2008年11月17日
1970 大阪-後編
1970年大阪 後編です。
大淀区のその下宿
梅田から歩いて15分から20分
阪急東通商店街の通りを通って帰ります。
居酒屋や雑貨屋やアダルト店頭を抜け
その通りが終わるところにその店はありました。
LPコーナー
という レコード屋さん
今は閉店廃業と聞きました とても残念です。
下宿からは10分くらいなのでいつも自転車でレコード漁り

1969年に世界で初めて ブートレグ・レコードが出ます。
Bob Dylan の Great White Wonder です。
TMQあるいはTMOQ( Trademark Of Quality)ラベル
おなじみの ブタ・マーク PIG Labelです。
ちょうどディランが活動していない頃なので
そういうタイミングでもあったのかもしれませんが。

白ジャケットにスタンプ押し
レコード盤は黒は少なく オレンジやグリーンやブルーや黄色で
オイルショック前ですから分厚い盤でした。
(1973年オイルクライシス oil crisis 以降、年々盤厚は薄くなります)

1970年大阪ですから
LPコーナーの棚には沢山のディランのブートがありました。
僕は毎日のように買いにいきました。
通常のレコードが2000円くらいで
ブートレグは2500円くらいだったとおもいます。
ちなみに、当時のアルバイト料時間給200円くらい
僕のアルバイト料は時間400円
ディラン初期(デビュー前)から1967年くらいまでの音源で
録音、プレスの状態も良いものが多いです。
..............................................................................................
さて大阪から神戸は近いので
よくイカリさんと二人で神戸に遊びにいきました。
輸入雑貨店が多く この頃
LODGE社のスキレット(フライパン) 9インチを買いました。
それは40年近く経った今に至るまで毎日使っています。
福井に帰ってからもこの手の日本製の物なども色々買いましたが
このロッジ社のものが一番使い勝手が良いです。

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京都最後の銀月アパートまで
トイレと水洗場は共同
風呂は銭湯、洗濯は手洗い
電話は呼び出し、テレビは無し
勿論 車 なんてないし それより 免許証が無い。
自転車は1台、いつも二人乗り
大阪に来て買った家電は小さな製氷機つきの真っ白な冷蔵庫だけ
銀月アパートまで 持っていた家財といえば
この冷蔵庫と拾ってきた自転車と
パイオニアのステレオ装置
芯上下式の小さな石油ストーブ、LODGE社のスキレット
次回、京都で買う SEBの圧力鍋
小さな一口ガスコンロ
それくらいでした。
そしてずーっとアルバイトで通しました。
必要以上に働かない。
大阪では一日4時間のアルバイト
(時間給400円ですから半分の4時間で充分でした)
でも 余分のお金はありません、家財も無い
ただ 時間だけは人より沢山持ってました。
これが 僕たちの 大きな財産でした。
テレビも電話も車も無ければ
それほど お金もいらないし その為に働く必要も無い。
下宿といっても 都市型賃貸コミューンみたいなもので
それなりのヒッピー的
生活でした。
今じゃ 全く逆の生活をしております。
家を持ち、車を持ち、携帯電話で何時でも何処でも電話をし
テレビを見て、お風呂に入り、掃除機で掃除、全自動洗濯機で洗濯し・・・・・・・
さて こういうのが豊かな生活だと思いますか?
いいえ それらを持ち それを維持していくために必死で働き
時間がない、お金がないと あくせくしているだけのように思えます。
豊かな生活とは 僕にとって
大阪や京都で生活していた20代の頃の
なにもないけど ヒナタボッコ
隣の部屋のおじさん、おばさんとオシャベリをし
好きな本を読み、レコード聞きながらコーヒーを入れる
そんな 時間 を持っていた 生活であるように思えます。
..............................................................................................
さて次回は 京都 Revisit となります
大阪ブログ Vol.1 は こちら
京都1966 は こちら
京都1967 は こちら
ウキオとイカリの 私的 My Back Pages シリーズ ですが。
2008年11月14日
1970 大阪 前編
1970 大阪-1
1970年1月1日0時0分0秒
を
「UNIX epoch(ユニックス・エポック)」と呼ぶ。
.....................................................................................................
そしてイカリさんと二人 drifters escape 逃避行の始まりです。
大淀区の下町の下宿
大家さんは
沖縄出身の気さくなおじさんとおばさんで
子だくさんの仲のいい家族が一階に住んでおりました。
ちょうど大阪万博で沖縄から親戚の方々とかがいつも大勢でこられ
毎晩 泡盛を飲み三線かき鳴らし陽気に踊っておりました。
2階が僕たち含めて3世帯
四畳半での生活が始まります。
.....................................................................................................
1970年3月14日から9月13日まで大阪万博
大阪にいて 一度も万博には行きませんでした。
興味がなかったことと、人の多い所が嫌い
昔から並ぶというのが嫌いなもので。
.....................................................................................................
3月31日 よど号ハイジャック事件
この時、下宿の近くの韓国出のおばさんがやっている
小さな焼き肉やさんで 友達とイカリさんと3人
テレビのニュースで報道している画面をみて
いろいろ喋っておりました。
カウンターの奥(といっても5席くらいなのでほぼ隣ですが)の
着流しの その筋の中年のかたが 話しかけてきました。
内容は憶えておりませんが 随分お話をしました。
その方は 帰りに僕の肩をたたいて挨拶をして出て行きました。
.....................................................................................................
4月8日 天神橋六丁目(天六)地下鉄工事現場のガス爆発事故
この時、イカリさんと二人すぐ近くにおりましたが
救急車やパトカーの慌ただしい走りに なにか事故でも起きたのかと
その方角に歩いていきましたが
すれ違う人達は皆けがをしており、大変なことでもおきたのかと
大きな通りに出ました。
その情景に思わず足がすくみました。
広い大きな通りでしたが 地下鉄工事のため
コンクリートブロックが道路一面に敷き詰めてありましたが
それが あちこち 縦に立っており
通行中の車が何台も落ちかけて煙をあげていました。
道路の真ん中にでっかいガスバーナーのように
大きな火柱が吹き上げていました。
戦場のような有様で、2次事故の恐れも心配して
早々にその場を立ち去りました。
帰ってラジオを聞くたびに死者の数が増え
結果、死者79名、重軽傷者420名の大惨事であったようです。
.....................................................................................................
11月25日 三島由紀夫 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自殺
大阪梅田のビルに一階にある古本屋さんにいました。
どんより曇った夕方だったと思います。
古本屋の主と、知り合いか馴染みの客かと二人で
ラジオの報道に耳をかたむけていました。
ラジオのボリュームも次第に大きくなり
なにか 大きな事件が起きているような殺気立った報道でした。
市ヶ谷自衛隊総監部からの実況中継の生々しい報道でした。
うやむやとしたその時の暗い気持ちを今でも思い出します。
斧がわたしの首を断ち落とす前に 私の中で死んでいった美しい少年
.....................................................................................................
前のブログにも書きましたが1970年代は
あらゆる分野でバランスを失っていく年代です。
インディアン、ホピ族のことばで「 バランスを失った世界」という意味の
フランシス・フォード・コッポラの映画『コヤニスカッティ』
この映画についてはまたの機会に書きます。
.....................................................................................................
この年に映画館で見た映画
イージー・ライダーとウッド・ストック

ウッド・ストックは情報の極めて少ないこの頃に
アメリカの当時のミュージックシーンを目の当たりにできたという意味で
衝撃的なドキュメンタリー映画でしたが、とてもハッピーな映画です。
一方の 映画イージー・ライダー が今回のお話になります。
この映画、40年ぶりくらいに二人で見ました。
この頃の映画にしてはリマスターのせいもあってか
きれいな映像でした。
この映画が最初に見たロードムービーです。
この後のロードムービーの定番になっていきますが
移動の時に流れるロックが良いです。
The Band の The Weight
1968年に The Band として Music From Big Pink をリリースした
翌年 1969年に作られた映画ですから
当時の最新のロックを取り入れています。
この映画気になることがあり 確認の為もあって再度見た理由
終わりの方 ニューオーリンズ・マルディグラ
LSD でトリップ状態の不思議な映像のなかに
一瞬最後のバイクが炎上している映像が挿入されます。
その映像が強く記憶に残っていましたが
僕の幻視だったのかもしれない いやそうじゃない
という不確かさ
でもやはりありました。イカリさんにも確認してもらいましたので。
最初、大金を手に入れて旅に出るときに
時計を投げ捨てます。
これが この映画の始まりです。
この映画を見た当時はよくわからなかったことですが
アメリカのごく日常的な暴力と狂気を描いています。
バイクやヒッピーや音楽や長髪ファッション?
いやむしろ アメリカの普通の潜在的な暴力性に恐怖を感じます。
最近見た映画 No Country for Old Men
これもアメリカの暴力と狂気を描いています。
モンスターのシガーは描写的には恐いですが
イージー・ライダーの何処にでもいる農夫や町の保安官のほうが
よっぽど恐い存在です。
No Country for Old Men はずっと残る映画ではないと思いますが
イージー・ライダーはこれからも残っていく映画でしょうね。
1969 Cinema Epoch
.....................................................................................................
また機会があれば書きますが
インディアンの立場から書かれた本や映画
”我が魂を聖地に埋めよ” ”小さな巨人” ”ダンス・ウイズ・ウルブス”
白人にとっても仲間であるはずの白人が最も恐い存在として描かれています。
.....................................................................................................
今回は1970年の出来事と映画イージー・ライダーについて書きました。
1970年大阪 は 次回後編 に続きます。
前回のブログ 1966 は こちら 京都1967 は こちら で
1970年1月1日0時0分0秒
を
「UNIX epoch(ユニックス・エポック)」と呼ぶ。
.....................................................................................................
そしてイカリさんと二人 drifters escape 逃避行の始まりです。
大淀区の下町の下宿
大家さんは
沖縄出身の気さくなおじさんとおばさんで
子だくさんの仲のいい家族が一階に住んでおりました。
ちょうど大阪万博で沖縄から親戚の方々とかがいつも大勢でこられ
毎晩 泡盛を飲み三線かき鳴らし陽気に踊っておりました。
2階が僕たち含めて3世帯
四畳半での生活が始まります。
.....................................................................................................
1970年3月14日から9月13日まで大阪万博
大阪にいて 一度も万博には行きませんでした。
興味がなかったことと、人の多い所が嫌い
昔から並ぶというのが嫌いなもので。
.....................................................................................................
3月31日 よど号ハイジャック事件
この時、下宿の近くの韓国出のおばさんがやっている
小さな焼き肉やさんで 友達とイカリさんと3人
テレビのニュースで報道している画面をみて
いろいろ喋っておりました。
カウンターの奥(といっても5席くらいなのでほぼ隣ですが)の
着流しの その筋の中年のかたが 話しかけてきました。
内容は憶えておりませんが 随分お話をしました。
その方は 帰りに僕の肩をたたいて挨拶をして出て行きました。
.....................................................................................................
4月8日 天神橋六丁目(天六)地下鉄工事現場のガス爆発事故
この時、イカリさんと二人すぐ近くにおりましたが
救急車やパトカーの慌ただしい走りに なにか事故でも起きたのかと
その方角に歩いていきましたが
すれ違う人達は皆けがをしており、大変なことでもおきたのかと
大きな通りに出ました。
その情景に思わず足がすくみました。
広い大きな通りでしたが 地下鉄工事のため
コンクリートブロックが道路一面に敷き詰めてありましたが
それが あちこち 縦に立っており
通行中の車が何台も落ちかけて煙をあげていました。
道路の真ん中にでっかいガスバーナーのように
大きな火柱が吹き上げていました。
戦場のような有様で、2次事故の恐れも心配して
早々にその場を立ち去りました。
帰ってラジオを聞くたびに死者の数が増え
結果、死者79名、重軽傷者420名の大惨事であったようです。
.....................................................................................................
11月25日 三島由紀夫 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自殺
大阪梅田のビルに一階にある古本屋さんにいました。
どんより曇った夕方だったと思います。
古本屋の主と、知り合いか馴染みの客かと二人で
ラジオの報道に耳をかたむけていました。
ラジオのボリュームも次第に大きくなり
なにか 大きな事件が起きているような殺気立った報道でした。
市ヶ谷自衛隊総監部からの実況中継の生々しい報道でした。
うやむやとしたその時の暗い気持ちを今でも思い出します。
斧がわたしの首を断ち落とす前に 私の中で死んでいった美しい少年
.....................................................................................................
前のブログにも書きましたが1970年代は
あらゆる分野でバランスを失っていく年代です。
インディアン、ホピ族のことばで「 バランスを失った世界」という意味の
フランシス・フォード・コッポラの映画『コヤニスカッティ』
この映画についてはまたの機会に書きます。
.....................................................................................................
この年に映画館で見た映画
イージー・ライダーとウッド・ストック

ウッド・ストックは情報の極めて少ないこの頃に
アメリカの当時のミュージックシーンを目の当たりにできたという意味で
衝撃的なドキュメンタリー映画でしたが、とてもハッピーな映画です。
一方の 映画イージー・ライダー が今回のお話になります。
この映画、40年ぶりくらいに二人で見ました。
この頃の映画にしてはリマスターのせいもあってか
きれいな映像でした。
この映画が最初に見たロードムービーです。
この後のロードムービーの定番になっていきますが
移動の時に流れるロックが良いです。
The Band の The Weight
1968年に The Band として Music From Big Pink をリリースした
翌年 1969年に作られた映画ですから
当時の最新のロックを取り入れています。
この映画気になることがあり 確認の為もあって再度見た理由
終わりの方 ニューオーリンズ・マルディグラ
LSD でトリップ状態の不思議な映像のなかに
一瞬最後のバイクが炎上している映像が挿入されます。
その映像が強く記憶に残っていましたが
僕の幻視だったのかもしれない いやそうじゃない
という不確かさ
でもやはりありました。イカリさんにも確認してもらいましたので。
最初、大金を手に入れて旅に出るときに
時計を投げ捨てます。
これが この映画の始まりです。
この映画を見た当時はよくわからなかったことですが
アメリカのごく日常的な暴力と狂気を描いています。
バイクやヒッピーや音楽や長髪ファッション?
いやむしろ アメリカの普通の潜在的な暴力性に恐怖を感じます。
最近見た映画 No Country for Old Men
これもアメリカの暴力と狂気を描いています。
モンスターのシガーは描写的には恐いですが
イージー・ライダーの何処にでもいる農夫や町の保安官のほうが
よっぽど恐い存在です。
No Country for Old Men はずっと残る映画ではないと思いますが
イージー・ライダーはこれからも残っていく映画でしょうね。
1969 Cinema Epoch
.....................................................................................................
また機会があれば書きますが
インディアンの立場から書かれた本や映画
”我が魂を聖地に埋めよ” ”小さな巨人” ”ダンス・ウイズ・ウルブス”
白人にとっても仲間であるはずの白人が最も恐い存在として描かれています。
.....................................................................................................
今回は1970年の出来事と映画イージー・ライダーについて書きました。
1970年大阪 は 次回後編 に続きます。
前回のブログ 1966 は こちら 京都1967 は こちら で
2008年10月24日
白い夢
大好きな作家 レイ・ブラッドベリ
十月はたそがれの国 (The October Country)
十月の旅人 (The October Game and Other Stories)
と十月の付く2冊の短編集を出しています。
たそがれの国を旅するには十月が良い。
..................................................................................................................
眠りが深くなるせいか
十月は夢をよく見ます。
.....................................................................................
さて ある時見た夢のお話です。

人気のない薄暗い古本屋さんに入りました。
埃にまみれ山積みにされた本のかたわらの
ある一冊の本に眼が止まります。
それは 表紙にタイトルも何も印刷されていない
白いハードカバーの
ノートか日誌のような本でした。
パラパラとめくりましたが
その本の前半のページには
何も書かれていませんでした。
後半のページには何かが書かれていたように思いますが
何が書かれていたのかは思い出せません。
ただ、前半の空白のページには
僕が何かを書かなければいけないように思えましたが
その 僕が書いた内容によって
後半のすでに書かれていることの内容が
リンクし変容して書き換えられていくように思えました。
そういう夢でしたが
今でもはっきりと憶えています。
今の生き方いかんで
あとの人生は変わっていくんだよ。
と いうような 僕への忠告のような
夢だったように思えます。
................................................................................................................
次に 亀岡の友人 K が語ってくれた夢のお話です。
子供たちがいっぱい集まって凧揚げしとるんや。
みんなで凧揚げて競い合っとるんやけど
それはな
誰の凧が あの青い空の あの深い青に
染めあげるかという 競争やったんや。
と
みなさんはどう思われますか?
僕はこう思いました。
いかにして凧を高くあげるか とか
いかに青く染めようと努力しようとか
でなく
凧を真っ白にすることによって
自然に凧は空の青の深さを吸収するのではないか
と。
以前はよく詩を書いていましたが
自分なりのスタンスというかやり方があります。
追えば追うほど逃げていくのが夢なのですが
詩も書こうと気負うと言葉は消えていきます。
無心になること。
心を空白にすることで
イメージが入り込んできます。
物理的な平均化の法則でもありますが
水は高いところから低いところへ流れます。
熱いものは冷たさの方へ熱を移動させます。
心の動きもそのようなものかもしれません。
イカリさん このブログを読んでこう言いました。
夢の話は 前にも聞いたことあるけど
これで わかった!
謎が解けた。
だから あなたの 頭(頭髪のこと)は
白いんだ!
と
僕は
頭の中が
真っ白になりました。
もう 寝よっと。
夢のお話は3回目になります。
前回の夢ブログは
こちら と こちら で
夢の扉です。
十月はたそがれの国 (The October Country)
十月の旅人 (The October Game and Other Stories)
と十月の付く2冊の短編集を出しています。
たそがれの国を旅するには十月が良い。
..................................................................................................................
眠りが深くなるせいか
十月は夢をよく見ます。
.....................................................................................
さて ある時見た夢のお話です。

人気のない薄暗い古本屋さんに入りました。
埃にまみれ山積みにされた本のかたわらの
ある一冊の本に眼が止まります。
それは 表紙にタイトルも何も印刷されていない
白いハードカバーの
ノートか日誌のような本でした。
パラパラとめくりましたが
その本の前半のページには
何も書かれていませんでした。
後半のページには何かが書かれていたように思いますが
何が書かれていたのかは思い出せません。
ただ、前半の空白のページには
僕が何かを書かなければいけないように思えましたが
その 僕が書いた内容によって
後半のすでに書かれていることの内容が
リンクし変容して書き換えられていくように思えました。
そういう夢でしたが
今でもはっきりと憶えています。
今の生き方いかんで
あとの人生は変わっていくんだよ。
と いうような 僕への忠告のような
夢だったように思えます。
................................................................................................................
次に 亀岡の友人 K が語ってくれた夢のお話です。
子供たちがいっぱい集まって凧揚げしとるんや。
みんなで凧揚げて競い合っとるんやけど
それはな
誰の凧が あの青い空の あの深い青に
染めあげるかという 競争やったんや。
と
みなさんはどう思われますか?
僕はこう思いました。
いかにして凧を高くあげるか とか
いかに青く染めようと努力しようとか
でなく
凧を真っ白にすることによって
自然に凧は空の青の深さを吸収するのではないか
と。
以前はよく詩を書いていましたが
自分なりのスタンスというかやり方があります。
追えば追うほど逃げていくのが夢なのですが
詩も書こうと気負うと言葉は消えていきます。
無心になること。
心を空白にすることで
イメージが入り込んできます。
物理的な平均化の法則でもありますが
水は高いところから低いところへ流れます。
熱いものは冷たさの方へ熱を移動させます。
心の動きもそのようなものかもしれません。
イカリさん このブログを読んでこう言いました。
夢の話は 前にも聞いたことあるけど
これで わかった!
謎が解けた。
だから あなたの 頭(頭髪のこと)は
白いんだ!
と
僕は
頭の中が
真っ白になりました。
もう 寝よっと。
夢のお話は3回目になります。
前回の夢ブログは
こちら と こちら で
夢の扉です。
2008年09月15日
my blueberry nights
my blueberry nights
レンタルショップで新作を借りた。
レンタルショップでDVDを借りることはあまりないのだが。
というのも 捜すのがとてもおっくうなので。
僕は監督で映画を選ぶので
アクションや恋愛ものといったコーナー分けでは
目的のものを探し当てるのにとても時間がかかる。
だから 借りずに帰ることの方が多い。
一度 店員さんに尋ねたことがある。
”テオ・アンゲロプロスの映画はありますか?”
その人
”エ? 手を上げろポリスですか?”
それ以来 聞くことをやめた。
今回は新作なので 捜さなくてもすぐわかる。

my blueberry nightsという映画
Wong Kar Wai ウォン・カーウァイ監督
Norah Jones主演で他のキャストも良い
そしてなにより 音楽が良い。
Norah Jones、 Cat Power、Ry Cooder, Cassandra Wilson,Otis Redding
とくれば 見るしかない。
ウォン・カーウァイ監督の映画で最初に見たのが
恋する惑星
それから 花様年華 と 2046 だけ
あまり見ていないけど どれも良かった。
撮影手法と色使いと音楽の使い方が抜群にうまい。
というか 自分好みということか。
さてこの映画
アメリカで撮影されていますが
どこか香港や上海でのいままでの映画のようなカラーで
ウォン・カーウァイ的映像になっています。
ハイスピードや駒落とし を効果的に使い
色は彩度の高い美しい映像です。
この監督は中国の狭いアパートの室内で
カメラを横に移動して撮影することが多いですが
広いアメリカでの今回の映画 でも
同じようなカメラワークで どこか人の匂いを感じさせる映像です。
ロードムービー風な映画ですが
いつものように 人と人の寂しい距離感を描いています。
その距離は カウンターであったり
手紙であったり伝票や鍵と扉であったりしますが
”私たちの時間を伝票にしてあなたに送るわ”
という手紙の一行に集約されています。
手紙は残る、伝票も残る、鍵も残る
そして 思い出 も 心の中に残る
今はもう その人に逢えなくても
数少ない履歴と 思い出だけが残っている。
美しい映像と 人の思い出と 静かな音楽
そんな 内的なロードムービーでした。
ベガスへの荒野を車で走る時の Ry Cooderの音楽
カフェでの Cat Power の The Greatest
夢二のテーマのハーモニカ・ヴァージョン
バーでの Otis Redding の Try a Little Tenderness
Cassandra Wilson の Harvest Moon
どれもよかった。
アンプにつないで見るべき映画です。
女性を描くのがうまい監督ですが
Rachel Weiszがよかったですね。
イカリさんもお気に入りでした。
男の寂しい孤独を描くのもうまく
DAVID STRATHAIRNがなんとも良かったです。
それと CAT POWER の Chan Marshall が
昔の恋人役で出てきたのもうれしい。
高架を過ぎていく電車が挿入されますが
どこか バクダット・カフェの
ハイウエイを過ぎるトレイラーの映像を思い出す。
アート&ミュージックなセンスを感じる映画なので
一度 見てください。
では。
レンタルショップで新作を借りた。
レンタルショップでDVDを借りることはあまりないのだが。
というのも 捜すのがとてもおっくうなので。
僕は監督で映画を選ぶので
アクションや恋愛ものといったコーナー分けでは
目的のものを探し当てるのにとても時間がかかる。
だから 借りずに帰ることの方が多い。
一度 店員さんに尋ねたことがある。
”テオ・アンゲロプロスの映画はありますか?”
その人
”エ? 手を上げろポリスですか?”
それ以来 聞くことをやめた。
今回は新作なので 捜さなくてもすぐわかる。

my blueberry nightsという映画
Wong Kar Wai ウォン・カーウァイ監督
Norah Jones主演で他のキャストも良い
そしてなにより 音楽が良い。
Norah Jones、 Cat Power、Ry Cooder, Cassandra Wilson,Otis Redding
とくれば 見るしかない。
ウォン・カーウァイ監督の映画で最初に見たのが
恋する惑星
それから 花様年華 と 2046 だけ
あまり見ていないけど どれも良かった。
撮影手法と色使いと音楽の使い方が抜群にうまい。
というか 自分好みということか。
さてこの映画
アメリカで撮影されていますが
どこか香港や上海でのいままでの映画のようなカラーで
ウォン・カーウァイ的映像になっています。
ハイスピードや駒落とし を効果的に使い
色は彩度の高い美しい映像です。
この監督は中国の狭いアパートの室内で
カメラを横に移動して撮影することが多いですが
広いアメリカでの今回の映画 でも
同じようなカメラワークで どこか人の匂いを感じさせる映像です。
ロードムービー風な映画ですが
いつものように 人と人の寂しい距離感を描いています。
その距離は カウンターであったり
手紙であったり伝票や鍵と扉であったりしますが
”私たちの時間を伝票にしてあなたに送るわ”
という手紙の一行に集約されています。
手紙は残る、伝票も残る、鍵も残る
そして 思い出 も 心の中に残る
今はもう その人に逢えなくても
数少ない履歴と 思い出だけが残っている。
美しい映像と 人の思い出と 静かな音楽
そんな 内的なロードムービーでした。
ベガスへの荒野を車で走る時の Ry Cooderの音楽
カフェでの Cat Power の The Greatest
夢二のテーマのハーモニカ・ヴァージョン
バーでの Otis Redding の Try a Little Tenderness
Cassandra Wilson の Harvest Moon
どれもよかった。
アンプにつないで見るべき映画です。
女性を描くのがうまい監督ですが
Rachel Weiszがよかったですね。
イカリさんもお気に入りでした。
男の寂しい孤独を描くのもうまく
DAVID STRATHAIRNがなんとも良かったです。
それと CAT POWER の Chan Marshall が
昔の恋人役で出てきたのもうれしい。
高架を過ぎていく電車が挿入されますが
どこか バクダット・カフェの
ハイウエイを過ぎるトレイラーの映像を思い出す。
アート&ミュージックなセンスを感じる映画なので
一度 見てください。
では。
2008年07月29日
京都1967
さて Kyoto Revisited Album Vol.2 になります。
その前に 1966 で書き忘れたことをひとつ
アルバイトを終えて、夜 帰りに
うどん屋さんに入り、うどんを食べていた時のこと
テレビの生の中継放送でビートルズの来日東京公演をやってました。
当然うどん一杯で最後まで見てました。
1966年6月でしょうか?梅雨時で雨が降っていたと記憶しています。
前回のブログ 1966 の続き 第二弾になりますので
初めての方は こちら を まず ご覧ください。
では1967に話を戻します。
下鴨高木町の下宿で1年くらい生活し
上賀茂に下宿を移ります。
生協の軽のトラック1台分の荷物は
布団と机と衣類と本くらいのものでした。
1969年までこの下宿におりました。
離れの縁側と床の間のついた広い部屋だったため
みんなのたまり場になりました。
この下宿のおばさんは看護婦長あがりの
サバサバした方で随分お世話になりました。
アルバイトでためたお金でステレオを買いました。
Pioneer の C-300というブックシェルフ型の
セパレートタイプのコンパクトなもので
レシーバーアンプは真空管方式。
これはずっと長く使いましたが今はもうありません。
なぜか取扱説明書だけが手元に残っています。
この頃の喫茶店にはたいがいジュークボックスが置いてあり
ジュークボックス・ランボオことボブ・ディランの
Like A RollingStone をいつもかけました。
コインをいれるとカラカラカラカラとドーナツ盤をとりにいき
セットされてプレイされるまでの あの時間が好きでした。
この頃見た映画で印象にのこっているものは
アルジェの戦い ジュリアーノ・モンタルド監督
質屋 シドニー・ルメット監督
いずれも白黒の映画で、もう一度見てみたい映画です。
あと アポロンの地獄 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督も
自主上映とかやっていた頃で、映画は大きな楽しみであり
中身の濃い映画がたくさん作られた時代です。
アメリカンニューシネマが出てくる前になりますが。
ゴダールやパゾリーニなどヨーロッパ系のシネマが多かったですね。
この頃ディランは Blonde on Blonde をリリースしたあと
バイクで事故をおこし、僕たちにとっては消息不明のまま
伝説の中に隠れていったように思っていましたが
ウッドストックで The Band とともに次の 場(ステージ)に向かって
静かに醗酵していた時期だったようです。

Blonde on Blonde でほぼ完成し燃焼しきったディランは
ランボオが詩を捨ててアデンに徒歩で向かったように
ひたすら身を隠し、地下室で The Basement Tapeに録音していたのでしょう。
ところで I'm not There という映画が公開されていますが
こちら ローカルなので放映している映画館がありません。
DVD発売を待つしかありません。
この映画のタイトル曲 I'm not There は ちょうどこの1968年ころの録音だと思われます。
The Basement Tapes のCDの中には入っていませんが
サウンドは間違いなくこの頃のもので
The Band と一緒にやっています。
I'm not Thereは
ブートレグレコードで1970年頃に随分聞きましたが
VD WALTZ というブートレグに入っています。

おなじみ ブタマーク TMOQ は今や 伝説の ブランドとなっています。
無地のジャケットに最初はスタンプだけでしたが
そのうちシールとモノクロコピーが付くようになります。
ブートレグのレコードに関しては次回大阪がメインの舞台になります。
最近改めて The Basement Tapes をCDで聞きました。
当時は Blonde on Blonde の余波でピンとこなかったけど
今聞くとすごく良いですね。
The Band の1968年のファーストアルバムはこの延長線上にあります。
この The Basement Tapes は Blonde on Blonde以前の
ディランの曲のイメージは微塵もない。
The Bandの影響もあってか この頃から裏声が登場し
John Wesley Harding Nashville Skyline Self Portrait
の歌い方に変わっていきます。
その後、公に姿をあらわしたのが
1968年 の Woody Guthrie Memorial Concert
他のミュージシャンがアコースティックに演奏している中
The Band とエレクトリックにガンガン
そして がなりたてるように歌っていますが
とても 好きな ライブ です。
みんなが まだカレッジ・フォークの ヌルい浴槽 につかっているころに
彼は すでに 荒波の大海へと船出をしている というような 対比です。
<僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい>

ポール・ニザン「アデンアラビア」の冒頭の一節です。
ランボオとポール・ニザンとアルジェとディランが
混ぜ合わさった感の上賀茂の部屋でした。
Dylanのアルバム Bringing It All Back Home の中の
It's All Over Now, Baby Blue の中で
This sky, too, is folding under you
この空でさえ あんたの足元へ折り畳まれていき
The carpet, too, is moving under you
カーペットでさえ あんたの足元では動いているんだぜ
とアジテートし
そして
Strike another match, go start anew
And it's all over now, Baby Blue.
新しいマッチを擦って 新しく始めようじゃないか
全ては終わったんだぜ ベイビー ブルー
と締めくくります。
次のアルバム Highway 61 Revisited の
Ballad Of A Thin Man ”やせっぽっちのバラード”の一節では
Because something is happening here
But you don't know what it is
Do you, Mister Jones?
何かが今ここで起きようとしている。
そのことがいったい何なのか解るかい?
ジョーンズさん
とディランはオルガンとピアノの不気味な旋律で歌います。
この時代を象徴しているこれらの歌の内容を
当時はまだ皆が理解できなかったように思う。
1970年まではいろんなことが あらゆるところで 同時に 起き、
蠢き、混沌 としながらも加速していくスピードに
快感をおぼえているような
刺激的でハッピーな時代だったような気がします。
1970年代は色々な事件や事故が起き
全てのものがバランスを失い始め
人々は自分へと帰っていくような
Bringing It All Back Home な
年代であったように思います。
次は 第三弾1969年大阪
第四弾 京都岡崎
そして 第五弾 北白川伊織町の銀月アパート へと続きます。
どこか ロード・ムービー風なブログになってきましたね
では
つづく。
Hobo's ZenBeat に関してはこちらで
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
その前に 1966 で書き忘れたことをひとつ
アルバイトを終えて、夜 帰りに
うどん屋さんに入り、うどんを食べていた時のこと
テレビの生の中継放送でビートルズの来日東京公演をやってました。
当然うどん一杯で最後まで見てました。
1966年6月でしょうか?梅雨時で雨が降っていたと記憶しています。
前回のブログ 1966 の続き 第二弾になりますので
初めての方は こちら を まず ご覧ください。
では1967に話を戻します。
下鴨高木町の下宿で1年くらい生活し
上賀茂に下宿を移ります。
生協の軽のトラック1台分の荷物は
布団と机と衣類と本くらいのものでした。
1969年までこの下宿におりました。
離れの縁側と床の間のついた広い部屋だったため
みんなのたまり場になりました。
この下宿のおばさんは看護婦長あがりの
サバサバした方で随分お世話になりました。
アルバイトでためたお金でステレオを買いました。
Pioneer の C-300というブックシェルフ型の
セパレートタイプのコンパクトなもので
レシーバーアンプは真空管方式。
これはずっと長く使いましたが今はもうありません。
なぜか取扱説明書だけが手元に残っています。
この頃の喫茶店にはたいがいジュークボックスが置いてあり
ジュークボックス・ランボオことボブ・ディランの
Like A RollingStone をいつもかけました。
コインをいれるとカラカラカラカラとドーナツ盤をとりにいき
セットされてプレイされるまでの あの時間が好きでした。
この頃見た映画で印象にのこっているものは
アルジェの戦い ジュリアーノ・モンタルド監督
質屋 シドニー・ルメット監督
いずれも白黒の映画で、もう一度見てみたい映画です。
あと アポロンの地獄 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督も
自主上映とかやっていた頃で、映画は大きな楽しみであり
中身の濃い映画がたくさん作られた時代です。
アメリカンニューシネマが出てくる前になりますが。
ゴダールやパゾリーニなどヨーロッパ系のシネマが多かったですね。
この頃ディランは Blonde on Blonde をリリースしたあと
バイクで事故をおこし、僕たちにとっては消息不明のまま
伝説の中に隠れていったように思っていましたが
ウッドストックで The Band とともに次の 場(ステージ)に向かって
静かに醗酵していた時期だったようです。

Blonde on Blonde でほぼ完成し燃焼しきったディランは
ランボオが詩を捨ててアデンに徒歩で向かったように
ひたすら身を隠し、地下室で The Basement Tapeに録音していたのでしょう。
ところで I'm not There という映画が公開されていますが
こちら ローカルなので放映している映画館がありません。
DVD発売を待つしかありません。
この映画のタイトル曲 I'm not There は ちょうどこの1968年ころの録音だと思われます。
The Basement Tapes のCDの中には入っていませんが
サウンドは間違いなくこの頃のもので
The Band と一緒にやっています。
I'm not Thereは
ブートレグレコードで1970年頃に随分聞きましたが
VD WALTZ というブートレグに入っています。

おなじみ ブタマーク TMOQ は今や 伝説の ブランドとなっています。
無地のジャケットに最初はスタンプだけでしたが
そのうちシールとモノクロコピーが付くようになります。
ブートレグのレコードに関しては次回大阪がメインの舞台になります。
最近改めて The Basement Tapes をCDで聞きました。
当時は Blonde on Blonde の余波でピンとこなかったけど
今聞くとすごく良いですね。
The Band の1968年のファーストアルバムはこの延長線上にあります。
この The Basement Tapes は Blonde on Blonde以前の
ディランの曲のイメージは微塵もない。
The Bandの影響もあってか この頃から裏声が登場し
John Wesley Harding Nashville Skyline Self Portrait
の歌い方に変わっていきます。
その後、公に姿をあらわしたのが
1968年 の Woody Guthrie Memorial Concert
他のミュージシャンがアコースティックに演奏している中
The Band とエレクトリックにガンガン
そして がなりたてるように歌っていますが
とても 好きな ライブ です。
みんなが まだカレッジ・フォークの ヌルい浴槽 につかっているころに
彼は すでに 荒波の大海へと船出をしている というような 対比です。
<僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい>

ポール・ニザン「アデンアラビア」の冒頭の一節です。
ランボオとポール・ニザンとアルジェとディランが
混ぜ合わさった感の上賀茂の部屋でした。
Dylanのアルバム Bringing It All Back Home の中の
It's All Over Now, Baby Blue の中で
This sky, too, is folding under you
この空でさえ あんたの足元へ折り畳まれていき
The carpet, too, is moving under you
カーペットでさえ あんたの足元では動いているんだぜ
とアジテートし
そして
Strike another match, go start anew
And it's all over now, Baby Blue.
新しいマッチを擦って 新しく始めようじゃないか
全ては終わったんだぜ ベイビー ブルー
と締めくくります。
次のアルバム Highway 61 Revisited の
Ballad Of A Thin Man ”やせっぽっちのバラード”の一節では
Because something is happening here
But you don't know what it is
Do you, Mister Jones?
何かが今ここで起きようとしている。
そのことがいったい何なのか解るかい?
ジョーンズさん
とディランはオルガンとピアノの不気味な旋律で歌います。
この時代を象徴しているこれらの歌の内容を
当時はまだ皆が理解できなかったように思う。
1970年まではいろんなことが あらゆるところで 同時に 起き、
蠢き、混沌 としながらも加速していくスピードに
快感をおぼえているような
刺激的でハッピーな時代だったような気がします。
1970年代は色々な事件や事故が起き
全てのものがバランスを失い始め
人々は自分へと帰っていくような
Bringing It All Back Home な
年代であったように思います。
次は 第三弾1969年大阪
第四弾 京都岡崎
そして 第五弾 北白川伊織町の銀月アパート へと続きます。
どこか ロード・ムービー風なブログになってきましたね
では
つづく。
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染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
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2008年06月27日
和紙T
助田茂蔵じいちゃんの野の花プリント
前回予告の和紙バージョンです。
インクジェットプリンターによる
和紙のTシャツ、ハンカチ、ティーマットへのプリントです。
オオマツヨイグサ/20cm角ティーマット
額にいれても素敵です。

拡大画像です。

ショウジョウバカマ/女性用淡いブルーT

サルトリイバラ/29cm角のハンカチ

葉鶏頭/29cm角のハンカチ

ショウジョウバカマ/29cm角のハンカチ

和紙の素材はシャリっとしていて気持ちよいです。
インクジェットのインクもきれいに載ります。
協和テキスタイルさんが何年もかかって開発されたこの素材
四国で作られた和紙を使っているようで
四国産の和紙はうすくて糸にするのに適しているそうです。
清楚な助田茂蔵じいちゃんの野の花は
和紙によくなじんで
小さな額に入れて飾るのもよいです。
Tシャツに関するお問い合わせご注文は
〒916-0047
鯖江市柳町2丁目3-13
野の花の会 助田篤郎 様
TEL 0778-51-0222
までお願いいたします。
シルクスクリーン製版、プリント、企画、デザイン
よさこい衣装製作、大旗に関する
お問い合わせ、ご注文はこちらまで
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
前回予告の和紙バージョンです。
インクジェットプリンターによる
和紙のTシャツ、ハンカチ、ティーマットへのプリントです。
オオマツヨイグサ/20cm角ティーマット
額にいれても素敵です。

拡大画像です。

ショウジョウバカマ/女性用淡いブルーT

サルトリイバラ/29cm角のハンカチ

葉鶏頭/29cm角のハンカチ

ショウジョウバカマ/29cm角のハンカチ

和紙の素材はシャリっとしていて気持ちよいです。
インクジェットのインクもきれいに載ります。
協和テキスタイルさんが何年もかかって開発されたこの素材
四国で作られた和紙を使っているようで
四国産の和紙はうすくて糸にするのに適しているそうです。
清楚な助田茂蔵じいちゃんの野の花は
和紙によくなじんで
小さな額に入れて飾るのもよいです。
Tシャツに関するお問い合わせご注文は
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2008年06月21日
野の花T 2008
助田茂蔵じいちゃんの野の花Tシャツ
2008年バージョンです。
インクジェットプリンターによる
4パターンのサンプルが出来上がりました。
2007年に助田茂蔵じいちゃんが描かれた野の花の絵です。
アサガオ

オオマツヨイグサ

コスモス

サルトリイバラ

この4点を追加いたしました。
Tシャツは 勿論、久米繊維謹製
去年、大好評の
生成 オーガニックTシャツ と
白の 楽Tシャツの 2種類です。

去年のTシャツの柄は こちら をご覧ください。
去年の柄をご希望の方はご連絡いただければ
プリントいたします。
また、和紙のTシャツへのプリントも
企画しております。
サンプルができましたらまたブログにてご紹介いたします。
和紙のTシャツは
ひんやり、シャリシャリしていて
これからの暑い季節には最適かなと思われます。
Tシャツに関するお問い合わせご注文は
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野の花の会 助田篤郎 様
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シルクスクリーン製版、プリント、企画、デザイン
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2008年バージョンです。
インクジェットプリンターによる
4パターンのサンプルが出来上がりました。
2007年に助田茂蔵じいちゃんが描かれた野の花の絵です。
アサガオ

オオマツヨイグサ

コスモス

サルトリイバラ

この4点を追加いたしました。
Tシャツは 勿論、久米繊維謹製
去年、大好評の
生成 オーガニックTシャツ と
白の 楽Tシャツの 2種類です。

去年のTシャツの柄は こちら をご覧ください。
去年の柄をご希望の方はご連絡いただければ
プリントいたします。
また、和紙のTシャツへのプリントも
企画しております。
サンプルができましたらまたブログにてご紹介いたします。
和紙のTシャツは
ひんやり、シャリシャリしていて
これからの暑い季節には最適かなと思われます。
Tシャツに関するお問い合わせご注文は
〒916-0047
鯖江市柳町2丁目3-13
野の花の会 助田篤郎 様
TEL 0778-51-0222
までお願いいたします。
シルクスクリーン製版、プリント、企画、デザイン
よさこい衣装製作、大旗に関する
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2008年05月22日
1 9 6 6
1 9 6 6
僕にとって大変重要な年でした。

Bob Dylanが Blonde on Blonde をリリースし
Royal Albert Hall Live の年であり
18歳で僕が京都へ出た年であり
初めてDylanのLPレコードを買った年であり
初めてイカリさんと出会った年でした。
そのどれもが僕にとって重要なデキゴトでありました。
京都は僕が一人で始めて生活できる自由な空間でした。
下鴨高木町の町家の4畳半の間借りからのスタートとなります。
隣の部屋の住人の部屋の壁からはいつもフォークソングのレコードが聞こえてきました。
P.P.M 、キングストン・トリオ、ブラザースフォア
そんなカレッジ・フォークのオムニバスレコード。
その中にひとり しわがれ声でギターとハーモニカだけの弾き語りで
引き摺るように歌っている人がいました。
毎日、壁に耳を寄せて彼の歌だけを聞いておりました。
ある日、大学の地下の生協の購買部に立てかけてあった
アルバムジャケットに釘付けになります。
その写真はたぶん壁の向こうで歌っていた人ではないかと直感的に思いましたが
その人本人であるという確証はありませんでした。
曲目も名前も知りませんでしたから。
でもきっと彼に違いないと思い 勇気をだして買ってしまいました。
当時のLPレコード1枚2000円という値段は僕にとって大きなお金でした。
高校の時、お年玉を集めてかった小さな電蓄をもっていました。
それでLPレコードをかけることができましたが
レコードを乗せると電蓄が隠れて見えなくなるような小さな可愛いものでした。
いつもシングル盤(ドーナツ盤と読んでいましたが)しか買ってなくて
この時買ったLPレコードが初めての30cmLPでした。
A面1曲目に恐る恐る針を落とします。
いきなりドラムスとオルガンとエレキギターで始まる
それは あの Like A Rolling Stone でした。
A面はエレクトリック B面はアコースティックの演奏で
B面に 隣の壁から聞こえてきた曲が入っていました。
その曲は Don't Think Twice it's all right "くよくよするな"
であり 彼の名前は Bob Dylan でした。

写真の4枚のアルバムが
日本コロムビア株式会社からリリースされたペラジャケ4枚のLPレコードです。
左上からリリースされた順番になります。
左上の1枚が最初に買ったLPです。
Highway 61 Revisited までの正規5枚のアルバムのうち
Another Side of Bob Dylanを除く4枚のアルバムからの
日本編集盤でベスト盤といった構成になっています。
この4枚のアルバムの詳細な写真はこちらで。
この4枚のアルバムを改めて見て解ったことがあります。
1枚目は Bob Dylan のベスト盤として出していますが
おそらくある程度売れて、要望や問い合わせが多く
続編を企画していったと思われます。

2枚目のアルバムは HIGHWAY 61 REVISITED から
1枚目冒頭に入れた Like A Rolling Stone をはずし、かわりに
Bringing It All Back Home の
Maggie's Farm を入れてあります。
3枚目は First Album "Bob Dylan"
と全く曲目、曲数は同じですが順番が入れ替わっています。
4枚目は 3rd Album "The Times They Are A-Changin'"
と全く曲目、曲数、順番が同じです。
1枚目のライナーは中村とうよう氏
2枚目、3枚目が 鈴木道子さん
4枚目が 三橋一夫氏 です。
1枚目と2枚目には COLLEGE FOLK SERIES の印刷がありますが
3枚目と4枚目にはありません。
3枚目と4枚目から VOL.3 VOL.4 の表記があります。
日本での発売時期は 1枚目が1965年12月 2枚目が1966年3月
3枚目が1966年5月 4枚目が1966年7月 ですから
えらく圧縮されて次々と発売されたものです。
この4枚のアルバムには全く入ってないこともあってか
Another Side of Bob Dylanは当時の僕たちには謎のアルバムでした。
そして Blonde on Blonde も輸入版のお店の手の届かないところに
飾ってありましたが、とても高くて買えませんでした。
寄せ集めじゃないLPレコードの2枚組は当時初めてのもので
ミック・ジャガーも言っていましたが
”2枚組をオリジナルでつくれて、しかも売れるのはディランくらいだよな”
このアルバムも謎のまま数年が過ぎていくことになります。
日本コロムビアからリリースされたものは
この4枚のアルバムで終了となりますが
1968年にCBSソニーレコードが設立されます。
CBSソニーからアメリカ発売のものと同じ仕様でのアルバムがリリースされました。
CBSソニーの盤は1,800円で発売されました。うれしい値段設定でした。
さて ちょっとマニアックな内容になってしまいました。
この4枚のレコードは毎日毎日そうとう聞き込んでいますから
もう、まともに再生できる盤ではないと思います。
アルバム紹介でえらく長くなってしまったので
第一期の京都高木町でのお話をこの辺で終わりにします。
この後、お話は 京都 上賀茂、大阪 大淀区、京都 岡崎、
そして京都 銀月アパートへと進みます。
それぞれの住処を軸にして
様々な時代での人との思いや空気感があります。
Kyoto Revisited の Album Vol.1 でした。
つづく。
僕にとって大変重要な年でした。

Bob Dylanが Blonde on Blonde をリリースし
Royal Albert Hall Live の年であり
18歳で僕が京都へ出た年であり
初めてDylanのLPレコードを買った年であり
初めてイカリさんと出会った年でした。
そのどれもが僕にとって重要なデキゴトでありました。
京都は僕が一人で始めて生活できる自由な空間でした。
下鴨高木町の町家の4畳半の間借りからのスタートとなります。
隣の部屋の住人の部屋の壁からはいつもフォークソングのレコードが聞こえてきました。
P.P.M 、キングストン・トリオ、ブラザースフォア
そんなカレッジ・フォークのオムニバスレコード。
その中にひとり しわがれ声でギターとハーモニカだけの弾き語りで
引き摺るように歌っている人がいました。
毎日、壁に耳を寄せて彼の歌だけを聞いておりました。
ある日、大学の地下の生協の購買部に立てかけてあった
アルバムジャケットに釘付けになります。
その写真はたぶん壁の向こうで歌っていた人ではないかと直感的に思いましたが
その人本人であるという確証はありませんでした。
曲目も名前も知りませんでしたから。
でもきっと彼に違いないと思い 勇気をだして買ってしまいました。
当時のLPレコード1枚2000円という値段は僕にとって大きなお金でした。
高校の時、お年玉を集めてかった小さな電蓄をもっていました。
それでLPレコードをかけることができましたが
レコードを乗せると電蓄が隠れて見えなくなるような小さな可愛いものでした。
いつもシングル盤(ドーナツ盤と読んでいましたが)しか買ってなくて
この時買ったLPレコードが初めての30cmLPでした。
A面1曲目に恐る恐る針を落とします。
いきなりドラムスとオルガンとエレキギターで始まる
それは あの Like A Rolling Stone でした。
A面はエレクトリック B面はアコースティックの演奏で
B面に 隣の壁から聞こえてきた曲が入っていました。
その曲は Don't Think Twice it's all right "くよくよするな"
であり 彼の名前は Bob Dylan でした。

写真の4枚のアルバムが
日本コロムビア株式会社からリリースされたペラジャケ4枚のLPレコードです。
左上からリリースされた順番になります。
左上の1枚が最初に買ったLPです。
Highway 61 Revisited までの正規5枚のアルバムのうち
Another Side of Bob Dylanを除く4枚のアルバムからの
日本編集盤でベスト盤といった構成になっています。
この4枚のアルバムの詳細な写真はこちらで。
この4枚のアルバムを改めて見て解ったことがあります。
1枚目は Bob Dylan のベスト盤として出していますが
おそらくある程度売れて、要望や問い合わせが多く
続編を企画していったと思われます。

2枚目のアルバムは HIGHWAY 61 REVISITED から
1枚目冒頭に入れた Like A Rolling Stone をはずし、かわりに
Bringing It All Back Home の
Maggie's Farm を入れてあります。
3枚目は First Album "Bob Dylan"
と全く曲目、曲数は同じですが順番が入れ替わっています。
4枚目は 3rd Album "The Times They Are A-Changin'"
と全く曲目、曲数、順番が同じです。
1枚目のライナーは中村とうよう氏
2枚目、3枚目が 鈴木道子さん
4枚目が 三橋一夫氏 です。
1枚目と2枚目には COLLEGE FOLK SERIES の印刷がありますが
3枚目と4枚目にはありません。
3枚目と4枚目から VOL.3 VOL.4 の表記があります。
日本での発売時期は 1枚目が1965年12月 2枚目が1966年3月
3枚目が1966年5月 4枚目が1966年7月 ですから
えらく圧縮されて次々と発売されたものです。
この4枚のアルバムには全く入ってないこともあってか
Another Side of Bob Dylanは当時の僕たちには謎のアルバムでした。
そして Blonde on Blonde も輸入版のお店の手の届かないところに
飾ってありましたが、とても高くて買えませんでした。
寄せ集めじゃないLPレコードの2枚組は当時初めてのもので
ミック・ジャガーも言っていましたが
”2枚組をオリジナルでつくれて、しかも売れるのはディランくらいだよな”
このアルバムも謎のまま数年が過ぎていくことになります。
日本コロムビアからリリースされたものは
この4枚のアルバムで終了となりますが
1968年にCBSソニーレコードが設立されます。
CBSソニーからアメリカ発売のものと同じ仕様でのアルバムがリリースされました。
CBSソニーの盤は1,800円で発売されました。うれしい値段設定でした。
さて ちょっとマニアックな内容になってしまいました。
この4枚のレコードは毎日毎日そうとう聞き込んでいますから
もう、まともに再生できる盤ではないと思います。
アルバム紹介でえらく長くなってしまったので
第一期の京都高木町でのお話をこの辺で終わりにします。
この後、お話は 京都 上賀茂、大阪 大淀区、京都 岡崎、
そして京都 銀月アパートへと進みます。
それぞれの住処を軸にして
様々な時代での人との思いや空気感があります。
Kyoto Revisited の Album Vol.1 でした。
つづく。
2008年04月24日
mRX 8000
インターネットラヂヲプレーヤーですが。
アップルのサイトから無料でダウンロードできます。

小さい頃にトランジスタラヂヲのダイヤルを廻しながら
いろんな局の放送を聞いていた頃のことを思い出し
懐かしく 夢中になってしまいました。
子供の頃のラヂヲは なんといっても
おもちゃみたいなラヂヲですから
電波の受信が悪く 勿論 音も悪いものです。
深夜によく聞いていましたが
ちっちゃなダイヤルなので 微妙なチューニングもできず
電波も遠くからなので すぐぶれてしまいます。
片手の人指し指はいつもダイヤルにおいたまま
ラジヲに耳をくっつけて聞いていた頃のことを思い出します。
そんな 雰囲気を持った mRX 8000
タイムマシンのように子供心が甦ってきて
ダイヤルをクリクリ廻しながらいろんな局を聞いてみましたが
局間の音も チューニングがずれていく時の音も
ノイズも 良くできていて 思わず嬉しくなって
ニンマリ そして ユッタリ の気分になってきて
浸っていました。今日は。
昔は情報が少なく、自分が手に入れられる情報といえば
雑誌とラヂヲでした。
そして トランジスタラヂヲが はじめて 少年にとって
パーソナルな 情報受信ツールだったように思います。
戦後まもない頃のラヂヲの放送で
尋ね人 というのがあって
戦争で行方の解らなくなった人や
離ればなれになった人たちが情報を求めていました。
小さい私にとっては興味のある放送ではなかったのですが
女性のアナウンサーの方の声の質やトーン
話し方、抑揚 全て記憶に残っています。
今、その放送をそのまま聞いたとしたら
あの頃の空気や情景の中に少年のままの自分で
すっと 入っていけると思います。
毎日聞いていて、意識してなくても
蓄積していった そういう放送が
自分の中に層となって眠っているような気がします。
最近、テレビ放送はほとんど見ません。
かといってラヂヲもFMも聞きません。
でも この ネットラヂヲは癖になりそうです。
なんか 自分の中の白亜紀の沖積土の層の中の
化石が甦ってくるような
そんな タイムマシン って感じのチューナーです。
銀河に散らばっている半世紀前の電波を
キャッチできたら よいな。
この レトロな 少年の ラヂヲ を
甦らせてくれた 作者 に 感謝します。
そして アップル さんにも。
制作者の方のアートなページは こちら です。
操作方法などが説明されていますので
是非 ご覧ください。
アップルのサイトから無料でダウンロードできます。

小さい頃にトランジスタラヂヲのダイヤルを廻しながら
いろんな局の放送を聞いていた頃のことを思い出し
懐かしく 夢中になってしまいました。
子供の頃のラヂヲは なんといっても
おもちゃみたいなラヂヲですから
電波の受信が悪く 勿論 音も悪いものです。
深夜によく聞いていましたが
ちっちゃなダイヤルなので 微妙なチューニングもできず
電波も遠くからなので すぐぶれてしまいます。
片手の人指し指はいつもダイヤルにおいたまま
ラジヲに耳をくっつけて聞いていた頃のことを思い出します。
そんな 雰囲気を持った mRX 8000
タイムマシンのように子供心が甦ってきて
ダイヤルをクリクリ廻しながらいろんな局を聞いてみましたが
局間の音も チューニングがずれていく時の音も
ノイズも 良くできていて 思わず嬉しくなって
ニンマリ そして ユッタリ の気分になってきて
浸っていました。今日は。
昔は情報が少なく、自分が手に入れられる情報といえば
雑誌とラヂヲでした。
そして トランジスタラヂヲが はじめて 少年にとって
パーソナルな 情報受信ツールだったように思います。
戦後まもない頃のラヂヲの放送で
尋ね人 というのがあって
戦争で行方の解らなくなった人や
離ればなれになった人たちが情報を求めていました。
小さい私にとっては興味のある放送ではなかったのですが
女性のアナウンサーの方の声の質やトーン
話し方、抑揚 全て記憶に残っています。
今、その放送をそのまま聞いたとしたら
あの頃の空気や情景の中に少年のままの自分で
すっと 入っていけると思います。
毎日聞いていて、意識してなくても
蓄積していった そういう放送が
自分の中に層となって眠っているような気がします。
最近、テレビ放送はほとんど見ません。
かといってラヂヲもFMも聞きません。
でも この ネットラヂヲは癖になりそうです。
なんか 自分の中の白亜紀の沖積土の層の中の
化石が甦ってくるような
そんな タイムマシン って感じのチューナーです。
銀河に散らばっている半世紀前の電波を
キャッチできたら よいな。
この レトロな 少年の ラヂヲ を
甦らせてくれた 作者 に 感謝します。
そして アップル さんにも。
制作者の方のアートなページは こちら です。
操作方法などが説明されていますので
是非 ご覧ください。
2008年04月16日
Chelsea Hotel
Chelsea Hotel
ニューヨークのマンハッタンにあるチェルシー・ホテルを舞台に
どれだけの人たちが寝泊まりし、過ぎ去り
そして、亡くなっていったことか。
ビートニクス、ヒッピー、デカダン、ラディカルス、
詩人、ミュージシャン、ロッカー、絵描き、物書き、フォトクラファーから
ジャンキー、アル中、浮浪者、ボヘミアン、酔っぱらい
ありとあらゆる人種やアーティストが通過していった舞台です。
この舞台で起きた出来事や歴史を書けば、
果たして何冊の本になるだろうか?
ウィリアム・バロウス、ディラン・トマス、アンディ・ウォーホール
アレン・ギンズバーク、ボブ・ディラン、パティ・スミス、サム・シェパード、
ジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレーン
グレートフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス、レナード・コーエン
ジョニー・ミッチェル、ロバート・メイプルソープ
名前を上げたらきりがない。名簿だけでも1冊の本ができるでしょう。
チェルシー・ホテルでのジャニス・ジョプリンのことを唄った
唄人にエリック・アンダーソンもいますが
今回は吟遊詩人 レナード・コーエンの Chelsea Hotel♯2 について

レナード・コーエンを最初に聞いたのは Songs from a Room
日本で最初にリリースされたレコードだと記憶していますが
1971年にCBS/Sony盤を購入し、今やジャケットはボロボロです。
レナード・コーエンのアルバムとしては2枚目のアルバムです。

カナダ出身のせいもあってかフランスでの人気が高い人です。
日本ではあまり知られていませんが
ナイロン弦をアルペジオで弾きながら囁くように歌う
メロディーと詩には独特の世界があります。
彼の唄は沢山のミュージシャンによってカバーされていますので
どちらかというとmusician's musician
またはmusician's Poetといった感じの人です。
Beautiful Losersという美しい原題の小説も書いています。
なぜか<嘆きの壁>という邦題になっています。
禅宗にも師事していますので ZenBeat のカテゴリーで載せます。
さてレナード・コーエンの Chelsea Hotel♯2
チェルシー・ホテルでのジャニス・ジョプリンのことを
切々と歌っていますが
you got away,I never once heard you say
I need you,I don't need you,
I need you,I don't need you
and all of that jiving around.
あんたが欲しい、いや あんたなんかいらないわ
でも 欲しい、いや ほしくないわ
のリフレーンがたまらなくよいです。
また
このホテルの窓辺にもたれ
ぼくは街を見つめている
片手は自殺を考え
片手は薔薇をもて遊び
- Leonard Cohen-
ジャニス・ジョプリンを初めて聞いたのは
LP Cheap Thrillsですが

Ball And ChainとSummer Timeがよいですね。
ライブでのグラスの割れる音とかがすごく臨場感がある。
「Ball N' Chain」 は<お年賀>ブログにも通底していますが
ビッグ・ママ・ソーントンが歌っていた曲です。

Big Mama Thorntonはプレスリーで有名な HOUND DOG とか
Rolling Stones が歌った Little Red Rooster なんかを歌っていた人です。
かなりルーツなブルース畑の Big Fat Mama なのです。
ブルース・ハープなんかもいい感じで吹いています。
ビッグ・ママの In Europe というアルバムのB面
My Heavy Lord と School Boy
Mississippi Fred McDowellのボトルネック・ギターだけをバックに
太くシャウトしてます。僕のかなりのお気に入りです。
Mississippi Fred McDowell の You Got to Move
は Rolling Stones が まんまカバーしていますね。
何故か Hotel Chelsea からはじまって
Leonard Cohen, Janis Joplin, Big Mama Thorntonと
いつものように 広がっていってしまいましたが
Hotel Chelsea のからみでは
書くことがいっぱいありすぎて 散漫になっていきますが
また少しづつ書いていきます。
このころ僕は 京都 北白川 伊織町 の
銀月アパートにイカリさんと住んでいました。
ここで、Tom Waitsも Leonard CohenもJanis Joplinも
Bob DylanもThe Bandも聞いていました。
(銀月アパートで検索すると あるわ あるわ
有名なんですね。大島渚も住んでいたとか
どの部屋だったのかな? )
銀月アパートの住人の同窓会したいな。
このアパートにもChelsea Hotelにまけないくらいの
深いカルチャーがありました。
みんな どうしてんのかな。
そのうち 銀月アパート のタイトルでブログ書きます。
絶対。
ニューヨークのマンハッタンにあるチェルシー・ホテルを舞台に
どれだけの人たちが寝泊まりし、過ぎ去り
そして、亡くなっていったことか。
ビートニクス、ヒッピー、デカダン、ラディカルス、
詩人、ミュージシャン、ロッカー、絵描き、物書き、フォトクラファーから
ジャンキー、アル中、浮浪者、ボヘミアン、酔っぱらい
ありとあらゆる人種やアーティストが通過していった舞台です。
この舞台で起きた出来事や歴史を書けば、
果たして何冊の本になるだろうか?
ウィリアム・バロウス、ディラン・トマス、アンディ・ウォーホール
アレン・ギンズバーク、ボブ・ディラン、パティ・スミス、サム・シェパード、
ジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレーン
グレートフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス、レナード・コーエン
ジョニー・ミッチェル、ロバート・メイプルソープ
名前を上げたらきりがない。名簿だけでも1冊の本ができるでしょう。
チェルシー・ホテルでのジャニス・ジョプリンのことを唄った
唄人にエリック・アンダーソンもいますが
今回は吟遊詩人 レナード・コーエンの Chelsea Hotel♯2 について

レナード・コーエンを最初に聞いたのは Songs from a Room
日本で最初にリリースされたレコードだと記憶していますが
1971年にCBS/Sony盤を購入し、今やジャケットはボロボロです。
レナード・コーエンのアルバムとしては2枚目のアルバムです。

カナダ出身のせいもあってかフランスでの人気が高い人です。
日本ではあまり知られていませんが
ナイロン弦をアルペジオで弾きながら囁くように歌う
メロディーと詩には独特の世界があります。
彼の唄は沢山のミュージシャンによってカバーされていますので
どちらかというとmusician's musician
またはmusician's Poetといった感じの人です。
Beautiful Losersという美しい原題の小説も書いています。
なぜか<嘆きの壁>という邦題になっています。
禅宗にも師事していますので ZenBeat のカテゴリーで載せます。
さてレナード・コーエンの Chelsea Hotel♯2
チェルシー・ホテルでのジャニス・ジョプリンのことを
切々と歌っていますが
you got away,I never once heard you say
I need you,I don't need you,
I need you,I don't need you
and all of that jiving around.
あんたが欲しい、いや あんたなんかいらないわ
でも 欲しい、いや ほしくないわ
のリフレーンがたまらなくよいです。
また
このホテルの窓辺にもたれ
ぼくは街を見つめている
片手は自殺を考え
片手は薔薇をもて遊び
- Leonard Cohen-
ジャニス・ジョプリンを初めて聞いたのは
LP Cheap Thrillsですが

Ball And ChainとSummer Timeがよいですね。
ライブでのグラスの割れる音とかがすごく臨場感がある。
「Ball N' Chain」 は<お年賀>ブログにも通底していますが
ビッグ・ママ・ソーントンが歌っていた曲です。

Big Mama Thorntonはプレスリーで有名な HOUND DOG とか
Rolling Stones が歌った Little Red Rooster なんかを歌っていた人です。
かなりルーツなブルース畑の Big Fat Mama なのです。
ブルース・ハープなんかもいい感じで吹いています。
ビッグ・ママの In Europe というアルバムのB面
My Heavy Lord と School Boy
Mississippi Fred McDowellのボトルネック・ギターだけをバックに
太くシャウトしてます。僕のかなりのお気に入りです。
Mississippi Fred McDowell の You Got to Move
は Rolling Stones が まんまカバーしていますね。
何故か Hotel Chelsea からはじまって
Leonard Cohen, Janis Joplin, Big Mama Thorntonと
いつものように 広がっていってしまいましたが
Hotel Chelsea のからみでは
書くことがいっぱいありすぎて 散漫になっていきますが
また少しづつ書いていきます。
このころ僕は 京都 北白川 伊織町 の
銀月アパートにイカリさんと住んでいました。
ここで、Tom Waitsも Leonard CohenもJanis Joplinも
Bob DylanもThe Bandも聞いていました。
(銀月アパートで検索すると あるわ あるわ
有名なんですね。大島渚も住んでいたとか
どの部屋だったのかな? )
銀月アパートの住人の同窓会したいな。
このアパートにもChelsea Hotelにまけないくらいの
深いカルチャーがありました。
みんな どうしてんのかな。
そのうち 銀月アパート のタイトルでブログ書きます。
絶対。
2008年03月25日
穴あきブーツ
Mary Gauthier
今日はアメリカのオルタナ・カントリー畑の
シンガー・ソング・ライター(SSW)
Mary Gauthier について

一番新しいアルバムは
Between Daylight and Darkというタイトルです。
Joe Henryのプロデュースということもあってか
以前のアルバムとはすこし変わってきています。
曲もマイルドな感じになり、荒削りなところが少なくなってきた。
バックの演奏もバランスのとれた渋いサウンドです。
この人のアルバムで最初に聞いたのが Mercy Now でした。
このアルバムは結構ヒットしたようです。
それ以来全てのアルバムを聞きましたが
この人のスタイルには頑固な姿勢を感じます。
決してルーツなミュージックではないですし、
他の人のカバーもほとんどしていません。
ただ自分の想いを淡々と歌ってくれます。
歌とギターのフィンガー・ピッキングは どちらかというと
ジョン・プラインに似てるかな と思います。
さてこの Between Daylight and Dark の中に
The Last of the Hobo Kings という曲があります。
調べてみたところ 実在で最近亡くなった方のようですが
Steam Train Maury という人のことを歌っているようです。
写真をみても解るように 根っからのHoboといった感じです。
勿論、左のムシロみたいのを持った おじいさんですが
右の人は天敵の鉄道会社の方でしょうか
時を経て仲良く記念写真といったところかな?

最近 Boho という言葉をよく見かける様になり
気になって検索してみたのですが
BOHO いうのは、ボヘミアンとSohoを合成した言葉のようで
Boho-Chic という言葉もあるようです。
Hobo にもザックやハットや靴にHobo の名のつくものがありますが
ファッションって何でも飲み込んでクロス・ブリードなものを
作るのが好きなようです。
Boho って女の子のおしゃれでシックな Hobo スタイルといった感じかな?

Mary Gauthier の写真に さきっちょに穴が開いていて、相当履き込まれた
カウボーイ・ブーツが映っています。
よく似たブーツですが イカリさん 以前にフリーマーケットで
50円で写真のブーツを買ってきましたが、靴底を張り替えるのに
3000円かかったとボヤいておりました。
このローカットのカウボーイ・ブーツは彼女のお気に入りで
革ジャンきたときはよくこのブーツを履いてます。
前のオーナーも相当履き込んでいたようで
よい味がでていますが穴のあくまで履いていってほしいものです。

そういえば K.D. Lang も以前、筒部分をぶった切ったスニーカータイプの
ボロボロのカウボーイ・ブーツを自慢して履いていました。
愛着のあるものはなかなか手放せませんね。
彼女右腕にイカリマークの入れ墨してるのです。
YouTube でちょっと太ってきた K.D. Langくん
Leonard Cohenの Hallelujahを歌ってました。
Leonard Cohenは最初のアルバムからずっと聞いています。
このHallelujahは沢山の人がカバーしています。
ジェフ・バックリーのカバーが最高ですが
K.D. Langの歌もなかなかよいです。
Mary Gauthierからいろんな話になってしまいましたが
Leonard Cohenもチェルシー・ホテル絡みでそのうち書いてみます。
お楽しみに。
今日はアメリカのオルタナ・カントリー畑の
シンガー・ソング・ライター(SSW)
Mary Gauthier について

一番新しいアルバムは
Between Daylight and Darkというタイトルです。
Joe Henryのプロデュースということもあってか
以前のアルバムとはすこし変わってきています。
曲もマイルドな感じになり、荒削りなところが少なくなってきた。
バックの演奏もバランスのとれた渋いサウンドです。
この人のアルバムで最初に聞いたのが Mercy Now でした。
このアルバムは結構ヒットしたようです。
それ以来全てのアルバムを聞きましたが
この人のスタイルには頑固な姿勢を感じます。
決してルーツなミュージックではないですし、
他の人のカバーもほとんどしていません。
ただ自分の想いを淡々と歌ってくれます。
歌とギターのフィンガー・ピッキングは どちらかというと
ジョン・プラインに似てるかな と思います。
さてこの Between Daylight and Dark の中に
The Last of the Hobo Kings という曲があります。
調べてみたところ 実在で最近亡くなった方のようですが
Steam Train Maury という人のことを歌っているようです。
写真をみても解るように 根っからのHoboといった感じです。
勿論、左のムシロみたいのを持った おじいさんですが
右の人は天敵の鉄道会社の方でしょうか
時を経て仲良く記念写真といったところかな?

最近 Boho という言葉をよく見かける様になり
気になって検索してみたのですが
BOHO いうのは、ボヘミアンとSohoを合成した言葉のようで
Boho-Chic という言葉もあるようです。
Hobo にもザックやハットや靴にHobo の名のつくものがありますが
ファッションって何でも飲み込んでクロス・ブリードなものを
作るのが好きなようです。
Boho って女の子のおしゃれでシックな Hobo スタイルといった感じかな?

Mary Gauthier の写真に さきっちょに穴が開いていて、相当履き込まれた
カウボーイ・ブーツが映っています。
よく似たブーツですが イカリさん 以前にフリーマーケットで
50円で写真のブーツを買ってきましたが、靴底を張り替えるのに
3000円かかったとボヤいておりました。
このローカットのカウボーイ・ブーツは彼女のお気に入りで
革ジャンきたときはよくこのブーツを履いてます。
前のオーナーも相当履き込んでいたようで
よい味がでていますが穴のあくまで履いていってほしいものです。

そういえば K.D. Lang も以前、筒部分をぶった切ったスニーカータイプの
ボロボロのカウボーイ・ブーツを自慢して履いていました。
愛着のあるものはなかなか手放せませんね。
彼女右腕にイカリマークの入れ墨してるのです。
YouTube でちょっと太ってきた K.D. Langくん
Leonard Cohenの Hallelujahを歌ってました。
Leonard Cohenは最初のアルバムからずっと聞いています。
このHallelujahは沢山の人がカバーしています。
ジェフ・バックリーのカバーが最高ですが
K.D. Langの歌もなかなかよいです。
Mary Gauthierからいろんな話になってしまいましたが
Leonard Cohenもチェルシー・ホテル絡みでそのうち書いてみます。
お楽しみに。
2008年02月28日
盲目のことば
テオ・アンゲロプロスの映画で衝撃を受けたのは
まず、撮影手法です。

ハリウッド的映画が氾濫し、そういう手法に慣れている人には
退屈な映画かもしれませんが。
短いシーンを切り繋いで短時間にスピーディーに
物語を進めていくのがハリウッド的映画とすれば
彼の映画は 長いワンシーンを全くカットせずに
持続的に情景をパンしていきます。
ズームやスローといった特殊効果は使いません。
勿論デジタル処理や加工といったことも一切しません。
まるでその場に私たちが居合わせて
ずーっとその物語を自分の目で見て
一緒に体験しているような
そんな不思議な感じなのです。
私たちの目にはズームやスローといった機能はなく
首や体をを振って見渡したり、自分が歩いて近づいていって
覗き込んだりといったことができるだけです。
彼の映画では
カメラは人間の視点と人の速度に基づいて
ゆっくりと動いていきます。
私たちの視点にはカットというのも存在しません。
時間的持続のなかで切れ目なく眺めていくものです。
彼の映画には特に美しい風景や感動的な場面があるわけではありません。
なのに何故、彼の長い映画を
ずっと飽きることなく見続けることができて
こんなにも感動するのだろうかと考えます。
切れ目のない持続的なシーンの中に
内的な何かを感じてしまうことでしょうか。
セリフはすくないものの
言葉が詩的で比喩に満ちています。
一冊の詩集を静かに読んでいるような気がしますし
自分の内部を静かに彷徨っているような気さえします。
行間が海であるならば
その海に自分を浮かべることができ
自分の意識を映像の中に溶け込ませるかのような
目眩を感じます。
彼はインタビューの中で語っています。
リルケやパウル・ツェランの詩が好きだと。
...............................................................................................................
パウル・ツェラン 雪の区域(パート)
Paul Celan Schneepart
----------------------------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------------------------
みずからを延期するな、 おまえよ。
あなたは今日
何に対しても、沈黙していてください。
きみの夢を進水させよ、
その夢の中にきみの靴をくるみこめ、
...............................................................................................................
パウル・ツェラン 死のフーガ
Paul Celan Todesfuge
ことばの格子 Sprachgitter より

ぼくらは
手のひらだった。
ぼくらは闇をからになるまで掬った。ぼくらは見いだした。
夏を登ってきたことばを-------
「花」ということばを。
「花」-------ひとつの盲目のことば。
.................................................................................................................
沈黙するための言葉 あるいは 盲目のことば
石原吉郎の詩とつながるものがあり
テオ・アンゲロプロスの映画にも読み取ることができます。
テオ・アンゲロプロスの映画
詩を読むように 映像を読み開き
沈められていたイメージをめくり
盲目のことばに耳をかたむける
そんな感じで見ています。
他の映画を見ても感動しなくなったこと
決して不幸なことではありません
ぼくにとって。
まず、撮影手法です。

ハリウッド的映画が氾濫し、そういう手法に慣れている人には
退屈な映画かもしれませんが。
短いシーンを切り繋いで短時間にスピーディーに
物語を進めていくのがハリウッド的映画とすれば
彼の映画は 長いワンシーンを全くカットせずに
持続的に情景をパンしていきます。
ズームやスローといった特殊効果は使いません。
勿論デジタル処理や加工といったことも一切しません。
まるでその場に私たちが居合わせて
ずーっとその物語を自分の目で見て
一緒に体験しているような
そんな不思議な感じなのです。
私たちの目にはズームやスローといった機能はなく
首や体をを振って見渡したり、自分が歩いて近づいていって
覗き込んだりといったことができるだけです。
彼の映画では
カメラは人間の視点と人の速度に基づいて
ゆっくりと動いていきます。
私たちの視点にはカットというのも存在しません。
時間的持続のなかで切れ目なく眺めていくものです。
彼の映画には特に美しい風景や感動的な場面があるわけではありません。
なのに何故、彼の長い映画を
ずっと飽きることなく見続けることができて
こんなにも感動するのだろうかと考えます。
切れ目のない持続的なシーンの中に
内的な何かを感じてしまうことでしょうか。
セリフはすくないものの
言葉が詩的で比喩に満ちています。
一冊の詩集を静かに読んでいるような気がしますし
自分の内部を静かに彷徨っているような気さえします。
行間が海であるならば
その海に自分を浮かべることができ
自分の意識を映像の中に溶け込ませるかのような
目眩を感じます。
彼はインタビューの中で語っています。
リルケやパウル・ツェランの詩が好きだと。
...............................................................................................................
パウル・ツェラン 雪の区域(パート)
Paul Celan Schneepart
----------------------------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------------------------
みずからを延期するな、 おまえよ。
あなたは今日
何に対しても、沈黙していてください。
きみの夢を進水させよ、
その夢の中にきみの靴をくるみこめ、
...............................................................................................................
パウル・ツェラン 死のフーガ
Paul Celan Todesfuge
ことばの格子 Sprachgitter より

ぼくらは
手のひらだった。
ぼくらは闇をからになるまで掬った。ぼくらは見いだした。
夏を登ってきたことばを-------
「花」ということばを。
「花」-------ひとつの盲目のことば。
.................................................................................................................
沈黙するための言葉 あるいは 盲目のことば
石原吉郎の詩とつながるものがあり
テオ・アンゲロプロスの映画にも読み取ることができます。
テオ・アンゲロプロスの映画
詩を読むように 映像を読み開き
沈められていたイメージをめくり
盲目のことばに耳をかたむける
そんな感じで見ています。
他の映画を見ても感動しなくなったこと
決して不幸なことではありません
ぼくにとって。
2008年02月02日
虚無
インクジェットプリンターで
Tシャツとエコバックとランチョンマットを
作ってみました。

全て同じモチーフをプリントしましたが
それぞれ 素材や 質感 用途 によって
感じが変わってきます。

和文字と英文字のタイポグラフィーです。
前回作ったタイポグラフィーのTシャツは
こちら
今回は和文字を使いましたが
やはり 意味 が直感的に解ることと
グラフィック的な面白さが表現されます。
和文字のソースは
宮澤賢治 の ”春と修羅”です。
宮澤賢治は世界で
最も優れた詩人だと思っています。
”春と修羅”の古くに印刷された本から拾いましたので
凸版印刷の刻印された味が拡大され強調されています。
ここに ちりばめられた言葉たちは
連鎖し合い 深い宇宙を形成しています。
特に ランチョンマットは 焼いたりして
ダメージ感を出しています。
イカリ さん曰く
”これ敷いてメシは喰えないナ
飯が喉を通らないし 消化不良になる。
飯は何にも考えずに喰うもんじゃ!”
と
その通りです。
僕の本当の密かな目的は
焼酎と少しの肴を載せる
魔法のゴザなのです。
このゴザの文字を見てるだけで
酔ってくる。
眩暈 というやつが
訪れます。
ゆっくり 言葉を一つ一つ拾いながら
想いを漂わせ 虚ろになっていく....
良い ナー
焼酎の銘柄に
”虚無”
なんてのがあったら
絶対 買う!
このショーチューオンゴザを
一升瓶に巻いて売る。
作ってください。お願いです。

虚無Tを着て、虚無バック ひっさげて
虚無
を買いに走りますから。
ZenBeat 虚無
Hobo's ZenBeat に関してはこちらで
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
Tシャツとエコバックとランチョンマットを
作ってみました。

全て同じモチーフをプリントしましたが
それぞれ 素材や 質感 用途 によって
感じが変わってきます。

和文字と英文字のタイポグラフィーです。
前回作ったタイポグラフィーのTシャツは
こちら
今回は和文字を使いましたが
やはり 意味 が直感的に解ることと
グラフィック的な面白さが表現されます。
和文字のソースは
宮澤賢治 の ”春と修羅”です。
宮澤賢治は世界で
最も優れた詩人だと思っています。
”春と修羅”の古くに印刷された本から拾いましたので
凸版印刷の刻印された味が拡大され強調されています。
ここに ちりばめられた言葉たちは
連鎖し合い 深い宇宙を形成しています。
特に ランチョンマットは 焼いたりして
ダメージ感を出しています。
イカリ さん曰く
”これ敷いてメシは喰えないナ
飯が喉を通らないし 消化不良になる。
飯は何にも考えずに喰うもんじゃ!”
と
その通りです。
僕の本当の密かな目的は
焼酎と少しの肴を載せる
魔法のゴザなのです。
このゴザの文字を見てるだけで
酔ってくる。
眩暈 というやつが
訪れます。
ゆっくり 言葉を一つ一つ拾いながら
想いを漂わせ 虚ろになっていく....
良い ナー
焼酎の銘柄に
”虚無”
なんてのがあったら
絶対 買う!
このショーチューオンゴザを
一升瓶に巻いて売る。
作ってください。お願いです。

虚無Tを着て、虚無バック ひっさげて
虚無
を買いに走りますから。
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2008年01月01日
お年賀です
明けましておめでとうございます。

2007年5月に Blog ZenBeat を書き始めました。
沢山の方にご覧になっていただき
有り難うございました。
今年も宜しくお願いいたします。
お正月はなんといっても
お餅を焼いて
ナマコ、数の子でちょいとお酒を飲み
お気に入りの音楽を聞き
かみさんと二人でああだこうだと論争し
テオ・アンゲロプロスの映画作品をゆっくり見て
時折、居眠りもし
寝転びながら iPod Touch でネットのお散歩をする。
思い出した様に、Old Mac を引っ張りだしてきて
ポーンと立ち上げてみる。
ニコニコマックにご挨拶をし
起動画面で筆文字の
-明けましておめでとうございます。-
を見て、納得して special Menu から 終了を選ぶ。
ん 内蔵電池が切れているので 日付はいつも1月1日ですから
一年中いつ立ち上げても
-明けましておめでとうございます。-
なのですが
やはり元旦に拝むところに
価値があるように思っていたりする。
さて 一句
お正月 ビーフラットで ホラを吹き

B♭のブルースハープはホーナー製なので
ホーナーとホラをかけたんですが
苦しいか。
私 ハモニカも吹きますが ホラも吹きます。
B♭で
テレビも見ず、
どこへも行かず
誰にも逢わず、
何もしない。
自分の好きなことだけ
時間をかけて
ゆっくりと楽しむ。
漂うように...........
..........................................................................................
hama の ウキオ & hama の イカリ の 初 Talk
..........................................................................................
僕はイカリさん(かみさんのこと)に言わせると
漂うことが好きなようで
頭ん中も足元も around & around
Hobo's は漂い続けるものですが
ーあなたは 糸の切れた凧 か 浮き舟 みたいだから
名前は ウキオ にする。ー
と 脅しをかけられ 以後 ウキオ君と呼ばれることになりました。
じゃあ 君は イカリ じゃないか
僕が漂い流されて何処にも行かない様に
繋ぎ止めておく為の。
Ball & Chain の ball で タマちゃん でもいいけど
タマ では 可愛すぎるし
錨 は 時々 怒り になるので
イカリ にしました。
でもね イカリを引き摺ってでも 僕は
た だ よ う .......。
と書いて気がついたこと
最後の ......。 が Ball & Chain みたいで
やはり
た だ よ う
です 最後の ......○ は決して付けない
初トークの初笑いで
幕をあけます
Hobo's ZenBeat に関してはこちらで
染型工房横山工藝 http://www.ykougei.jp/
オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
皆さん 今年も良いお年になります様に

2007年5月に Blog ZenBeat を書き始めました。
沢山の方にご覧になっていただき
有り難うございました。
今年も宜しくお願いいたします。
お正月はなんといっても
お餅を焼いて
ナマコ、数の子でちょいとお酒を飲み
お気に入りの音楽を聞き
かみさんと二人でああだこうだと論争し
テオ・アンゲロプロスの映画作品をゆっくり見て
時折、居眠りもし
寝転びながら iPod Touch でネットのお散歩をする。
思い出した様に、Old Mac を引っ張りだしてきて
ポーンと立ち上げてみる。
ニコニコマックにご挨拶をし
起動画面で筆文字の
-明けましておめでとうございます。-
を見て、納得して special Menu から 終了を選ぶ。
ん 内蔵電池が切れているので 日付はいつも1月1日ですから
一年中いつ立ち上げても
-明けましておめでとうございます。-
なのですが
やはり元旦に拝むところに
価値があるように思っていたりする。
さて 一句
お正月 ビーフラットで ホラを吹き

B♭のブルースハープはホーナー製なので
ホーナーとホラをかけたんですが
苦しいか。
私 ハモニカも吹きますが ホラも吹きます。
B♭で
テレビも見ず、
どこへも行かず
誰にも逢わず、
何もしない。
自分の好きなことだけ
時間をかけて
ゆっくりと楽しむ。
漂うように...........
..........................................................................................
hama の ウキオ & hama の イカリ の 初 Talk
..........................................................................................
僕はイカリさん(かみさんのこと)に言わせると
漂うことが好きなようで
頭ん中も足元も around & around
Hobo's は漂い続けるものですが
ーあなたは 糸の切れた凧 か 浮き舟 みたいだから
名前は ウキオ にする。ー
と 脅しをかけられ 以後 ウキオ君と呼ばれることになりました。
じゃあ 君は イカリ じゃないか
僕が漂い流されて何処にも行かない様に
繋ぎ止めておく為の。
Ball & Chain の ball で タマちゃん でもいいけど
タマ では 可愛すぎるし
錨 は 時々 怒り になるので
イカリ にしました。
でもね イカリを引き摺ってでも 僕は
た だ よ う .......。
と書いて気がついたこと
最後の ......。 が Ball & Chain みたいで
やはり
た だ よ う
です 最後の ......○ は決して付けない
初トークの初笑いで
幕をあけます
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オーダーよさこい屋 http://www.yosakoiya.jp/
皆さん 今年も良いお年になります様に
2007年12月20日
夢の彼方
友人から電話がありました。
最近ブログ書いてないじゃない
そういえば一ヶ月以上ご無沙汰してます。
ここしばらく DVDやLD で映画を見ていました。
ずっと気になっていたけど見ていなかった映画
テオ・アンゲロプロスの作品集。
『霧の中の風景』を見てから のめり込みました。
『旅芸人の記録』『こうのとり、たちずさんで』『ユリシーズの瞳』
『永遠と一日』『エレニの旅』
と一気に見続けて、ふと、時を忘れかけておりました。

今まで気になっていながら見てなかった理由は
多分、寝てしまうだろうということと
時間をゆったり使う余裕が無かったことでしょうか。
でも見始めて、眠ることはほとんどありませんでした。
タルコフスキーの映画は、必ずどこかで寝てしまいます。
何度見ても寝ますが、寝る場面がそれぞれ違うので
結果的にはほぼ一本の映画として見ているようです。
タルコフスキーの映画には哲学的な美しさがありますが
テオ・アンゲロプロスの映画は詩的な美しさが際立っています。
そこが、眠らずに最後まで見てしまう僕の理由かも知れません。
何本かの映画を見ましたが、共通しているテーマは
何かを捜して、追い求めていく旅だと思われます。
それが作品によっては、
不在の父親であり、失われたフィルムであり、時間であり、永遠であり、失われた言葉であり
演奏されたことのない譜面であり、夢の中での河の源なのです。
不在、喪失、欠如、過去、言葉、音楽、詩、永遠、夢
といった 存在してはいないもの、
彼方にあるもの、
遠くに在るもの
を 追い求めています。
風景や情景や時間さえ
どこか遠くを感じさせてくれます。
求めても決して手に入れることはできないもの
暗闇に封印されていて未現像のイマージュ
もともと 在りはしなかったかも知れないもの
そういったものを追い求めていく旅であるように思えます。
インタビューで語っていること
<20世紀の戦争はサラエヴォにはじまり サラエヴォで終わっている
どうして人間は同じ過ちを繰り返すのか>
<津波は天災ですから、起きることは避けられませんが
人間が人間を悲劇に追い込む戦争は避けることが出来るはずです>
<この道は多くの難民と兵士たちが通った。その度に道の名前が変わった>
ギリシャの政治や歴史のことはわかりませんが
彼の映画を見ると、ギリシャが多くの国に翻弄されきたのがわかります。
映画の主人公たちもテオ・アンゲロプロスも
夢の彼方にあるものを捜しているような気がします。
テオ・アンゲロプロスの作品を語るには多くの時間が必要ですが
少しづつ
ゆっくりと
時間をかけて
思いついたことを書いていくつもりです。
彼の映像の流れのように、静かに、途切れることなく 言葉少なに
書いていけたらいいと思っています。
テオ・アンゲロプロスの音楽は
いつも エレニ・カラインドルーが担当しています。
彼女の旋律はどの映画もよく似ていますが
情景に溶け込んでいて、物悲しく美しい。
特にアコーデオンによる旋律が
たまらなく良いです。

今年のお正月の休みは
ゆっくりとテオ・アンゲロプロスの作品集を見る予定です。
最近ブログ書いてないじゃない
そういえば一ヶ月以上ご無沙汰してます。
ここしばらく DVDやLD で映画を見ていました。
ずっと気になっていたけど見ていなかった映画
テオ・アンゲロプロスの作品集。
『霧の中の風景』を見てから のめり込みました。
『旅芸人の記録』『こうのとり、たちずさんで』『ユリシーズの瞳』
『永遠と一日』『エレニの旅』
と一気に見続けて、ふと、時を忘れかけておりました。

今まで気になっていながら見てなかった理由は
多分、寝てしまうだろうということと
時間をゆったり使う余裕が無かったことでしょうか。
でも見始めて、眠ることはほとんどありませんでした。
タルコフスキーの映画は、必ずどこかで寝てしまいます。
何度見ても寝ますが、寝る場面がそれぞれ違うので
結果的にはほぼ一本の映画として見ているようです。
タルコフスキーの映画には哲学的な美しさがありますが
テオ・アンゲロプロスの映画は詩的な美しさが際立っています。
そこが、眠らずに最後まで見てしまう僕の理由かも知れません。
何本かの映画を見ましたが、共通しているテーマは
何かを捜して、追い求めていく旅だと思われます。
それが作品によっては、
不在の父親であり、失われたフィルムであり、時間であり、永遠であり、失われた言葉であり
演奏されたことのない譜面であり、夢の中での河の源なのです。
不在、喪失、欠如、過去、言葉、音楽、詩、永遠、夢
といった 存在してはいないもの、
彼方にあるもの、
遠くに在るもの
を 追い求めています。
風景や情景や時間さえ
どこか遠くを感じさせてくれます。
求めても決して手に入れることはできないもの
暗闇に封印されていて未現像のイマージュ
もともと 在りはしなかったかも知れないもの
そういったものを追い求めていく旅であるように思えます。
インタビューで語っていること
<20世紀の戦争はサラエヴォにはじまり サラエヴォで終わっている
どうして人間は同じ過ちを繰り返すのか>
<津波は天災ですから、起きることは避けられませんが
人間が人間を悲劇に追い込む戦争は避けることが出来るはずです>
<この道は多くの難民と兵士たちが通った。その度に道の名前が変わった>
ギリシャの政治や歴史のことはわかりませんが
彼の映画を見ると、ギリシャが多くの国に翻弄されきたのがわかります。
映画の主人公たちもテオ・アンゲロプロスも
夢の彼方にあるものを捜しているような気がします。
テオ・アンゲロプロスの作品を語るには多くの時間が必要ですが
少しづつ
ゆっくりと
時間をかけて
思いついたことを書いていくつもりです。
彼の映像の流れのように、静かに、途切れることなく 言葉少なに
書いていけたらいいと思っています。
テオ・アンゲロプロスの音楽は
いつも エレニ・カラインドルーが担当しています。
彼女の旋律はどの映画もよく似ていますが
情景に溶け込んでいて、物悲しく美しい。
特にアコーデオンによる旋律が
たまらなく良いです。

今年のお正月の休みは
ゆっくりとテオ・アンゲロプロスの作品集を見る予定です。
2007年11月09日
Tom Waits
遅れてきたビートニク、早すぎたパンクロッカー
こと トム・ウェイツ です。

彼のレッテルは多々あります。
酔いどれ吟遊詩人、奇人、変人、怪物、浮浪者などなど。
Hobo と Beatnik 的でありながらそのいずれにも属さない
俺はおれ 的スタンスで突っ走るパフォーマンスの世界が勇気を与えてくれます。
Tom Waitsがファーストアルバムをリリースしたのは1973年。
そのファーストの日本盤LPからのおつきあいですから、かれこれ35年近くになります。
老いてますますのトム君もいまだに私の脳味噌のラジカルな領域に
得体の知れない迎撃不能のミサイルを打ち込んでくれます。
かれのパフォーマンスは You Tube でご覧ください。
CDを聞くのもいいですが、彼はLiveでのパフォーマンスの映像を見るのが一番かなと思います。
勝手にやってくれと言いたくなりますが。
でも彼は多分奥様とのコラボにより映像による演技的加速を始めたように感じます。
その意味でさらに深みと領域拡大を追求できたようにおもえます。
よきパートナーを得ることの重要さを感じます。
僕の一番のパートナーはやはり奥様なのですが
彼女、干支がウシのせいか
毎晩、緑のウシベイ USIBEY を飲んでおります。
ローマ字を反対に読んでいただければ銘柄がわかりますが。
Tom WaitsのFirst Album Closing Time を
最初から一緒にレコードで聞いていますので
やはり、このアルバムが一番好きなようであります。
ピアノ メインで静かに暗く歌っている感じがよいです。
この人はジム・ジャームッシュの映画とかで
若い人にはお馴染みかもしれませんが
やはり生粋のHoBo Beatの唄人なのです。
この人の歌は多くの人がカバーしていますが
特に、Holly cole のTemptationが優れています。
全曲Tom Waits のカバーというのがすごいですが
女性が歌う、男臭い男のLonelyな情感というのも良いですね。
得体の知れないオトコへの憧れなのかも知れません。

Tom Waitsのofficialなライブ映像は残念ながらほとんどありませんが
唯一、1987年に行われたコンサートのライブドキュメンタリー映画があります。
BIG TIME です。
演劇的要素の強い構成になっていますが
楽団もなかなか無国籍的情緒があってよいです。
You Tubeに一部の映像がアップされていますのでご覧ください。
この音源はCDでリリースされていますが
映像で彼のパフォーマンスを見ていないひとは
多分、このライブの20%くらいしか体験していないんじゃないかと思われるくらい
面白くて過激な内容なんです。
いまだにDVDで再発されていないのがとても残念ですが
SWORDFISHTROMBONES Rain Dogs Franks Wild Years
このあたりが一番のっているかんじです。
ぼろい納屋みたいな小屋で 鍋かま 叩いて
にわとりや野良犬と一緒に吠えまくるかと思えば
自分で紙吹雪を飛ばしながら
メガホン片手にアジテーションしてみたりと
サーカス小屋での酒宴の席の余興といった感じが
一番 似合ってるおじさまです。

というところで
きょうもウシさんと
緑のウシベイで トム坊やに乾杯して
中期の彼のアルバムを聞きました。
そしてBIG TIMEを見ながら
中期アルバムの中にも琴線に響く曲はあるようで
ぼくの好みと似たところがあるのですが
どっか デカダンな世紀末風なtune
東欧的な物悲しい旋律が好きなようであります。
ウシさん曰く
あなたって、飲みにいったときは
こんな感じで、アジってんじゃないの?
とぼくのことををヤジります。
また、僕がよく言う 自己矛盾的自己同一 というセリフをヤユってか
<トム・ウェイツって自己満足的自己陶酔の世界ネ!>
と軽く放ってくれます。
さて このへんで Closing Time です。
また今度の開店をお楽しみに。
Hobo's と ZenBeat に関しては こちらのお席 で
2007年10月14日
見えない敵
これも久々に改めて見た過去の映像のお話です。

たまたま、古書店で見つけた本。
本の題名は<さまよえるヒーローたち>
副題が<あるベトナム帰還兵> です。
製作 BBC 1987年8月13日 NHK放映
英国BBCだからこそ作れたドキュメンタリーかもしれない。
この本は1987年に放映されたテレビ映像のシナリオというか
ドキュメンタリーの記録ですが
放映後6年もたってからの1993年に出版された本です。
このビデオの録画、過去何度も見ていますが
森で生活するベトナム帰還兵4人の男たちの
怒りをおさえた告白の内容に
強烈な衝撃をおぼえました。
ベトナム戦争がどういう戦争だったのか僕には解りません。
今 振り返ってみて 僕が 思いついたことを書いてみます。
戦争は 敵 との闘いに違いはありませんが
ベトナム戦争以来 見えない敵 との闘いといった様相が
ますます強くなってきています。
このドキュメンタリーのテーマ曲は
映画<ディア・ハンター>のテーマ曲
ジョン・ウィリアムスのギター演奏での
美しく物悲しいメロディーの<カヴァティーナ>です。
ドキュメンタリーに挿入されている映画は
<ランボー>の一場面。
映画<ディア・ハンター>と<ランボー>に
オーバーラップしたドキュメンタリーといえます。
<ディア・ハンター>については別の機会に
詳しく書いてみようと思いますが
長い前半の屈託の無い若者たちの幸せな描写が好きです。
そのあと一転してベトナムの戦場に切り替わりますが
当時の若者達がいきなり戦場に送り出された状況の再現と思われます。
ただ、この映画でベトナムでの内容は<ロシアン・ルーレット>に終始しています。
バイカーのジェイクはこう語ります。
(ディア・ハンターを見てロシアン・ルーレットを俺もやってみたさ。
6分の1の確率は決して高くはない。ベトナムのジャングルの中はそれ以上だ。)
また、水辺をライフルを携え歩きながらブルースが静かに語る
(死を心待ちにしている。生きるのは拷問のような苦しみだ。
弱い人間じゃないから自殺などは考えないが
死が訪れたら喜んで迎えるだろう。)
ベトナム戦争での米軍側の死者および行方不明者の数はおよそ五万八千。
しかし、米国務省の退役軍人担当官の推計では
その倍の十万人にのぼるベトナム帰還兵が自ら命を絶っている。
16や17歳の子供達が過酷に訓練され、敵に対する憎しみを植え付けられ
いきなり即座に飛行機でベトナムのジャングルに放り出される。
ディア・ハンターのマイケルのように正気を保てる人はごく稀に違いない。
敵一人を殺すのに何発の弾を使ったかというデータが
以前読んだ本の中にありました。
数は記憶にありませんが、ベトナム戦争で使用した弾の数は
2つの大戦とは比較にならないくらいの膨大な数値でした。
このことからも解るように
現在ますます 見えない敵 との闘いに
陥っているように思えてなりません。
アメリカが破壊したものは
ベトナムの国土や人々や美しい自然だけでなく
自国の純良な若者達の精神だということを
このドキュメンタリーを見て感じたことです。
では <カヴァティーナ>を聞きながら........

たまたま、古書店で見つけた本。
本の題名は<さまよえるヒーローたち>
副題が<あるベトナム帰還兵> です。
製作 BBC 1987年8月13日 NHK放映
英国BBCだからこそ作れたドキュメンタリーかもしれない。
この本は1987年に放映されたテレビ映像のシナリオというか
ドキュメンタリーの記録ですが
放映後6年もたってからの1993年に出版された本です。
このビデオの録画、過去何度も見ていますが
森で生活するベトナム帰還兵4人の男たちの
怒りをおさえた告白の内容に
強烈な衝撃をおぼえました。
ベトナム戦争がどういう戦争だったのか僕には解りません。
今 振り返ってみて 僕が 思いついたことを書いてみます。
戦争は 敵 との闘いに違いはありませんが
ベトナム戦争以来 見えない敵 との闘いといった様相が
ますます強くなってきています。
このドキュメンタリーのテーマ曲は
映画<ディア・ハンター>のテーマ曲
ジョン・ウィリアムスのギター演奏での
美しく物悲しいメロディーの<カヴァティーナ>です。
ドキュメンタリーに挿入されている映画は
<ランボー>の一場面。
映画<ディア・ハンター>と<ランボー>に
オーバーラップしたドキュメンタリーといえます。
<ディア・ハンター>については別の機会に
詳しく書いてみようと思いますが
長い前半の屈託の無い若者たちの幸せな描写が好きです。
そのあと一転してベトナムの戦場に切り替わりますが
当時の若者達がいきなり戦場に送り出された状況の再現と思われます。
ただ、この映画でベトナムでの内容は<ロシアン・ルーレット>に終始しています。
バイカーのジェイクはこう語ります。
(ディア・ハンターを見てロシアン・ルーレットを俺もやってみたさ。
6分の1の確率は決して高くはない。ベトナムのジャングルの中はそれ以上だ。)
また、水辺をライフルを携え歩きながらブルースが静かに語る
(死を心待ちにしている。生きるのは拷問のような苦しみだ。
弱い人間じゃないから自殺などは考えないが
死が訪れたら喜んで迎えるだろう。)
ベトナム戦争での米軍側の死者および行方不明者の数はおよそ五万八千。
しかし、米国務省の退役軍人担当官の推計では
その倍の十万人にのぼるベトナム帰還兵が自ら命を絶っている。
16や17歳の子供達が過酷に訓練され、敵に対する憎しみを植え付けられ
いきなり即座に飛行機でベトナムのジャングルに放り出される。
ディア・ハンターのマイケルのように正気を保てる人はごく稀に違いない。
敵一人を殺すのに何発の弾を使ったかというデータが
以前読んだ本の中にありました。
数は記憶にありませんが、ベトナム戦争で使用した弾の数は
2つの大戦とは比較にならないくらいの膨大な数値でした。
このことからも解るように
現在ますます 見えない敵 との闘いに
陥っているように思えてなりません。
アメリカが破壊したものは
ベトナムの国土や人々や美しい自然だけでなく
自国の純良な若者達の精神だということを
このドキュメンタリーを見て感じたことです。
では <カヴァティーナ>を聞きながら........
2007年10月03日
宇宙船とカヌー
宇宙船とカヌー

1987年頃にテレビで放映された サイエンスファンタジー
「ガイアシンフォニー」の龍村仁監督による
宇宙物理学者のフリーマン・ダイソン博士と
カヌー制作に没頭するナチュラリストの息子ジョージ・ダイソンの
ドキュメンタリー映像です。
当時、録画したものを久々にゆっくりと見ました。
過去、何度も見ていますが20年の歳月を通過して見た映像
いまだからこそ深く美しい内容のドキュメンタリーです。
私たちが亡くしたもの、見失った物を痛感します。
ダイソン親子の二人の言葉を
宇野重吉と寺尾聡の親子の
朴訥としたナレーションで
味わい深い。

ケネス・ブラウワーの著作にもなっている
The Starship and the Canoe
ちくま文庫から出ていましたが
今は廃判になっています。
”ジョージのカヤックはほんとうに"美しい"。
私は86年に新しく完成したばかりのジョージの2人乗りカヤックで
アラスカのトーチ湾からカナダブリティッシュコロンビアのハドソン島まで
8000キロの沿岸水路の旅を撮影し、
「宇宙船とカヌー」という作品にまとめた。”
この映像も いまだに DVD 化されていません。
とても残念なことです。
ジョージ・ダイソンのツリーハウスというか
木の上の家は地上29メートルの高さで
彼は木の梯子を軽々と登っていきます。
そこにはストーブとベットがあり
遥か下のほうには美しい沿岸水路が見渡せます。

宇宙物理学者のフリーマン・ダイソンは息子のジョージのことをこう評価しています。
「私は宇宙の真理を数式で考え理解しようとするのだが、
彼はまるで音楽家が作曲する様なやり方でカヤックを作ってしまうんだ。
頭でなく手で物事を考える。」
と。
論理で世界を理解していく父と
手で世界を作りだしていく子の
ドキュメンタリ

1987年頃にテレビで放映された サイエンスファンタジー
「ガイアシンフォニー」の龍村仁監督による
宇宙物理学者のフリーマン・ダイソン博士と
カヌー制作に没頭するナチュラリストの息子ジョージ・ダイソンの
ドキュメンタリー映像です。
当時、録画したものを久々にゆっくりと見ました。
過去、何度も見ていますが20年の歳月を通過して見た映像
いまだからこそ深く美しい内容のドキュメンタリーです。
私たちが亡くしたもの、見失った物を痛感します。
ダイソン親子の二人の言葉を
宇野重吉と寺尾聡の親子の
朴訥としたナレーションで
味わい深い。

ケネス・ブラウワーの著作にもなっている
The Starship and the Canoe
ちくま文庫から出ていましたが
今は廃判になっています。
”ジョージのカヤックはほんとうに"美しい"。
私は86年に新しく完成したばかりのジョージの2人乗りカヤックで
アラスカのトーチ湾からカナダブリティッシュコロンビアのハドソン島まで
8000キロの沿岸水路の旅を撮影し、
「宇宙船とカヌー」という作品にまとめた。”
この映像も いまだに DVD 化されていません。
とても残念なことです。
ジョージ・ダイソンのツリーハウスというか
木の上の家は地上29メートルの高さで
彼は木の梯子を軽々と登っていきます。
そこにはストーブとベットがあり
遥か下のほうには美しい沿岸水路が見渡せます。

宇宙物理学者のフリーマン・ダイソンは息子のジョージのことをこう評価しています。
「私は宇宙の真理を数式で考え理解しようとするのだが、
彼はまるで音楽家が作曲する様なやり方でカヤックを作ってしまうんだ。
頭でなく手で物事を考える。」
と。
論理で世界を理解していく父と
手で世界を作りだしていく子の
ドキュメンタリ