡くなる前から死んでいたのかもしれない。
...................................................................................................................
別れの準備 というタイトルは
詩集 別れの準備 藤本直規著 からとりました。
その中の 別れの準備
という詩の最後に
...................................................................................................................
さあ 別れの準備をしよう
例えば
刑場の草を刈ろうか
屠殺刀を研磨しようか
あるいは死化粧をしようか
本当のことを言えば
私たちは別れの準備のためだけに生きていて
悲しい
知っている?
死化粧のために用意される綿花・布・白粉等一揃えは
何故か
天使(エンゼル)セットと呼ばれていることを
...................................................................................................................
この人の詩はとても深い
この詩集は津軽の友人が亡くなった時に
形見として持ち帰ったものです。
別れの準備 はまだ続きます。
大阪の友人、津軽の友人 へ と。
2008年11月17日
1970 大阪-後編
1970年大阪 後編です。
大淀区のその下宿
梅田から歩いて15分から20分
阪急東通商店街の通りを通って帰ります。
居酒屋や雑貨屋やアダルト店頭を抜け
その通りが終わるところにその店はありました。
LPコーナー
という レコード屋さん
今は閉店廃業と聞きました とても残念です。
下宿からは10分くらいなのでいつも自転車でレコード漁り

1969年に世界で初めて ブートレグ・レコードが出ます。
Bob Dylan の Great White Wonder です。
TMQあるいはTMOQ( Trademark Of Quality)ラベル
おなじみの ブタ・マーク PIG Labelです。
ちょうどディランが活動していない頃なので
そういうタイミングでもあったのかもしれませんが。

白ジャケットにスタンプ押し
レコード盤は黒は少なく オレンジやグリーンやブルーや黄色で
オイルショック前ですから分厚い盤でした。
(1973年オイルクライシス oil crisis 以降、年々盤厚は薄くなります)

1970年大阪ですから
LPコーナーの棚には沢山のディランのブートがありました。
僕は毎日のように買いにいきました。
通常のレコードが2000円くらいで
ブートレグは2500円くらいだったとおもいます。
ちなみに、当時のアルバイト料時間給200円くらい
僕のアルバイト料は時間400円
ディラン初期(デビュー前)から1967年くらいまでの音源で
録音、プレスの状態も良いものが多いです。
..............................................................................................
さて大阪から神戸は近いので
よくイカリさんと二人で神戸に遊びにいきました。
輸入雑貨店が多く この頃
LODGE社のスキレット(フライパン) 9インチを買いました。
それは40年近く経った今に至るまで毎日使っています。
福井に帰ってからもこの手の日本製の物なども色々買いましたが
このロッジ社のものが一番使い勝手が良いです。

..............................................................................................
京都最後の銀月アパートまで
トイレと水洗場は共同
風呂は銭湯、洗濯は手洗い
電話は呼び出し、テレビは無し
勿論 車 なんてないし それより 免許証が無い。
自転車は1台、いつも二人乗り
大阪に来て買った家電は小さな製氷機つきの真っ白な冷蔵庫だけ
銀月アパートまで 持っていた家財といえば
この冷蔵庫と拾ってきた自転車と
パイオニアのステレオ装置
芯上下式の小さな石油ストーブ、LODGE社のスキレット
次回、京都で買う SEBの圧力鍋
小さな一口ガスコンロ
それくらいでした。
そしてずーっとアルバイトで通しました。
必要以上に働かない。
大阪では一日4時間のアルバイト
(時間給400円ですから半分の4時間で充分でした)
でも 余分のお金はありません、家財も無い
ただ 時間だけは人より沢山持ってました。
これが 僕たちの 大きな財産でした。
テレビも電話も車も無ければ
それほど お金もいらないし その為に働く必要も無い。
下宿といっても 都市型賃貸コミューンみたいなもので
それなりのヒッピー的
生活でした。
今じゃ 全く逆の生活をしております。
家を持ち、車を持ち、携帯電話で何時でも何処でも電話をし
テレビを見て、お風呂に入り、掃除機で掃除、全自動洗濯機で洗濯し・・・・・・・
さて こういうのが豊かな生活だと思いますか?
いいえ それらを持ち それを維持していくために必死で働き
時間がない、お金がないと あくせくしているだけのように思えます。
豊かな生活とは 僕にとって
大阪や京都で生活していた20代の頃の
なにもないけど ヒナタボッコ
隣の部屋のおじさん、おばさんとオシャベリをし
好きな本を読み、レコード聞きながらコーヒーを入れる
そんな 時間 を持っていた 生活であるように思えます。
..............................................................................................
さて次回は 京都 Revisit となります
大阪ブログ Vol.1 は こちら
京都1966 は こちら
京都1967 は こちら
ウキオとイカリの 私的 My Back Pages シリーズ ですが。
2008年11月14日
1970 大阪 前編
1970 大阪-1
1970年1月1日0時0分0秒
を
「UNIX epoch(ユニックス・エポック)」と呼ぶ。
.....................................................................................................
そしてイカリさんと二人 drifters escape 逃避行の始まりです。
大淀区の下町の下宿
大家さんは
沖縄出身の気さくなおじさんとおばさんで
子だくさんの仲のいい家族が一階に住んでおりました。
ちょうど大阪万博で沖縄から親戚の方々とかがいつも大勢でこられ
毎晩 泡盛を飲み三線かき鳴らし陽気に踊っておりました。
2階が僕たち含めて3世帯
四畳半での生活が始まります。
.....................................................................................................
1970年3月14日から9月13日まで大阪万博
大阪にいて 一度も万博には行きませんでした。
興味がなかったことと、人の多い所が嫌い
昔から並ぶというのが嫌いなもので。
.....................................................................................................
3月31日 よど号ハイジャック事件
この時、下宿の近くの韓国出のおばさんがやっている
小さな焼き肉やさんで 友達とイカリさんと3人
テレビのニュースで報道している画面をみて
いろいろ喋っておりました。
カウンターの奥(といっても5席くらいなのでほぼ隣ですが)の
着流しの その筋の中年のかたが 話しかけてきました。
内容は憶えておりませんが 随分お話をしました。
その方は 帰りに僕の肩をたたいて挨拶をして出て行きました。
.....................................................................................................
4月8日 天神橋六丁目(天六)地下鉄工事現場のガス爆発事故
この時、イカリさんと二人すぐ近くにおりましたが
救急車やパトカーの慌ただしい走りに なにか事故でも起きたのかと
その方角に歩いていきましたが
すれ違う人達は皆けがをしており、大変なことでもおきたのかと
大きな通りに出ました。
その情景に思わず足がすくみました。
広い大きな通りでしたが 地下鉄工事のため
コンクリートブロックが道路一面に敷き詰めてありましたが
それが あちこち 縦に立っており
通行中の車が何台も落ちかけて煙をあげていました。
道路の真ん中にでっかいガスバーナーのように
大きな火柱が吹き上げていました。
戦場のような有様で、2次事故の恐れも心配して
早々にその場を立ち去りました。
帰ってラジオを聞くたびに死者の数が増え
結果、死者79名、重軽傷者420名の大惨事であったようです。
.....................................................................................................
11月25日 三島由紀夫 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自殺
大阪梅田のビルに一階にある古本屋さんにいました。
どんより曇った夕方だったと思います。
古本屋の主と、知り合いか馴染みの客かと二人で
ラジオの報道に耳をかたむけていました。
ラジオのボリュームも次第に大きくなり
なにか 大きな事件が起きているような殺気立った報道でした。
市ヶ谷自衛隊総監部からの実況中継の生々しい報道でした。
うやむやとしたその時の暗い気持ちを今でも思い出します。
??斧がわたしの首を断ち落とす前に 私の中で死んでいった美しい少年
.....................................................................................................
前のブログにも書きましたが1970年代は
あらゆる分野でバランスを失っていく年代です。
インディアン、ホピ族のことばで「 バランスを失った世界」という意味の
フランシス・フォード・コッポラの映画『コヤニスカッティ』
この映画についてはまたの機会に書きます。
.....................................................................................................
この年に映画館で見た映画
イージー・ライダーとウッド・ストック

ウッド・ストックは情報の極めて少ないこの頃に
アメリカの当時のミュージックシーンを目の当たりにできたという意味で
衝撃的なドキュメンタリー映画でしたが、とてもハッピーな映画です。
一方の 映画イージー・ライダー が今回のお話になります。
この映画、40年ぶりくらいに二人で見ました。
この頃の映画にしてはリマスターのせいもあってか
きれいな映像でした。
この映画が最初に見たロードムービーです。
この後のロードムービーの定番になっていきますが
移動の時に流れるロックが良いです。
The Band の The Weight
1968年に The Band として Music From Big Pink をリリースした
翌年 1969年に作られた映画ですから
当時の最新のロックを取り入れています。
この映画気になることがあり 確認の為もあって再度見た理由
終わりの方 ニューオーリンズ・マルディグラ
LSD でトリップ状態の不思議な映像のなかに
一瞬最後のバイクが炎上している映像が挿入されます。
その映像が強く記憶に残っていましたが
僕の幻視だったのかもしれない いやそうじゃない
という不確かさ
でもやはりありました。イカリさんにも確認してもらいましたので。
最初、大金を手に入れて旅に出るときに
時計を投げ捨てます。
これが この映画の始まりです。
この映画を見た当時はよくわからなかったことですが
アメリカのごく日常的な暴力と狂気を描いています。
バイクやヒッピーや音楽や長髪ファッション?
いやむしろ アメリカの普通の潜在的な暴力性に恐怖を感じます。
最近見た映画 No Country for Old Men
これもアメリカの暴力と狂気を描いています。
モンスターのシガーは描写的には恐いですが
イージー・ライダーの何処にでもいる農夫や町の保安官のほうが
よっぽど恐い存在です。
No Country for Old Men はずっと残る映画ではないと思いますが
イージー・ライダーはこれからも残っていく映画でしょうね。
1969 Cinema Epoch
.....................................................................................................
また機会があれば書きますが
インディアンの立場から書かれた本や映画
”我が魂を聖地に埋めよ” ”小さな巨人” ”ダンス・ウイズ・ウルブス”
白人にとっても仲間であるはずの白人が最も恐い存在として描かれています。
.....................................................................................................
今回は1970年の出来事と映画イージー・ライダーについて書きました。
1970年大阪 は 次回後編 に続きます。
前回のブログ 1966 は こちら 京都1967 は こちら で
1970年1月1日0時0分0秒
を
「UNIX epoch(ユニックス・エポック)」と呼ぶ。
.....................................................................................................
そしてイカリさんと二人 drifters escape 逃避行の始まりです。
大淀区の下町の下宿
大家さんは
沖縄出身の気さくなおじさんとおばさんで
子だくさんの仲のいい家族が一階に住んでおりました。
ちょうど大阪万博で沖縄から親戚の方々とかがいつも大勢でこられ
毎晩 泡盛を飲み三線かき鳴らし陽気に踊っておりました。
2階が僕たち含めて3世帯
四畳半での生活が始まります。
.....................................................................................................
1970年3月14日から9月13日まで大阪万博
大阪にいて 一度も万博には行きませんでした。
興味がなかったことと、人の多い所が嫌い
昔から並ぶというのが嫌いなもので。
.....................................................................................................
3月31日 よど号ハイジャック事件
この時、下宿の近くの韓国出のおばさんがやっている
小さな焼き肉やさんで 友達とイカリさんと3人
テレビのニュースで報道している画面をみて
いろいろ喋っておりました。
カウンターの奥(といっても5席くらいなのでほぼ隣ですが)の
着流しの その筋の中年のかたが 話しかけてきました。
内容は憶えておりませんが 随分お話をしました。
その方は 帰りに僕の肩をたたいて挨拶をして出て行きました。
.....................................................................................................
4月8日 天神橋六丁目(天六)地下鉄工事現場のガス爆発事故
この時、イカリさんと二人すぐ近くにおりましたが
救急車やパトカーの慌ただしい走りに なにか事故でも起きたのかと
その方角に歩いていきましたが
すれ違う人達は皆けがをしており、大変なことでもおきたのかと
大きな通りに出ました。
その情景に思わず足がすくみました。
広い大きな通りでしたが 地下鉄工事のため
コンクリートブロックが道路一面に敷き詰めてありましたが
それが あちこち 縦に立っており
通行中の車が何台も落ちかけて煙をあげていました。
道路の真ん中にでっかいガスバーナーのように
大きな火柱が吹き上げていました。
戦場のような有様で、2次事故の恐れも心配して
早々にその場を立ち去りました。
帰ってラジオを聞くたびに死者の数が増え
結果、死者79名、重軽傷者420名の大惨事であったようです。
.....................................................................................................
11月25日 三島由紀夫 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自殺
大阪梅田のビルに一階にある古本屋さんにいました。
どんより曇った夕方だったと思います。
古本屋の主と、知り合いか馴染みの客かと二人で
ラジオの報道に耳をかたむけていました。
ラジオのボリュームも次第に大きくなり
なにか 大きな事件が起きているような殺気立った報道でした。
市ヶ谷自衛隊総監部からの実況中継の生々しい報道でした。
うやむやとしたその時の暗い気持ちを今でも思い出します。
??斧がわたしの首を断ち落とす前に 私の中で死んでいった美しい少年
.....................................................................................................
前のブログにも書きましたが1970年代は
あらゆる分野でバランスを失っていく年代です。
インディアン、ホピ族のことばで「 バランスを失った世界」という意味の
フランシス・フォード・コッポラの映画『コヤニスカッティ』
この映画についてはまたの機会に書きます。
.....................................................................................................
この年に映画館で見た映画
イージー・ライダーとウッド・ストック

ウッド・ストックは情報の極めて少ないこの頃に
アメリカの当時のミュージックシーンを目の当たりにできたという意味で
衝撃的なドキュメンタリー映画でしたが、とてもハッピーな映画です。
一方の 映画イージー・ライダー が今回のお話になります。
この映画、40年ぶりくらいに二人で見ました。
この頃の映画にしてはリマスターのせいもあってか
きれいな映像でした。
この映画が最初に見たロードムービーです。
この後のロードムービーの定番になっていきますが
移動の時に流れるロックが良いです。
The Band の The Weight
1968年に The Band として Music From Big Pink をリリースした
翌年 1969年に作られた映画ですから
当時の最新のロックを取り入れています。
この映画気になることがあり 確認の為もあって再度見た理由
終わりの方 ニューオーリンズ・マルディグラ
LSD でトリップ状態の不思議な映像のなかに
一瞬最後のバイクが炎上している映像が挿入されます。
その映像が強く記憶に残っていましたが
僕の幻視だったのかもしれない いやそうじゃない
という不確かさ
でもやはりありました。イカリさんにも確認してもらいましたので。
最初、大金を手に入れて旅に出るときに
時計を投げ捨てます。
これが この映画の始まりです。
この映画を見た当時はよくわからなかったことですが
アメリカのごく日常的な暴力と狂気を描いています。
バイクやヒッピーや音楽や長髪ファッション?
いやむしろ アメリカの普通の潜在的な暴力性に恐怖を感じます。
最近見た映画 No Country for Old Men
これもアメリカの暴力と狂気を描いています。
モンスターのシガーは描写的には恐いですが
イージー・ライダーの何処にでもいる農夫や町の保安官のほうが
よっぽど恐い存在です。
No Country for Old Men はずっと残る映画ではないと思いますが
イージー・ライダーはこれからも残っていく映画でしょうね。
1969 Cinema Epoch
.....................................................................................................
また機会があれば書きますが
インディアンの立場から書かれた本や映画
”我が魂を聖地に埋めよ” ”小さな巨人” ”ダンス・ウイズ・ウルブス”
白人にとっても仲間であるはずの白人が最も恐い存在として描かれています。
.....................................................................................................
今回は1970年の出来事と映画イージー・ライダーについて書きました。
1970年大阪 は 次回後編 に続きます。
前回のブログ 1966 は こちら 京都1967 は こちら で
2008年10月24日
白い夢
大好きな作家 レイ・ブラッドベリ
十月はたそがれの国 (The October Country)
十月の旅人 (The October Game and Other Stories)
と十月の付く2冊の短編集を出しています。
たそがれの国を旅するには十月が良い。
..................................................................................................................
眠りが深くなるせいか
十月は夢をよく見ます。
.....................................................................................
さて ある時見た夢のお話です。

人気のない薄暗い古本屋さんに入りました。
埃にまみれ山積みにされた本のかたわらの
ある一冊の本に眼が止まります。
それは 表紙にタイトルも何も印刷されていない
白いハードカバーの
ノートか日誌のような本でした。
パラパラとめくりましたが
その本の前半のページには
何も書かれていませんでした。
後半のページには何かが書かれていたように思いますが
何が書かれていたのかは思い出せません。
ただ、前半の空白のページには
僕が何かを書かなければいけないように思えましたが
その 僕が書いた内容によって
後半のすでに書かれていることの内容が
リンクし変容して書き換えられていくように思えました。
そういう夢でしたが
今でもはっきりと憶えています。
今の生き方いかんで
あとの人生は変わっていくんだよ。
と いうような 僕への忠告のような
夢だったように思えます。
................................................................................................................
次に 亀岡の友人 K が語ってくれた夢のお話です。
子供たちがいっぱい集まって凧揚げしとるんや。
みんなで凧揚げて競い合っとるんやけど
それはな
誰の凧が あの青い空の あの深い青に
染めあげるかという 競争やったんや。
と
みなさんはどう思われますか?
僕はこう思いました。
いかにして凧を高くあげるか とか
いかに青く染めようと努力しようとか
でなく
凧を真っ白にすることによって
自然に凧は空の青の深さを吸収するのではないか
と。
以前はよく詩を書いていましたが
自分なりのスタンスというかやり方があります。
追えば追うほど逃げていくのが夢なのですが
詩も書こうと気負うと言葉は消えていきます。
無心になること。
心を空白にすることで
イメージが入り込んできます。
物理的な平均化の法則でもありますが
水は高いところから低いところへ流れます。
熱いものは冷たさの方へ熱を移動させます。
心の動きもそのようなものかもしれません。
イカリさん このブログを読んでこう言いました。
夢の話は 前にも聞いたことあるけど
これで わかった!
謎が解けた。
だから あなたの 頭(頭髪のこと)は
白いんだ!
と
僕は
頭の中が
真っ白になりました。
もう 寝よっと。
夢のお話は3回目になります。
前回の夢ブログは
こちら と こちら で
夢の扉です。
十月はたそがれの国 (The October Country)
十月の旅人 (The October Game and Other Stories)
と十月の付く2冊の短編集を出しています。
たそがれの国を旅するには十月が良い。
..................................................................................................................
眠りが深くなるせいか
十月は夢をよく見ます。
.....................................................................................
さて ある時見た夢のお話です。

人気のない薄暗い古本屋さんに入りました。
埃にまみれ山積みにされた本のかたわらの
ある一冊の本に眼が止まります。
それは 表紙にタイトルも何も印刷されていない
白いハードカバーの
ノートか日誌のような本でした。
パラパラとめくりましたが
その本の前半のページには
何も書かれていませんでした。
後半のページには何かが書かれていたように思いますが
何が書かれていたのかは思い出せません。
ただ、前半の空白のページには
僕が何かを書かなければいけないように思えましたが
その 僕が書いた内容によって
後半のすでに書かれていることの内容が
リンクし変容して書き換えられていくように思えました。
そういう夢でしたが
今でもはっきりと憶えています。
今の生き方いかんで
あとの人生は変わっていくんだよ。
と いうような 僕への忠告のような
夢だったように思えます。
................................................................................................................
次に 亀岡の友人 K が語ってくれた夢のお話です。
子供たちがいっぱい集まって凧揚げしとるんや。
みんなで凧揚げて競い合っとるんやけど
それはな
誰の凧が あの青い空の あの深い青に
染めあげるかという 競争やったんや。
と
みなさんはどう思われますか?
僕はこう思いました。
いかにして凧を高くあげるか とか
いかに青く染めようと努力しようとか
でなく
凧を真っ白にすることによって
自然に凧は空の青の深さを吸収するのではないか
と。
以前はよく詩を書いていましたが
自分なりのスタンスというかやり方があります。
追えば追うほど逃げていくのが夢なのですが
詩も書こうと気負うと言葉は消えていきます。
無心になること。
心を空白にすることで
イメージが入り込んできます。
物理的な平均化の法則でもありますが
水は高いところから低いところへ流れます。
熱いものは冷たさの方へ熱を移動させます。
心の動きもそのようなものかもしれません。
イカリさん このブログを読んでこう言いました。
夢の話は 前にも聞いたことあるけど
これで わかった!
謎が解けた。
だから あなたの 頭(頭髪のこと)は
白いんだ!
と
僕は
頭の中が
真っ白になりました。
もう 寝よっと。
夢のお話は3回目になります。
前回の夢ブログは
こちら と こちら で
夢の扉です。
2008年09月15日
my blueberry nights
my blueberry nights
レンタルショップで新作を借りた。
レンタルショップでDVDを借りることはあまりないのだが。
というのも 捜すのがとてもおっくうなので。
僕は監督で映画を選ぶので
アクションや恋愛ものといったコーナー分けでは
目的のものを探し当てるのにとても時間がかかる。
だから 借りずに帰ることの方が多い。
一度 店員さんに尋ねたことがある。
”テオ・アンゲロプロスの映画はありますか?”
その人
”エ? 手を上げろポリスですか?”
それ以来 聞くことをやめた。
今回は新作なので 捜さなくてもすぐわかる。

my blueberry nightsという映画
Wong Kar Wai ウォン・カーウァイ監督
Norah Jones主演で他のキャストも良い
そしてなにより 音楽が良い。
Norah Jones、 Cat Power、Ry Cooder, Cassandra Wilson,Otis Redding
とくれば 見るしかない。
ウォン・カーウァイ監督の映画で最初に見たのが
恋する惑星
それから 花様年華 と 2046 だけ
あまり見ていないけど どれも良かった。
撮影手法と色使いと音楽の使い方が抜群にうまい。
というか 自分好みということか。
さてこの映画
アメリカで撮影されていますが
どこか香港や上海でのいままでの映画のようなカラーで
ウォン・カーウァイ的映像になっています。
ハイスピードや駒落とし を効果的に使い
色は彩度の高い美しい映像です。
この監督は中国の狭いアパートの室内で
カメラを横に移動して撮影することが多いですが
広いアメリカでの今回の映画 でも
同じようなカメラワークで どこか人の匂いを感じさせる映像です。
ロードムービー風な映画ですが
いつものように 人と人の寂しい距離感を描いています。
その距離は カウンターであったり
手紙であったり伝票や鍵と扉であったりしますが
”私たちの時間を伝票にしてあなたに送るわ”
という手紙の一行に集約されています。
手紙は残る、伝票も残る、鍵も残る
そして 思い出 も 心の中に残る
今はもう その人に逢えなくても
数少ない履歴と 思い出だけが残っている。
美しい映像と 人の思い出と 静かな音楽
そんな 内的なロードムービーでした。
ベガスへの荒野を車で走る時の Ry Cooderの音楽
カフェでの Cat Power の The Greatest
夢二のテーマのハーモニカ・ヴァージョン
バーでの Otis Redding の Try a Little Tenderness
Cassandra Wilson の Harvest Moon
どれもよかった。
アンプにつないで見るべき映画です。
女性を描くのがうまい監督ですが
Rachel Weiszがよかったですね。
イカリさんもお気に入りでした。
男の寂しい孤独を描くのもうまく
DAVID STRATHAIRNがなんとも良かったです。
それと CAT POWER の Chan Marshall が
昔の恋人役で出てきたのもうれしい。
高架を過ぎていく電車が挿入されますが
どこか バクダット・カフェの
ハイウエイを過ぎるトレイラーの映像を思い出す。
アート&ミュージックなセンスを感じる映画なので
一度 見てください。
では。
レンタルショップで新作を借りた。
レンタルショップでDVDを借りることはあまりないのだが。
というのも 捜すのがとてもおっくうなので。
僕は監督で映画を選ぶので
アクションや恋愛ものといったコーナー分けでは
目的のものを探し当てるのにとても時間がかかる。
だから 借りずに帰ることの方が多い。
一度 店員さんに尋ねたことがある。
”テオ・アンゲロプロスの映画はありますか?”
その人
”エ? 手を上げろポリスですか?”
それ以来 聞くことをやめた。
今回は新作なので 捜さなくてもすぐわかる。

my blueberry nightsという映画
Wong Kar Wai ウォン・カーウァイ監督
Norah Jones主演で他のキャストも良い
そしてなにより 音楽が良い。
Norah Jones、 Cat Power、Ry Cooder, Cassandra Wilson,Otis Redding
とくれば 見るしかない。
ウォン・カーウァイ監督の映画で最初に見たのが
恋する惑星
それから 花様年華 と 2046 だけ
あまり見ていないけど どれも良かった。
撮影手法と色使いと音楽の使い方が抜群にうまい。
というか 自分好みということか。
さてこの映画
アメリカで撮影されていますが
どこか香港や上海でのいままでの映画のようなカラーで
ウォン・カーウァイ的映像になっています。
ハイスピードや駒落とし を効果的に使い
色は彩度の高い美しい映像です。
この監督は中国の狭いアパートの室内で
カメラを横に移動して撮影することが多いですが
広いアメリカでの今回の映画 でも
同じようなカメラワークで どこか人の匂いを感じさせる映像です。
ロードムービー風な映画ですが
いつものように 人と人の寂しい距離感を描いています。
その距離は カウンターであったり
手紙であったり伝票や鍵と扉であったりしますが
”私たちの時間を伝票にしてあなたに送るわ”
という手紙の一行に集約されています。
手紙は残る、伝票も残る、鍵も残る
そして 思い出 も 心の中に残る
今はもう その人に逢えなくても
数少ない履歴と 思い出だけが残っている。
美しい映像と 人の思い出と 静かな音楽
そんな 内的なロードムービーでした。
ベガスへの荒野を車で走る時の Ry Cooderの音楽
カフェでの Cat Power の The Greatest
夢二のテーマのハーモニカ・ヴァージョン
バーでの Otis Redding の Try a Little Tenderness
Cassandra Wilson の Harvest Moon
どれもよかった。
アンプにつないで見るべき映画です。
女性を描くのがうまい監督ですが
Rachel Weiszがよかったですね。
イカリさんもお気に入りでした。
男の寂しい孤独を描くのもうまく
DAVID STRATHAIRNがなんとも良かったです。
それと CAT POWER の Chan Marshall が
昔の恋人役で出てきたのもうれしい。
高架を過ぎていく電車が挿入されますが
どこか バクダット・カフェの
ハイウエイを過ぎるトレイラーの映像を思い出す。
アート&ミュージックなセンスを感じる映画なので
一度 見てください。
では。
2008年07月29日
京都1967
さて Kyoto Revisited Album Vol.2 になります。
その前に 1966 で書き忘れたことをひとつ
アルバイトを終えて、夜 帰りに
うどん屋さんに入り、うどんを食べていた時のこと
テレビの生の中継放送でビートルズの来日東京公演をやってました。
当然うどん一杯で最後まで見てました。
1966年6月でしょうか?梅雨時で雨が降っていたと記憶しています。
前回のブログ 1966 の続き 第二弾になりますので
初めての方は こちら を まず ご覧ください。
では1967に話を戻します。
下鴨高木町の下宿で1年くらい生活し
上賀茂に下宿を移ります。
生協の軽のトラック1台分の荷物は
布団と机と衣類と本くらいのものでした。
1969年までこの下宿におりました。
離れの縁側と床の間のついた広い部屋だったため
みんなのたまり場になりました。
この下宿のおばさんは看護婦長あがりの
サバサバした方で随分お世話になりました。
アルバイトでためたお金でステレオを買いました。
Pioneer の C-300というブックシェルフ型の
セパレートタイプのコンパクトなもので
レシーバーアンプは真空管方式。
これはずっと長く使いましたが今はもうありません。
なぜか取扱説明書だけが手元に残っています。
この頃の喫茶店にはたいがいジュークボックスが置いてあり
ジュークボックス・ランボオことボブ・ディランの
Like A RollingStone をいつもかけました。
コインをいれるとカラカラカラカラとドーナツ盤をとりにいき
セットされてプレイされるまでの あの時間が好きでした。
この頃見た映画で印象にのこっているものは
アルジェの戦い ジュリアーノ・モンタルド監督
質屋 シドニー・ルメット監督
いずれも白黒の映画で、もう一度見てみたい映画です。
あと アポロンの地獄 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督も
自主上映とかやっていた頃で、映画は大きな楽しみであり
中身の濃い映画がたくさん作られた時代です。
アメリカンニューシネマが出てくる前になりますが。
ゴダールやパゾリーニなどヨーロッパ系のシネマが多かったですね。
この頃ディランは Blonde on Blonde をリリースしたあと
バイクで事故をおこし、僕たちにとっては消息不明のまま
伝説の中に隠れていったように思っていましたが
ウッドストックで The Band とともに次の 場(ステージ)に向かって
静かに醗酵していた時期だったようです。

Blonde on Blonde でほぼ完成し燃焼しきったディランは
ランボオが詩を捨ててアデンに徒歩で向かったように
ひたすら身を隠し、地下室で The Basement Tapeに録音していたのでしょう。
ところで I'm not There という映画が公開されていますが
こちら ローカルなので放映している映画館がありません。
DVD発売を待つしかありません。
この映画のタイトル曲 I'm not There は ちょうどこの1968年ころの録音だと思われます。
The Basement Tapes のCDの中には入っていませんが
サウンドは間違いなくこの頃のもので
The Band と一緒にやっています。
I'm not Thereは
ブートレグレコードで1970年頃に随分聞きましたが
VD WALTZ というブートレグに入っています。

おなじみ ブタマーク TMOQ は今や 伝説の ブランドとなっています。
無地のジャケットに最初はスタンプだけでしたが
そのうちシールとモノクロコピーが付くようになります。
ブートレグのレコードに関しては次回大阪がメインの舞台になります。
最近改めて The Basement Tapes をCDで聞きました。
当時は Blonde on Blonde の余波でピンとこなかったけど
今聞くとすごく良いですね。
The Band の1968年のファーストアルバムはこの延長線上にあります。
この The Basement Tapes は Blonde on Blonde以前の
ディランの曲のイメージは微塵もない。
The Bandの影響もあってか この頃から裏声が登場し
John Wesley Harding Nashville Skyline Self Portrait
の歌い方に変わっていきます。
その後、公に姿をあらわしたのが
1968年 の Woody Guthrie Memorial Concert
他のミュージシャンがアコースティックに演奏している中
The Band とエレクトリックにガンガン
そして がなりたてるように歌っていますが
とても 好きな ライブ です。
みんなが まだカレッジ・フォークの ヌルい浴槽 につかっているころに
彼は すでに 荒波の大海へと船出をしている というような 対比です。
<僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい>

ポール・ニザン「アデンアラビア」の冒頭の一節です。
ランボオとポール・ニザンとアルジェとディランが
混ぜ合わさった感の上賀茂の部屋でした。
Dylanのアルバム Bringing It All Back Home の中の
It's All Over Now, Baby Blue の中で
This sky, too, is folding under you
この空でさえ あんたの足元へ折り畳まれていき
The carpet, too, is moving under you
カーペットでさえ あんたの足元では動いているんだぜ
とアジテートし
そして
Strike another match, go start anew
And it's all over now, Baby Blue.
新しいマッチを擦って 新しく始めようじゃないか
全ては終わったんだぜ ベイビー ブルー
と締めくくります。
次のアルバム Highway 61 Revisited の
Ballad Of A Thin Man ”やせっぽっちのバラード”の一節では
Because something is happening here
But you don't know what it is
Do you, Mister Jones?
何かが今ここで起きようとしている。
そのことがいったい何なのか解るかい?
ジョーンズさん
とディランはオルガンとピアノの不気味な旋律で歌います。
この時代を象徴しているこれらの歌の内容を
当時はまだ皆が理解できなかったように思う。
1970年まではいろんなことが あらゆるところで 同時に 起き、
蠢き、混沌 としながらも加速していくスピードに
快感をおぼえているような
刺激的でハッピーな時代だったような気がします。
1970年代は色々な事件や事故が起き
全てのものがバランスを失い始め
人々は自分へと帰っていくような
Bringing It All Back Home な
年代であったように思います。
次は 第三弾1969年大阪
第四弾 京都岡崎
そして 第五弾 北白川伊織町の銀月アパート へと続きます。
どこか ロード・ムービー風なブログになってきましたね
では
つづく。
Hobo's ZenBeat に関してはこちらで
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
その前に 1966 で書き忘れたことをひとつ
アルバイトを終えて、夜 帰りに
うどん屋さんに入り、うどんを食べていた時のこと
テレビの生の中継放送でビートルズの来日東京公演をやってました。
当然うどん一杯で最後まで見てました。
1966年6月でしょうか?梅雨時で雨が降っていたと記憶しています。
前回のブログ 1966 の続き 第二弾になりますので
初めての方は こちら を まず ご覧ください。
では1967に話を戻します。
下鴨高木町の下宿で1年くらい生活し
上賀茂に下宿を移ります。
生協の軽のトラック1台分の荷物は
布団と机と衣類と本くらいのものでした。
1969年までこの下宿におりました。
離れの縁側と床の間のついた広い部屋だったため
みんなのたまり場になりました。
この下宿のおばさんは看護婦長あがりの
サバサバした方で随分お世話になりました。
アルバイトでためたお金でステレオを買いました。
Pioneer の C-300というブックシェルフ型の
セパレートタイプのコンパクトなもので
レシーバーアンプは真空管方式。
これはずっと長く使いましたが今はもうありません。
なぜか取扱説明書だけが手元に残っています。
この頃の喫茶店にはたいがいジュークボックスが置いてあり
ジュークボックス・ランボオことボブ・ディランの
Like A RollingStone をいつもかけました。
コインをいれるとカラカラカラカラとドーナツ盤をとりにいき
セットされてプレイされるまでの あの時間が好きでした。
この頃見た映画で印象にのこっているものは
アルジェの戦い ジュリアーノ・モンタルド監督
質屋 シドニー・ルメット監督
いずれも白黒の映画で、もう一度見てみたい映画です。
あと アポロンの地獄 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督も
自主上映とかやっていた頃で、映画は大きな楽しみであり
中身の濃い映画がたくさん作られた時代です。
アメリカンニューシネマが出てくる前になりますが。
ゴダールやパゾリーニなどヨーロッパ系のシネマが多かったですね。
この頃ディランは Blonde on Blonde をリリースしたあと
バイクで事故をおこし、僕たちにとっては消息不明のまま
伝説の中に隠れていったように思っていましたが
ウッドストックで The Band とともに次の 場(ステージ)に向かって
静かに醗酵していた時期だったようです。

Blonde on Blonde でほぼ完成し燃焼しきったディランは
ランボオが詩を捨ててアデンに徒歩で向かったように
ひたすら身を隠し、地下室で The Basement Tapeに録音していたのでしょう。
ところで I'm not There という映画が公開されていますが
こちら ローカルなので放映している映画館がありません。
DVD発売を待つしかありません。
この映画のタイトル曲 I'm not There は ちょうどこの1968年ころの録音だと思われます。
The Basement Tapes のCDの中には入っていませんが
サウンドは間違いなくこの頃のもので
The Band と一緒にやっています。
I'm not Thereは
ブートレグレコードで1970年頃に随分聞きましたが
VD WALTZ というブートレグに入っています。

おなじみ ブタマーク TMOQ は今や 伝説の ブランドとなっています。
無地のジャケットに最初はスタンプだけでしたが
そのうちシールとモノクロコピーが付くようになります。
ブートレグのレコードに関しては次回大阪がメインの舞台になります。
最近改めて The Basement Tapes をCDで聞きました。
当時は Blonde on Blonde の余波でピンとこなかったけど
今聞くとすごく良いですね。
The Band の1968年のファーストアルバムはこの延長線上にあります。
この The Basement Tapes は Blonde on Blonde以前の
ディランの曲のイメージは微塵もない。
The Bandの影響もあってか この頃から裏声が登場し
John Wesley Harding Nashville Skyline Self Portrait
の歌い方に変わっていきます。
その後、公に姿をあらわしたのが
1968年 の Woody Guthrie Memorial Concert
他のミュージシャンがアコースティックに演奏している中
The Band とエレクトリックにガンガン
そして がなりたてるように歌っていますが
とても 好きな ライブ です。
みんなが まだカレッジ・フォークの ヌルい浴槽 につかっているころに
彼は すでに 荒波の大海へと船出をしている というような 対比です。
<僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい>

ポール・ニザン「アデンアラビア」の冒頭の一節です。
ランボオとポール・ニザンとアルジェとディランが
混ぜ合わさった感の上賀茂の部屋でした。
Dylanのアルバム Bringing It All Back Home の中の
It's All Over Now, Baby Blue の中で
This sky, too, is folding under you
この空でさえ あんたの足元へ折り畳まれていき
The carpet, too, is moving under you
カーペットでさえ あんたの足元では動いているんだぜ
とアジテートし
そして
Strike another match, go start anew
And it's all over now, Baby Blue.
新しいマッチを擦って 新しく始めようじゃないか
全ては終わったんだぜ ベイビー ブルー
と締めくくります。
次のアルバム Highway 61 Revisited の
Ballad Of A Thin Man ”やせっぽっちのバラード”の一節では
Because something is happening here
But you don't know what it is
Do you, Mister Jones?
何かが今ここで起きようとしている。
そのことがいったい何なのか解るかい?
ジョーンズさん
とディランはオルガンとピアノの不気味な旋律で歌います。
この時代を象徴しているこれらの歌の内容を
当時はまだ皆が理解できなかったように思う。
1970年まではいろんなことが あらゆるところで 同時に 起き、
蠢き、混沌 としながらも加速していくスピードに
快感をおぼえているような
刺激的でハッピーな時代だったような気がします。
1970年代は色々な事件や事故が起き
全てのものがバランスを失い始め
人々は自分へと帰っていくような
Bringing It All Back Home な
年代であったように思います。
次は 第三弾1969年大阪
第四弾 京都岡崎
そして 第五弾 北白川伊織町の銀月アパート へと続きます。
どこか ロード・ムービー風なブログになってきましたね
では
つづく。
Hobo's ZenBeat に関してはこちらで
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
2008年06月27日
和紙T
助田茂蔵じいちゃんの野の花プリント
前回予告の和紙バージョンです。
インクジェットプリンターによる
和紙のTシャツ、ハンカチ、ティーマットへのプリントです。
オオマツヨイグサ/20cm角ティーマット
額にいれても素敵です。

拡大画像です。

ショウジョウバカマ/女性用淡いブルーT

サルトリイバラ/29cm角のハンカチ

葉鶏頭/29cm角のハンカチ

ショウジョウバカマ/29cm角のハンカチ

和紙の素材はシャリっとしていて気持ちよいです。
インクジェットのインクもきれいに載ります。
協和テキスタイルさんが何年もかかって開発されたこの素材
四国で作られた和紙を使っているようで
四国産の和紙はうすくて糸にするのに適しているそうです。
清楚な助田茂蔵じいちゃんの野の花は
和紙によくなじんで
小さな額に入れて飾るのもよいです。
Tシャツに関するお問い合わせご注文は
〒916-0047
鯖江市柳町2丁目3-13
野の花の会 助田篤郎 様
TEL 0778-51-0222
までお願いいたします。
シルクスクリーン製版、プリント、企画、デザイン
よさこい衣装製作、大旗に関する
お問い合わせ、ご注文はこちらまで
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
前回予告の和紙バージョンです。
インクジェットプリンターによる
和紙のTシャツ、ハンカチ、ティーマットへのプリントです。
オオマツヨイグサ/20cm角ティーマット
額にいれても素敵です。

拡大画像です。

ショウジョウバカマ/女性用淡いブルーT

サルトリイバラ/29cm角のハンカチ

葉鶏頭/29cm角のハンカチ

ショウジョウバカマ/29cm角のハンカチ

和紙の素材はシャリっとしていて気持ちよいです。
インクジェットのインクもきれいに載ります。
協和テキスタイルさんが何年もかかって開発されたこの素材
四国で作られた和紙を使っているようで
四国産の和紙はうすくて糸にするのに適しているそうです。
清楚な助田茂蔵じいちゃんの野の花は
和紙によくなじんで
小さな額に入れて飾るのもよいです。
Tシャツに関するお問い合わせご注文は
〒916-0047
鯖江市柳町2丁目3-13
野の花の会 助田篤郎 様
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までお願いいたします。
シルクスクリーン製版、プリント、企画、デザイン
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オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
2008年06月21日
野の花T 2008
助田茂蔵じいちゃんの野の花Tシャツ
2008年バージョンです。
インクジェットプリンターによる
4パターンのサンプルが出来上がりました。
2007年に助田茂蔵じいちゃんが描かれた野の花の絵です。
アサガオ

オオマツヨイグサ

コスモス

サルトリイバラ

この4点を追加いたしました。
Tシャツは 勿論、久米繊維謹製
去年、大好評の
生成 オーガニックTシャツ と
白の 楽Tシャツの 2種類です。

去年のTシャツの柄は こちら をご覧ください。
去年の柄をご希望の方はご連絡いただければ
プリントいたします。
また、和紙のTシャツへのプリントも
企画しております。
サンプルができましたらまたブログにてご紹介いたします。
和紙のTシャツは
ひんやり、シャリシャリしていて
これからの暑い季節には最適かなと思われます。
Tシャツに関するお問い合わせご注文は
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2008年バージョンです。
インクジェットプリンターによる
4パターンのサンプルが出来上がりました。
2007年に助田茂蔵じいちゃんが描かれた野の花の絵です。
アサガオ

オオマツヨイグサ

コスモス

サルトリイバラ

この4点を追加いたしました。
Tシャツは 勿論、久米繊維謹製
去年、大好評の
生成 オーガニックTシャツ と
白の 楽Tシャツの 2種類です。

去年のTシャツの柄は こちら をご覧ください。
去年の柄をご希望の方はご連絡いただければ
プリントいたします。
また、和紙のTシャツへのプリントも
企画しております。
サンプルができましたらまたブログにてご紹介いたします。
和紙のTシャツは
ひんやり、シャリシャリしていて
これからの暑い季節には最適かなと思われます。
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