2012年01月27日
Across the Universe
今年の 初夢 は 憶えていない
初夢ではないが このまえ
2009年に 亡くなった K の夢を見た。
…………………………………………………………………………

彼の住処に遊びに行った夢です。
海岸に近い土地を歩いています。
道路や野原やその先に砂浜のある
広く 切り開かれた土地ですが
道路や空き地に アスファルトで覆われた場所はありません
すると 4人の男が
一つの白く長いプラスティックの衣裳ケースのような箱を
手に提げて歩いてきます
その 柩のような箱に蓋はなく
何故かモミガラが半分くらいまで入っています。
その中の一人が K で
彼が 僕に 言います。
この土地は 神聖な土地で
君は よそ者だから 入ってはいけない
長老に許可をもらってくるから 待っててくれ
と 歩いて行きました。
そうか ここは神聖な場所だから
住居もなく 道路には舗装もされていない
自然そのものの ゾーン で
僕のような よそ者が入ってはいけないんだ
と 気が付いたところで 夢から醒めた
醒めて しばらく ベットの上で 夢の意味を考えていると
そうか そういうことか と気が付いた
K は 既に 亡くなっている
彼らがいる 神聖な場所 とは
この世の 場所では ないのだ
ぼくは よそもの(ジプシーの言葉でガッジョ) で
そこに入ってはいけないし
そこを歩く為には 一時的に許可がいると
そういうことだったんだろうと思う
…………………………………………………………………………
彼が見た夢の話を 随分前に 話してくれた
以前のブログにも書いたが
小さい子供達が 数人で凧揚げしてる
その凧揚げで 子供達が競っていることは
誰の凧が あの青い空の青の色に
最もよく 染まるかということなんだ
と
…………………………………………………………………………
そのころ 僕はこんな夢を見た
Kが おみやげ といって
大きな マリモ を 持って来た
その マリモ
直径30センチくらいの お饅頭型
ぼくは それより大きな 丸い水盤に
水をひたひたにいれ そのマリモを飼うことになる
お天気やさんの マリモ で
機嫌の悪い時は
水を吸ったり吐いたり 一日中
ズーズー ズルズル と嫌な音をたてている
ところが 機嫌のいい時は
お饅頭の表面全体に 綺麗な花を咲かせる
なかなか 憎めないやつで
かわいい ところが ある
…………………………………………………………………………
幻覚性キノコ
マジックマッシュローム のはなし
Kはそのキノコの作用についてこう言った
自分と 他者と 世界の中枢に はいれる と
そして アメリカで
マジックマッシュロームで体験した
黄泉の国 で出逢った 昔の恋人の話もしてくれた。
これは ビデオに撮ってあるので
テープが出てきたら また 話の内容をご紹介します。
…………………………………………………………………………
ぼくが体験したことは キノコ ではありませんが
こんな感じでした
自分が無限に溶けていく感じ
自分という自我、姿、形 全てが溶けていきます
自分と廻りの物や人や自然との間に境界が無くなり
全てのものが 溶け合って つながりあっていく
全く 差異のない世界そのもの
自分という ガードも鎧も意識も無くなっていく
心地よい スープのなかに浮かび
スープ そのものになっているような
そんな 状態 でした
醒めてから あ これが 愛 というものか と思いました。
それからは 人も動物も花や木や植物も水や空気や石ころでさえ
全ても物が 一つの大きな現象のなかの ひとつの事象なのだと
そう 思う様になりました。
僕という現象は その大きな何かからの 贈り物だと。
自分の命でさえ 預かりものなので
いつか お返ししなければならないし
お返しする以上 お借りした時より 良い状態で
長い間 ありがとうございましたと 頭を下げるものでしょう。
よく 子供達は こう言います
これは 僕の物なのだから 僕がどうしようと勝手だ と
違います
僕の物など ひとつもありません
すべては 借りて預かっているだけです
自分の 命でさえ
僕は 自分の手で死ぬことはできません
そうすれば 借りた私を
お返しすることができないからです。
…………………………………………………………………………
宮澤賢治 心象スケツチ <春と修羅>
第一集 の 序 から
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
大正十三年一月廿日
…………………………………………………………………………
私たちは 小さい頃から この世で生きていく為の
感覚、概念,風習,法則 等々を教え込まれ
自分と他とを分離し、比較し
知らず知らずのうちに 自我という城を構築し
鎧を着て 武器を手にしている。
その 長い間に作られてきた自我を壊し
自分を脱ぎ捨て 全てを御破算(ごわさん)にすること
珠を払って自分を 零 の状態にすると
無垢の感性で 世界を感じ、眺め、味わうことができます。
どれだけ 豊かな世界かを 初めて知ります。
その無垢な感性に我々は 蓋をして生活しているだけです。
零 の状態になれば 私は 溶けていきます。
私は 零 になり 先程言った
全てが 溶け合い つながり 一つになった状態
すなわち 無 = 全 になります。
ここから 本当の 旅 が 始まります。
Across the Universe

それは 体験しないと わからない世界です
翻訳 説明 放映 不可能です。
では また
2012年01月01日
2012年 さて 何をを盗むか
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。

皆様にとっても
この 日本にとっても
そして 世界にとっても
少しでも良い年になるよう願っています。
………………………………………………………………………………
去年は 公私ともに大変な年でした。
特に 原発での事故は 最大のものでした。
でした という 過去形は間違っています。
収束まで これから何十年も何百年もかかるでしょうから。
3.11以前 無関心であった我々にも責任はあります。
3.11以後 皆が原発と放射能のことを学んだと思います。
しかも 自分で学ばない限り
真実は掴めないということも わかりました。
政府や電力会社やマスコミが
いかに 騙し 隠蔽し ごまかしの報告をしてきたか
ということも はっきりと わかりました。
自分の手で掴み自分の眼でみて自分の耳で聞いたもの以外は
まともに 信じないこと です。
といっても 距離のあるところのものを
直接見ることができませんから
報告、説明する人や 報道機関の 信頼性に頼るしかありません。
幸い インターネットでの情報は限りなく多く
編集やカットされていない 生の映像なども見れます。
中東や ロシア そして アメリカ でも
携帯電話とインターネットによる個人間のネットワークで
大きなデモが組織され 政権が倒される事態にまでなっています。
ロシアのプーチンもそのうち倒されるでしょう。
今かなり規制されている中国でも そうなるかもしれません。
2012年は さらに 加速するとおもいます。
………………………………………………………………………………
さて その 携帯電話とインターネット といえば
去年 Appleの スティーブ・ジョブス が 亡くなりました。
彼は 新しいデバイスを次々と生み出してきました。
しかし 盗むことに関しても 天才でした。
ヴァネヴァー・ブッシュの Memex や"As We May Think"
ダグラス・エンゲルバートのマウス、ハイパーテキスト
ゼロックスのパロアルトや研究所や
モトローラに閉じ込められていた技術を
盗み 世界中の人々にばらまいたのです。
その究極が iPhone と言えます。
個人間の通話であった 携帯電話を
インターネットを介して 世界中の人々と繫ぐこと
個人の 情報や画像やメッセージが
瞬時に世界に向けて公開されるということを可能にしたのです。
もはや 個々人による 国境なき アナキズムといえます。
でも何の為に何を盗むかが問題であって
個人の利益の為に盗むのではなくて
みんなの利益のために 盗む という意味では
義賊 といえます。
盗むというより 解放すると言ったほうが正しいかもしれません。
かれは沢山の言葉を残していますが その中に
<海軍に入るより 海賊になれ>
という言葉があります。
海軍に入りたがる若者は多いが
海賊になりたがっている人は少ないのが残念。
小さい頃から満たされていると
ハングリーにはなれないか
でも 今 与えられている モノコト に満足するなよ
………………………………………………………………………………
原発ジプシー という言葉もあるが
前回のブログでも書いた 本物のジプシー
かれらの 音楽とライブと映画のDVDを沢山見た。
その中で タラフ・ドゥ・ハイドゥークス Taraf de Haidouks
というバンド名は 義賊の楽団 という意味である。
彼らは 世界中を旅して 楽団演奏をして
いままでになく 有名になり お金を稼いで
村に 電気を引いたりしている。
彼らは 底抜けに明るく 元気で
子供や家族や村や仲間を 深く愛している。
稼いだお金を皆で分かち合い
決して自分の懐に入れて 成金に成ったりはしない。
………………………………………………………………………………
今年の年賀状は そういう意味も込めてます。
私たち 家族 というより 一味 という感じですが
孫のフーちゃんが 可愛いでしょう。

うちでは モンスターとか アナキストとか呼ばれています。
破壊しつくし 暴れ回っています。
今の輝きを忘れずに
つまらない 大人にならないよう
願います。
では よい お正月を
2011年12月22日
Gypsy Swing
今回は最近見たジプシーの映画をご紹介します
万人向けの映画ではありませんが
僕は とても好きな映画です
………………………………………………………………………
『ガッジョ・ディーロ』 と 『TranSylvania』
監督はいずれも Tony Gatlif トニー・ガトリフ
ロマの血を引く監督らしく
ジプシーを内側から描いています。
最近はジプシーとは言わず ロマと言うらしい。
でも ジプシーのほうが ノスタルジックなニュアンスがある。
彼らは インド北西部からスペインまで
流浪の民であり 国境を持たない
だから 国をもたない
何者にも属さない
ただ 昔から あらゆる国で
極端に 虐げられてきた 民族である。
………………………………………………………………………
『愚かなよそ者』という意味の ガッジョ・ディーロは
村の焼き討ち場面もあるが 全体に底抜けに明るい映画

主演のロマン・デュリスとローナ・ハートナーの明るさが
光っている。

特にロマン・デュリスの 抜けた明るさ
映画 存在の耐えられない軽さ の トマシュの
はにかみを伴った 軽さ に 似ている。
主演の2人以外は 素人のジプシーが演じているので
演技という感じではなく 自然な生活感がとても良い。
………………………………………………………………………
一方 TranSylvania は 暗い

TranSylvania(トランシルバニア) へ
愛(LOVE)を捜しにきて絶望した女と
金(GOLD)を捜しにきた男の 物語
ぼくは どちらかというと TranSylvania の方が好き
あの 暗さが いい

荒涼とした 風景
何にも無い 風景
そして それに合った カメラワーク
二人の アナキズム
女は絶望の底で こう つぶやく
ひと束のわらを
私にください
この世界に
火をつけるために
このセリフとこの時の 情景が すごく良い
二人の 力強さ と 明るさ と 暗さ
とっくに 日本人が喪った 何か
体張って 生きてる 強烈なパッション
拳を上げて 歌う 労働歌

この映画の最後から エンドクレジットまで流れている曲
ジプシーの運命を歌っている内容なので 引用します。
森が青々と茂り
山が緑に覆われ
俺のツキが
定まらぬとき
悲しみの刃が
俺の体をつらぬく
この世の中は
偽善だらけ
世界全体が
俺の敵だ
奴らが考えるのは
盗っ人を葬ることだけ
俺が人からもらえるのは
イエスの手をつらぬいた釘だけ
神よ許したまえ
われらの罪を
われらの苦しみを解くため
神は俺を破門し
永遠にさすらう罪を与えた…….
………………………………………………………………………
ジプシーは遊牧民でも農耕民族でもありません
祭りや結婚式などでの演奏と踊りで生活している
日常的には 酒場での演奏と踊りです
音楽も踊りも激しいものです。
ジプシーの衣装も 音楽も好きな人は見て下さい。
………………………………………………………………………
他に ロマを描いた映画に
サリー・ポッター監督の『耳に残るは君の歌声』があります
ジョニー・デップがロマとして出演しています。
その中に Taraf de Haidouks(タラフ・ドゥ・ハイドゥークス)
という ジプシー・バンドが出てきます


ジョニー・デップは このバンドをアメリカに呼んで公演を行っています。
このバンドの CD は テンポが速いダンス・チューンが多いですが
ノイジーなバラッドなどもありいいです。
特に バイオリンの引き摺る旋律がいいです
それから アコーデオンも いい
………………………………………………………………………
トニー・ガトリフ監督の映画は 他に
ラッチョ・ドローム もろ ジプシーの音楽映画
僕のスィング ジプシー スウィングギター
そして ジャンゴ・ラインハルト
ほか Vertiges と Vengo は フラメンコ 映画
新作で Liberte

これは 二次大戦中のフランスのジプシーたちを描いている映画
早く見たい
万人向けの映画ではありませんが
僕は とても好きな映画です
………………………………………………………………………
『ガッジョ・ディーロ』 と 『TranSylvania』
監督はいずれも Tony Gatlif トニー・ガトリフ
ロマの血を引く監督らしく
ジプシーを内側から描いています。
最近はジプシーとは言わず ロマと言うらしい。
でも ジプシーのほうが ノスタルジックなニュアンスがある。
彼らは インド北西部からスペインまで
流浪の民であり 国境を持たない
だから 国をもたない
何者にも属さない
ただ 昔から あらゆる国で
極端に 虐げられてきた 民族である。
………………………………………………………………………
『愚かなよそ者』という意味の ガッジョ・ディーロは
村の焼き討ち場面もあるが 全体に底抜けに明るい映画

主演のロマン・デュリスとローナ・ハートナーの明るさが
光っている。

特にロマン・デュリスの 抜けた明るさ
映画 存在の耐えられない軽さ の トマシュの
はにかみを伴った 軽さ に 似ている。
主演の2人以外は 素人のジプシーが演じているので
演技という感じではなく 自然な生活感がとても良い。
………………………………………………………………………
一方 TranSylvania は 暗い

TranSylvania(トランシルバニア) へ
愛(LOVE)を捜しにきて絶望した女と
金(GOLD)を捜しにきた男の 物語
ぼくは どちらかというと TranSylvania の方が好き
あの 暗さが いい

荒涼とした 風景
何にも無い 風景
そして それに合った カメラワーク
二人の アナキズム
女は絶望の底で こう つぶやく
ひと束のわらを
私にください
この世界に
火をつけるために
このセリフとこの時の 情景が すごく良い
二人の 力強さ と 明るさ と 暗さ
とっくに 日本人が喪った 何か
体張って 生きてる 強烈なパッション
拳を上げて 歌う 労働歌

この映画の最後から エンドクレジットまで流れている曲
ジプシーの運命を歌っている内容なので 引用します。
森が青々と茂り
山が緑に覆われ
俺のツキが
定まらぬとき
悲しみの刃が
俺の体をつらぬく
この世の中は
偽善だらけ
世界全体が
俺の敵だ
奴らが考えるのは
盗っ人を葬ることだけ
俺が人からもらえるのは
イエスの手をつらぬいた釘だけ
神よ許したまえ
われらの罪を
われらの苦しみを解くため
神は俺を破門し
永遠にさすらう罪を与えた…….
………………………………………………………………………
ジプシーは遊牧民でも農耕民族でもありません
祭りや結婚式などでの演奏と踊りで生活している
日常的には 酒場での演奏と踊りです
音楽も踊りも激しいものです。
ジプシーの衣装も 音楽も好きな人は見て下さい。
………………………………………………………………………
他に ロマを描いた映画に
サリー・ポッター監督の『耳に残るは君の歌声』があります
ジョニー・デップがロマとして出演しています。
その中に Taraf de Haidouks(タラフ・ドゥ・ハイドゥークス)
という ジプシー・バンドが出てきます


ジョニー・デップは このバンドをアメリカに呼んで公演を行っています。
このバンドの CD は テンポが速いダンス・チューンが多いですが
ノイジーなバラッドなどもありいいです。
特に バイオリンの引き摺る旋律がいいです
それから アコーデオンも いい
………………………………………………………………………
トニー・ガトリフ監督の映画は 他に
ラッチョ・ドローム もろ ジプシーの音楽映画
僕のスィング ジプシー スウィングギター
そして ジャンゴ・ラインハルト
ほか Vertiges と Vengo は フラメンコ 映画
新作で Liberte

これは 二次大戦中のフランスのジプシーたちを描いている映画
早く見たい
2011年11月25日
架空の花々
きのう ワタル の夢を見た
ワタルに 携帯電話の番号を聞いている夢だった
090-xxx-ときて 最後の数字の4桁が カタカナで
たしか フローラ とかだった。
ただ それだけの 夢
朝 イカリさんに 話すと
あの人らしいわね と 笑っていた。
…………………………………………………………………………
ワタルは ぼくが京都にいた頃の トモ である。
詩的で アートで お洒落で 謎めいた奴だった。
彼には 世俗の色や匂い が全くなかった
いったい 何処でどういう生活をしているのか
親兄弟はいるのか 食事をして おしっこ なぞしているのかな
なんてことまで 思った。
それは なにも 僕だけが思っていた事ではなく
皆が それとなく 噂 していた。
アイツが トイレに行ったのを見た事が無い と
ぼくも 見た事はないし、一緒にトイレに入った事も無い。
…………………………………………………………………………
ドン・ファン(あのプレイボーイのドン・ファンではない)の
呪術師シリーズは 内容が真実か、それともフィクションかというのは
僕には どうでもよく 非常に面白い書物で
随分 ぼくはドン・ファンの物の考え方に影響された
この本は もう亡くなりましたがカルロス・カスタネダの著作で
南米インディアンの呪術師のフィールドワークを学ぶために
呪術師ドン・ファンの弟子になり
その時の会話と実践を克明にメモした内容です。
この中で ドン・ファンは 彼の生活を透視して カスタネダに忠告します。
女性と付き合ってるだろうが 彼女はお前との関係に飽きてきている。
お前は うすっぺらな自分を全てさらけ出し パターン化した行動をしている。
彼女にしてみれば お前が次に 何を言い どういう行動にでるかを
予測できる。 つまり 見透かされているということ。
謎のない人間は 読まれ 飽きられ 捨てられる と
これは 別な場面での 狩人と獲物 の話に通じる。
狩人は獲物のことを 良く観察し 学び そして 罠をしかける。
足跡や糞を観察して 何時間前にここを通ったかを読み取る。
たとえば 兎が 食べものを取りにいって 夕方の今頃
必ず いつものように この道を 帰ってくる。
その 最適な場所に 巧妙に罠を仕掛ける。
狩人は 獲物の行動パターンを 詳細に観察し熟知している。
逆に 我々が 獲物にならないためには どうすればよいかがわかる。
履歴を消し 世俗の習慣を捨て 行動パターンを破り 謎になること。
…………………………………………………………………………
さて ワタルの話に戻ると
彼の魅力はそこにあったように思う。
突然現れて 抽象的だけどセンスの良い話をして
いきなり フっと どこかへ 消えていく
思考回路も行動パターンも我々とは全く違う。
逆に 世間とかの一般的な人達は
常識と共通の概念を 子供の頃から教育し
皆に同じような物の考え方をさせ
予測可能で読める人間を作っていく事で 安心安全を手に入れる。
狩猟民族はいなくなり 農耕民族ばかりになり
一億総獲物化 になっている。
…………………………………………………………………………
彼は 美大のアルチザンや 文系の パルチザンの仲間と
<ですたんす>というタイトルの同人誌を出していた。

僕が 京都の岡崎アパートにイカリと住んでいる時に
彼は僕にも参加しないかと誘って来た
<ですたんす>2号 から 詩を出した。
<ですたんす>というタイトルは 吉田一穂 の詩
あゝ麗はしい距離【デスタンス】
常に遠のいてゆく風景……
から付けられた名前です。

その後 <DISTANCE> という写真集を出す
その中に 銀月アパートの IPPEY君 の部屋の写真がある

次に<airing - sheltered along flower> エアリング というアート誌を出したりして

だんだん アルチザン系になり
皆の中に文字通り <デスタンス 距離> ができ 分解してしまった。
彼とは二人だけで <麦星> を出した。

彼の詩と 僕は 詩と ディラン・トマスの<十月の詩>の訳詞をのせた。
その時の 訳の原稿が出て来た。

<麦星> は 僕が銀月アパートに住んでいるときの同人誌で
この後 僕は 阿寒へ ワタルは 小樽へ 旅立つ
…………………………………………………………………………
次は ワタルに書いた詩 です。
ワタルの心には ひゆ という少年が棲んでいる
少年は ワタルに あの土地が欲しいと
水平線の向こうの空の 夕暮れを 指差す
<見知らぬもの>との距離を測るために
ワタルは 少年の瞳に映る レッドバーンの領土に
白い紙ヒコーキを飛ばしてみる
少年は ピクニックに行きたい と ワタルにせがむ
ワタルは 少年の手を取り 少年の眼を閉じさせる
そして 部屋から部屋へと歩きながら
ワタルは 森や小川や花々の話を 少年にささやく
少年の閉じられた瞳の内側に映る ファンタスの森に
ワタルは 一羽の蝶を送り込む
…………………………………………………………………………
僕が緑の正方形で
ボリビアの森を組み立てている時
ワタルは 白いお皿の上で
架空の花々を解凍している
僕がワードプロセッサーで
言葉の森を組み立てている時
ワタルは パントマイムで
花々の想いを翻訳している
僕がコンピューターで
鳥の飛行の計算をしている時
ワタルは 白い小鳥になって
空の青さを演技している
逢いたいと思っていても逢えない友
でも 思っている時 すでに出逢っている
僕の中のワタルと ワタルのなかの僕が
連絡船の通らなくなった津軽海峡をはさんで
…………………………………………………………………………
そんな かんじ
では はま
ワタルに 携帯電話の番号を聞いている夢だった
090-xxx-ときて 最後の数字の4桁が カタカナで
たしか フローラ とかだった。
ただ それだけの 夢
朝 イカリさんに 話すと
あの人らしいわね と 笑っていた。
…………………………………………………………………………
ワタルは ぼくが京都にいた頃の トモ である。
詩的で アートで お洒落で 謎めいた奴だった。
彼には 世俗の色や匂い が全くなかった
いったい 何処でどういう生活をしているのか
親兄弟はいるのか 食事をして おしっこ なぞしているのかな
なんてことまで 思った。
それは なにも 僕だけが思っていた事ではなく
皆が それとなく 噂 していた。
アイツが トイレに行ったのを見た事が無い と
ぼくも 見た事はないし、一緒にトイレに入った事も無い。
…………………………………………………………………………
ドン・ファン(あのプレイボーイのドン・ファンではない)の
呪術師シリーズは 内容が真実か、それともフィクションかというのは
僕には どうでもよく 非常に面白い書物で
随分 ぼくはドン・ファンの物の考え方に影響された
この本は もう亡くなりましたがカルロス・カスタネダの著作で
南米インディアンの呪術師のフィールドワークを学ぶために
呪術師ドン・ファンの弟子になり
その時の会話と実践を克明にメモした内容です。
この中で ドン・ファンは 彼の生活を透視して カスタネダに忠告します。
女性と付き合ってるだろうが 彼女はお前との関係に飽きてきている。
お前は うすっぺらな自分を全てさらけ出し パターン化した行動をしている。
彼女にしてみれば お前が次に 何を言い どういう行動にでるかを
予測できる。 つまり 見透かされているということ。
謎のない人間は 読まれ 飽きられ 捨てられる と
これは 別な場面での 狩人と獲物 の話に通じる。
狩人は獲物のことを 良く観察し 学び そして 罠をしかける。
足跡や糞を観察して 何時間前にここを通ったかを読み取る。
たとえば 兎が 食べものを取りにいって 夕方の今頃
必ず いつものように この道を 帰ってくる。
その 最適な場所に 巧妙に罠を仕掛ける。
狩人は 獲物の行動パターンを 詳細に観察し熟知している。
逆に 我々が 獲物にならないためには どうすればよいかがわかる。
履歴を消し 世俗の習慣を捨て 行動パターンを破り 謎になること。
…………………………………………………………………………
さて ワタルの話に戻ると
彼の魅力はそこにあったように思う。
突然現れて 抽象的だけどセンスの良い話をして
いきなり フっと どこかへ 消えていく
思考回路も行動パターンも我々とは全く違う。
逆に 世間とかの一般的な人達は
常識と共通の概念を 子供の頃から教育し
皆に同じような物の考え方をさせ
予測可能で読める人間を作っていく事で 安心安全を手に入れる。
狩猟民族はいなくなり 農耕民族ばかりになり
一億総獲物化 になっている。
…………………………………………………………………………
彼は 美大のアルチザンや 文系の パルチザンの仲間と
<ですたんす>というタイトルの同人誌を出していた。

僕が 京都の岡崎アパートにイカリと住んでいる時に
彼は僕にも参加しないかと誘って来た
<ですたんす>2号 から 詩を出した。
<ですたんす>というタイトルは 吉田一穂 の詩
あゝ麗はしい距離【デスタンス】
常に遠のいてゆく風景……
から付けられた名前です。

その後 <DISTANCE> という写真集を出す
その中に 銀月アパートの IPPEY君 の部屋の写真がある

次に<airing - sheltered along flower> エアリング というアート誌を出したりして

だんだん アルチザン系になり
皆の中に文字通り <デスタンス 距離> ができ 分解してしまった。
彼とは二人だけで <麦星> を出した。

彼の詩と 僕は 詩と ディラン・トマスの<十月の詩>の訳詞をのせた。
その時の 訳の原稿が出て来た。

<麦星> は 僕が銀月アパートに住んでいるときの同人誌で
この後 僕は 阿寒へ ワタルは 小樽へ 旅立つ
…………………………………………………………………………
次は ワタルに書いた詩 です。
ワタルの心には ひゆ という少年が棲んでいる
少年は ワタルに あの土地が欲しいと
水平線の向こうの空の 夕暮れを 指差す
<見知らぬもの>との距離を測るために
ワタルは 少年の瞳に映る レッドバーンの領土に
白い紙ヒコーキを飛ばしてみる
少年は ピクニックに行きたい と ワタルにせがむ
ワタルは 少年の手を取り 少年の眼を閉じさせる
そして 部屋から部屋へと歩きながら
ワタルは 森や小川や花々の話を 少年にささやく
少年の閉じられた瞳の内側に映る ファンタスの森に
ワタルは 一羽の蝶を送り込む
…………………………………………………………………………
僕が緑の正方形で
ボリビアの森を組み立てている時
ワタルは 白いお皿の上で
架空の花々を解凍している
僕がワードプロセッサーで
言葉の森を組み立てている時
ワタルは パントマイムで
花々の想いを翻訳している
僕がコンピューターで
鳥の飛行の計算をしている時
ワタルは 白い小鳥になって
空の青さを演技している
逢いたいと思っていても逢えない友
でも 思っている時 すでに出逢っている
僕の中のワタルと ワタルのなかの僕が
連絡船の通らなくなった津軽海峡をはさんで
…………………………………………………………………………
そんな かんじ
では はま
2011年10月20日
はまじぃズトーク
2011年7月21日
中村とうよう さん(享年79歳) が亡くなった
自死 である。
音楽 特に洋楽に縁のない人 と 若い人
は知らないかもしれない。
といっても 僕も 名前はよく知っているが
今まで 顔も知らなかった人である
この人の名を初めて知ったのは 僕が18歳のとき
1966年に初めて買った Bob Dylan の LP
日本で初めて日本コロンビアから発売された
日本編集盤のレコードのジャケ裏の解説が
中村とうよう だった。




1969年4月に、『ニューミュージック・マガジン』
現在のミュージック・マガジンを創刊
その後 彼はどんどん民族音楽の方へ傾注していったので
僕としては 疎遠になっていった。
だから 特に彼に思い入れがあるわけではない。
最近は ミュージック・マガジンもほとんど読まなくなった。
姉妹誌である レコード・コレクター の方が読む機会は多い。
昔は こういう情報は雑誌で取るしかなかったが
今は インターネットでリアルタイムに入ってくるし
YouTubeで動画も見れるし ミュージシャンのサイトもある。
音楽雑誌は情報を流すだけでは成り立たなくなって来ている。
本屋さんで ロバート・ジョンソン特集のレコード・コレクター誌を
読んでいた時に彼が亡くなった事を記事で知らされた。
となりにある ミュージック・マガジン9月号 の とうようズトーク を 読む。
毎号 中村とうよう が唯一投稿しているコラムですが
その最後1/3 ほどの内容は なんと 遺書そのもの でした。
でも自分ではっきりと言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。
この歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、
もう思い残すことはありません。
最後の夜が雨になってしまったのがちょっと残念だけど、
でもあたりにハネ飛ぶ汚物を
洗い流してくれるんじゃないかって、思ってます。
実はこのマンションを買ったとき、
飛び降りるには格好の形をしてると思ったんですよ。
この最後のコラムの原稿ををポストに投稿し
親しい人達に最後の手紙を投函し
そして マンションから 飛び降りた。
以前 自分のコレクションを、武蔵野美術大学に寄贈し、
「中村とうようコレクション展」として展示中だった。
自分の身辺を整理し膨大なコレクションを寄贈し
皆さんにご挨拶をし 散っていった
……………………………………………………………………………………………
このことを 理解出来る若い人達は少ないと思う。
地位も名声もあり 世間から疎んじられているわけでもないし
まだまだ生きられるのに なにも と 思うのが 普通だろうと思う。
でも 僕は 何となく解る。
ぼくは 漠然と思っているだけで
実行するはっきりした理由も勇気もないだけですが。
それに 沢山の本やCDやレコードが なかなか整理できない。
寄贈する程 値打ちの有る物 でもないし
処分するのに時間が掛かる。
でも 体が動いている間に片付けようとは思っている。
80歳を過ぎると 体が弱ってくる
眼も耳も疎くなり 骨ももろくなり 転びやすくなり
怪我をし病気になり 入院し おむつを当てられ
他人の世話になるようになる。
僕は両親を見送ってきたので よくわかる。
79歳という歳はその 手前
まだ 力も残っていて 頭もボケていない時に
という 気持ちはよくわかる。
ずっと 独身で 生涯 ある意味 孤独に生きて来た
でも 自分のやりたいことは やり通してきた。
もう いいだろう という 思い
というより
強い 決意 だろう
……………………………………………………………………………………………
20歳くらいの時は 1ヶ月が 3年くらいの長さに思った事もある。
毎日が 全く違った未知の体験の連続だったからか
それとも 密度が濃く 解像度が高い 感性をしていたのか
今じゃ 1年も5年もあっという間に過ぎる。
毎日同じ事の繰り返しで 発見も冒険もない。
昨日の晩飯のおかずの中味すら 思いだせない。
若い時は 感性も鋭く やりたい事はいっぱいある。
でも お金と 経験がないので やりたいことが簡単には出来ない。
歳いくと 逆になる
金や地位は有るけど やる気と気力と感動が無い。
若い時かなわなかった マーチンのギターや
ハーレーのバイクやと 買いあさってみても
それを 駆使できる 感性も技も筋力もない。
ただ 金はなくても 思い切り出来る事をやっておけば
悔いは残らないし ジョブスの点と点のスピーチ のように
後から 大いに役に立つ事が沢山ある。
ぼくは 若い時に好きな事を好きな様にやってきたので
今の仕事に役立っている知識や経験がいっぱいある。
回りを見渡すと そういう人は極めて少ない。
むしろ 若い時に やりたいこともやらずに
我慢して 好きでもない仕事をずーと続けてきて
定年になって さて と思った時に 何していいか解らない。
趣味もなく 目標もなく 喜びもない
ただ かけてきた年金をできるだけ取り戻し
うまい物食って 人の面倒をかけてでも 出来るだけ生き延びてやる
と いった 人達の 多い事
テレビは勝手に おもしろ可笑しくストーリーを作り 垂れ流してくれるので
一日中 テレビの前で 饅頭でも食いながら 手叩いて笑ったりしてる。
テレビもそうだが 見てる人だって 最近眼も顔も横長ワイド画面になってる。
……………………………………………………………………………………………
中村とうよう は その 対極にある。
若い時に思い切り自分の好きな仕事をしてきて
自分で 自分に ピリオドを打つ
……………………………………………………………………………………………
生命の寿命はいつなのか
前に読んだ本にはこう書いてあった
人間の場合 子供が社会に出て一人前になってしばらく
ということは 30歳で子供を産んで子供が社会に出ると
50〜55歳くらいで 子供が結婚するまでとしても
60歳〜65歳 と言ったところでしょう。
我々年寄りがそれ以上長生きするという事は
若い人達の食料からエネルギーまでを奪っている事になる。
とも 書いてあった。
……………………………………………………………………………………………
さて 話は戻る
中村とうようさんは 式の詳細まで細かい指示をしている。
葬式屋にはやらせるな、ホテル等の交通至便なところで、会費は7,000円以内等々。
「映像ショー」は、誰と誰の解説で。
と いうところまで
彼は 自分の 死 を 自分の死 として終わらせたかったのだろう。
決して 他人に脈をとられて ご臨終ですと 言わせまい。
病院の天井を見ながら機械にモニターされながら死にたくない。
最後 身辺整理して 親しい人に手紙を書き
最後の原稿を投稿し 遺書をそろえて
シングルモルトウィスキーを一口と
シガレットを 一服して
まるで 我々観客が中村とうようの映画でも見たかの様に
最後に 終 という文字を刻み
そして 最後は自分で 幕を降ろしたかったのだろう。
中村とうよう に 深い哀悼の意を表します。

合 掌
中村とうよう さん(享年79歳) が亡くなった
自死 である。
音楽 特に洋楽に縁のない人 と 若い人
は知らないかもしれない。
といっても 僕も 名前はよく知っているが
今まで 顔も知らなかった人である
この人の名を初めて知ったのは 僕が18歳のとき
1966年に初めて買った Bob Dylan の LP
日本で初めて日本コロンビアから発売された
日本編集盤のレコードのジャケ裏の解説が
中村とうよう だった。




1969年4月に、『ニューミュージック・マガジン』
現在のミュージック・マガジンを創刊
その後 彼はどんどん民族音楽の方へ傾注していったので
僕としては 疎遠になっていった。
だから 特に彼に思い入れがあるわけではない。
最近は ミュージック・マガジンもほとんど読まなくなった。
姉妹誌である レコード・コレクター の方が読む機会は多い。
昔は こういう情報は雑誌で取るしかなかったが
今は インターネットでリアルタイムに入ってくるし
YouTubeで動画も見れるし ミュージシャンのサイトもある。
音楽雑誌は情報を流すだけでは成り立たなくなって来ている。
本屋さんで ロバート・ジョンソン特集のレコード・コレクター誌を
読んでいた時に彼が亡くなった事を記事で知らされた。
となりにある ミュージック・マガジン9月号 の とうようズトーク を 読む。
毎号 中村とうよう が唯一投稿しているコラムですが
その最後1/3 ほどの内容は なんと 遺書そのもの でした。
でも自分ではっきりと言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。
この歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、
もう思い残すことはありません。
最後の夜が雨になってしまったのがちょっと残念だけど、
でもあたりにハネ飛ぶ汚物を
洗い流してくれるんじゃないかって、思ってます。
実はこのマンションを買ったとき、
飛び降りるには格好の形をしてると思ったんですよ。
この最後のコラムの原稿ををポストに投稿し
親しい人達に最後の手紙を投函し
そして マンションから 飛び降りた。
以前 自分のコレクションを、武蔵野美術大学に寄贈し、
「中村とうようコレクション展」として展示中だった。
自分の身辺を整理し膨大なコレクションを寄贈し
皆さんにご挨拶をし 散っていった
……………………………………………………………………………………………
このことを 理解出来る若い人達は少ないと思う。
地位も名声もあり 世間から疎んじられているわけでもないし
まだまだ生きられるのに なにも と 思うのが 普通だろうと思う。
でも 僕は 何となく解る。
ぼくは 漠然と思っているだけで
実行するはっきりした理由も勇気もないだけですが。
それに 沢山の本やCDやレコードが なかなか整理できない。
寄贈する程 値打ちの有る物 でもないし
処分するのに時間が掛かる。
でも 体が動いている間に片付けようとは思っている。
80歳を過ぎると 体が弱ってくる
眼も耳も疎くなり 骨ももろくなり 転びやすくなり
怪我をし病気になり 入院し おむつを当てられ
他人の世話になるようになる。
僕は両親を見送ってきたので よくわかる。
79歳という歳はその 手前
まだ 力も残っていて 頭もボケていない時に
という 気持ちはよくわかる。
ずっと 独身で 生涯 ある意味 孤独に生きて来た
でも 自分のやりたいことは やり通してきた。
もう いいだろう という 思い
というより
強い 決意 だろう
……………………………………………………………………………………………
20歳くらいの時は 1ヶ月が 3年くらいの長さに思った事もある。
毎日が 全く違った未知の体験の連続だったからか
それとも 密度が濃く 解像度が高い 感性をしていたのか
今じゃ 1年も5年もあっという間に過ぎる。
毎日同じ事の繰り返しで 発見も冒険もない。
昨日の晩飯のおかずの中味すら 思いだせない。
若い時は 感性も鋭く やりたい事はいっぱいある。
でも お金と 経験がないので やりたいことが簡単には出来ない。
歳いくと 逆になる
金や地位は有るけど やる気と気力と感動が無い。
若い時かなわなかった マーチンのギターや
ハーレーのバイクやと 買いあさってみても
それを 駆使できる 感性も技も筋力もない。
ただ 金はなくても 思い切り出来る事をやっておけば
悔いは残らないし ジョブスの点と点のスピーチ のように
後から 大いに役に立つ事が沢山ある。
ぼくは 若い時に好きな事を好きな様にやってきたので
今の仕事に役立っている知識や経験がいっぱいある。
回りを見渡すと そういう人は極めて少ない。
むしろ 若い時に やりたいこともやらずに
我慢して 好きでもない仕事をずーと続けてきて
定年になって さて と思った時に 何していいか解らない。
趣味もなく 目標もなく 喜びもない
ただ かけてきた年金をできるだけ取り戻し
うまい物食って 人の面倒をかけてでも 出来るだけ生き延びてやる
と いった 人達の 多い事
テレビは勝手に おもしろ可笑しくストーリーを作り 垂れ流してくれるので
一日中 テレビの前で 饅頭でも食いながら 手叩いて笑ったりしてる。
テレビもそうだが 見てる人だって 最近眼も顔も横長ワイド画面になってる。
……………………………………………………………………………………………
中村とうよう は その 対極にある。
若い時に思い切り自分の好きな仕事をしてきて
自分で 自分に ピリオドを打つ
……………………………………………………………………………………………
生命の寿命はいつなのか
前に読んだ本にはこう書いてあった
人間の場合 子供が社会に出て一人前になってしばらく
ということは 30歳で子供を産んで子供が社会に出ると
50〜55歳くらいで 子供が結婚するまでとしても
60歳〜65歳 と言ったところでしょう。
我々年寄りがそれ以上長生きするという事は
若い人達の食料からエネルギーまでを奪っている事になる。
とも 書いてあった。
……………………………………………………………………………………………
さて 話は戻る
中村とうようさんは 式の詳細まで細かい指示をしている。
葬式屋にはやらせるな、ホテル等の交通至便なところで、会費は7,000円以内等々。
「映像ショー」は、誰と誰の解説で。
と いうところまで
彼は 自分の 死 を 自分の死 として終わらせたかったのだろう。
決して 他人に脈をとられて ご臨終ですと 言わせまい。
病院の天井を見ながら機械にモニターされながら死にたくない。
最後 身辺整理して 親しい人に手紙を書き
最後の原稿を投稿し 遺書をそろえて
シングルモルトウィスキーを一口と
シガレットを 一服して
まるで 我々観客が中村とうようの映画でも見たかの様に
最後に 終 という文字を刻み
そして 最後は自分で 幕を降ろしたかったのだろう。
中村とうよう に 深い哀悼の意を表します。

合 掌
2011年10月14日
科学の論理と人間の原理
鯖江の助田さんから頂いた
高木 仁三郎氏 の 公演録
<科学の原理と人間の原理>
助田さんはこの小冊子を沢山買って
皆に配っているという
これも 運動というか アクションといえる。
高木 仁三郎さんのことは それまで 知らなかった。
……………………………………………………………………………………
この 冊子には 僕が漠然と思っていた事が
科学的に解り易く語られている。
漠然と思っていた事とは 人間や生命や自然と
原爆、原発の放射能とは 全く相容れないものであり
およそ 人間によってコントロールなぞ
できるものではないだろうということです。
……………………………………………………………………………………
原子力は小さなペレットで巨大なエネルギーを生み出す
ということは 逆に言えば とてつもなく危険な物であり
生命の原理から比較してみれば
スピードも時間も規模も計り知れないものであるため
人間の知能や技術くらいで制御できる物ではない。
効率がよく CO2も出さないからエコと言われてましたが
とんでもない話で 放射能をまき散らすくらいなら
CO2の方がまだ ましです。
高木さんは 2000年10月8日に惜しくも癌で亡くなっています。
3.11以降 注目を浴びる様になり
のテレビの特番で報道されているようで
YouTube でご覧下さい。



ホームベージは こちら です。
原子力の研究をされていた優秀な科学者で
1997年にもうひとつのノーベル賞といわれる
ライト・ライブリフッド賞を受けています。
「現在のもっとも切羽詰まっている問題に対し実際的模範的な回答を示した者」
を表彰する賞で プルトニウムをなくす理論と運動を展開して来た
高木さんに贈られました。
その プルトニウム とは
プルトニウムは容易に核兵器に用いられる材料物質であり
通常の原子炉で製造されるプルトニウム
いわゆる原子炉級プルトニウムの7~8キログラムもあれば
長崎型の原爆が製造できます。
と高木さんは授賞スピーチで述べています
世界的にこの最も危険なプルトニウムを各国が廃止する方向にある時に
日本だけが 核廃棄物を再処理し、輸送し
福井県敦賀市 にある 高速増殖炉「もんじゅ」で
プルトニウムを使おうとしています。
国も電力会社も 頭が狂っているとしか思えない。
高木さんは原子力を研究していくうちに 原子力の恐さを知り
科学者の責任と 市民の目線で 原発反対運動を
先頭に立って戦って来た人です。
いわば 自分の将来,職,地位を全て失ってでも
科学者としての責任を貫こうとした方です。
……………………………………………………………………………………
産業革命以来 特に 20世紀は
機械化による大量生産と大量消費の時代になります。
ともかく少しでも多くの物を、短時間に、夜昼問わず生産する事で
生産コストを下げ、商品の値段を下げ、流通を効率化し
多くの人に モノを行き渡らせる
その結果、皆の暮らしは確かに豊かになりました。
でも その大量生産を支えたエネルギーが
木炭であり、石油、石炭ですが
これらは 再生不可能な資源です。
取り尽くせばそのうち無くなる限られた資源です。
ぞのエネルギーを掘り起こし、領土を拡大し、奪い尽くすために
大きな戦争が何度も起き 未だに争い続けているのが
愚かで 欲の深い 人間であり 国や企業なのです。
そして 夢の原子力による発電が国を挙げて進められる様になりました。
20世紀は 飽くなき生産と略奪と破壊と戦争の世紀でした。
行き着いた果てにあるものが 核兵器であり原発であると 僕は思います。
この 悪魔の双子 黒い子供が 核兵器
いかにも穏やかそうに見える 白い子供が 原発 です。
広島,長崎 が福島原発事故以来 原発の放射能に対するメッセージを
強くアピールするようになりましたが
核を持たないとする 日本に対して いままで 原発に正面から
反対して来なかったのは 片手落ちとも思えます。
いずれも 生命の原理 である 核の安定 とは全く反対の
核分裂による とてつもない破壊とエネルギーの取得
その上に 我々の生活が支えられている という 恐怖
どちらも ゼロにしない限り 平和は 実現しない。
……………………………………………………………………………………
高木さんは 核の不安定 と 放射能のスピードの速さと
放射能の時間の天文学的長さ について 強調されています。
書かれた書物を読めば解りますのでここでは触れません。
YouTubeで流れているテレビの特番の中で
原発反対派のなかでも高木さんの資質と偉大さを認めている
原子力推進派の長は 言っています
人間の英知で 必ず 原子力を安全なシステムにしていける筈 と
逆に 高木さんは こう言っています。
人間は 愚かで 曖昧で いい加減だ と
そこが また 人間の魅力なのだが
核は 正反対で 冷徹で比較にならないスピードで分裂を繰り返し
そして その火を何万年、何百万年も消す事ができない。
核の火は 冷やし続けることは出来るが
消す事はできない。
人間と人間が作ったシステムが そんなとてつもないものを
コントロールできるとは 到底 思えない と
……………………………………………………………………………………
高木さんのような人達を 切り捨て
口を封じ、脅して 国を挙げて 金をばらまき
道路や公共施設を作り 国民を欺き続けて来た
電力会社、政治家 の安全神話の崩壊
高木さんや原発反対運動の人達は なにも
福島の事故を望んでいた訳ではない。
起こして欲しくないからこそ
自分の地位を捨ててまで反対してきたのではないか
あんな 悲しい事故を二度とおこしてはならない。
全ての 核兵器 と 原発 に 死 を
高木 仁三郎氏 の 公演録
<科学の原理と人間の原理>
助田さんはこの小冊子を沢山買って
皆に配っているという
これも 運動というか アクションといえる。
高木 仁三郎さんのことは それまで 知らなかった。
……………………………………………………………………………………
この 冊子には 僕が漠然と思っていた事が
科学的に解り易く語られている。
漠然と思っていた事とは 人間や生命や自然と
原爆、原発の放射能とは 全く相容れないものであり
およそ 人間によってコントロールなぞ
できるものではないだろうということです。
……………………………………………………………………………………
原子力は小さなペレットで巨大なエネルギーを生み出す
ということは 逆に言えば とてつもなく危険な物であり
生命の原理から比較してみれば
スピードも時間も規模も計り知れないものであるため
人間の知能や技術くらいで制御できる物ではない。
効率がよく CO2も出さないからエコと言われてましたが
とんでもない話で 放射能をまき散らすくらいなら
CO2の方がまだ ましです。
高木さんは 2000年10月8日に惜しくも癌で亡くなっています。
3.11以降 注目を浴びる様になり
のテレビの特番で報道されているようで
YouTube でご覧下さい。



ホームベージは こちら です。
原子力の研究をされていた優秀な科学者で
1997年にもうひとつのノーベル賞といわれる
ライト・ライブリフッド賞を受けています。
「現在のもっとも切羽詰まっている問題に対し実際的模範的な回答を示した者」
を表彰する賞で プルトニウムをなくす理論と運動を展開して来た
高木さんに贈られました。
その プルトニウム とは
プルトニウムは容易に核兵器に用いられる材料物質であり
通常の原子炉で製造されるプルトニウム
いわゆる原子炉級プルトニウムの7~8キログラムもあれば
長崎型の原爆が製造できます。
と高木さんは授賞スピーチで述べています
世界的にこの最も危険なプルトニウムを各国が廃止する方向にある時に
日本だけが 核廃棄物を再処理し、輸送し
福井県敦賀市 にある 高速増殖炉「もんじゅ」で
プルトニウムを使おうとしています。
国も電力会社も 頭が狂っているとしか思えない。
高木さんは原子力を研究していくうちに 原子力の恐さを知り
科学者の責任と 市民の目線で 原発反対運動を
先頭に立って戦って来た人です。
いわば 自分の将来,職,地位を全て失ってでも
科学者としての責任を貫こうとした方です。
……………………………………………………………………………………
産業革命以来 特に 20世紀は
機械化による大量生産と大量消費の時代になります。
ともかく少しでも多くの物を、短時間に、夜昼問わず生産する事で
生産コストを下げ、商品の値段を下げ、流通を効率化し
多くの人に モノを行き渡らせる
その結果、皆の暮らしは確かに豊かになりました。
でも その大量生産を支えたエネルギーが
木炭であり、石油、石炭ですが
これらは 再生不可能な資源です。
取り尽くせばそのうち無くなる限られた資源です。
ぞのエネルギーを掘り起こし、領土を拡大し、奪い尽くすために
大きな戦争が何度も起き 未だに争い続けているのが
愚かで 欲の深い 人間であり 国や企業なのです。
そして 夢の原子力による発電が国を挙げて進められる様になりました。
20世紀は 飽くなき生産と略奪と破壊と戦争の世紀でした。
行き着いた果てにあるものが 核兵器であり原発であると 僕は思います。
この 悪魔の双子 黒い子供が 核兵器
いかにも穏やかそうに見える 白い子供が 原発 です。
広島,長崎 が福島原発事故以来 原発の放射能に対するメッセージを
強くアピールするようになりましたが
核を持たないとする 日本に対して いままで 原発に正面から
反対して来なかったのは 片手落ちとも思えます。
いずれも 生命の原理 である 核の安定 とは全く反対の
核分裂による とてつもない破壊とエネルギーの取得
その上に 我々の生活が支えられている という 恐怖
どちらも ゼロにしない限り 平和は 実現しない。
……………………………………………………………………………………
高木さんは 核の不安定 と 放射能のスピードの速さと
放射能の時間の天文学的長さ について 強調されています。
書かれた書物を読めば解りますのでここでは触れません。
YouTubeで流れているテレビの特番の中で
原発反対派のなかでも高木さんの資質と偉大さを認めている
原子力推進派の長は 言っています
人間の英知で 必ず 原子力を安全なシステムにしていける筈 と
逆に 高木さんは こう言っています。
人間は 愚かで 曖昧で いい加減だ と
そこが また 人間の魅力なのだが
核は 正反対で 冷徹で比較にならないスピードで分裂を繰り返し
そして その火を何万年、何百万年も消す事ができない。
核の火は 冷やし続けることは出来るが
消す事はできない。
人間と人間が作ったシステムが そんなとてつもないものを
コントロールできるとは 到底 思えない と
……………………………………………………………………………………
高木さんのような人達を 切り捨て
口を封じ、脅して 国を挙げて 金をばらまき
道路や公共施設を作り 国民を欺き続けて来た
電力会社、政治家 の安全神話の崩壊
高木さんや原発反対運動の人達は なにも
福島の事故を望んでいた訳ではない。
起こして欲しくないからこそ
自分の地位を捨ててまで反対してきたのではないか
あんな 悲しい事故を二度とおこしてはならない。
全ての 核兵器 と 原発 に 死 を
2011年10月07日
Stay hungry, Stay foolish.

2011年10月5日
Appleの Steve Jobs が亡くなった
一つの時代が終わったように思える。
イギリスの詩人
ディラン・トマスの詩を
彼に 捧げます。
a
star
was
broken
into
the centuries
of
the child
一つの星が
砕けて
入っていった
あの 子供達の
幾世紀の中へと
……………………………………………………………………
基調講演の度にやせ細って行く彼を見ていて
そう長くはないだろうと思っていた.
8月にCEO退任した時点でいよいよかなと思った。
2011年8月10日、ニューヨーク株式市場の終値で
初めて時価総額世界一になった。
2000年くらいから約11年
Appleをここまで再建し 亡くなったことは
有終の美を飾ったといっていい。
……………………………………………………………………
彼のスタンフォード大学での公演は伝説となっていて
YouTubeに全編 日本語字幕入りで公開されている。
まだ 見ていない人は 是非見て下さい。
この公演で3つのことを述べています。
<一つ目は 点と点についてです。>
ここで 自らの出生を明らかにしています。
そしてある時の貴重な体験が ずっと後で役に立ってくることを
自分の体験を元にして語っています。
点と点がそのようにつながってくる事を信じて
自信を持って人生を進みなさいと励ましている。
<二つ目は 愛と敗北について>
彼は20歳で自分のやりたい仕事を見つけ
Appleを設立し、業績をグングン伸ばして来たが
30歳になって 自分が作った会社をクビになる。
その失意と敗北の経験から立ち上がり
またAppleに戻って来たが
その仕事が 好きで、愛情をもってやってきたからこそ
できたことであり
愛情をもって 情熱を注げる仕事を見つけるまで
あなたがたは 捜し続けなさいと 語っている。
<そして三つ目が 死について>
これは 彼の禅的哲学であり ある意味 遺書 というか
別れの準備 でもある。
2005年のスピーチですが
2004年に膵臓に癌が見つかったと言っている。
2011年まで 7年間
別れの準備 をしてきたと思う。
「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。
そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」
という言葉に 17歳の時に出会い
そのつもりで 生きてきたと言っています。
癌が見つかって以来 さらにその気持ちは増したと想います。
そして
君たちが持つ時間は限られている。
人の人生に自分の時間を費やすことはありません。
誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。
自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。
そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、
勇気を持って行動することです。心や直感というのは、
君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。
だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。
と結んでいます。
最後に
"The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ"
の最終号の裏表紙の言葉
"Stay hungry, Stay foolish."
ハングリーであれ、愚かであれ
という言葉を引用して
社会へ巣立って行く若者達へのメッセージとしています。

……………………………………………………………………
さて 彼は 1955年生まれ
歳は僕より若いですが
The Whole Earth Catalogue を読み
ヒッピー指向であり
ディラン好き と
僕と同じような世代であるだけに
ものすごく 親近感がある。

……………………………………………………………………
快適でなく 洗練されていない 車でドライブをしたくないので
マック以外のマシンで ドライブしたいとは思わない。
より以上のものが出てくれば話は別だが
期待はしていない。
1990年にマックに出逢ってから
アップルと共に進んで来た21年だが
マックに出逢っていなかった21年を
想像することはできないし
出逢っていなかったとしたら
もっと淋しい21年になっていたと思う。
Steve Jobs
に 改めて
深い感謝の気持ちと 深い哀悼の意を 表します。
……………………………………………………………………
P.S
中村とうよう の追悼ブログを と思っていたら
いきなりの 報道 に
慌てて 書き上げた ブログです
中村とうよう はまた次回に
別れの準備ブログ ばっかりで
なんだか
さ み し い
2011年09月03日
終の住処
終の住処
こんな題名の芥川賞受賞作の小説があったな。
何故かタイトル買い で本は持っているが 読んではいない。
歳とってくると 終の住処 ということを漠然と考える様になる
でも 今回は 映画のお話です。
………………………………………………………………………………………
八月はもう終わりましたが
<八月の鯨> という 知っている人は知っている映画

まだ DVDになっていないので ビデオで見るしかないですが
この映画 ベディ・ディヴィスとリリアン・ギッシュの
年老いた往年の2大女優の競演ということで話題になった映画
年老いても可愛く メローな リリアン・ギッシュと
意地悪そうで気難しくクールな ベディ・ディヴィス の二人
海を見渡せるコテージ風の家での それこそ スローライフ
別に ストーリーがあるわけでもなく
淡々と 年寄り達のゆっくりとした 時間の流れの中での
日常的な とりとめのない 会話
そして 最後に 老女二人で 腕を組んで 岬まで
八月になるとやってくる 沖の 鯨を眺めに行く
という それだけの映画ですが
若い人達には 解らない まだるっこいながらも
ほほえましい ゆるさ を描いた映画です。
この映画は 老い というものを とても美しく描いている。
希望のもてる 微笑ましい 映画でした。
………………………………………………………………………………………
前回のブログでも書いた
脳梗塞で倒れ 現在リハビリ中の 僕の姉は
意地悪そうで気難しい ベディ・ディヴィス
に よく似てて シニカルでクールで そして残酷です。
そして 彼女の 終の住処 のことも考えてみる。
………………………………………………………………………………………
いろいろ 老人ホーム や 介護施設を廻ったが
設備やサービスは 充実しているかもしれないが
どこも 終の住処 と呼べるような処ではない。
快適な 牢獄 といったところか
父が心筋梗塞で手術をし 入院していた
巨大な 大学病院もそうだったけど
こういう施設の環境は
正常な人が入院していても病気になるようにできている。
だから 週末 姉の病院に行くと 即 外出許可を取って
車でドライブをする。
コンビニでアイスクリームやフルーツを買い
車内で 食べながら 川沿いのくねった道をクルージング
お互い 顔を見合わせて 大声で笑ったりもするけど
姉は すぐ ワーと泣きじゃくったりもする。
その 訳の分からない 感情の突出を 前に
ぼくは たじろぐか 一緒に泣き笑いをするかしかない。
………………………………………………………………………………………
堺から福井へ車で連れ出す時も
こちら福井で 病院から ドライブへ連れ出す時も
姉には こう言う
脱獄するぞ !
姉は 頭を縦に振って喜ぶ
そのまま何処かに 消えることが出来ればいいが
また 戻る その道が つらい
………………………………………………………………………………………
さて もう一つの映画
アイスランドの <春にして君を想う> という映画
原題は Children of Nature
直訳すると “自然の子どもたち”
どちらのタイトルもはまっていないような気がする
日本語のタイトルは 日本映画のタイトルのありきたりな命名で
内容に添ったものではないが といって
この映画のふさわしいタイトルは
思い浮かばない
八月の鯨 とは 全く正反対ですが 悲しくも美しい映画です
詳しい内容は書かないが
ぼくにとっては 名画 です
セリフがきわめて少ない
寡黙 であること で その表情から
沁み出してくる かれらの悔しさや諦めや希望の想いが
伝わってくる。
最後に 一緒に逃亡した 連れ添いが亡くなり
木を削り 棺桶を作り 彼女を納め
小高い山の上の教会まで 引き摺っていき 弔う

その後 独り死に行くために裸足で岩肌の山に登ります。
ゴルゴダの丘 にオーバーラップしています
ブルーノ・ガンツが ベルリン・天使の詩 の天使のすがたで
彼の血だらけの足をさすり 肩を叩きます
この映画は 何処にも自分達の居場所がないというが解った
二人の老人が 終の住処 を求めて逃亡する ロードムービーです。

妖精や天使の住む アイスランドの広大で過酷で神秘的な風景が見ものです。
でも 非常に淋しい やりきれない 映画でもあります。
………………………………………………………………………………………
裸で産まれてきて 裸で死んでいく
何も 持って 死んではいけない
死ぬということは
何にも持たないことの 自由さ かも知れない
棺 には 花も 涙も 思い出も
なんにも入れて欲しくはない
………………………………………………………………………………………
風にうばわれた 帽子を
追いかけては いけない
帽子が たどりついた処は
もう 風の領域 なのだから
こんな題名の芥川賞受賞作の小説があったな。
何故かタイトル買い で本は持っているが 読んではいない。
歳とってくると 終の住処 ということを漠然と考える様になる
でも 今回は 映画のお話です。
………………………………………………………………………………………
八月はもう終わりましたが
<八月の鯨> という 知っている人は知っている映画

まだ DVDになっていないので ビデオで見るしかないですが
この映画 ベディ・ディヴィスとリリアン・ギッシュの
年老いた往年の2大女優の競演ということで話題になった映画
年老いても可愛く メローな リリアン・ギッシュと
意地悪そうで気難しくクールな ベディ・ディヴィス の二人
海を見渡せるコテージ風の家での それこそ スローライフ
別に ストーリーがあるわけでもなく
淡々と 年寄り達のゆっくりとした 時間の流れの中での
日常的な とりとめのない 会話
そして 最後に 老女二人で 腕を組んで 岬まで
八月になるとやってくる 沖の 鯨を眺めに行く
という それだけの映画ですが
若い人達には 解らない まだるっこいながらも
ほほえましい ゆるさ を描いた映画です。
この映画は 老い というものを とても美しく描いている。
希望のもてる 微笑ましい 映画でした。
………………………………………………………………………………………
前回のブログでも書いた
脳梗塞で倒れ 現在リハビリ中の 僕の姉は
意地悪そうで気難しい ベディ・ディヴィス
に よく似てて シニカルでクールで そして残酷です。
そして 彼女の 終の住処 のことも考えてみる。
………………………………………………………………………………………
いろいろ 老人ホーム や 介護施設を廻ったが
設備やサービスは 充実しているかもしれないが
どこも 終の住処 と呼べるような処ではない。
快適な 牢獄 といったところか
父が心筋梗塞で手術をし 入院していた
巨大な 大学病院もそうだったけど
こういう施設の環境は
正常な人が入院していても病気になるようにできている。
だから 週末 姉の病院に行くと 即 外出許可を取って
車でドライブをする。
コンビニでアイスクリームやフルーツを買い
車内で 食べながら 川沿いのくねった道をクルージング
お互い 顔を見合わせて 大声で笑ったりもするけど
姉は すぐ ワーと泣きじゃくったりもする。
その 訳の分からない 感情の突出を 前に
ぼくは たじろぐか 一緒に泣き笑いをするかしかない。
………………………………………………………………………………………
堺から福井へ車で連れ出す時も
こちら福井で 病院から ドライブへ連れ出す時も
姉には こう言う
脱獄するぞ !
姉は 頭を縦に振って喜ぶ
そのまま何処かに 消えることが出来ればいいが
また 戻る その道が つらい
………………………………………………………………………………………
さて もう一つの映画
アイスランドの <春にして君を想う> という映画
原題は Children of Nature
直訳すると “自然の子どもたち”
どちらのタイトルもはまっていないような気がする
日本語のタイトルは 日本映画のタイトルのありきたりな命名で
内容に添ったものではないが といって
この映画のふさわしいタイトルは
思い浮かばない
八月の鯨 とは 全く正反対ですが 悲しくも美しい映画です
詳しい内容は書かないが
ぼくにとっては 名画 です
セリフがきわめて少ない
寡黙 であること で その表情から
沁み出してくる かれらの悔しさや諦めや希望の想いが
伝わってくる。
最後に 一緒に逃亡した 連れ添いが亡くなり
木を削り 棺桶を作り 彼女を納め
小高い山の上の教会まで 引き摺っていき 弔う

その後 独り死に行くために裸足で岩肌の山に登ります。
ゴルゴダの丘 にオーバーラップしています
ブルーノ・ガンツが ベルリン・天使の詩 の天使のすがたで
彼の血だらけの足をさすり 肩を叩きます
この映画は 何処にも自分達の居場所がないというが解った
二人の老人が 終の住処 を求めて逃亡する ロードムービーです。

妖精や天使の住む アイスランドの広大で過酷で神秘的な風景が見ものです。
でも 非常に淋しい やりきれない 映画でもあります。
………………………………………………………………………………………
裸で産まれてきて 裸で死んでいく
何も 持って 死んではいけない
死ぬということは
何にも持たないことの 自由さ かも知れない
棺 には 花も 涙も 思い出も
なんにも入れて欲しくはない
………………………………………………………………………………………
風にうばわれた 帽子を
追いかけては いけない
帽子が たどりついた処は
もう 風の領域 なのだから
2011年07月27日
白い貝殻のような 姉の タマシイ
iPad2 WiFi+3G を買った
といっても自分にではない。

……………………………………………………………………………………
4月4日に 堺市に住む 73歳になる姉が脳梗塞で倒れた。
姉は未婚で 当然子供がいないので 一人暮らしでした。
週一回訪ねてくるヘルパーさんも気付かぬまま
4日間 倒れたまま 8日に親しい方に発見された。
福井から夕刻病院に駆けつけた時は
意識不明で 正直 もう助かるまいと 思った。
葬儀社に勤める友人と 葬儀の用意までした。
……………………………………………………………………………………
4月の 熱くもなく 寒くもない時だから助かったものの
今の様に真夏だったり 逆に真冬だったら
とても助からなかったと思う。
その後 奇跡的に 一週間ごと 少しずつ回復し
表情が出てきて 笑ったり泣いたりするようにまでなった。
右利きだったが 右手,右足が不自由になり
毎日、 リハビリをうけていたが
7月には 堺市の病院を出なければならず
7月12日に 福井につれて帰り
こちらでリハビリを続けることにした。
まだまだ元気 と 自分で言っていた姉
でも、一人暮らしで倒れた時は 大変だから
そう思っていたが
その いつか は唐突にやってきた。
……………………………………………………………………………………
元気な人が急に倒れると
その人の生活を支えていた多くの事柄を
探し出し、整理しなければなりません。
手紙類、請求書、住所録、携帯電話、車の車検,保険
銀行の通帳、クレジットカード、水光熱費の引き落とし
NHK受信料、市民税、県民税、固定資産税
クレジットカードの暗証番号
携帯電話の暗証番号
人一人が 生活していくための
様々な 登録や支払いや手続き
それから生活している 衣類や家具や食品も
整理し管理しなければなりません。
幸い私には まだ2人の姉がおり
仕事をしてはいませんでしたので
これらのことを任せることができました。
……………………………………………………………………………………
さて、iPad2 はこの倒れた姉の為に用意しました。
姉は 利き腕の 右手も右足も不自由です。
左手で書く練習をしていますが なかなか思う様にはいきません。
言葉をしゃべることもできません。
iPad2 は タッチで操作ができます。
左手の指でも 操作は楽にできます。
iPad2 は知らなかったのですが 電話はできません。
マイクとスピーカーは付いていますし
電話番号も割り当てられているので
出来るのかと思っていましたが
電話のアイコンがありませんので確認したところ
出来ませんということでした。
FaceTimeとスカイプは可能です。
最も姉は 喋れないので 電話は無理なのですが。
FaceTimeはありがたいです。
こちらからの問いかけに
頭を縦か横に振る事はできますので。
連絡としては FaceTimeとメールということになります。
さて ここまで書いて この前の3連休に iPadを持って病院へ
右半身が不自由でも 左手で簡単に操作はできますが
それ以前の問題に直面しました。
……………………………………………………………………………………
僕が喋っている事は理解しているし
知っている人は顔を見れば誰かということは解っている。
食べたいもので 質問する。
りんご? うん バナナ? いや すし? うん
アイスクリーム? うん コーヒー? うん
この うん(イエス) と いや(ノー)は
言葉ではなく 首を縦に振るか横に振るかで表現します。
それから 他に何か食べたいものは? と聞くと
首をかしげるだけで 自分の中から取り出してくる事ができない。
問いかけには答えるし 友人でも 直接会えば 誰かは解るが
想像したり 記憶の倉庫から 取り出して来たり
それらを並べたり、構築したり、関連づけたり
まして 創造したりといったことが 出来ない。
前と 後 過去と 未来 が無さそうだ
今にだけ 生きているような気がする。
だから iPad は 手足の不自由な人にも操作は簡単だが
進んだり、戻ったり
自分の思いを綴ったりすることは
無理だろうと思った。
サファリでランダムにタッチしていれば
どこにでもいけるが 意図して行った訳ではないので
戻る事もできないだろう。
……………………………………………………………………………………
右脳と左脳の働きを調べてみた。
ただ、竹を割った様に機能を分担しているのではなく
相互に補い合ったり、協力し合いながらの働きのようだ。
左脳の働き
顕在意識脳 右手足制御
言語、分析,思考,理論、論理,計算、時間連鎖的思考
右脳の働き
潜在意識脳 左手足制御
感覚、イメージ、直感、記憶、情報
音楽,芸術、創造性,空間構成、感情表現
ぼくの姉の場合 左脳のダメージなので
時間連鎖的思考ができないのか
今 という時だけに生きている。
……………………………………………………………………………………
広い砂浜のどこかに 埋められた
白い貝殻のような 姉の タマシイ
時が経って 砂が風に晒されて
少しでも貝殻の頭が出てくれば良い
その時がくるまで iPadも埋めておこうと思う。

といっても自分にではない。

……………………………………………………………………………………
4月4日に 堺市に住む 73歳になる姉が脳梗塞で倒れた。
姉は未婚で 当然子供がいないので 一人暮らしでした。
週一回訪ねてくるヘルパーさんも気付かぬまま
4日間 倒れたまま 8日に親しい方に発見された。
福井から夕刻病院に駆けつけた時は
意識不明で 正直 もう助かるまいと 思った。
葬儀社に勤める友人と 葬儀の用意までした。
……………………………………………………………………………………
4月の 熱くもなく 寒くもない時だから助かったものの
今の様に真夏だったり 逆に真冬だったら
とても助からなかったと思う。
その後 奇跡的に 一週間ごと 少しずつ回復し
表情が出てきて 笑ったり泣いたりするようにまでなった。
右利きだったが 右手,右足が不自由になり
毎日、 リハビリをうけていたが
7月には 堺市の病院を出なければならず
7月12日に 福井につれて帰り
こちらでリハビリを続けることにした。
まだまだ元気 と 自分で言っていた姉
でも、一人暮らしで倒れた時は 大変だから
そう思っていたが
その いつか は唐突にやってきた。
……………………………………………………………………………………
元気な人が急に倒れると
その人の生活を支えていた多くの事柄を
探し出し、整理しなければなりません。
手紙類、請求書、住所録、携帯電話、車の車検,保険
銀行の通帳、クレジットカード、水光熱費の引き落とし
NHK受信料、市民税、県民税、固定資産税
クレジットカードの暗証番号
携帯電話の暗証番号
人一人が 生活していくための
様々な 登録や支払いや手続き
それから生活している 衣類や家具や食品も
整理し管理しなければなりません。
幸い私には まだ2人の姉がおり
仕事をしてはいませんでしたので
これらのことを任せることができました。
……………………………………………………………………………………
さて、iPad2 はこの倒れた姉の為に用意しました。
姉は 利き腕の 右手も右足も不自由です。
左手で書く練習をしていますが なかなか思う様にはいきません。
言葉をしゃべることもできません。
iPad2 は タッチで操作ができます。
左手の指でも 操作は楽にできます。
iPad2 は知らなかったのですが 電話はできません。
マイクとスピーカーは付いていますし
電話番号も割り当てられているので
出来るのかと思っていましたが
電話のアイコンがありませんので確認したところ
出来ませんということでした。
FaceTimeとスカイプは可能です。
最も姉は 喋れないので 電話は無理なのですが。
FaceTimeはありがたいです。
こちらからの問いかけに
頭を縦か横に振る事はできますので。
連絡としては FaceTimeとメールということになります。
さて ここまで書いて この前の3連休に iPadを持って病院へ
右半身が不自由でも 左手で簡単に操作はできますが
それ以前の問題に直面しました。
……………………………………………………………………………………
僕が喋っている事は理解しているし
知っている人は顔を見れば誰かということは解っている。
食べたいもので 質問する。
りんご? うん バナナ? いや すし? うん
アイスクリーム? うん コーヒー? うん
この うん(イエス) と いや(ノー)は
言葉ではなく 首を縦に振るか横に振るかで表現します。
それから 他に何か食べたいものは? と聞くと
首をかしげるだけで 自分の中から取り出してくる事ができない。
問いかけには答えるし 友人でも 直接会えば 誰かは解るが
想像したり 記憶の倉庫から 取り出して来たり
それらを並べたり、構築したり、関連づけたり
まして 創造したりといったことが 出来ない。
前と 後 過去と 未来 が無さそうだ
今にだけ 生きているような気がする。
だから iPad は 手足の不自由な人にも操作は簡単だが
進んだり、戻ったり
自分の思いを綴ったりすることは
無理だろうと思った。
サファリでランダムにタッチしていれば
どこにでもいけるが 意図して行った訳ではないので
戻る事もできないだろう。
……………………………………………………………………………………
右脳と左脳の働きを調べてみた。
ただ、竹を割った様に機能を分担しているのではなく
相互に補い合ったり、協力し合いながらの働きのようだ。
左脳の働き
顕在意識脳 右手足制御
言語、分析,思考,理論、論理,計算、時間連鎖的思考
右脳の働き
潜在意識脳 左手足制御
感覚、イメージ、直感、記憶、情報
音楽,芸術、創造性,空間構成、感情表現
ぼくの姉の場合 左脳のダメージなので
時間連鎖的思考ができないのか
今 という時だけに生きている。
……………………………………………………………………………………
広い砂浜のどこかに 埋められた
白い貝殻のような 姉の タマシイ
時が経って 砂が風に晒されて
少しでも貝殻の頭が出てくれば良い
その時がくるまで iPadも埋めておこうと思う。

2011年06月02日
ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968
Elliott Erwitt が 1974年 巴里 で撮った Josef Koudelka

東京都写真美術館で 今 開催されている
ジョセフ・クーデルカの写真展

プラハ 1968
1968年
僕は20歳
蒸し暑い 夏の大阪の夜 鉄格子のなかで
この報道を 聞いた
昨日の事のように 憶えている
…………………………………………………………………………………
その後 大阪に住んでいた 姉の処に身を寄せた
その姉が 今年4月 脳梗塞で倒れた
今住んでいる 堺まで 高速で 2時間半から3時間半
週末には 時々 車をとばす
…………………………………………………………………………………
この前 途中 京都で降りて
鬱病の A子ちゃんの質素なアパートへ 寄った。
そして すぐ 近くにある 有名な本屋さん
恵文社




3時間くらい 浸る
1日いても 飽きないな ここは
そこで
ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 の写真集を見つけ
この 写真展のことを 知った。


Invasion (侵略) Praque 68
この本 大型のソフトカバーの 295ページのどっしりとした本で
全て その時の プラハの写真で埋め尽くされている。

ソ連のサーカス、プラハに凱旋公演。
注意:刺激しないでください、餌を与えないでください! とある
平凡社出版 3,990円 は とても 安い
…………………………………………………………………………………
1968プラハ 8月
1968年大阪8月
2011年5月 東京 Josef Koudelka 写真展
2011年5月 恵文社
と 時空を隔てていたいくつかの事柄
僕の中で 閉じられて 一つになった。
…………………………………………………………………………………
「存在の耐えられない軽さ」Nesnesitelná lehkost bytí
ミラン・クンデラ原作 フィリップ・カウフマン監督
出演: ダニエル・デイ=ルイス, ジュリエット・ビノシュ, レナ・オリン
この映画に 1968年のプラハの 動画が出てきます。
実際のドキュメント映像と 映画の映像が違和感無く一体化しています。
かなり迫力のある生々しい映像です。
これは YouTubeで拾った 白黒とカラーの映像です。
その時の映像のみが掲載されています。

この映画は かなりお勧め 僕のお気に入りです。
原作は映画よりも良いと聞いていますので
いつか 是非読んでみたい。
それにしても タイトルが気になって見た映画です。
…………………………………………………………………………………
福島第一原子力発電所 は いまだに 埒があかない。
ドイツが 脱原発 原発全廃を決定したのには 拍手を送りたい.
それに比べて 日本は ねえ
浜岡くらいじゃ 英断とはいえんでしょう
今日も 新潟中越地方で 地震が多発している。
柏崎刈羽原子力発電所 は 次に最も危ない
この 海に囲まれた 地震立国 日本が
率先して 原発全廃を 決定しないと
逃げるとこは ありませんよ
新しいクリーンエネルギーに金と頭をつぎ込んで
平和で安全で効率的な システムを作り
その技術を輸出していくのが 次の課題だと思うのですが
まず なにがなんでも 福島第一を収束させること
では

東京都写真美術館で 今 開催されている
ジョセフ・クーデルカの写真展

プラハ 1968
1968年
僕は20歳
蒸し暑い 夏の大阪の夜 鉄格子のなかで
この報道を 聞いた
昨日の事のように 憶えている
…………………………………………………………………………………
その後 大阪に住んでいた 姉の処に身を寄せた
その姉が 今年4月 脳梗塞で倒れた
今住んでいる 堺まで 高速で 2時間半から3時間半
週末には 時々 車をとばす
…………………………………………………………………………………
この前 途中 京都で降りて
鬱病の A子ちゃんの質素なアパートへ 寄った。
そして すぐ 近くにある 有名な本屋さん
恵文社




3時間くらい 浸る
1日いても 飽きないな ここは
そこで
ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 の写真集を見つけ
この 写真展のことを 知った。


Invasion (侵略) Praque 68
この本 大型のソフトカバーの 295ページのどっしりとした本で
全て その時の プラハの写真で埋め尽くされている。

ソ連のサーカス、プラハに凱旋公演。
注意:刺激しないでください、餌を与えないでください! とある
平凡社出版 3,990円 は とても 安い
…………………………………………………………………………………
1968プラハ 8月
1968年大阪8月
2011年5月 東京 Josef Koudelka 写真展
2011年5月 恵文社
と 時空を隔てていたいくつかの事柄
僕の中で 閉じられて 一つになった。
…………………………………………………………………………………
「存在の耐えられない軽さ」Nesnesitelná lehkost bytí
ミラン・クンデラ原作 フィリップ・カウフマン監督
出演: ダニエル・デイ=ルイス, ジュリエット・ビノシュ, レナ・オリン
この映画に 1968年のプラハの 動画が出てきます。
実際のドキュメント映像と 映画の映像が違和感無く一体化しています。
かなり迫力のある生々しい映像です。
これは YouTubeで拾った 白黒とカラーの映像です。
その時の映像のみが掲載されています。

この映画は かなりお勧め 僕のお気に入りです。
原作は映画よりも良いと聞いていますので
いつか 是非読んでみたい。
それにしても タイトルが気になって見た映画です。
…………………………………………………………………………………
福島第一原子力発電所 は いまだに 埒があかない。
ドイツが 脱原発 原発全廃を決定したのには 拍手を送りたい.
それに比べて 日本は ねえ
浜岡くらいじゃ 英断とはいえんでしょう
今日も 新潟中越地方で 地震が多発している。
柏崎刈羽原子力発電所 は 次に最も危ない
この 海に囲まれた 地震立国 日本が
率先して 原発全廃を 決定しないと
逃げるとこは ありませんよ
新しいクリーンエネルギーに金と頭をつぎ込んで
平和で安全で効率的な システムを作り
その技術を輸出していくのが 次の課題だと思うのですが
まず なにがなんでも 福島第一を収束させること
では
2011年05月19日
Never Let Me Go わたしを離さないで
今、最も見たい映画

上のポスター画像をクリックすると YouTubeで Trailer 予告編(英国の)のはじまり
またこちら戻って下さい
こちら容量が無いので埋め込みできない リンクでごめんなさい。

上の画像もクリックすると YouTubeで見れます。物憂いチューンで漂えます。
多分映画の中で カセットテープに入っている 昔の曲を聴く
Judy Bridgewater というのは 架空の人のようだが
実際に歌っている人は 誰だろう と思う。
この歌ですが なかなかノスタルジックな情感がこもっている。

それから レイチェル・ポートマンのサウンドトラックも秀逸でいいです。
............................................................................................
何故かこちら 福井だけ 放映される映画館が無い。
だからよけい見たくなる。じっと待っているのもよいか。
YouTubeで色々見ていると いいんだな これが
そして 流れいく音楽も とても良い。
YouTubeや予告編だけで いろいろと想いが駆け巡る。
............................................................................................
カズオ・イシグロ 原作
<日の名残り> も良かったが もっと期待している。
生きていることの喜びと 生きている事の意味と儚さと
そして死に逝くことへの心の準備
どういうふうに描かれているのだろうか?
............................................................................................
キャリー・マリガンとアンドリュー・ガーフィールド
そしてキーナ・ナイトレイ
それから シャーロット・ランブリンも出ているみたい。
予告編見る限り キャリー・マリガン が良いですね。
そして 後ろに流れる 音楽が とてもよい。
............................................................................................
ある特定の目的の為に作られた生命たちの物語です。
この物語の人達は特定の目的の為にだけ
自分を準備していなくてはいけないし、
自分に敷かれたレールからはみだしてはいけない。
命を燃やすような激しい生き方も、ひとを好きになる事も、
全く別な生き方を選ぶ自由も ありません。
逆に私たちは ある枠組みや レールがないと 安心できないところがある。
勝手に自由にやりたい事を好きにやれ と言われると
さて どうしよう と不安になるようなところもある。
............................................................................................
話は変わるけど ブレード・ランナー のレプリカントは
人ではなく 人造人間でしたが ある人の記憶が埋め込まれていましたね。
そして彼らが一番知りたかった事は 自分は誰であり
あと何年生きられるかということでした。
ある意味 限られた命のなかで 自分と自分のルーツを捜している
儚い命の美しさなのですが。
ルドガー・ハウアーの 命の終わりかけ 切れていく生命電池
その手のひらに 必死に釘を差し ブレードランナーを助け
命を繫いでいく時の セリフ
おまえら人間には信じられぬ物を俺は見てきた
オリオン座の近くで 燃えた宇宙船
タンホイザー ゲートのオーロラ
そういう想い出も やがて消える
時がくれば.....
涙の様に...
雨のように......
その時が きた (time to die.....)
これは レプリカントのセリフではなく
すでに人を美しく超えた モノローグでした。
それに比べて ハリソン・フォードの
いい加減で、甘く、曖昧で、可愛くもある人間臭さが
対照的で 面白い作品ではありますが。
............................................................................................
見たい映画は他にもあります。
Lavoura Arcaica

これはDVDが出る気配もなく
全く日本では知られていない映画ですが
これもYouTubeでほんの少しを覗き見るしかありません。
この 空気感と南米の言葉の陰影とバックに流れる音楽
ま 死ぬまでに見たい映画ではあります。

上のポスター画像をクリックすると YouTubeで Trailer 予告編(英国の)のはじまり
またこちら戻って下さい
こちら容量が無いので埋め込みできない リンクでごめんなさい。

上の画像もクリックすると YouTubeで見れます。物憂いチューンで漂えます。
多分映画の中で カセットテープに入っている 昔の曲を聴く
Judy Bridgewater というのは 架空の人のようだが
実際に歌っている人は 誰だろう と思う。
この歌ですが なかなかノスタルジックな情感がこもっている。

それから レイチェル・ポートマンのサウンドトラックも秀逸でいいです。
............................................................................................
何故かこちら 福井だけ 放映される映画館が無い。
だからよけい見たくなる。じっと待っているのもよいか。
YouTubeで色々見ていると いいんだな これが
そして 流れいく音楽も とても良い。
YouTubeや予告編だけで いろいろと想いが駆け巡る。
............................................................................................
カズオ・イシグロ 原作
<日の名残り> も良かったが もっと期待している。
生きていることの喜びと 生きている事の意味と儚さと
そして死に逝くことへの心の準備
どういうふうに描かれているのだろうか?
............................................................................................
キャリー・マリガンとアンドリュー・ガーフィールド
そしてキーナ・ナイトレイ
それから シャーロット・ランブリンも出ているみたい。
予告編見る限り キャリー・マリガン が良いですね。
そして 後ろに流れる 音楽が とてもよい。
............................................................................................
ある特定の目的の為に作られた生命たちの物語です。
この物語の人達は特定の目的の為にだけ
自分を準備していなくてはいけないし、
自分に敷かれたレールからはみだしてはいけない。
命を燃やすような激しい生き方も、ひとを好きになる事も、
全く別な生き方を選ぶ自由も ありません。
逆に私たちは ある枠組みや レールがないと 安心できないところがある。
勝手に自由にやりたい事を好きにやれ と言われると
さて どうしよう と不安になるようなところもある。
............................................................................................
話は変わるけど ブレード・ランナー のレプリカントは
人ではなく 人造人間でしたが ある人の記憶が埋め込まれていましたね。
そして彼らが一番知りたかった事は 自分は誰であり
あと何年生きられるかということでした。
ある意味 限られた命のなかで 自分と自分のルーツを捜している
儚い命の美しさなのですが。
ルドガー・ハウアーの 命の終わりかけ 切れていく生命電池
その手のひらに 必死に釘を差し ブレードランナーを助け
命を繫いでいく時の セリフ
おまえら人間には信じられぬ物を俺は見てきた
オリオン座の近くで 燃えた宇宙船
タンホイザー ゲートのオーロラ
そういう想い出も やがて消える
時がくれば.....
涙の様に...
雨のように......
その時が きた (time to die.....)
これは レプリカントのセリフではなく
すでに人を美しく超えた モノローグでした。
それに比べて ハリソン・フォードの
いい加減で、甘く、曖昧で、可愛くもある人間臭さが
対照的で 面白い作品ではありますが。
............................................................................................
見たい映画は他にもあります。
Lavoura Arcaica

これはDVDが出る気配もなく
全く日本では知られていない映画ですが
これもYouTubeでほんの少しを覗き見るしかありません。
この 空気感と南米の言葉の陰影とバックに流れる音楽
ま 死ぬまでに見たい映画ではあります。
2011年04月12日
雨が降り出す前に 僕は逃げ出すんだ
核兵器、原発 からの 別れの準備
……………………………………………………………………
4月12日のニュース(地震から一ヶ月後)で
夕方か 朝方かわかりませんが 薄暗い中
がれきに座って 海を見つめながら
年老いた漁師が 目に涙を浮かべ つぶやいていました。
沢山の仲間が死んでしまった と
低い声で じっと 海を見つめたまま
最後に く や し い と
この映像が 衝撃的でした。
……………………………………………………………………
Bob Dylan の1962年にリリースされたアルバム
Free Wheelinの中の一曲
a hard rain's a-gonna fall
次の画像をクリック して別ウィンドウでレコード演奏したら
こちらに戻ってください。

レコードを聞きながらブログを読むのも良いかなとおもう。
……………………………………………………………………
この曲の歌詞は黙示録的で不気味な内容ですが
場面を変えながら繰り返される韻を踏んだ歌詞が
とても美しい
その中の 一節
I'm a-goin' back out 'fore the rain starts a-fallin'
雨が降り出す前に 僕は逃げ出すんだ
……………………………………………………………………
そして 1965年にリリースされた
Bringing It All Back Homeの中の
Subterranean Homesick Bluesの中の一節
You don’t need a weatherman
To know which way the wind blows
風がどっちから吹いてるかを知るのに
天気予報なんていらないよ
……………………………………………………………………
さて 連日ニュースの冒頭で 福島第一原発のニュースがながれています。
しかし、いっこうに良くならないどころか 悪い方向に進んでいるように思えます。
ニュースでは うわべのことの報告と解説ばかりで
本当に大切な事を我々に知らせてはくれません。
雨が降り出す前に逃げ出すために
天気予報を当てにしていたのではダメだ
逃げ出す前に ずぶぬれになっちまう。
天気予報が間違っていたなんてあとからいったところでラチあかない。
風向きや雨の予測は 自分で読み取る知識と勘を持つしか無い。
……………………………………………………………………
幸い インターネットがある。YouTube もある
知りたい情報は山ほどある。
原発については 設計士や技術士などの意見を聞くのが良い
YouTubeに動画として沢山載っている
非常に具体的で わかり易いし シビアな内容のものが多い。
インターネットが無かったころはこんなに自分で情報を得る事はできなかった。
これで テレビや規制された報道にイライラしないで済む。
……………………………………………………………………
アル・ゴア前米国副大統領の<不都合な真実>をDVDでみた。
誤っていることや 誇張されたことなど あるようだが
今 地球がどうなっていて このままいけば これからどうなるのか
それを 防ぐ為にはどうしなければならないかを 知るには 見ておく必要があります。
ショックな内容ですが
それから 同じスタッフ制作による<カウントダウンzero>が
4月16日から 公開されます。
人類が ゼロになるか 核兵器がゼロになるか の 選択
世界にある 23,000発 の核兵器をゼロにするためのカウントダウン
そのうち見てみます
まず 核兵器を、そして次に原発を ゼロにすること
Tシャツプリント用に作ったものが コレ

……………………………………………………………………
次にこのサイトを見てみると良い
<原発がどんなものか知ってほしい>
原発の配管技術者が書き綴った21ページ
平井憲夫さん 既に1997年に被爆による癌で無くなっています。
この内容には 様々な批判 や くだらない中傷 もありますが
教えられる部分、納得できる説明 多々あります。
少し引用します。
私が、北海道で話をしていた時、
「放 射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言った ら、
中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きして いいですか。
今、廃棄物を五〇年、三百年監視する といいましたが、
今の大人がするんですか? そう じゃないでしょう。
次の私たちの世代、また、その 次の世代がするんじゃないんですか。
だけど、私た ちはいやだ」
と叫ぶように言いました。
この子に返 事の出来る大人はいますか。
今は電気を作っているように見えても、
何万年も管理しなければならない核のゴミに、
膨大な電気や石油がいるのです。
それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。
それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、
私たちの子孫なのです。
もう やめましょうよ 核兵器も 原発も ネ
さ よ う な ら 原発
……………………………………………………………………
4月12日のニュース(地震から一ヶ月後)で
夕方か 朝方かわかりませんが 薄暗い中
がれきに座って 海を見つめながら
年老いた漁師が 目に涙を浮かべ つぶやいていました。
沢山の仲間が死んでしまった と
低い声で じっと 海を見つめたまま
最後に く や し い と
この映像が 衝撃的でした。
……………………………………………………………………
Bob Dylan の1962年にリリースされたアルバム
Free Wheelinの中の一曲
a hard rain's a-gonna fall
次の画像をクリック して別ウィンドウでレコード演奏したら
こちらに戻ってください。

レコードを聞きながらブログを読むのも良いかなとおもう。
……………………………………………………………………
この曲の歌詞は黙示録的で不気味な内容ですが
場面を変えながら繰り返される韻を踏んだ歌詞が
とても美しい
その中の 一節
I'm a-goin' back out 'fore the rain starts a-fallin'
雨が降り出す前に 僕は逃げ出すんだ
……………………………………………………………………
そして 1965年にリリースされた
Bringing It All Back Homeの中の
Subterranean Homesick Bluesの中の一節
You don’t need a weatherman
To know which way the wind blows
風がどっちから吹いてるかを知るのに
天気予報なんていらないよ
……………………………………………………………………
さて 連日ニュースの冒頭で 福島第一原発のニュースがながれています。
しかし、いっこうに良くならないどころか 悪い方向に進んでいるように思えます。
ニュースでは うわべのことの報告と解説ばかりで
本当に大切な事を我々に知らせてはくれません。
雨が降り出す前に逃げ出すために
天気予報を当てにしていたのではダメだ
逃げ出す前に ずぶぬれになっちまう。
天気予報が間違っていたなんてあとからいったところでラチあかない。
風向きや雨の予測は 自分で読み取る知識と勘を持つしか無い。
……………………………………………………………………
幸い インターネットがある。YouTube もある
知りたい情報は山ほどある。
原発については 設計士や技術士などの意見を聞くのが良い
YouTubeに動画として沢山載っている
非常に具体的で わかり易いし シビアな内容のものが多い。
インターネットが無かったころはこんなに自分で情報を得る事はできなかった。
これで テレビや規制された報道にイライラしないで済む。
……………………………………………………………………
アル・ゴア前米国副大統領の<不都合な真実>をDVDでみた。
誤っていることや 誇張されたことなど あるようだが
今 地球がどうなっていて このままいけば これからどうなるのか
それを 防ぐ為にはどうしなければならないかを 知るには 見ておく必要があります。
ショックな内容ですが
それから 同じスタッフ制作による<カウントダウンzero>が
4月16日から 公開されます。
人類が ゼロになるか 核兵器がゼロになるか の 選択
世界にある 23,000発 の核兵器をゼロにするためのカウントダウン
そのうち見てみます
まず 核兵器を、そして次に原発を ゼロにすること
Tシャツプリント用に作ったものが コレ

……………………………………………………………………
次にこのサイトを見てみると良い
<原発がどんなものか知ってほしい>
原発の配管技術者が書き綴った21ページ
平井憲夫さん 既に1997年に被爆による癌で無くなっています。
この内容には 様々な批判 や くだらない中傷 もありますが
教えられる部分、納得できる説明 多々あります。
少し引用します。
私が、北海道で話をしていた時、
「放 射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言った ら、
中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きして いいですか。
今、廃棄物を五〇年、三百年監視する といいましたが、
今の大人がするんですか? そう じゃないでしょう。
次の私たちの世代、また、その 次の世代がするんじゃないんですか。
だけど、私た ちはいやだ」
と叫ぶように言いました。
この子に返 事の出来る大人はいますか。
今は電気を作っているように見えても、
何万年も管理しなければならない核のゴミに、
膨大な電気や石油がいるのです。
それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。
それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、
私たちの子孫なのです。
もう やめましょうよ 核兵器も 原発も ネ
さ よ う な ら 原発
2011年03月28日
夢であってくれれば
2011.03.27 東北震災報道のテレビを見ていて
ある おばあさんが 言っていました
夢であってくれれば・・・・・・ と
………………………………………………………………………………
大変 つらい ありえない 夢をみて ハッと起きた時
しばらくして 我に返り 夢だったと気が付くことがあります。
あぁー 夢だったんだ アー良かった
と 胸を撫で下ろす そのときの
時が止まるくらいの安堵感
………………………………………………………………………………
夢であってくれれば
数十分で 全てをさらわれた人達の 想いだろうと思う
………………………………………………………………………………
福島第一原子力発電所 で今もなお
寝ずに働いている現場の人達に 深い敬意を表します。
仕事に従事している方々は 原発の近隣の人達が多いようです。
みな 被災者でもあり 家も流され 両親も亡くなり
それでも 3月11日地震当日から ずーと家にも帰れず
カンズメ状態で暗闇の戦場のようなところで
この 日本のため 献身している人達
その人達に 深い感謝 あるのみです。
皆が安全で 全ての原子炉が終息に向かう事を強く願います。
………………………………………………………………………………
幾日 過ぎれば 我が子の遺体が見つかるのでしょうか?
幾晩 寝れば これは 夢ではなかったんだ と思えるでしょうか?
何ヶ月 たてば この事を事実として受け入れる事かできるでしょうか?
何十年 耕せば 元の緑の土地に戻るだろうか?
どれだけの距離を移動すれば 安全な場所に辿り着けるんだろうか?
何世代の命を繫げば こんな記憶を消す事ができるだろうか?
何度 あやまれば 私たちの子孫に許してもらえるのだろうか?
どれだけ 深く掘れば 安らかに眠れる自分の墓になるのでしょうか?
そして どれだけ多くの嘘に欺かれなければ
それが本当の嘘だったと 気が付くのだろうか?
友よ その 答えは 風に吹かれている
答えは 今でも 風に吹かれているんだよ
ディランの 風に吹かれて のフレーズに乗っけて作ったものです。
………………………………………………………………………………
東北太平洋沿岸の 大地震,大津波による被害は
何年かかるか解りません。
国を上げての 復興支援と 被災された方々の強い意志で
必ず 成就出来ると 信じています。
でも 答えが 全く出てこないのが 原発災害です。
空から地上から海から原子炉を冷却し
ようやく外部電源がほぼ繋がり 電気が復旧した矢先
タービン建屋で 3人の方が 本来避けられたはずの 重い被爆をされ
現在 原子炉から漏れた 高濃度の放射線を含む水が 溜まっているため
人が入って 損傷部の復旧作業ができない状態です。
この先 いったい どういうことになるのか
非常に 不安です。
たとえ 損傷部,環境 全て復帰して
燃料棒を冷やす事が可能になったとして
当然 1-6号機は 廃炉になるとして
完全な 冷却 廃炉 になるまでに
10年かかる その費用と
10年後に その土地、建物、設備、使用済核燃料
この 無くならない危険なものを いったいどう処理するのか?
教えてほしいです。
………………………………………………………………………………
自分たちの叡智や能力を 遥かに超えたものを我々は手にしてしまった。
私たち人類が 制御出来ないものを 手に入れてしまった。
2001年宇宙の旅 の 猿が振り上げた骨
それが 道具になり そのうち 武器になり
武器が 大量殺戮のマシンになり
全人類が自殺できるくらいの 規模になってしまった。
その原子力を平和利用と称して発電に使われていますが
操作ミス、機器やプログラムの故障、天災、戦争
原因がなんであれ
それが 制御できなくなった時の恐ろしさ は
チェルノブイリ スリーマイル 福島原発 で
はっきりと証明されています。
原発に対する 答えは 風に吹かれていません。
はっきりしています。
これ以上原発を作らない事
休止している原発を再稼働しないこと
全ての原発を廃炉にすること
その変わりの 安全なエネルギーを早急に開発する事
…………………………………………………………………
暗い話題が多く 気も沈みます。
最近、Mavis Staples の CDを買いました。
震災前から ずっと聞いています。
アルバムタイトルが You Are Not Alone
とても いい曲です。
彼女の ウォームで優しい 歌声が
東北の被災者の方々に届くことを願います、
Not Alone 独りじゃないんだよ
YouTube で まず CDのバージョン
画像をクリックしてください。
別ウィンドウで開かれます。

次に Jeff Tweedy のギターにのせて
アコースティック バージョン

そして もう一曲 熱唱です
Hard Times Come Again No More

被災者の方々のことを想い この曲を聞くと 涙でるヨ
ジン と沁みます
じっくり 聞いてください。
では
ある おばあさんが 言っていました
夢であってくれれば・・・・・・ と
………………………………………………………………………………
大変 つらい ありえない 夢をみて ハッと起きた時
しばらくして 我に返り 夢だったと気が付くことがあります。
あぁー 夢だったんだ アー良かった
と 胸を撫で下ろす そのときの
時が止まるくらいの安堵感
………………………………………………………………………………
夢であってくれれば
数十分で 全てをさらわれた人達の 想いだろうと思う
………………………………………………………………………………
福島第一原子力発電所 で今もなお
寝ずに働いている現場の人達に 深い敬意を表します。
仕事に従事している方々は 原発の近隣の人達が多いようです。
みな 被災者でもあり 家も流され 両親も亡くなり
それでも 3月11日地震当日から ずーと家にも帰れず
カンズメ状態で暗闇の戦場のようなところで
この 日本のため 献身している人達
その人達に 深い感謝 あるのみです。
皆が安全で 全ての原子炉が終息に向かう事を強く願います。
………………………………………………………………………………
幾日 過ぎれば 我が子の遺体が見つかるのでしょうか?
幾晩 寝れば これは 夢ではなかったんだ と思えるでしょうか?
何ヶ月 たてば この事を事実として受け入れる事かできるでしょうか?
何十年 耕せば 元の緑の土地に戻るだろうか?
どれだけの距離を移動すれば 安全な場所に辿り着けるんだろうか?
何世代の命を繫げば こんな記憶を消す事ができるだろうか?
何度 あやまれば 私たちの子孫に許してもらえるのだろうか?
どれだけ 深く掘れば 安らかに眠れる自分の墓になるのでしょうか?
そして どれだけ多くの嘘に欺かれなければ
それが本当の嘘だったと 気が付くのだろうか?
友よ その 答えは 風に吹かれている
答えは 今でも 風に吹かれているんだよ
ディランの 風に吹かれて のフレーズに乗っけて作ったものです。
………………………………………………………………………………
東北太平洋沿岸の 大地震,大津波による被害は
何年かかるか解りません。
国を上げての 復興支援と 被災された方々の強い意志で
必ず 成就出来ると 信じています。
でも 答えが 全く出てこないのが 原発災害です。
空から地上から海から原子炉を冷却し
ようやく外部電源がほぼ繋がり 電気が復旧した矢先
タービン建屋で 3人の方が 本来避けられたはずの 重い被爆をされ
現在 原子炉から漏れた 高濃度の放射線を含む水が 溜まっているため
人が入って 損傷部の復旧作業ができない状態です。
この先 いったい どういうことになるのか
非常に 不安です。
たとえ 損傷部,環境 全て復帰して
燃料棒を冷やす事が可能になったとして
当然 1-6号機は 廃炉になるとして
完全な 冷却 廃炉 になるまでに
10年かかる その費用と
10年後に その土地、建物、設備、使用済核燃料
この 無くならない危険なものを いったいどう処理するのか?
教えてほしいです。
………………………………………………………………………………
自分たちの叡智や能力を 遥かに超えたものを我々は手にしてしまった。
私たち人類が 制御出来ないものを 手に入れてしまった。
2001年宇宙の旅 の 猿が振り上げた骨
それが 道具になり そのうち 武器になり
武器が 大量殺戮のマシンになり
全人類が自殺できるくらいの 規模になってしまった。
その原子力を平和利用と称して発電に使われていますが
操作ミス、機器やプログラムの故障、天災、戦争
原因がなんであれ
それが 制御できなくなった時の恐ろしさ は
チェルノブイリ スリーマイル 福島原発 で
はっきりと証明されています。
原発に対する 答えは 風に吹かれていません。
はっきりしています。
これ以上原発を作らない事
休止している原発を再稼働しないこと
全ての原発を廃炉にすること
その変わりの 安全なエネルギーを早急に開発する事
…………………………………………………………………
暗い話題が多く 気も沈みます。
最近、Mavis Staples の CDを買いました。
震災前から ずっと聞いています。
アルバムタイトルが You Are Not Alone
とても いい曲です。
彼女の ウォームで優しい 歌声が
東北の被災者の方々に届くことを願います、
Not Alone 独りじゃないんだよ
YouTube で まず CDのバージョン
画像をクリックしてください。
別ウィンドウで開かれます。

次に Jeff Tweedy のギターにのせて
アコースティック バージョン

そして もう一曲 熱唱です
Hard Times Come Again No More

被災者の方々のことを想い この曲を聞くと 涙でるヨ
ジン と沁みます
じっくり 聞いてください。
では
2011年03月18日
悲しい事ですが
2011年3月11日 2時46分に東北関東大地震がおきました。
その夜のテレビ報道を目の当たりに見て
体が震え 涙があふれました。
あれから1週間が経ちました。
被災された方々、亡くなった方々に深い哀悼の意を表します。
……………………………………………………………………………
東京では 交通機関の完全ストップのため
大勢の 東京レフュジーが路上に溢れましたが
この沢山の東京難民には帰る家があります。
勤め先も 将来も 過去も 約束されています。
東北沿岸部で被災され 命だけ助かったひとたち は
一瞬にして 肉親、友人、同僚、先輩、我が子、犬、猫 から
家 クルマ 家財 勤め先 そして 住んでいた町や村も 無くし
貯蓄 履歴 先祖の墓 過去の想い出 未来の約束
全てを失ってしまったことになります。
被害にあわなかったもの 全ての人や会社が
それぞれが出来ることをして バックアップ していく必要があります。
それも 継続して 長い間 続けなければなりません。
……………………………………………………………………………
それから 最も恐れていた事が起きました。
福島第一原子力発電所の被災です。
11日は東北太平洋沿岸部の生々しい映像に目を奪われていました。
原発の映像もでましたが 大きな被害を受けたという報道はありませんでした。
はっきり解ったのは 一号機の水蒸気爆発の時からです。
11日の報道では アメリカのクリントン米国務長官が
原発の冷却剤を直ちに日本に送る用意があると伝えてきましたが
日本政府(東電との相談の下と思うが)は これを断ったと伝えました。
この 初期の時点でも 僕には信じられない 判断だったと思います、
そして、これに続く政府の対応の遅さと 東電の説明、原子力安全委員会の報告のいい加減さに
ただ ただ 腹が立ちました。
……………………………………………………………………………
これでは 自分で 情報を取るしか無い 原発の構造も勉強するしかない。
そう思い いろいろ 調べてみました。
11日の大地震と大津波は この福島第一原子力発電所にも当然襲い
致命的なダメージを与えていたようです。
この時の報道画面では原発は全く被害を受けていないかのような
過去の原発の写真が映し出されていました。
以下の衛星写真を見ると被害のダメージは一目でわかります。
正常な時の状態

そして 被災後の写真

建屋は残っていますが 海際の設備はほぼ波にさらわれています。
当時,原子炉は1,2,3号機は動いていて 4,5,6号機は以前から停止中だったようです。
動いていた炉は緊急停止したようですが
ここからが問題なのが 原発なのです。
この大地震と大津波で大きなダメージを受け 東電からの電源が取れなくなったこと。
心筋梗塞と同じです。心臓は血液を 全身に送り出す ポンプ ですが
心臓でさえ 自分を動かす為には血液が必要です。 心臓のまわりにある血管が詰まり
心臓に血液が供給できなくなると 心臓が停止し 死に至ります。
同じ様に 原発は電気を起こし その電気を送電線で送り出していますが
原発も 他からの電気が無ければ動かないし 当然死に至ります。
でも もっと恐いのは 停止しても
原発だけが 死に至る訳ではないというところにあります。
原発だけが という意味は 自分だけが死ぬだけで 他に全く影響を与えないという意味です。
原発 ご自身が ご自身だけでお亡くなりになれば全く問題はありません。
原発の仕組みを調べたことで 恐るべきことが解りました。
以下に 引用しますが これが本当なのかと 目を疑います。
炉心の大きな崩壊熱と冷却の必要性
死の灰から出される大きな崩壊熱は原子炉を止めても急には冷えません。
高速で走っている車にブレーキをかけても急には止まらないのと似ています。
制御棒を差し込んで反応を止めた後、発熱率が0.1%になるまでに約1ヶ月もかかります。
これから分かるように、例え原子力発電を今日、直ちに止めたとしても、
使用済燃料は10年以上にわたって冷却し続けなければならないのです。
その間冷却に失敗すると燃料棒が溶けて放射性物質が環境中に放出され、
大変な事故になる可能性があります。
一年間発電に使った燃料を10 年以上にわたって冷却し続けなければなりません。
しかもそれが生物の生命にとって危険であり、何十、何百世代にもわたって
消えないものであることはどの教材を見ても書いてありません。
さて この間の大地震と大津波で 福島第一原子力発電所は緊急停止したと思われます。
1,2,3号機は 制御棒を差し込んで反応を止めたと 聞いていますが
長期間にわたって 冷やし続ける必要があります。
大地震と大津波で電源を断たれ 緊急炉心冷却装置 ECCS のシステムが効かなくなり
予備の電源等も津波にさらわれ ジーゼル発電装置も動かず
炉心を冷却する事ができなくなった。
海水を入れて冷やすことになったが それがどういった事で
どのように冷やしていくのか 一切具体的な説明がなかった。
今は とりあえず 緊急で 水を空から陸から 注いでいます。
東電からの電源がつながるのがもうすぐですが
つながっても システムや 機器が まともに動くかも心配です。
ざっと こんな感じかと思いますが これは 大変なことが起きていることで
最悪の事態といえます。
諸外国が注目しているのも 被害のこともありますが
こういった 事態を どう切り抜けていくのかということと
こういう事態になった事を想定して どういう準備をしておかなければならないかを
具体的に 学べる というところにあります。
さて 原発はたとえ停止しても 死なないところに大きな問題があります。
止まった途端に死んでくれれば 何の問題もないのです。
本当に死ぬまでに ずっと大量に電気を使って冷やし続けなければならないのです。
4,5,6号機は 停止していたのにもかかわらず 使用済み核燃料を冷やせないために
水が蒸発して無くなって危険な状態になっている今の現状は こういうことなのです。
原発の恐さ を 知っておくべきです。
これ以上 原発を 増やさない事
今ある原発を 廃炉にすること。
原子力発電に頼らない 別の 発電システムを作ること。
そして 限りあるエネルギーを 節約し
もう一度 生活の原点を 見つめ直すことが 必要かと思います。
この話は 続きます。 悲しいことですが
我々には知っておく必要がありますし
何より 子や孫の世代に対する責任があります。
安心して 暮らせる 社会システムを 今の私たちが
勇気を持って 作り出していく 知恵と 努力が 必要です。
社会も 国も 我々一人一人も 止める 戻る
原点に立ち返る そういう 選択の時 を
つきつめられた 試練の時 だと思います。
2011年03月15日
してはいけない事
今回の 地震による 犠牲者の方々に 哀悼の意と
そして 親、兄弟、肉親,そして故郷や職場を失われた方々に
深い 悲しみの気持ち を 感じております。
毎日、テレビの報道を見る度に 涙が出ます。
これは 日本中の方々が経験している事だと思います。
そして、 皆さんが 我先に 生活物資や防災グッズを買い漁って
いるようですが これは やめましょう。
こういう時に私たちがその手のものを買い漁ることで
被災者の方々に 行き届くものを
奪い取っているという自覚を持って下さい。
全国で在庫されているものは
そのことで あっという間になくなります。
私たちが お金や物資を 寄付することも大事ですが
私たちが 我慢することで 救われていくことだってあると思います。
日本の みなが 苦しい そして 悲しい
してあげる ことも 大事ですが
僕たちが してはいけない事を 我慢することも 大事かなと
想うのですが
足し算は 簡単 です 足せばいいのです
引き算 が 大切です。
以前のブログに書いたネイティブ・アメリカンの言葉ですが
奪い合えば 足りなります 分かち合えば 余ってきます。
これから 作っていかなきゃならないのは
足し算ニッポン じゃなく
引き算ニッポンでしょうか
これを契機に 清く貧しく
そして 美しく 生きていきたいです
最後に 福島第一原発の東電の処理と対応には
腹立たしいというか 怒りを憶えます。
その 無能力さ に対して。
そして 親、兄弟、肉親,そして故郷や職場を失われた方々に
深い 悲しみの気持ち を 感じております。
毎日、テレビの報道を見る度に 涙が出ます。
これは 日本中の方々が経験している事だと思います。
そして、 皆さんが 我先に 生活物資や防災グッズを買い漁って
いるようですが これは やめましょう。
こういう時に私たちがその手のものを買い漁ることで
被災者の方々に 行き届くものを
奪い取っているという自覚を持って下さい。
全国で在庫されているものは
そのことで あっという間になくなります。
私たちが お金や物資を 寄付することも大事ですが
私たちが 我慢することで 救われていくことだってあると思います。
日本の みなが 苦しい そして 悲しい
してあげる ことも 大事ですが
僕たちが してはいけない事を 我慢することも 大事かなと
想うのですが
足し算は 簡単 です 足せばいいのです
引き算 が 大切です。
以前のブログに書いたネイティブ・アメリカンの言葉ですが
奪い合えば 足りなります 分かち合えば 余ってきます。
これから 作っていかなきゃならないのは
足し算ニッポン じゃなく
引き算ニッポンでしょうか
これを契機に 清く貧しく
そして 美しく 生きていきたいです
最後に 福島第一原発の東電の処理と対応には
腹立たしいというか 怒りを憶えます。
その 無能力さ に対して。
2011年02月01日
雪と風邪とお風呂と夢の話
去年の暮れから ずーと雪が降っている。
降っては消え、降っては消え だらだらと
そして、今年一番の寒波が来た。
これ、会社の社員総出のゆきかき。

これは何でしょう?

中に 車が おります
これ以上かんべんしてよと言いたくなる。
............................
去年の暮れから ズーと風邪をひいている
良くなり戻り、良くなり悪くなり だらだらと
この前 今年一番の寒気がきて
早めに仕事から帰り、アイスを一つ喰って
他なにも喰わずに 酒も飲まずに寝た。
............................
風邪をひくと 僕は 何も喰わずただひたすら寝る。
その時は 約、12時間寝た。
............................
こちら 冬はめっぽう寒い
その寒さ からっとしていない
じっとりと 寝床は冷水に入るように寒くて冷たい
だから 電気毛布というものが有る。
これがなくては 眠れない。
昔は ばんどこ や アンカがあって
豆炭(マメタン)をいくつか真っ赤に熱して入れて
灰をこんもりと被せて
足下を暖めては寝たもんです。
まだ 家の中には火鉢があり
いつも 炭が真っ赤におきていて
股火鉢なんて いつもしてた。
股ぐらの熱さと 火鉢の陶器の外側の冷たさ
憶えていませんか? おとうさん達
そのうち 豆炭アンカから電気アンカになり
電気毛布に取って代わりましたが
............................
その 電気毛布に話を戻します。
風邪をひいたときは まず 電気毛布の温度設定を最高にします。
熱くなったところで もぐり込んで寝るわけです。
僕の電気毛布の温度調節レベルは最高8、標準4です。
いつもは レベル4でスイッチを入れ 3レベルで寝ます。
自分の体温とちょうどいい温度レベルだと思います。
でも 風邪をひいた時は体温が高い。
寝る時は最高8でセットしておいて7レベルに落として寝ます。
たぶん、体温より高いので寒気を感じずに気持ちいいのでしょう。
そのうち熱く感じ レベル6に落とし、レベル5に落とします。
熱いなと感じたときから 1レベルづつ落としていきます。
体の熱(体温)が少しずつ落ちてきているのが 電気毛布のレベルで解ります。
随分たってからですが 体温が平熱近くに戻ってくると
レベル4になります。微熱の状態かなと思いますが
そこからは 限りなく汗をかくモードになります。
レベル3になるまでに 相当な汗をかき
パジャマから下着まで汗びっしょりになります。
だから 寝る前は バスタオルと冷たいお茶とティッシュを用意しておきます。
ただ、汗をかき始めてからがつらい。
汗ビッショになり目が覚め タオルで拭き のくりかえしが延々と続く
ほぼ汗をかきおわった頃に起きます。
その時見た夢はこんなんです。
熱(体温)が細長い立法体になっています。
熱を 見れる訳ですが
その立方体の中には 小さな立方体がぎっしり入っていたり
木の葉や ひもやいろんな物が詰まっていたりするのです。
その時の熱の温度によって中味が変わるというそんな夢でした。
............................
昔から ひたすら寝るだけという そういう直し方をしてきています。
医者に行ったことはほとんどありません。
ただ、昼過ぎまでそういう状態で寝ていると
汗で気持ち悪くなり スッキリしたい為と
最後の汗を絞り出したいために 必ず 銭湯へ行く。
近くに大きな銭湯が2軒ある。
こういうときは必ず 花の湯 へ行く。
何故かというと 露天風呂があるから。
............................
実をいうと僕は小さい頃から ノボセ症で
お風呂(銭湯)で気を失った事は2度ある。
お風呂で気分が悪くなったことは何度もある。
ノボセ症のくせに ガキの頃から熱い風呂が好きで
我慢の限界まで入っていたりして気分が悪くなる。
気分が悪くなるのは お風呂を出て脱衣場でおきる
まず、冷や汗が じとっと出始める。目の前が暗くなる、廻りの音がおかしくなる。
これが過ぎると 気を失うことになる。
だから 出るときは必ず水風呂に入り体を冷やす。
でも 水風呂も我慢の限界まで入っていたりする。
気を失うところまでは入っていませんが
ギリギリのところでは どういうことが起こるかわかりますか?
テレビで画面が縦に流れるのを同期が合わないといいますが
その現象がでてきます。頭はクリアーですが
まるで 同期の合わなモニター画面を見ているように
前の風景が縦に流れていきます。
.................................
さて、病気で寝込んだ後は 飲まず喰わずなので体力が無い
お風呂は 大変エネルギーを消耗する。
それで 風呂から出た時に 気を失った事がある。
だから 今回は ちゃんと軽い食事をしてから 花の湯 へ行った。
銭湯は 癒しの空間としては 最適
1枚のタオル と 一つの体 と ワンコイン(500円)
それだけで ゆっくり 気持ちよくなれて 独りになれる。
そして 何故 露天風呂かというと 銭湯といえど外にある
今は 雪だって降っている
お風呂のお湯は熱くはなく ちょうど良い温度なので
長く入れるし、何より 頭が冷たい
これが良い
頭に暖まった血が上り 脳が熱暴走するのが ノボセかも
頭は 冷やす クール これが良い
ともかく 世間や家庭から吹っ切れて 体あっため
頭クリアーで くつろぐ程 素敵な時間はない。
あと 足りないのは 好きな音楽くらいかなと思うけど
やっぱ 身一つ 頭が付いてりゃ 頭ん中で旅できる。
<農耕民族は移動しない 狩猟民族は定住しない>
って 誰かが書いていたけど
銭湯で 僕の体は 定住の農耕民族だが
頭ん中は 旅する狩人になる。
夢だって そうかもしれない。
体はベットの上で 動かないが 頭ん中じゃ旅してる。
露天風呂をでて屋内に入ったところにアロマの湿式サウナがある
ここへも入るが 一つ難点が有る
体は気持ちいいのだが あたまが鍋で蒸してるようにあつく
呼吸は熱い蒸気を吸い込んでいるからタマラナイ
入る前に頭をはずして ロッカーにいれて鍵かけて
(こんな頭でも 盗まれたら帰れなくなる)
そして入ればいいかもとすら思ったが デキナイヨネ
そこで こんな頭でも ちと考えれば案が湧く
タオルを冷たい水で濡らし あまり絞らずに入って
顔から頭までを縦に覆うと 呼吸も非常に楽で
頭も熱くならない。
サウナ用の厚いタオル地の 目出し帽 なんてのがあればいい。
...........................
この前 こんな夢を見た。
場所は 峠の茶屋
キャストは 僕とイカリさんのみ
僕は峠の茶屋のウェイターというか 給仕をしています。
腰前掛けを巻き 着物姿です。
お客さんが一人 これイカリさんです。
<いらっしゃいませ ようこそ>
<なんだか 足の具合が悪くてねェ
なにか良くなる方法はないかしら?>
茶屋でこのような会話もおかしなものですが
お馴染みのお客さんとはこのような会話から
始まったりもします。
<ああ そういえば 一週間程前に
両の足を置いていかれた方がおりましてね
もし宜しければ それ 一度試してみますか?>
<それはいいかもしれないわね 持って来てちょうだい>
持っていくと 早速 両足を 取り替えて 曰く
<これいいわ とっても楽になったわ まるで自分の足みたい>
<その 足を置いていかれた方というのは 貴方とよく似ていましたが
その方 両足を置いてどうやって帰られたのでしょうかね?>
<そうね わたしも それは 知りたいわョ>
ここで 夢は 終わりました。
茶屋の前には 告示の看板があり
そこにはこう書かれていました。
『夢のお持ち込みは 固くお断りします』
と
さて キツネにつままれたようで
ちょっと うす気味の悪い 夢でしたが
イカリさんに 朝 夢の話をすると
あなたは 寝ていても忙しい人ね
よくそんな 馬鹿げた夢を見るもんだわ
でも 面白い 夢ね
と 大笑いしてました。
では 皆様 風邪など ひきませぬように
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
Tシャツ作りのお手伝いは 下記サイトにて
染型工房 横山工藝
タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
降っては消え、降っては消え だらだらと
そして、今年一番の寒波が来た。
これ、会社の社員総出のゆきかき。

これは何でしょう?

中に 車が おります
これ以上かんべんしてよと言いたくなる。
............................
去年の暮れから ズーと風邪をひいている
良くなり戻り、良くなり悪くなり だらだらと
この前 今年一番の寒気がきて
早めに仕事から帰り、アイスを一つ喰って
他なにも喰わずに 酒も飲まずに寝た。
............................
風邪をひくと 僕は 何も喰わずただひたすら寝る。
その時は 約、12時間寝た。
............................
こちら 冬はめっぽう寒い
その寒さ からっとしていない
じっとりと 寝床は冷水に入るように寒くて冷たい
だから 電気毛布というものが有る。
これがなくては 眠れない。
昔は ばんどこ や アンカがあって
豆炭(マメタン)をいくつか真っ赤に熱して入れて
灰をこんもりと被せて
足下を暖めては寝たもんです。
まだ 家の中には火鉢があり
いつも 炭が真っ赤におきていて
股火鉢なんて いつもしてた。
股ぐらの熱さと 火鉢の陶器の外側の冷たさ
憶えていませんか? おとうさん達
そのうち 豆炭アンカから電気アンカになり
電気毛布に取って代わりましたが
............................
その 電気毛布に話を戻します。
風邪をひいたときは まず 電気毛布の温度設定を最高にします。
熱くなったところで もぐり込んで寝るわけです。
僕の電気毛布の温度調節レベルは最高8、標準4です。
いつもは レベル4でスイッチを入れ 3レベルで寝ます。
自分の体温とちょうどいい温度レベルだと思います。
でも 風邪をひいた時は体温が高い。
寝る時は最高8でセットしておいて7レベルに落として寝ます。
たぶん、体温より高いので寒気を感じずに気持ちいいのでしょう。
そのうち熱く感じ レベル6に落とし、レベル5に落とします。
熱いなと感じたときから 1レベルづつ落としていきます。
体の熱(体温)が少しずつ落ちてきているのが 電気毛布のレベルで解ります。
随分たってからですが 体温が平熱近くに戻ってくると
レベル4になります。微熱の状態かなと思いますが
そこからは 限りなく汗をかくモードになります。
レベル3になるまでに 相当な汗をかき
パジャマから下着まで汗びっしょりになります。
だから 寝る前は バスタオルと冷たいお茶とティッシュを用意しておきます。
ただ、汗をかき始めてからがつらい。
汗ビッショになり目が覚め タオルで拭き のくりかえしが延々と続く
ほぼ汗をかきおわった頃に起きます。
その時見た夢はこんなんです。
熱(体温)が細長い立法体になっています。
熱を 見れる訳ですが
その立方体の中には 小さな立方体がぎっしり入っていたり
木の葉や ひもやいろんな物が詰まっていたりするのです。
その時の熱の温度によって中味が変わるというそんな夢でした。
............................
昔から ひたすら寝るだけという そういう直し方をしてきています。
医者に行ったことはほとんどありません。
ただ、昼過ぎまでそういう状態で寝ていると
汗で気持ち悪くなり スッキリしたい為と
最後の汗を絞り出したいために 必ず 銭湯へ行く。
近くに大きな銭湯が2軒ある。
こういうときは必ず 花の湯 へ行く。
何故かというと 露天風呂があるから。
............................
実をいうと僕は小さい頃から ノボセ症で
お風呂(銭湯)で気を失った事は2度ある。
お風呂で気分が悪くなったことは何度もある。
ノボセ症のくせに ガキの頃から熱い風呂が好きで
我慢の限界まで入っていたりして気分が悪くなる。
気分が悪くなるのは お風呂を出て脱衣場でおきる
まず、冷や汗が じとっと出始める。目の前が暗くなる、廻りの音がおかしくなる。
これが過ぎると 気を失うことになる。
だから 出るときは必ず水風呂に入り体を冷やす。
でも 水風呂も我慢の限界まで入っていたりする。
気を失うところまでは入っていませんが
ギリギリのところでは どういうことが起こるかわかりますか?
テレビで画面が縦に流れるのを同期が合わないといいますが
その現象がでてきます。頭はクリアーですが
まるで 同期の合わなモニター画面を見ているように
前の風景が縦に流れていきます。
.................................
さて、病気で寝込んだ後は 飲まず喰わずなので体力が無い
お風呂は 大変エネルギーを消耗する。
それで 風呂から出た時に 気を失った事がある。
だから 今回は ちゃんと軽い食事をしてから 花の湯 へ行った。
銭湯は 癒しの空間としては 最適
1枚のタオル と 一つの体 と ワンコイン(500円)
それだけで ゆっくり 気持ちよくなれて 独りになれる。
そして 何故 露天風呂かというと 銭湯といえど外にある
今は 雪だって降っている
お風呂のお湯は熱くはなく ちょうど良い温度なので
長く入れるし、何より 頭が冷たい
これが良い
頭に暖まった血が上り 脳が熱暴走するのが ノボセかも
頭は 冷やす クール これが良い
ともかく 世間や家庭から吹っ切れて 体あっため
頭クリアーで くつろぐ程 素敵な時間はない。
あと 足りないのは 好きな音楽くらいかなと思うけど
やっぱ 身一つ 頭が付いてりゃ 頭ん中で旅できる。
<農耕民族は移動しない 狩猟民族は定住しない>
って 誰かが書いていたけど
銭湯で 僕の体は 定住の農耕民族だが
頭ん中は 旅する狩人になる。
夢だって そうかもしれない。
体はベットの上で 動かないが 頭ん中じゃ旅してる。
露天風呂をでて屋内に入ったところにアロマの湿式サウナがある
ここへも入るが 一つ難点が有る
体は気持ちいいのだが あたまが鍋で蒸してるようにあつく
呼吸は熱い蒸気を吸い込んでいるからタマラナイ
入る前に頭をはずして ロッカーにいれて鍵かけて
(こんな頭でも 盗まれたら帰れなくなる)
そして入ればいいかもとすら思ったが デキナイヨネ
そこで こんな頭でも ちと考えれば案が湧く
タオルを冷たい水で濡らし あまり絞らずに入って
顔から頭までを縦に覆うと 呼吸も非常に楽で
頭も熱くならない。
サウナ用の厚いタオル地の 目出し帽 なんてのがあればいい。
...........................
この前 こんな夢を見た。
場所は 峠の茶屋
キャストは 僕とイカリさんのみ
僕は峠の茶屋のウェイターというか 給仕をしています。
腰前掛けを巻き 着物姿です。
お客さんが一人 これイカリさんです。
<いらっしゃいませ ようこそ>
<なんだか 足の具合が悪くてねェ
なにか良くなる方法はないかしら?>
茶屋でこのような会話もおかしなものですが
お馴染みのお客さんとはこのような会話から
始まったりもします。
<ああ そういえば 一週間程前に
両の足を置いていかれた方がおりましてね
もし宜しければ それ 一度試してみますか?>
<それはいいかもしれないわね 持って来てちょうだい>
持っていくと 早速 両足を 取り替えて 曰く
<これいいわ とっても楽になったわ まるで自分の足みたい>
<その 足を置いていかれた方というのは 貴方とよく似ていましたが
その方 両足を置いてどうやって帰られたのでしょうかね?>
<そうね わたしも それは 知りたいわョ>
ここで 夢は 終わりました。
茶屋の前には 告示の看板があり
そこにはこう書かれていました。
『夢のお持ち込みは 固くお断りします』
と
さて キツネにつままれたようで
ちょっと うす気味の悪い 夢でしたが
イカリさんに 朝 夢の話をすると
あなたは 寝ていても忙しい人ね
よくそんな 馬鹿げた夢を見るもんだわ
でも 面白い 夢ね
と 大笑いしてました。
では 皆様 風邪など ひきませぬように
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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2011年01月04日
初夢
こんにちは
お正月は皆様いかがお過ごしだったでしょうか?
そして 初夢 は ?
僕の初夢のお話から始まります。
今年は 長引く風邪のせいもあってか
大晦日は除夜の鐘も聞かず お年賀ブログは 予約設定で
早く寝ちゃったの。
その大晦日の夢は まだ初夢じゃありませんが
熊と格闘している夢でした。
元旦の夜も 早く寝ましたが これが初夢
なんと ターミネーターと 格闘している夢
といっても そのターミネーターとやらは
出てはこないのです。 見えない敵というやつです。
見えないほど怖いものはありません。
でも 僕には 特技があります。
僕は 夢のなかでは 空を飛べるのです。
空を飛べるようになったのは 10年くらい前からでしょうか
空飛ぶ夢は何度も見てます。
その飛び方なんですが いつも同じ飛び方で
鳥のように 軽あるく 羽ばたいて というんじゃなく
いつだって 立ったまま飛んでます。
羽なんて ありません。
海でいうと 立ち泳ぎと言った感じでしょうか
両足を平泳ぎの足のように 漕ぐといったらいいか
空気を 垂直に漕ぎ出しながら上がっていくのです。
風船や気球のように上昇し 風に漂う感じなんですが
上昇する為には 漕ぐ必要があるし
漂っていても そのうち沈んでくれば また漕がなきゃならんし
夢の中 とはいえ 結構疲れるんですよ これが
さて さっきの初夢の話ですが
ターミネーターは出てこないものの
3人の仲間とトラックで移動していて 追われている感じですか
バイクで先導案内してる奴がいて
僕は ああいう奴が 危ないんだよな
おれたちの位置を敵に知らせてるかもしれないから
といって 僕は独り そうです
空を飛ぶのです。
空の上には 工場があって
なんだか 足下が 揺らいで不安定なんですが
味噌だとか醤油だとか作ってるんですよね。
そんなとこで 目が醒めるのですが
別に 何? と思われるでしょうが
これが 僕の 初夢だったんです。
ごめんなさいね こんな オチのないお話にお付き合いいただいて。
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
年末年始のお休みは1週間ぐらいあって
年末に会社の tk 君とお酒を飲んでお喋りした。
僕は団塊世代で 彼は団塊ジュニア世代
親子の歳の差ですが
今の若い人のことを色々と話しました。
この年代差の 環境の違いが 今の若者を作り出していることは間違いないことで
環境の違いを全て洗い直して検証する必要があると思います。
だから 彼と話したのは意義のあることでした。
環境の違いとは 社会状況、教育、情報の取得方法など
たくさんありますが さらに
食べ物、家の様式、成長の速度など きりがないです。
なかでも 食べ物の違いは大きいと思います。
我々の頃の ゆったり自然の中で育った食べ物を食べていた頃と
時間をできるだけかけずに、人工的な環境のなかで
農薬をたっぷり与え 工場生産的に作られてきた食材を使った
安いファーストフードやジャンクフードで育った人間と
体や情緒が 同じであるはずが無いでしょう。
この話は長くなるので またの機会に纏めます。
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
この休みの1週間くらい 何をしていたかというと
どこもいかずに ただひたすら 過去に撮り貯めたフィルムのネガを
スキャナーでデータ化してました。
簡易的なフィルムスキャナーを買って取り込んでみました。
1枚数秒で取り込めるので滅茶苦茶早く あっという間なのですが
画質が使い物にならないくらい悪い。
コントラストの強い補正をしっかりかけてくれるので
黒潰れ、白飛び、顔はのっぺり カメラメーカーが作っている
というのが 信じられない。
で このスキャナー(これはスキャナーではない。お粗末なカメラだ)は売ることにして
時間はかかるけど 従来のフラットベットのスキャナー(フィルム読み込むタイプ)にした
こういう長い休みの時間がたっぷりある時じゃないとできません。
全部じゃありませんが 結局 1000枚 くらいのネガを取り込みました。
2400dpiで取り込むのに1コマあたり3分くらいかかりますので
3000分 ということは 50時間です
1日8時間やったとして 6-7日かかります。
jpegで保存して トータル8.5ギガくらい
DVD 2枚分くらいの容量になりました。
それでも 元ネガは 捨てれませんね。
三分の一くらいが 亡くなった木村さんの写真です。
彼の写真の整理という意味でもやる必要があったのですが
ヴィデオやカセットテープに録音した彼のおしゃべりが
まだ 山のように有る。
写真を少しだけ掲載します。
彼の 湯谷のシェルター


滋賀での瞑想的 スタイル

三国での 磯乞食風景


助田シルクスクリーンさんへ最初に訪れたときのスナップ

京都の進々堂の店内

滋賀の 梅の子にある 敏 のシェルターの前で

彼の 個展の時のスナップ 孫がもう少しすれば これくらいになるか
よく 似てます。 今は30歳くらいのおっさんですが。

この 敏さんについてはまだ一度も書いていませんが
そのうち ご紹介します。 京都、岡崎、銀月アパートの頃からの
素敵な 悪友です。

それに イカリさんも
ネガ発掘での お宝的映像は 三国の浜辺の安楽椅子

と これが どこか解らないのですが よい

2010年は 生涯のうちで 最も沢山の写真を撮りました。
デジタルだから 保存、保管、整理はひどく楽です。
でも アナログな写真の魅力は でかい
ということで みなさん 良いお年を。
.........................................
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染型工房 横山工藝
タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
お正月は皆様いかがお過ごしだったでしょうか?
そして 初夢 は ?
僕の初夢のお話から始まります。
今年は 長引く風邪のせいもあってか
大晦日は除夜の鐘も聞かず お年賀ブログは 予約設定で
早く寝ちゃったの。
その大晦日の夢は まだ初夢じゃありませんが
熊と格闘している夢でした。
元旦の夜も 早く寝ましたが これが初夢
なんと ターミネーターと 格闘している夢
といっても そのターミネーターとやらは
出てはこないのです。 見えない敵というやつです。
見えないほど怖いものはありません。
でも 僕には 特技があります。
僕は 夢のなかでは 空を飛べるのです。
空を飛べるようになったのは 10年くらい前からでしょうか
空飛ぶ夢は何度も見てます。
その飛び方なんですが いつも同じ飛び方で
鳥のように 軽あるく 羽ばたいて というんじゃなく
いつだって 立ったまま飛んでます。
羽なんて ありません。
海でいうと 立ち泳ぎと言った感じでしょうか
両足を平泳ぎの足のように 漕ぐといったらいいか
空気を 垂直に漕ぎ出しながら上がっていくのです。
風船や気球のように上昇し 風に漂う感じなんですが
上昇する為には 漕ぐ必要があるし
漂っていても そのうち沈んでくれば また漕がなきゃならんし
夢の中 とはいえ 結構疲れるんですよ これが
さて さっきの初夢の話ですが
ターミネーターは出てこないものの
3人の仲間とトラックで移動していて 追われている感じですか
バイクで先導案内してる奴がいて
僕は ああいう奴が 危ないんだよな
おれたちの位置を敵に知らせてるかもしれないから
といって 僕は独り そうです
空を飛ぶのです。
空の上には 工場があって
なんだか 足下が 揺らいで不安定なんですが
味噌だとか醤油だとか作ってるんですよね。
そんなとこで 目が醒めるのですが
別に 何? と思われるでしょうが
これが 僕の 初夢だったんです。
ごめんなさいね こんな オチのないお話にお付き合いいただいて。
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
年末年始のお休みは1週間ぐらいあって
年末に会社の tk 君とお酒を飲んでお喋りした。
僕は団塊世代で 彼は団塊ジュニア世代
親子の歳の差ですが
今の若い人のことを色々と話しました。
この年代差の 環境の違いが 今の若者を作り出していることは間違いないことで
環境の違いを全て洗い直して検証する必要があると思います。
だから 彼と話したのは意義のあることでした。
環境の違いとは 社会状況、教育、情報の取得方法など
たくさんありますが さらに
食べ物、家の様式、成長の速度など きりがないです。
なかでも 食べ物の違いは大きいと思います。
我々の頃の ゆったり自然の中で育った食べ物を食べていた頃と
時間をできるだけかけずに、人工的な環境のなかで
農薬をたっぷり与え 工場生産的に作られてきた食材を使った
安いファーストフードやジャンクフードで育った人間と
体や情緒が 同じであるはずが無いでしょう。
この話は長くなるので またの機会に纏めます。
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
この休みの1週間くらい 何をしていたかというと
どこもいかずに ただひたすら 過去に撮り貯めたフィルムのネガを
スキャナーでデータ化してました。
簡易的なフィルムスキャナーを買って取り込んでみました。
1枚数秒で取り込めるので滅茶苦茶早く あっという間なのですが
画質が使い物にならないくらい悪い。
コントラストの強い補正をしっかりかけてくれるので
黒潰れ、白飛び、顔はのっぺり カメラメーカーが作っている
というのが 信じられない。
で このスキャナー(これはスキャナーではない。お粗末なカメラだ)は売ることにして
時間はかかるけど 従来のフラットベットのスキャナー(フィルム読み込むタイプ)にした
こういう長い休みの時間がたっぷりある時じゃないとできません。
全部じゃありませんが 結局 1000枚 くらいのネガを取り込みました。
2400dpiで取り込むのに1コマあたり3分くらいかかりますので
3000分 ということは 50時間です
1日8時間やったとして 6-7日かかります。
jpegで保存して トータル8.5ギガくらい
DVD 2枚分くらいの容量になりました。
それでも 元ネガは 捨てれませんね。
三分の一くらいが 亡くなった木村さんの写真です。
彼の写真の整理という意味でもやる必要があったのですが
ヴィデオやカセットテープに録音した彼のおしゃべりが
まだ 山のように有る。
写真を少しだけ掲載します。
彼の 湯谷のシェルター


滋賀での瞑想的 スタイル

三国での 磯乞食風景


助田シルクスクリーンさんへ最初に訪れたときのスナップ

京都の進々堂の店内

滋賀の 梅の子にある 敏 のシェルターの前で

彼の 個展の時のスナップ 孫がもう少しすれば これくらいになるか
よく 似てます。 今は30歳くらいのおっさんですが。

この 敏さんについてはまだ一度も書いていませんが
そのうち ご紹介します。 京都、岡崎、銀月アパートの頃からの
素敵な 悪友です。

それに イカリさんも
ネガ発掘での お宝的映像は 三国の浜辺の安楽椅子

と これが どこか解らないのですが よい

2010年は 生涯のうちで 最も沢山の写真を撮りました。
デジタルだから 保存、保管、整理はひどく楽です。
でも アナログな写真の魅力は でかい
ということで みなさん 良いお年を。
.........................................
Tシャツ作りのお手伝いは 下記サイトにて
染型工房 横山工藝
タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
2011年01月01日
2011 お年賀 です
2011年
明けましておめでとうございます。

4回目の お年賀ブログになります。
今年はTシャツを作って販売しようと企んでいます。
ZenBeat と Lost というカテゴリーで。
ダメージ加工や 墨染め 柿渋染めも 復活させようと思います。
制作過程のお話なども ブログできればと思います。
...................................
今回のブログのテーマは その Lost ロスト になります。
失われたもの 喪なわれたもの 消え去ったもの です。
去年、音楽業界では Beatles と Bob Dylan のモノボックスで熱い年でした。
ストーンズにしても なにかと 過去の発掘とリマスター
手を変え品を変え 同じ音源を
リマスターだの 紙ジャケだの モノボックスだのと
その度に 買わされて たまっていくのが マニアのCDラックですが
懐は 逆に 貧しくなっていきます。
この現象に拍車がかかっていますが
あの頃の 熱い音楽の坩堝(るつぼ)を混ぜ返し
醗酵したスープを 薄めてはまた煮込み
繰り返し 小出しにして商売しているかのようです。
今、あの頃のような 新しい躍動も音楽的アナーキズムも無いからなのか
ただただ 過去の遺産で皆が飯喰ってるような状況ですね。
我々の世代は その熱き時代を再燃させるために買い続けていますが
われわれの世代が 消えていけば そういうマニア市場もなくなりますよ。
今 作っておかなければ 先細りになっていくというものです。
僕は ディランのモノ・ボックスは買っていません。
小さなトランジスタ.ラジオで聞いてもディランの歌はいいです。
ステレオの音とモノラルの音が どうのこうのと言いたくはないです。
ただ 音だけを聞き比べてもしょうがないことです。
ブートレグ.シリーズ第9集 になる ディランの ウィットマーク・デモは 買いました。

ブートレグ・シリーズを聞く度に思うのは
オフィシャルでリリースされているものの 選曲の良さと
完成度の高さですね。
...................................
日本は 敗戦後 焼け野原から出発して 急速に経済を立て直しました。
ですから どんどん 古いものを壊し 新しいものをつくり
常に 皆と一緒に 走り続けていないと不安なようで
何も考えずに ただひたすら走り続けてきました。
日本の家は 木と紙と土から出来ているせいか 簡単に取り壊せる
だから 急速に変化し続けることが可能です。
その過程で大事なものや 本当の価値を 捨ててしまったようです。
最近の景気の低迷で ようやく 走るのをやめ 歩きはじめ
過去を振り返る余裕が出て来たせいか
はたして ここまで脇目も振らずに走り続けて来たことが
正しかったんだろうかと 思いはじめたようです。
そして 変化の過程で 見失ったこと 無くしてしまったものに
郷愁を感じ 問い直し始めたように思えます。
...................................
最近、 弘前の 無肥料,無農薬リンゴ栽培で 時の人となった 木村秋則さんの本を読んだ。
こういう人が 出現しなければ解らなかった 日本の農業も同じ様に、
自然を破壊し、大切なものをこわし、人の体さえ蝕みながら
自分達人間の利益を得る為にのみ 突っ走って来たように思える。
それにしても この人は 不思議な聖人です。
木村さんのように よほど強靭で強い信念をもってないと
摘み取られ、潰されるということの恐ろしさを知りました。
...................................
さて カメラが好きで 以前は毎日の様に撮りにいった場所があります。
そういうところもどんどん無くなっていきます。
この坂も

この坂も 今はありません。


カメラはデジタル一眼になって とても綺麗に撮れますし ほとんど失敗もありません。
ただ 綺麗に撮れるようになった分 最後の写真の様に 失敗による面白い写真もない。
そして 風景もどんどん変わっていく。
きれいにはなっても 良くなってはいない。
味の無い 安っぽく 薄っぺらいものになっていく
.........................................
過去に撮った写真のネガが沢山ある。
ヴィデオ・カメラで撮った映像も沢山ある。
VHSやレーザーディスクの映画でも DVD化されてないものもある。
たとえば この映画 ビジル

有名ではないが 神秘的で良い映画です。
小さな子供を撮った映画は 好きです。
ビクトル・エリセの 2作品 テオ・アンゲロプロスの 霧の中の風景
そして この ヴィンセント・ウォード監督の VIGIL
機会があれば見てほしい お勧めの映画です。
お正月の休みは ロスト 失われたものを
ゆっくり発掘してみたいと思ってます。
では 今年も宜しくお願いいたします。
.........................................
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よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
明けましておめでとうございます。

4回目の お年賀ブログになります。
今年はTシャツを作って販売しようと企んでいます。
ZenBeat と Lost というカテゴリーで。
ダメージ加工や 墨染め 柿渋染めも 復活させようと思います。
制作過程のお話なども ブログできればと思います。
...................................
今回のブログのテーマは その Lost ロスト になります。
失われたもの 喪なわれたもの 消え去ったもの です。
去年、音楽業界では Beatles と Bob Dylan のモノボックスで熱い年でした。
ストーンズにしても なにかと 過去の発掘とリマスター
手を変え品を変え 同じ音源を
リマスターだの 紙ジャケだの モノボックスだのと
その度に 買わされて たまっていくのが マニアのCDラックですが
懐は 逆に 貧しくなっていきます。
この現象に拍車がかかっていますが
あの頃の 熱い音楽の坩堝(るつぼ)を混ぜ返し
醗酵したスープを 薄めてはまた煮込み
繰り返し 小出しにして商売しているかのようです。
今、あの頃のような 新しい躍動も音楽的アナーキズムも無いからなのか
ただただ 過去の遺産で皆が飯喰ってるような状況ですね。
我々の世代は その熱き時代を再燃させるために買い続けていますが
われわれの世代が 消えていけば そういうマニア市場もなくなりますよ。
今 作っておかなければ 先細りになっていくというものです。
僕は ディランのモノ・ボックスは買っていません。
小さなトランジスタ.ラジオで聞いてもディランの歌はいいです。
ステレオの音とモノラルの音が どうのこうのと言いたくはないです。
ただ 音だけを聞き比べてもしょうがないことです。
ブートレグ.シリーズ第9集 になる ディランの ウィットマーク・デモは 買いました。

ブートレグ・シリーズを聞く度に思うのは
オフィシャルでリリースされているものの 選曲の良さと
完成度の高さですね。
...................................
日本は 敗戦後 焼け野原から出発して 急速に経済を立て直しました。
ですから どんどん 古いものを壊し 新しいものをつくり
常に 皆と一緒に 走り続けていないと不安なようで
何も考えずに ただひたすら走り続けてきました。
日本の家は 木と紙と土から出来ているせいか 簡単に取り壊せる
だから 急速に変化し続けることが可能です。
その過程で大事なものや 本当の価値を 捨ててしまったようです。
最近の景気の低迷で ようやく 走るのをやめ 歩きはじめ
過去を振り返る余裕が出て来たせいか
はたして ここまで脇目も振らずに走り続けて来たことが
正しかったんだろうかと 思いはじめたようです。
そして 変化の過程で 見失ったこと 無くしてしまったものに
郷愁を感じ 問い直し始めたように思えます。
...................................
最近、 弘前の 無肥料,無農薬リンゴ栽培で 時の人となった 木村秋則さんの本を読んだ。
こういう人が 出現しなければ解らなかった 日本の農業も同じ様に、
自然を破壊し、大切なものをこわし、人の体さえ蝕みながら
自分達人間の利益を得る為にのみ 突っ走って来たように思える。
それにしても この人は 不思議な聖人です。
木村さんのように よほど強靭で強い信念をもってないと
摘み取られ、潰されるということの恐ろしさを知りました。
...................................
さて カメラが好きで 以前は毎日の様に撮りにいった場所があります。
そういうところもどんどん無くなっていきます。
この坂も

この坂も 今はありません。


カメラはデジタル一眼になって とても綺麗に撮れますし ほとんど失敗もありません。
ただ 綺麗に撮れるようになった分 最後の写真の様に 失敗による面白い写真もない。
そして 風景もどんどん変わっていく。
きれいにはなっても 良くなってはいない。
味の無い 安っぽく 薄っぺらいものになっていく
.........................................
過去に撮った写真のネガが沢山ある。
ヴィデオ・カメラで撮った映像も沢山ある。
VHSやレーザーディスクの映画でも DVD化されてないものもある。
たとえば この映画 ビジル

有名ではないが 神秘的で良い映画です。
小さな子供を撮った映画は 好きです。
ビクトル・エリセの 2作品 テオ・アンゲロプロスの 霧の中の風景
そして この ヴィンセント・ウォード監督の VIGIL
機会があれば見てほしい お勧めの映画です。
お正月の休みは ロスト 失われたものを
ゆっくり発掘してみたいと思ってます。
では 今年も宜しくお願いいたします。
.........................................
Tシャツ作りのお手伝いは 下記サイトにて
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タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
2010年11月17日
旅する言葉
漂泊/水平指向と垂直思考
最近、若い人は 水平指向的傾向 にあると思う。
時代が違うんだ。
無理もない
……………………………………………………………………………………………………
15年くらい前の話になるが
友人 S が 当時中学生くらいだった息子のことで
こんな話をした。
息子 T君 最近テレビをよく見ているという
特に興味の無さそうなテレビ番組でも見ているし
いろいろな番組を見ている
Sは おかしいと思い 息子 T に聞いたそうだ
T の 答え
別に好きでも興味がある訳でもないが
見ておかないと 友達との会話に付いていけないし
仲間はずれになるし ひいては いじめの対象になると
これを聞いて 正直 腹がたった
そういう 風潮にである
……………………………………………………………………………………………………
それから15年ともなれば もっと加速している。
情報量は比較にならない位 多い。
テレビに加え、インターネット、携帯にメール、レンタルショップ
これだけ忙しくなってくると 情報は見出しの部分を拾っていくしか無い。
広く、浅く というやつ それこそ 水平指向 となる
掘り下げている 時間などない。
僕たちの過去の世代 情報なんて極めて少なかった。
テレビも持ってなければ、携帯も固定電話もなく
ましてコンピューターにインターネットなんぞ
あるわけもない。
車も持ってないから行動範囲は限られている。
じゃ この時代、この人達何していたのかと思われるだろうが
それだけ 自分の趣味に打ち込めた
本を読む、レコードを聞く、映画を見る(勿論映画館で)
絵を描いたり、編み物をしたり、ものを作ったり、旅行をしたり
そんな時間は たっぷりあった。
人とは 携帯やメールで連絡は とれなかったし
直接 逢って ゆっくり 長々とおしゃべりをする。
わざわざ訪ねて行っても居なけりゃまた 歩いて帰る。
でも 無駄足なんかじゃない。
ゆっくり歩いていりゃ 道ばたの野の花だって気になるし
空の青さだって 移ろって行くのがわかる。
微妙な移ろいの変化は 自分が止まっていないと解らないものだ。
……………………………………………………………………………………………………
さて この前
なんとかウイルス とかに感染して 会社を休んだ。
ズーッとベットでひたすら寝ているか 雑誌を読んでいた。
こういう 時間が止まった空間
動いている世間の 時間の流れの外で
ちょっと違う時間を味わった。
いつもは 時間が僕を 押し流しているが
今日は違う 時間は 僕の為に止まっている。
一日は 永遠に 長く そして 色濃い
体はベットに水平に横たわっていても
頭ん中は 垂直に切り立っていました。
読んでいた雑誌は <男の隠れ家>
漂泊の風景を旅する 特集

西行、芭蕉、一茶、山頭火、放哉、井月 と
俳人,歌人の特集 でした。
さすらい という言葉が好きですが
漂泊という言葉もいい。
家も家族も世間も捨て 身一つでさすらう
残すものといえば 形を持たない
短い言葉の精神世界のみ
垂直思考の 極みです。
この雑誌の記事の中で
<沙石集> 明遍の言葉 出家遁世の定義
<世ニ捨テラレテ世ヲ捨テヌハ只非人成。
世ヲ捨ツトモ世ニ捨テラレズバ、遁レタルニアラズ>
とありました。
世を捨てるだけではだめで、世にも捨てられてこそ
出家遁世したことになる と
ナ ル ホ ド 厳し
……………………………………………………………………………………………………
松尾芭蕉の 奥の細道 の有名な冒頭の一文
月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふるものは、
日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風に誘われて、
漂泊の思いやまず、・・・・・・・・・・
この 一文 限りなく深い
そして 芭蕉51歳 辞世の句
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
こういう 魂の漂泊の旅人にして俳人
今のような 身一つになれない時代 には生まれては来ない人である。
芭蕉には 他の俳人と違って 生活の匂いが無い
余裕があったのかもしれないが 常に達観している。
そして、センスが抜群に良い。
世間を捨て 世間に捨てられ
自分をも捨てたところで
垂直に立ち昇る 言葉 も
また 旅人 か
旅する言葉
最近、若い人は 水平指向的傾向 にあると思う。
時代が違うんだ。
無理もない
……………………………………………………………………………………………………
15年くらい前の話になるが
友人 S が 当時中学生くらいだった息子のことで
こんな話をした。
息子 T君 最近テレビをよく見ているという
特に興味の無さそうなテレビ番組でも見ているし
いろいろな番組を見ている
Sは おかしいと思い 息子 T に聞いたそうだ
T の 答え
別に好きでも興味がある訳でもないが
見ておかないと 友達との会話に付いていけないし
仲間はずれになるし ひいては いじめの対象になると
これを聞いて 正直 腹がたった
そういう 風潮にである
……………………………………………………………………………………………………
それから15年ともなれば もっと加速している。
情報量は比較にならない位 多い。
テレビに加え、インターネット、携帯にメール、レンタルショップ
これだけ忙しくなってくると 情報は見出しの部分を拾っていくしか無い。
広く、浅く というやつ それこそ 水平指向 となる
掘り下げている 時間などない。
僕たちの過去の世代 情報なんて極めて少なかった。
テレビも持ってなければ、携帯も固定電話もなく
ましてコンピューターにインターネットなんぞ
あるわけもない。
車も持ってないから行動範囲は限られている。
じゃ この時代、この人達何していたのかと思われるだろうが
それだけ 自分の趣味に打ち込めた
本を読む、レコードを聞く、映画を見る(勿論映画館で)
絵を描いたり、編み物をしたり、ものを作ったり、旅行をしたり
そんな時間は たっぷりあった。
人とは 携帯やメールで連絡は とれなかったし
直接 逢って ゆっくり 長々とおしゃべりをする。
わざわざ訪ねて行っても居なけりゃまた 歩いて帰る。
でも 無駄足なんかじゃない。
ゆっくり歩いていりゃ 道ばたの野の花だって気になるし
空の青さだって 移ろって行くのがわかる。
微妙な移ろいの変化は 自分が止まっていないと解らないものだ。
……………………………………………………………………………………………………
さて この前
なんとかウイルス とかに感染して 会社を休んだ。
ズーッとベットでひたすら寝ているか 雑誌を読んでいた。
こういう 時間が止まった空間
動いている世間の 時間の流れの外で
ちょっと違う時間を味わった。
いつもは 時間が僕を 押し流しているが
今日は違う 時間は 僕の為に止まっている。
一日は 永遠に 長く そして 色濃い
体はベットに水平に横たわっていても
頭ん中は 垂直に切り立っていました。
読んでいた雑誌は <男の隠れ家>
漂泊の風景を旅する 特集

西行、芭蕉、一茶、山頭火、放哉、井月 と
俳人,歌人の特集 でした。
さすらい という言葉が好きですが
漂泊という言葉もいい。
家も家族も世間も捨て 身一つでさすらう
残すものといえば 形を持たない
短い言葉の精神世界のみ
垂直思考の 極みです。
この雑誌の記事の中で
<沙石集> 明遍の言葉 出家遁世の定義
<世ニ捨テラレテ世ヲ捨テヌハ只非人成。
世ヲ捨ツトモ世ニ捨テラレズバ、遁レタルニアラズ>
とありました。
世を捨てるだけではだめで、世にも捨てられてこそ
出家遁世したことになる と
ナ ル ホ ド 厳し
……………………………………………………………………………………………………
松尾芭蕉の 奥の細道 の有名な冒頭の一文
月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふるものは、
日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風に誘われて、
漂泊の思いやまず、・・・・・・・・・・
この 一文 限りなく深い
そして 芭蕉51歳 辞世の句
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
こういう 魂の漂泊の旅人にして俳人
今のような 身一つになれない時代 には生まれては来ない人である。
芭蕉には 他の俳人と違って 生活の匂いが無い
余裕があったのかもしれないが 常に達観している。
そして、センスが抜群に良い。
世間を捨て 世間に捨てられ
自分をも捨てたところで
垂直に立ち昇る 言葉 も
また 旅人 か
旅する言葉
2010年09月26日
dylan になりたくなかった 男 後編
後編 ノーディレクション・ホーム
前回のブログ ドント・ルック・バック の続編です。
ノーディレクション・ホーム は ドント・ルック・バックの
翌年1966年のイギリス公演のドキュメンタリーが主ですが
彼の生い立ちから 1966年のライブまでを
ノーディレクション・ホームの ホーム を主題として
よく編集された作品だと思います。
マーティン・スコセッシ監督
Apple NHK BBC 等が関わっています。
これは ディランへのインタビューという括りではなく
独白/モノローグという形で始まり そして 終わります。
このドキュメンタリーで沢山の取り巻き、友人、ミュージシャンが
語っていますが 当時のディランの思い出を語っているだけで
ギンズバークの語り以外にあまり興味を持てません。
ディラン自身は 他に登場する人達と違い
過去を 甘い懐かしい郷愁や思い出話としては語っていません。
テーマは彼にとっての 家(精神的な意味での ホーム)です。
1965年のドント・ルック・バックのドキュメンタリーは
まだハッピーで牧歌的で甘い側面を持っています。
ディラン自身 望んではいないでしょうが
アイドル的なニュアンスだって多々あります。
でも1966年のこのイギリスコンサートは
たかだか一年の年差ですが
次元の違う孤独な表現者として映っています。
このDVDのジャケット写真一枚を見ても
非常にナーバスで 若者とは思えない表情です。

1962年にデビューアルバムを出して

1966年に Blonde on Blonde を出すまでに
4年間で 7枚のレコードを出し
その7枚のレコードの異質な上昇ベクトルの果てに
Blonde on Blonde でほぼ行き着くころまで登り詰めた
その時期ですから
以下ディラン自身が語っている言葉は
ブルーで表記します。
”自分の家”を見つけたかった
故郷への長い旅に出たオデッセウスのように
どこにあるかも分からない”自分の家”を目指し続けた
本来生まれるべき”家”に向かう旅をしているんだ
幼い時に レコードを聞いて
別の人間になった気がした
自分以外の者に
違った両親の元に生まれてきたように思った
生まれたのが ただの田舎町
どこにでもあるような町だ
活気をなくした町は
ただ朽ちて消えていく
そういうものだよ
あそこには 反抗するだけの哲学も思想もスタイルもなかった
深夜のラジオ放送が楽しみだった
見知らぬ所から 出力50キロワットで飛んできた
ラジオを聞き町を出たくなった
……………………………………………………………………………………
ツアーの後の方では
さすがに彼も疲れきって こんなことを口走る
新聞の記事で 全員が会場から出て行ったと
僕はリバプールで読んだ
僕も出て行こう
本物を出せ
長いツアーだな
よく憶えていない そうだな 長い間やってるよ
今夜はやれそうにない どうしても頑張れそうにないんだ
きっと歌わない方がいい
新しいディランを雇って そいつにやらせる
どれだけもつか 見ものだな
……………………………………………………………………………………
このDVDには なぜか ザ・バンドのメンバー
それに ロビー・ロバートソンすら出てこない。
”The Last Waltz" でもあれほど
マーティン・スコセッシと懇意にしていた彼らが
一人も登場していない。
なにか 訳がありそうだが 詮索はしない。
別のビデオから補足したいと思います。
ザ・バンドのロビー・ロバートソンによる
この時の 回想ですが 長いけれど引用します。

フォーク・ミュージックをエレクトリックでやるなんて
当時としては考えられないことだった
とにかく歌詞の言葉数がやたらに多い
それまでみたいに”ウーウー”歌っていればいいような音楽ではない
何を歌ってもいいんだ いかしてたね
とても厳密で・・・さえた音楽だった
僕達はただ演奏していただけ ところが彼は何かについて語っている
いろんなことについて歌っていた
戦争について歌ったり・・・・・
かんべんしてよって感じだったよ おかしかったよ
だって僕達がどう思っているか 彼はちゃんと知っていたから
でも彼はそんなことお構い無しだった
彼には見えていたみたいだ
この組み合わせで何か新しい物が生み出されるということが
僕達は大いに悩んだよ
”これで音楽なんだろうか?”
”これで良いのだろうか?”
やっていて楽しいのはいいのだけれど・・・
こんな音楽聞いたことが無いから判断のしようがないんだ
新しいものには比較対象がないから判断がなかなか出来ない
だから結果的にはいいことだけど・・・
でもその渦中にいると 本当にこれでいいのか不安になる
決まり事を全て破ってしまったと
その上(1966年の)ツアーが大変だった。
ステージに上がり演奏する
するとショウの初めから終わりまで客は終始ブーイング
荷物をまとめて次の街に行く
ステージに上がるとまたブーイング
その繰り返しで世界中を回った
客はステージに向かっていろんな物を投げつけてくる 卵とか
気付いてみたら ボブ・ディラン&ザ・バンド になっていた
これまでずっと僕たちは自分達の音楽を一音たりとも変えていない
世界が変わったようだ
僕達は変わらないのに 回りの世界が変わった
ある意味では面白かったよ
地獄を潜り抜け出たら出口のところで
<君達のやってきたことは正しかった> と言われるようなものさ
この ロビー・ロバートソン の回想は その時代とその状況の中で
彼らの行動と混乱した気持ちが伺えます。
このビデオのなかには 最もふさわしいコメントだと思うのですが........
……………………………………………………………………………………
ラストシーンは舞台裏で
さて あの人の登場です
墓場から 戻ってきました
と ひとりつぶやき ステージに上がり
ユダ!(裏切り者!)と罵られ
お前(世界)なんてみんな信じてないさ
みんな(世界) は嘘つきさ
さあ (世界もなにも聞こえないくらいに)ガンガンでっかい音でやろうぜ

()の中は 僕の解釈です 悪しからず
と 全てに挑戦するかのように 演奏が始まります。
その Like a Roling Stone が 始まり
この曲でドキュメンタリーは終わります。
この時 何かが終焉し 何かが始まろうとしていた
まわりは勿論、ディラン自身でさえ気づいていなかった
この時代の この瞬間 だったように思います。
……………………………………………………………………………………
このドキュメンタリーのテーマは
ディランにとっての ”家” に終始しています。
家に帰りたい
家って何だろう
ただ 家に帰りたい
と呟く
ディランにとって家とは
故郷の家でも 暖かい家庭でも
ホームと呼べる処でもない
それは 戻るべき所でも 帰るべき所でも ない
direction home(目指すべき家)ではあるが
具体的にどういう家かを述べている訳ではない。
いまでも 探し続けているとしか言ってない
死ぬまでそうだろうと思う。
ずっとそうしてきたからこそ
彼は 誰も足を踏み入れることが無かった領土にたどり着き
さらに 遠くまで自分を捜して歩き続けている様に思える。
ディラン自身が no direction home
であり 転がる石であり
how does are feel?
(どんな気持ちだい?)
を 最も感じている
dylan になりたくなかった 男
かもしれない
時代を疾走してきた者だけが感じる風の冷たさと暖かさ
ディランの語る言葉がそのことを感じさせてくれます。
前回のブログ ドント・ルック・バック の続編です。
ノーディレクション・ホーム は ドント・ルック・バックの
翌年1966年のイギリス公演のドキュメンタリーが主ですが
彼の生い立ちから 1966年のライブまでを
ノーディレクション・ホームの ホーム を主題として
よく編集された作品だと思います。
マーティン・スコセッシ監督
Apple NHK BBC 等が関わっています。
これは ディランへのインタビューという括りではなく
独白/モノローグという形で始まり そして 終わります。
このドキュメンタリーで沢山の取り巻き、友人、ミュージシャンが
語っていますが 当時のディランの思い出を語っているだけで
ギンズバークの語り以外にあまり興味を持てません。
ディラン自身は 他に登場する人達と違い
過去を 甘い懐かしい郷愁や思い出話としては語っていません。
テーマは彼にとっての 家(精神的な意味での ホーム)です。
1965年のドント・ルック・バックのドキュメンタリーは
まだハッピーで牧歌的で甘い側面を持っています。
ディラン自身 望んではいないでしょうが
アイドル的なニュアンスだって多々あります。
でも1966年のこのイギリスコンサートは
たかだか一年の年差ですが
次元の違う孤独な表現者として映っています。
このDVDのジャケット写真一枚を見ても
非常にナーバスで 若者とは思えない表情です。

1962年にデビューアルバムを出して

1966年に Blonde on Blonde を出すまでに
4年間で 7枚のレコードを出し
その7枚のレコードの異質な上昇ベクトルの果てに
Blonde on Blonde でほぼ行き着くころまで登り詰めた
その時期ですから
以下ディラン自身が語っている言葉は
ブルーで表記します。
”自分の家”を見つけたかった
故郷への長い旅に出たオデッセウスのように
どこにあるかも分からない”自分の家”を目指し続けた
本来生まれるべき”家”に向かう旅をしているんだ
幼い時に レコードを聞いて
別の人間になった気がした
自分以外の者に
違った両親の元に生まれてきたように思った
生まれたのが ただの田舎町
どこにでもあるような町だ
活気をなくした町は
ただ朽ちて消えていく
そういうものだよ
あそこには 反抗するだけの哲学も思想もスタイルもなかった
深夜のラジオ放送が楽しみだった
見知らぬ所から 出力50キロワットで飛んできた
ラジオを聞き町を出たくなった
……………………………………………………………………………………
ツアーの後の方では
さすがに彼も疲れきって こんなことを口走る
新聞の記事で 全員が会場から出て行ったと
僕はリバプールで読んだ
僕も出て行こう
本物を出せ
長いツアーだな
よく憶えていない そうだな 長い間やってるよ
今夜はやれそうにない どうしても頑張れそうにないんだ
きっと歌わない方がいい
新しいディランを雇って そいつにやらせる
どれだけもつか 見ものだな
……………………………………………………………………………………
このDVDには なぜか ザ・バンドのメンバー
それに ロビー・ロバートソンすら出てこない。
”The Last Waltz" でもあれほど
マーティン・スコセッシと懇意にしていた彼らが
一人も登場していない。
なにか 訳がありそうだが 詮索はしない。
別のビデオから補足したいと思います。
ザ・バンドのロビー・ロバートソンによる
この時の 回想ですが 長いけれど引用します。

フォーク・ミュージックをエレクトリックでやるなんて
当時としては考えられないことだった
とにかく歌詞の言葉数がやたらに多い
それまでみたいに”ウーウー”歌っていればいいような音楽ではない
何を歌ってもいいんだ いかしてたね
とても厳密で・・・さえた音楽だった
僕達はただ演奏していただけ ところが彼は何かについて語っている
いろんなことについて歌っていた
戦争について歌ったり・・・・・
かんべんしてよって感じだったよ おかしかったよ
だって僕達がどう思っているか 彼はちゃんと知っていたから
でも彼はそんなことお構い無しだった
彼には見えていたみたいだ
この組み合わせで何か新しい物が生み出されるということが
僕達は大いに悩んだよ
”これで音楽なんだろうか?”
”これで良いのだろうか?”
やっていて楽しいのはいいのだけれど・・・
こんな音楽聞いたことが無いから判断のしようがないんだ
新しいものには比較対象がないから判断がなかなか出来ない
だから結果的にはいいことだけど・・・
でもその渦中にいると 本当にこれでいいのか不安になる
決まり事を全て破ってしまったと
その上(1966年の)ツアーが大変だった。
ステージに上がり演奏する
するとショウの初めから終わりまで客は終始ブーイング
荷物をまとめて次の街に行く
ステージに上がるとまたブーイング
その繰り返しで世界中を回った
客はステージに向かっていろんな物を投げつけてくる 卵とか
気付いてみたら ボブ・ディラン&ザ・バンド になっていた
これまでずっと僕たちは自分達の音楽を一音たりとも変えていない
世界が変わったようだ
僕達は変わらないのに 回りの世界が変わった
ある意味では面白かったよ
地獄を潜り抜け出たら出口のところで
<君達のやってきたことは正しかった> と言われるようなものさ
この ロビー・ロバートソン の回想は その時代とその状況の中で
彼らの行動と混乱した気持ちが伺えます。
このビデオのなかには 最もふさわしいコメントだと思うのですが........
……………………………………………………………………………………
ラストシーンは舞台裏で
さて あの人の登場です
墓場から 戻ってきました
と ひとりつぶやき ステージに上がり
ユダ!(裏切り者!)と罵られ
お前(世界)なんてみんな信じてないさ
みんな(世界) は嘘つきさ
さあ (世界もなにも聞こえないくらいに)ガンガンでっかい音でやろうぜ

()の中は 僕の解釈です 悪しからず
と 全てに挑戦するかのように 演奏が始まります。
その Like a Roling Stone が 始まり
この曲でドキュメンタリーは終わります。
この時 何かが終焉し 何かが始まろうとしていた
まわりは勿論、ディラン自身でさえ気づいていなかった
この時代の この瞬間 だったように思います。
……………………………………………………………………………………
このドキュメンタリーのテーマは
ディランにとっての ”家” に終始しています。
家に帰りたい
家って何だろう
ただ 家に帰りたい
と呟く
ディランにとって家とは
故郷の家でも 暖かい家庭でも
ホームと呼べる処でもない
それは 戻るべき所でも 帰るべき所でも ない
direction home(目指すべき家)ではあるが
具体的にどういう家かを述べている訳ではない。
いまでも 探し続けているとしか言ってない
死ぬまでそうだろうと思う。
ずっとそうしてきたからこそ
彼は 誰も足を踏み入れることが無かった領土にたどり着き
さらに 遠くまで自分を捜して歩き続けている様に思える。
ディラン自身が no direction home
であり 転がる石であり
how does are feel?
(どんな気持ちだい?)
を 最も感じている
dylan になりたくなかった 男
かもしれない
時代を疾走してきた者だけが感じる風の冷たさと暖かさ
ディランの語る言葉がそのことを感じさせてくれます。
2010年09月25日
Dylan になりたくなかった男 前編
最近改めて ディランの
ノーディレクション・ホーム と ドント・ルック・バック
二本のDVD映像 を見た。
改めて というには わけがある
最初は ともかく 夢中で見る
でも 何回か見ているうちに 隠された部分が解るようになる
見た時の年齢によっても 意味が変わる
今回は 吟味して見た
振り返るな というタイトルの 1965年のドキュメンタリーを
振り返りました
このブログ 書き始めると えらく長くなってしまった。
で 前編、後編 に分けることにした。
........................................................................................................
前編 ドント・ルック・バック
1965年のイギリスコンサートツアーのドキュメンタリー
Bringing It All Back Home を発売した直後ですが
この時のコンサートは アコースティックで演っています。
ドント・ルック・バック は 振り返るなよ の意
僕もそうですが 歳いけばいく程 先は短かく
過去は 反比例して 長くなる
でも 当時のディランは 24歳
過去よりも未来の方が圧倒的に大きいはずですが
この時すでに 彼は 年老いる程の時間の集積を通過してきているのです。
........................................................................................................
このドキュメンタリーのなかで
インタビュアーは質問します
あらかじめ用意され 誰かがまとめあげた 文面での質問
<レッテル貼られるのが嫌いでしょ
でも 私たち 30歳以上のため あなたの社会的役割に
ふさわしいレッテルは?>
との 質問に対して
”30歳以下というレッテルにするよ”
と答えます。
当時の合い言葉
30歳以上は信用するな
でも 年老いてから 言う
30歳以下は 信用するな
ぼくたちの世代は どちらの世代からも
きり裂かれた世代かもしれません。
........................................................................................................
ドント・ルック・バックは大阪に住んでいる時(1970年)に
ブートレグ(海賊版)のレコードで サウンドトラックとして 音だけ聞いていた
レコードの音に 字幕ありませんから
もろ なまりのあるアメリカン英語 ディラン節を聞いていました。
そのうち海外版ビデオで見たが字幕はドイツ語でした。
喋っている意味は完全に解らないものの
白黒映像で見た衝撃は大きい
1986年に レーザーディスクで出た日本語字幕版を見て
初めて完全に見たことになる。

ブートレグレコードのお陰で英語音声だけはほぼ頭の中に入っいて
ドイツ語字幕で映像はみていましたが
この時 初めて日本語字幕で映像を完全に見たことになる。
2007年5月に この幻のドキュメンタリー
ドント・ルック・バック ~デラックス・エディション~ が
【完全生産限定盤】として リリースされる

予約でアマゾンに注文して DVDで見ることになった。
1970年のブートレグLPから数えると37年の年月がたっている
この ドント・ルック・バック は皆が待ち望んでいたようで
すぐ限定数が売り切れてしまい、中古市場で高値の取引となる。
ソニーはその後限定を無視して再度生産して販売することになったが
今じゃそれも売り切れている。
すでに何度も見ている映像ですが
ライブ・パフォーマンスがフルで見れた事の喜びは大きい
内容は色々な人達によって語り尽くされているのでそちらを参考にしてください。
ただ、インタヴューでのやり取りが面白い。
24歳のディランの受け答えは 非常に的を得ているし
スターを作り出そうとしているマスコミを逆に質問し
さらに激しく非難する。
記者の質問の内容にはすでに 答えがオブラートされている。
あらかじめ予想されている答えを
ディランの口から言って欲しいとばかりに 質問する。
それを ことごとく 覆していく やりとりが面白い
ただ ディランは 覆す 言葉の遊び をやっているわけではない。
自分をただのシンガーで普通の人間であって
君たちが思っているような男でも
君たちが望んでいるような人間でもない
マスコミや社会によって作り上げられるヒーローでもない
ただ自分の道を歩き続けるだけだ
と 言い続けている。
彼は ディランという偶像になりたくなかった男である。
次回 ノーディレクション・ホーム は
翌年1966年のイギリス公演のドキュメンタリーが主です。
年老いたディランの振り返りのモノローグで始まります。
では 後編に続きます。
ノーディレクション・ホーム と ドント・ルック・バック
二本のDVD映像 を見た。
改めて というには わけがある
最初は ともかく 夢中で見る
でも 何回か見ているうちに 隠された部分が解るようになる
見た時の年齢によっても 意味が変わる
今回は 吟味して見た
振り返るな というタイトルの 1965年のドキュメンタリーを
振り返りました
このブログ 書き始めると えらく長くなってしまった。
で 前編、後編 に分けることにした。
........................................................................................................
前編 ドント・ルック・バック
1965年のイギリスコンサートツアーのドキュメンタリー
Bringing It All Back Home を発売した直後ですが
この時のコンサートは アコースティックで演っています。
ドント・ルック・バック は 振り返るなよ の意
僕もそうですが 歳いけばいく程 先は短かく
過去は 反比例して 長くなる
でも 当時のディランは 24歳
過去よりも未来の方が圧倒的に大きいはずですが
この時すでに 彼は 年老いる程の時間の集積を通過してきているのです。
........................................................................................................
このドキュメンタリーのなかで
インタビュアーは質問します
あらかじめ用意され 誰かがまとめあげた 文面での質問
<レッテル貼られるのが嫌いでしょ
でも 私たち 30歳以上のため あなたの社会的役割に
ふさわしいレッテルは?>
との 質問に対して
”30歳以下というレッテルにするよ”
と答えます。
当時の合い言葉
30歳以上は信用するな
でも 年老いてから 言う
30歳以下は 信用するな
ぼくたちの世代は どちらの世代からも
きり裂かれた世代かもしれません。
........................................................................................................
ドント・ルック・バックは大阪に住んでいる時(1970年)に
ブートレグ(海賊版)のレコードで サウンドトラックとして 音だけ聞いていた
レコードの音に 字幕ありませんから
もろ なまりのあるアメリカン英語 ディラン節を聞いていました。
そのうち海外版ビデオで見たが字幕はドイツ語でした。
喋っている意味は完全に解らないものの
白黒映像で見た衝撃は大きい
1986年に レーザーディスクで出た日本語字幕版を見て
初めて完全に見たことになる。

ブートレグレコードのお陰で英語音声だけはほぼ頭の中に入っいて
ドイツ語字幕で映像はみていましたが
この時 初めて日本語字幕で映像を完全に見たことになる。
2007年5月に この幻のドキュメンタリー
ドント・ルック・バック ~デラックス・エディション~ が
【完全生産限定盤】として リリースされる

予約でアマゾンに注文して DVDで見ることになった。
1970年のブートレグLPから数えると37年の年月がたっている
この ドント・ルック・バック は皆が待ち望んでいたようで
すぐ限定数が売り切れてしまい、中古市場で高値の取引となる。
ソニーはその後限定を無視して再度生産して販売することになったが
今じゃそれも売り切れている。
すでに何度も見ている映像ですが
ライブ・パフォーマンスがフルで見れた事の喜びは大きい
内容は色々な人達によって語り尽くされているのでそちらを参考にしてください。
ただ、インタヴューでのやり取りが面白い。
24歳のディランの受け答えは 非常に的を得ているし
スターを作り出そうとしているマスコミを逆に質問し
さらに激しく非難する。
記者の質問の内容にはすでに 答えがオブラートされている。
あらかじめ予想されている答えを
ディランの口から言って欲しいとばかりに 質問する。
それを ことごとく 覆していく やりとりが面白い
ただ ディランは 覆す 言葉の遊び をやっているわけではない。
自分をただのシンガーで普通の人間であって
君たちが思っているような男でも
君たちが望んでいるような人間でもない
マスコミや社会によって作り上げられるヒーローでもない
ただ自分の道を歩き続けるだけだ
と 言い続けている。
彼は ディランという偶像になりたくなかった男である。
次回 ノーディレクション・ホーム は
翌年1966年のイギリス公演のドキュメンタリーが主です。
年老いたディランの振り返りのモノローグで始まります。
では 後編に続きます。
2010年08月26日
助田シルクスクリーン工房
福井 東郷にある 助田シルクスクリーン工房 に行ってきました。
今年、10月23日(土曜日)から11月3日(祝日)に
大野市の大野城で開かれる 愛嘔の展示会
<虹男 虹女 が 大野城に現れた>

それに向けて 虹男 虹女の この2柄 のTシャツを作り
助田さんちへ 納品 です。
これだけの色数になってくると 版作ってプリントする訳にはいかない。
やはりインクジェットでのプリントになります。
……………………………………………………………………………………………………
愛嘔のポスター作品は 過去この助田シルクスクリーンでずっと刷られています。
オフセット印刷でなく シルクスクリーンによる プリントです。
ご存知のように 愛嘔氏の 虹シリーズは
色数がハンパじゃない。
シルクスクリーンでプリントとなると
色の数だけ版を作らないていけない。
この気の遠くなる色数の 製版とプリントを 助田さんはずっとやってこられた。
緻密で根気のいる職人仕事であり
助田さんは 職人の鋭さ を隠し持っているが
表情は 穏やかで 優しく慈愛に満ちている。

最近 お父さんに だんだん 似てきた。
以前の 野の花Tシャツブログ に書いた
鯖江の 助田茂蔵さんの 息子さんであり
助田篤郎さんの お兄さんです。
……………………………………………………………………………………………………
鯖江の助田家は 謄写版による精細で多色使いのプリント
東郷の助田さんは シルクスクリーンによる精細で多色使いのプリント
同じ 孔版の カテゴリー になりますが
表現のニュアンスは 違ってきます。
東郷の助田憲亮さんのアトリエは 真っ白の内外装の洋風の工房
鯖江の助田篤郎さんのお宅は 昔の遊郭の純和風の 建物

どちらの建物も 味わい深く そして お二人とも 奥深い優しさをもっている。
助田茂蔵さんと小芳さんの血縁と影響を感じます。
東郷の助田憲亮さんとは 以前から製版やプリントの仕事でお付き合いしていましたが
鯖江の助田さんご一家とは ここ10年くらいのお付き合いになります。
……………………………………………………………………………………………………
さて 東郷の 助田シルクスクリーン工房 の写真です。

今回の大野城展示会用に作ったサンプルTシャツを着てお仕事されていました。

朝日煉炭株式會社 の 腰巻き前掛けが 良いです。
となりは 弊社 TK君 期待の星

コーヒーを 入れて頂き しばし 雑談
プリント用の手刷りの平台が沢山並んでいます。


愛嘔の額入りシルクスクリーンプリントの横に
助田茂蔵さんの 野の花の直筆の絵も 飾ってあります。

次は 汚れ防止のダンボールに付いたインクの上に
愛嘔氏が インクを垂らして作った1枚きりの作品で
サインの横に 88(1988年)と書かれています。

……………………………………………………………………………………………………
大野城で開かれる 愛嘔の展示会 楽しみです。
この頃には も少し 涼しくなっているでしょう。
それにしても いつまでも熱い夏です。
………………………………………………………
Tシャツ作りのお手伝いは 下記サイトにて
染型工房 横山工藝
タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
お問い合わせください。
2010年08月05日
まなざしの記憶
今年の夏は 異常に熱い
かつて 経験した事のない熱さである。
梅雨が明けました と発表して以来 ずーっと 熱い。
僕の部屋は 二階にある
階段を一段あがるたびに 一度上がっているような 熱さ
階段は 温度計 のようなものだ。
もっと熱い 中東では 体温より 外気温が熱くなるので
体温を計るのに 体温計でなく 温度計を脇の下に入れることがある
というのを 以前 聞いた事が在るが まさに 体温より 外気温が高くなっておる
孫のふうと や イカリの肌に触れると 冷たくて気持ちいいと 思うくらいの今年の夏
そして 今日、一冊の本が届いた。
Amazon から
佐川急便の若い女性が 汗かきもって届けてくれた。
ピンポン で 若嫁 S が出る
僕も届くのを待っていたので足早に階段を下りる
それよりも早く 孫の ふうと が四つん這いで駆けつける。
ふうと は 若い女性には 眼がない
若嫁 S 曰く 外に出かけて行って おばさんたちが まあ可愛いと言っていても
孫の ふうと 眼もくれない シレーっと 空を見ている
ところが 若い女性がそばにいると
ニコニコと愛想を振りまき 気を引くかのように キャーキャーと気勢を上げるそうな
先を 思いやられる 孫 である。
今日も 愛想振りまき 仕舞いには ニコニコと片手を振って バイバイをする
<うちの孫は 若い美人のお姉さんには めちゃ 愛想いいのよ> というと
悪い気はしないでしょう <ワー可愛い> って 帰り際 喜んで手を振って帰って行きました。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………….
さて それから です
いつもの Amazon の ダンボール箱
手にして驚いたのが その 異常な熱さ
そして 箱を開け いつものように 中でシュリンクラックされてるビニールをちぎり
本を取り出して 驚いたのが またその とてつもない異常な熱さ
持てない熱さではないですが いままでこれほど熱い本を持った事がない。
電子レンジで チンして 取り出すシチューみたい
しばらく 扇風機で 冷ましたくらいですから お分かりでしょう。
今年の夏の熱さは 異常であると 実感したのは この本の熱さで ナノ。
この 本の題名が <まなざしの記憶>

なんと Cool な タイトルでしょうか
……………………………………………………………………………………………………………………………
この本は ネットでお散歩してて たまたま 出逢った タイトル なのですが
CDとか レコード でいうと ジャケ買い
この場合は タイトル買い ということになります。
匂う言葉 に つられ つい ワンクリック・オーダー
飛んで火にいる 夏の虫 ですか
著者は 鷲田清一さん という方
写真は 植田正治 さん

写真家の植田正治さんの作品は何度か目にしておりますが
著者の方は 不覚にも知りませんでした。
写真家 植田正治さん 日本人写真家では 類を見ない 作風で
完璧に 計算尽くされた写真をしか 発表しない方です。
当然 写真を撮る時も 自分の想いを 計算し、配置し、構成するというタイプだと思います。
数学的シュールレアリズム とでも言いましょうか
……………………………………………………………………………………………………………………………
カメラは 孤独でクールなハンターの道具 です。
一枚のフレームを瞬間に切り抜く という意味でも
スナイパーの 銃 に似ている。
弾丸は 一発 というやつ です。
……………………………………………………………………………………………………………………………
そこで 映画 ディア・ハンター を想いだしました。
あの映画 なぜ <ディア・ハンター> というタイトルなでしょうか?
Deer Hunter <鹿狩り>
ベトナムに狩り出される前に 友達と数人でいつものように <鹿狩り> に出かけます。
主人公<デニーロ君> マイケル は 一発の弾丸で鹿一頭を仕留める
というプロフェッショナルな信条です。
そして 一頭の鹿を仕留めますが
その時の仕留められた鹿の 何かを訴えかけるような鹿の 眼差し がアップで映されています。
それから ベトナム に移りますが
ベトコンに捕らえられて ルシアン・ルーレット
これも 弾丸一発の 死のゲーム です。
博打という 遊びの舞台 での ゲームであり
それは ベトナム以前の 彼ら若者たちの ハンティング というゲームと同じレベルです。
獲物 と 狩人 という構図でいうと
ベトナム以前は 彼らが 狩人(ハンター)であり 鹿が 獲物でしたが
ベトナムで捕虜になってからは 彼らが 死のゲームの 獲物になったということです。
ベトナムから帰国して 再度友達と鹿狩りに出かけますが
彼は 気高く 孤高に立ちすくす 鹿を 撃つ事ができずに 空に一発の弾丸を 発射します。
獲物 と 狩人 という構図が この時 はじめて 逆転し、崩れて行きます。
谷間をこだまする 残響音が 全てを物語っています。
……………………………………………………………………………………………………………………………
今回も 話が えらくそれてしまいました。
獲物 と 狩人 というお話はまた じっくり 書き込むことにして
戻ります
<まなざしの記憶>
まだ読んでいないので 読後におしゃべりすることにして
僕は どうも <まなざしの記憶> ではなく
<記憶のまなざし> ではないかと 思ってしまう
遠い 記憶の彼方から 何かが 僕を通して あるものを 見ている
そういう まなざし を 感じることが多いのです。
この 異常に熱い 夏 の 真ん中で
かつて 経験した事のない熱さである。
梅雨が明けました と発表して以来 ずーっと 熱い。
僕の部屋は 二階にある
階段を一段あがるたびに 一度上がっているような 熱さ
階段は 温度計 のようなものだ。
もっと熱い 中東では 体温より 外気温が熱くなるので
体温を計るのに 体温計でなく 温度計を脇の下に入れることがある
というのを 以前 聞いた事が在るが まさに 体温より 外気温が高くなっておる
孫のふうと や イカリの肌に触れると 冷たくて気持ちいいと 思うくらいの今年の夏
そして 今日、一冊の本が届いた。
Amazon から
佐川急便の若い女性が 汗かきもって届けてくれた。
ピンポン で 若嫁 S が出る
僕も届くのを待っていたので足早に階段を下りる
それよりも早く 孫の ふうと が四つん這いで駆けつける。
ふうと は 若い女性には 眼がない
若嫁 S 曰く 外に出かけて行って おばさんたちが まあ可愛いと言っていても
孫の ふうと 眼もくれない シレーっと 空を見ている
ところが 若い女性がそばにいると
ニコニコと愛想を振りまき 気を引くかのように キャーキャーと気勢を上げるそうな
先を 思いやられる 孫 である。
今日も 愛想振りまき 仕舞いには ニコニコと片手を振って バイバイをする
<うちの孫は 若い美人のお姉さんには めちゃ 愛想いいのよ> というと
悪い気はしないでしょう <ワー可愛い> って 帰り際 喜んで手を振って帰って行きました。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………….
さて それから です
いつもの Amazon の ダンボール箱
手にして驚いたのが その 異常な熱さ
そして 箱を開け いつものように 中でシュリンクラックされてるビニールをちぎり
本を取り出して 驚いたのが またその とてつもない異常な熱さ
持てない熱さではないですが いままでこれほど熱い本を持った事がない。
電子レンジで チンして 取り出すシチューみたい
しばらく 扇風機で 冷ましたくらいですから お分かりでしょう。
今年の夏の熱さは 異常であると 実感したのは この本の熱さで ナノ。
この 本の題名が <まなざしの記憶>

なんと Cool な タイトルでしょうか
……………………………………………………………………………………………………………………………
この本は ネットでお散歩してて たまたま 出逢った タイトル なのですが
CDとか レコード でいうと ジャケ買い
この場合は タイトル買い ということになります。
匂う言葉 に つられ つい ワンクリック・オーダー
飛んで火にいる 夏の虫 ですか
著者は 鷲田清一さん という方
写真は 植田正治 さん

写真家の植田正治さんの作品は何度か目にしておりますが
著者の方は 不覚にも知りませんでした。
写真家 植田正治さん 日本人写真家では 類を見ない 作風で
完璧に 計算尽くされた写真をしか 発表しない方です。
当然 写真を撮る時も 自分の想いを 計算し、配置し、構成するというタイプだと思います。
数学的シュールレアリズム とでも言いましょうか
……………………………………………………………………………………………………………………………
カメラは 孤独でクールなハンターの道具 です。
一枚のフレームを瞬間に切り抜く という意味でも
スナイパーの 銃 に似ている。
弾丸は 一発 というやつ です。
……………………………………………………………………………………………………………………………
そこで 映画 ディア・ハンター を想いだしました。
あの映画 なぜ <ディア・ハンター> というタイトルなでしょうか?
Deer Hunter <鹿狩り>
ベトナムに狩り出される前に 友達と数人でいつものように <鹿狩り> に出かけます。
主人公<デニーロ君> マイケル は 一発の弾丸で鹿一頭を仕留める
というプロフェッショナルな信条です。
そして 一頭の鹿を仕留めますが
その時の仕留められた鹿の 何かを訴えかけるような鹿の 眼差し がアップで映されています。
それから ベトナム に移りますが
ベトコンに捕らえられて ルシアン・ルーレット
これも 弾丸一発の 死のゲーム です。
博打という 遊びの舞台 での ゲームであり
それは ベトナム以前の 彼ら若者たちの ハンティング というゲームと同じレベルです。
獲物 と 狩人 という構図でいうと
ベトナム以前は 彼らが 狩人(ハンター)であり 鹿が 獲物でしたが
ベトナムで捕虜になってからは 彼らが 死のゲームの 獲物になったということです。
ベトナムから帰国して 再度友達と鹿狩りに出かけますが
彼は 気高く 孤高に立ちすくす 鹿を 撃つ事ができずに 空に一発の弾丸を 発射します。
獲物 と 狩人 という構図が この時 はじめて 逆転し、崩れて行きます。
谷間をこだまする 残響音が 全てを物語っています。
……………………………………………………………………………………………………………………………
今回も 話が えらくそれてしまいました。
獲物 と 狩人 というお話はまた じっくり 書き込むことにして
戻ります
<まなざしの記憶>
まだ読んでいないので 読後におしゃべりすることにして
僕は どうも <まなざしの記憶> ではなく
<記憶のまなざし> ではないかと 思ってしまう
遠い 記憶の彼方から 何かが 僕を通して あるものを 見ている
そういう まなざし を 感じることが多いのです。
この 異常に熱い 夏 の 真ん中で
2010年07月20日
蕎麦処 おおくぼ
福井 おおくぼ という 蕎麦処
なにげなく 本屋さんで見て 行こかと イカリと二人で行きました。
我々の 行動範囲の中にある すぐそばの あるところ なのですが
それは 福井市内でも 八幡山の南の際の 住宅街の縁にある。
蕎麦処 おおくぼ
オーナーの 大久保さん は 昔 NHKのアナウンサーで
趣味で蕎麦打ちをしているというのは こちら福井の人は皆知っている。
皆 ああ あの人 というくらい 顔は知れている人なのです。
でも 趣味でそば打ち とは思っていたが 店を構えて営業してるとは思っていなかった。
それより 巷の噂 クチコミ でも そのような情報が一切ない
だれも知らない
その意味でも 隠れ家的在処 なのです。
…………………………………………………………………………………………………………………
最初、本の地図を暗記して この辺だろうなと 車で
その場所が 簡単には 見つかりません。
2~3回 同じところを 廻り ようやく辿り着く。
その前を何回も通過しているのですが なにせ ポツンと 民家のたたずまいなので
気が付かなかった というところが 寄せ付けない スポット なのです
安易に我が家へ近づかないで の モードであります。
…………………………………………………………………………………………………………………
さて ようやく辿り着いて 暖簾をくぐります

<いらっしゃい ようこそ>
そして 開口一番
<福井には そば屋さんが 一軒もないのよネエ>
ハア? おれたち そば喰いに来たんだけど ここは何処?
<蕎麦屋 そば屋 っていうけど みんな うどん屋さんなのよ ネエ>
そこから 流暢な 蘊蓄の 洪水が始まります。
それを 聞きながら そばを食べるのは 修行の域 であります。
そばの種類は <せいろ> <しらゆき> <いなか> の3種類しかない。
飲み物は お酒 と びーる のみ
今回は二人で しらゆき を注文すると
<およしなさい 別々のものを半分ずつ味わった方が良いですよ>
で しらゆき と いなか を注文。
この店の一人前の量は 普通のお店の倍くらいある。
この 赤い漆の角盆にのったのが 茹でる前の一人前

麺は限りなく 細く 抜ける様に 白く そして 多い
<蕎麦は熱に弱いので 茹でるのは 2回転半 ナノ>
数十秒でゆで上がり
これ イカリと二人で分けているので 一人前の半分の分量です。

<味は刻々と変わるので 早く食べなさいヨ>
薬味は ネギ と わさび だけ
<まずは 何にも付けずに食べるのよ>
ダシつゆ は真っ黒で大変辛そうに見えるのですが
そのまま飲んでも 非常に深くて旨い
さて 一口
ウム これ 絶品 唸ります
大久保さん もう何も喋らんといて と言いたくなる。
つぎが いなか これも 一人前の半分の分量

合計一人前を食べると 程よい満腹感になる
おいしいお蕎麦を これくらいの量で食べさせてくれると
至福 というか 至腹 の時を 経験できます。
そしてまた おしゃべりが 続きます
左がうどん切り包丁、 右が蕎麦切り包丁

と 教えてくれます。
食べている間も ずっと おしゃべり の連続で
その 間合いを持ってないと つらいかも
蕎麦食べてる時間より 喋ってる時間の方が長い
大根の話から たくあん、 鯖、へしこ、宗教の話 もう 切りがないですが
僕たちの世代としては 面白いし、話が弾みますが
若い人は どうなのかな とも 思う
この前行った時は 金沢の若い男女のカップルが先客でした。
一緒に軽くですが おしゃべりし そのお二人
ごゆっくり とか ごあいさつして 帰られました。
おおくぼ さんち はそういう 雰囲気の場 なのです。
…………………………………………………………………………………………………………………
福井の蕎麦は どこも旨い と 以前は思っていた
おろし蕎麦<大根おろしをぶっかけて食べるそばです>が有名です が
きょうや さんで もりそば <そばに ネギ、だし、わさび 以外に何にもない蕎麦> を食べてから
おろし蕎麦は 食べなくなった
麺は限りなく細いもの が好み
おいしい蕎麦は 蕎麦だけで食べる が良い。
…………………………………………………………………………………………………………………
この おおくぼさんち は 福井では全く知られていない
ブログを検索すると 県外の人達 が多い
東京や関西から わざわざ はるばる 蕎麦の行脚に来られてる。
僕たち 福井人としては 恥ずかしい話です。
本物の 蕎麦を食べられるところが すぐそばにあるというのに
でも 決して 子供連れ 有閑奥様族がグループで押し掛けないで下さい。
そして ここ おおくぼ が 行列で整理券発行なんてなったら
ぼくは もう 行きませんし 決して そうはなりません
密かに 独りか 気の合う人と二人くらいで 訪れてください。
決して 皆に宣伝しないで下さい。
気軽に 教えてはいけない隠れ家なのですから。
ここは 蕎麦屋さんではありません。 おおくぼ道場 なのです。
こだわった人にしか教えたくないので
ブログ 限定 検索して来た人のみぞ 知る
こちら 名刺 です。

そして 隠れ家の 在処

では 蕎麦で元気の出る ハマG でした。
福井でこだわりのプリントといえば
染型工房 横山工藝
タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
なにげなく 本屋さんで見て 行こかと イカリと二人で行きました。
我々の 行動範囲の中にある すぐそばの あるところ なのですが
それは 福井市内でも 八幡山の南の際の 住宅街の縁にある。
蕎麦処 おおくぼ
オーナーの 大久保さん は 昔 NHKのアナウンサーで
趣味で蕎麦打ちをしているというのは こちら福井の人は皆知っている。
皆 ああ あの人 というくらい 顔は知れている人なのです。
でも 趣味でそば打ち とは思っていたが 店を構えて営業してるとは思っていなかった。
それより 巷の噂 クチコミ でも そのような情報が一切ない
だれも知らない
その意味でも 隠れ家的在処 なのです。
…………………………………………………………………………………………………………………
最初、本の地図を暗記して この辺だろうなと 車で
その場所が 簡単には 見つかりません。
2~3回 同じところを 廻り ようやく辿り着く。
その前を何回も通過しているのですが なにせ ポツンと 民家のたたずまいなので
気が付かなかった というところが 寄せ付けない スポット なのです
安易に我が家へ近づかないで の モードであります。
…………………………………………………………………………………………………………………
さて ようやく辿り着いて 暖簾をくぐります

<いらっしゃい ようこそ>
そして 開口一番
<福井には そば屋さんが 一軒もないのよネエ>
ハア? おれたち そば喰いに来たんだけど ここは何処?
<蕎麦屋 そば屋 っていうけど みんな うどん屋さんなのよ ネエ>
そこから 流暢な 蘊蓄の 洪水が始まります。
それを 聞きながら そばを食べるのは 修行の域 であります。
そばの種類は <せいろ> <しらゆき> <いなか> の3種類しかない。
飲み物は お酒 と びーる のみ
今回は二人で しらゆき を注文すると
<およしなさい 別々のものを半分ずつ味わった方が良いですよ>
で しらゆき と いなか を注文。
この店の一人前の量は 普通のお店の倍くらいある。
この 赤い漆の角盆にのったのが 茹でる前の一人前

麺は限りなく 細く 抜ける様に 白く そして 多い
<蕎麦は熱に弱いので 茹でるのは 2回転半 ナノ>
数十秒でゆで上がり
これ イカリと二人で分けているので 一人前の半分の分量です。

<味は刻々と変わるので 早く食べなさいヨ>
薬味は ネギ と わさび だけ
<まずは 何にも付けずに食べるのよ>
ダシつゆ は真っ黒で大変辛そうに見えるのですが
そのまま飲んでも 非常に深くて旨い
さて 一口
ウム これ 絶品 唸ります
大久保さん もう何も喋らんといて と言いたくなる。
つぎが いなか これも 一人前の半分の分量

合計一人前を食べると 程よい満腹感になる
おいしいお蕎麦を これくらいの量で食べさせてくれると
至福 というか 至腹 の時を 経験できます。
そしてまた おしゃべりが 続きます
左がうどん切り包丁、 右が蕎麦切り包丁

と 教えてくれます。
食べている間も ずっと おしゃべり の連続で
その 間合いを持ってないと つらいかも
蕎麦食べてる時間より 喋ってる時間の方が長い
大根の話から たくあん、 鯖、へしこ、宗教の話 もう 切りがないですが
僕たちの世代としては 面白いし、話が弾みますが
若い人は どうなのかな とも 思う
この前行った時は 金沢の若い男女のカップルが先客でした。
一緒に軽くですが おしゃべりし そのお二人
ごゆっくり とか ごあいさつして 帰られました。
おおくぼ さんち はそういう 雰囲気の場 なのです。
…………………………………………………………………………………………………………………
福井の蕎麦は どこも旨い と 以前は思っていた
おろし蕎麦<大根おろしをぶっかけて食べるそばです>が有名です が
きょうや さんで もりそば <そばに ネギ、だし、わさび 以外に何にもない蕎麦> を食べてから
おろし蕎麦は 食べなくなった
麺は限りなく細いもの が好み
おいしい蕎麦は 蕎麦だけで食べる が良い。
…………………………………………………………………………………………………………………
この おおくぼさんち は 福井では全く知られていない
ブログを検索すると 県外の人達 が多い
東京や関西から わざわざ はるばる 蕎麦の行脚に来られてる。
僕たち 福井人としては 恥ずかしい話です。
本物の 蕎麦を食べられるところが すぐそばにあるというのに
でも 決して 子供連れ 有閑奥様族がグループで押し掛けないで下さい。
そして ここ おおくぼ が 行列で整理券発行なんてなったら
ぼくは もう 行きませんし 決して そうはなりません
密かに 独りか 気の合う人と二人くらいで 訪れてください。
決して 皆に宣伝しないで下さい。
気軽に 教えてはいけない隠れ家なのですから。
ここは 蕎麦屋さんではありません。 おおくぼ道場 なのです。
こだわった人にしか教えたくないので
ブログ 限定 検索して来た人のみぞ 知る
こちら 名刺 です。

そして 隠れ家の 在処

では 蕎麦で元気の出る ハマG でした。
福井でこだわりのプリントといえば
染型工房 横山工藝
タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
2010年07月09日
まだ 生きとります
仕事でお付き合いしている 武生の YDさんから
数ヶ月ぶりの電話
YD氏 < おおーい ハマちゃん 元気か? >
< はい なんとか 生きとりますが YDさん まだ 生きとったの? >
< ああ わしも体だけは何とか生きとるけど 仕事は 死んどる >
で 最後は お互い 頑張ろうな で電話は終わったが
<キーボードで 最後 と打ったつもりが タイプミスで 変換表示は 死後 でした >
で 何を頑張るのですか さて?
…………………………………………………………………………………………
その夜 延岡の KM から電話
時々 ポツンと 思いだしように電話かけてくる。
彼が 20歳くらいの時に 銀月アパートの15号室の 小さな部屋で
僕と佐々とKMと 3人一緒に 数ヶ月暮らしていた頃からのお付き合い。
銀月15号室での彼のポートレート

つぎは 以前の 別れの準備 で書いた 青森の REI

どちらも同じ頃の銀月15号室でのスナップです。
このころは 皆 髪が長い
皆 ヒッピーみたいな暮らしをしていた。
さてその 延岡の KMの電話
< はまやんか? 最近ブログ出してないじゃない。
なんか 入院でもしたんかおもて 心配なるじゃん >
< まだ 生きとるよ。 それなりに >
…………………………………………………………………………………………
今日 久しぶりに 丸岡へ 納品に
最初、YHへ 久しぶりのM君に ご挨拶
彼から 帰って来た言葉が
マダ イキテマシタカ?
それから あと何社かに 納品に行ったが
行く先々で皆一様に いやめずらしい お久しぶり と言う
こちらから先に まだ 生きてます と ご挨拶して帰りました。
…………………………………………………………………………………………
延岡の KMは ギター1本あれば 生きていられる。
今も、毎晩ギターを弾いているそうな
ジャズギターに ハマっとるそうな
…………………………………………………………………………………………
京都のころは ギルドのギターを一本かかえて 延岡から やって来た。
ほかに何も持っとらんかった。
< 洗面器なんか無くても 両手がある >
と まるで がばいばあちゃん のようだった。
その 裸の生き方に 僕は随分 教えられた。
そして いまだに 佐々のことを おかあちゃん と呼ぶ。
…………………………………………………………………………………………
京都 銀月アパートの頃 ぼくは 独り リュックを背負って
北海道に行った。 アルバイトしながら 4ヶ月
そのとき 彼は 元田中のアパート住まいだったが
一人残して来た佐々を 守ってくれていた。
…………………………………………………………………………………………
京都で その頃できたばかりの ライブスポット 磔磔 で
東京のボロというホーボー少年と KMが ギター一本でライブをやった
東京のボロはその頃 福生の米軍ハウスに住んでいて
東京に行った時そのハウスまで行ったが 彼はいなくて
若い奥さんが 小さな赤ちゃんを抱かえていた。
子供はもう30過ぎになるだろうな
…………………………………………………………………………………………
延岡KMに よく似た感じのミュージシャンといえば
ブルースの ライトニン・ホプキンス
手拭を首にぶらさげて ストローハット に サングラス
イエー イエー ヘッヘッヘ と笑いながら歌う あの ホプキンスに
よく似てる。
勿論 ブルースだって のりのりに 弾きまくる。
今は フルアコの ギブソンを お洒落に弾いているようだ。
…………………………………………………………………………………………
いつものことだが その夜も 焼酎のんで酔っぱらっての電話
こちらも 思い切り酔っぱらってる
彼は ノッテくると 延岡弁でまくしたてる。
そげんこつ………. そげなこつ………………… なんばいうちょるか…………..
でも 九州の言葉は まだ たいがいわかる。 気持ちのよい喋り方である。
青森の REI と 同郷の KWに やはり あの頃 銀月で
二人で もろ津軽弁で話してみい と言ったとき
二人が喋った言葉は さっぱり解らんかったバイ
まだ 英語のほうが わかるトヨ。
この写真は 銀月のそばの疎水添いで撮った
青森の KWと 佐々(イカリ)

…………………………………………………………………………………………
その 延岡の KMと 青森の REI と 青森の KW と他 何人かで 作った
on という 同人誌
Vol.1 の 表紙 (前にもブログで紹介しましたが)


次はモノクロコピーに色鉛筆で彩色
銀月アパート15号室の内側からの写真のコピー

これは銀月アパート前、めずらしく雪がうっすら白に
地下足袋の足跡

次は Vol.2 この時は僕たち福井に帰っていた頃かな?
北海道の屈斜路湖の想い出話を掲載
1976年の冬



次は Vol.3 これも1976年の冬となっているのがわからない
この号は 僕も 青森の REI も 青森の KWも故郷に帰り
京都に残った人達で作っている。
この号で on は終巻となる
元田中の駅で撮った写真を元に シルクスクリーン4色プリント。


どの号も 表紙はシルクスクリーンで刷られている。
中は リノリュームのハンコや フロッタージュ 手描き
モノクロコピー(当時出始めのころで、まだカラーコピーは無かった)
ガリバン 写真印画紙 デュプロというカーボンコピー
そういうハンドメイドな作り方しかできなかった。
今じゃコンピューターのDTP環境で いとも簡単に できる
でも これらの手作りの小冊子のほうが はるかに味がある。
…………………………………………………………………………………………
さて 生存を証明する為にも わけのわからんブログであってもも
ちょくちょく出さんとイケン
むしろ 簡単なブログ
たとえば 今日は どこそこの まんじゅうを2個食べましたとか
お買い物で xxx をゲットしました
とかを 僕が書きはじめたら こいついよいよヤバいな
と思ってください。
ま 月一回くらいは まだ それとなく生きてます の一行でもよいから
出すか
イカリさんに その日の2件の電話のことを話すと
そういう 年齢になったということヨ と 一言で終わり。
このブログ 銀月のカテゴリーに入れましたが
ぼくの裏ページ でもあるし 別れの準備 のカテゴリーでもある。
では まだ 生きとる ハマG でした。
2010年05月28日
Tシャツは 移動するメディア である
移動するメディアを展示する壁 WALL としてのTシャツ
しかも着て動き廻る 壁
白壁 赤壁 黒壁 紺壁
色は限りなく豊富である
…………………………………………………………
Dylan の歌に カントリータッチな Wallflower というのがある。
Wallflower とは ダンス会場で 相手のいない女の子のことをいう
誘ってくれる男がいなく 壁を背に突っ立ってる もてない女の子
壁の花
花を持たせた ネーミングです。
相手のいない もてない男を
壁のシミ と呼ぶそうですから
花なら いいですよね
これは 壁にまつわる 余談でした。
…………………………………………………………
Tシャツに 手描きの絵、コラージュ作品、押し花 等々
プリントして 着て歩く いろいろありますが
さて 今回は 写真です。
お気に入りの写真をTシャツに 印画する。
写真を趣味にしている人はたくさんいますが
最近は パーソナル な アート写真家 が多く
レトロな 銀塩カメラ をぶら下げている女の子も多い。
トイカメラもたくさん出ていて 手軽な遊び道具です。
デジタルばかチョン、携帯カメラ に飽きた人の
ちょっとお洒落な小道具といったところか
バックに忍ばせた 口紅とちっちゃなカメラ
でも やはり ただプリントして眺めたり
部屋にピンナップしたり 写真帳にファイルしたり
私的に楽しむより もっと街に出る 宣伝する 展示する 自慢する
これ Tシャツほど 格好のアイテムは無いでしょう
洗濯して Tシャツをロープ干ししていても
物干し台 は 風に吹かれる 展示会場 に変わります。
着込んでシャツ が ボロボロ になっても
写真の部分を切り抜いて額に入れて飾る。
色褪せ、ほつれがあって、すり切れていても
その方が味があるし なにより 歴史 っちゅうものを感じるじゃないですか
アイテムは Tシャツ ばかりじゃありません。
トートバック、Gジャン、風呂敷、バンダナ、ランチョンマット
タペストリー、カメラバック 布素材であれば 何でもいい。
…………………………………………………………
プリントするモチーフは何でもよい
自分の 愛用のカメラの写真 でも、写真のコラージュ でも
彼女の写真 でも 自分のポートレートでも
自分のお気に入りの写真達を 眠らせておいてはいけない。
ランボオの 詩の一節じゃないが
< 眼を覚ませ! もう 真昼だ >
さて 前置き長くなってしまいましたが
始めましょう フォトT作り
まづ、 お気に入りの写真を用意します。

でも 写真だけをプリントしてもつまらない
写真を納めるフレームを準備。

写真をはめ込んで

ノイズを乗せ

ロゴ、サイン を乗っけます。

マスキングテープを貼って 出来上がり

Tシャツの色を変えてみる 次は赤T

黒Tシャツに インクジェットでプリント

濃色Tにも このように 白をプリントできる。
白い印画紙に 現像 定着 印画 するのです。
次は別のポラフレームで作成




以上 作成はフォトショップにて
プリントは 白インク搭載のインクジェットプリンターにて
自分の写真をポラロイドのフレームに入れてサインを書き込むといったことを
無料で自動処理してくれるサイト Polaroid stvle もありますし
Flickr には ノイズやレンズのダスト などの素材がありますので
それらを 利用すれば 簡単にできます。
次は Polaroid stvle でポラロイド風に加工したものです。
前回のブログの写真 夕暮れ空の飛行機雲をモチーフにして



Tシャツは 移動するメディア である ということで
写真印画のTシャツは 僕の肉体を駆動する
街へ出よ! 眼を覚ませ! と
…………………………………………………………
Tシャツ作りのお手伝いは 下記サイトにて
染型工房 横山工藝
タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
お問い合わせください。
しかも着て動き廻る 壁
白壁 赤壁 黒壁 紺壁
色は限りなく豊富である
…………………………………………………………
Dylan の歌に カントリータッチな Wallflower というのがある。
Wallflower とは ダンス会場で 相手のいない女の子のことをいう
誘ってくれる男がいなく 壁を背に突っ立ってる もてない女の子
壁の花
花を持たせた ネーミングです。
相手のいない もてない男を
壁のシミ と呼ぶそうですから
花なら いいですよね
これは 壁にまつわる 余談でした。
…………………………………………………………
Tシャツに 手描きの絵、コラージュ作品、押し花 等々
プリントして 着て歩く いろいろありますが
さて 今回は 写真です。
お気に入りの写真をTシャツに 印画する。
写真を趣味にしている人はたくさんいますが
最近は パーソナル な アート写真家 が多く
レトロな 銀塩カメラ をぶら下げている女の子も多い。
トイカメラもたくさん出ていて 手軽な遊び道具です。
デジタルばかチョン、携帯カメラ に飽きた人の
ちょっとお洒落な小道具といったところか
バックに忍ばせた 口紅とちっちゃなカメラ
でも やはり ただプリントして眺めたり
部屋にピンナップしたり 写真帳にファイルしたり
私的に楽しむより もっと街に出る 宣伝する 展示する 自慢する
これ Tシャツほど 格好のアイテムは無いでしょう
洗濯して Tシャツをロープ干ししていても
物干し台 は 風に吹かれる 展示会場 に変わります。
着込んでシャツ が ボロボロ になっても
写真の部分を切り抜いて額に入れて飾る。
色褪せ、ほつれがあって、すり切れていても
その方が味があるし なにより 歴史 っちゅうものを感じるじゃないですか
アイテムは Tシャツ ばかりじゃありません。
トートバック、Gジャン、風呂敷、バンダナ、ランチョンマット
タペストリー、カメラバック 布素材であれば 何でもいい。
…………………………………………………………
プリントするモチーフは何でもよい
自分の 愛用のカメラの写真 でも、写真のコラージュ でも
彼女の写真 でも 自分のポートレートでも
自分のお気に入りの写真達を 眠らせておいてはいけない。
ランボオの 詩の一節じゃないが
< 眼を覚ませ! もう 真昼だ >
さて 前置き長くなってしまいましたが
始めましょう フォトT作り
まづ、 お気に入りの写真を用意します。

でも 写真だけをプリントしてもつまらない
写真を納めるフレームを準備。

写真をはめ込んで

ノイズを乗せ

ロゴ、サイン を乗っけます。

マスキングテープを貼って 出来上がり

Tシャツの色を変えてみる 次は赤T

黒Tシャツに インクジェットでプリント

濃色Tにも このように 白をプリントできる。
白い印画紙に 現像 定着 印画 するのです。
次は別のポラフレームで作成




以上 作成はフォトショップにて
プリントは 白インク搭載のインクジェットプリンターにて
自分の写真をポラロイドのフレームに入れてサインを書き込むといったことを
無料で自動処理してくれるサイト Polaroid stvle もありますし
Flickr には ノイズやレンズのダスト などの素材がありますので
それらを 利用すれば 簡単にできます。
次は Polaroid stvle でポラロイド風に加工したものです。
前回のブログの写真 夕暮れ空の飛行機雲をモチーフにして



Tシャツは 移動するメディア である ということで
写真印画のTシャツは 僕の肉体を駆動する
街へ出よ! 眼を覚ませ! と
…………………………………………………………
Tシャツ作りのお手伝いは 下記サイトにて
染型工房 横山工藝
タペストリー、暖簾 等 大判プリントは
オーダー ぷりんと屋
よさこい、祭り、ステージ衣裳のプリントは
オーダー よさこい屋
お問い合わせください。
2010年05月21日
カメラと僕とアナタ
写真の愛好家というかマニアが増えています。
デジタルカメラ に 銀塩カメラ
一眼、二眼、に トイカメラ
最新機種 に クラッシック
いまどき 若い女の子も古いアンティークなカメラをおしゃれにぶら下げ
なにげに パチリ
……………………………………………………………………………
この前 それとなく トイカメラを買った。
はまりそう
ホルガ Holga120GFN


ポラの電池が入ってるとこが こだわってる ホルガ
それから Polaroid Pro

こいつ ブラックで なかなかプロっぽい顔してる。
フィルムはフジフィルムのものが使える。
ポラロイドSX-70 はフィルム復活して うれしい

早速 白黒ポラロイドフィルムを買った
僕の SX-70 にはカラーが入っているのでこれを撮り終わったら
白黒で撮ります。
でもフィルムが高いナ
もっと皆が ゆるーい フィルムの面白さに気が付いて
需要が過激に増大していけばもっと安くなるかもしれないし
なにより フィルムが無くなる心配もなくなるのに
絶滅種というのは なにも 動物だけじゃあ ない
……………………………………………………………………………
ホルガは ブローニーフィルム を使う。
スクエア な写真がまた良い
フィルム買ったが まだ撮っていない。
二眼レフもブローニーフィルムだから
どちらにも使える。
ホルガの謳い文句が面白い。
……………………………………………………………………………
およそカメラとしての致命的欠陥を全てもちながら
「世界で唯一魂を持ったカメラ」と呼ばれる
カルトカメラのキング HOLGA
HOLGAの不完全さと、あなたの操作ミスが
とんでもない映像を生んでしまう。
ちゃんとしたカメラ好きなら決して寄り付かない制御不能で
とてつもなく魅力的なカメラ
それが HOLGA です。
フィルム装填の注意書きには
蓋は完全には閉まらないので心配な方は黒テープを貼ると良い とある。
目張りするカメラなんて初めてだけど
堂々と書かれていると 憎めない
少し光りが漏れたくらいの方が面白い写真になるの とでも
言いたそう
失敗写真を支援するカメラといったところか
まじめに構図を決めて露出がどうのF値がどうのという
おじさんたちを馬鹿にしているようでもある。
遊びながらパチパチ撮りまくる方が
確かに面白い写真は撮れる
遊びをせむとや生まれけりの ホルガです。
……………………………………………………………………………
ホルガのポラロイド版というのがあって
POLGA ポルガ
ポラドロイド といい ニクイ ネーミング
姉妹モデルやオプションもたくさん出ていて楽しめる。
広角レンズ搭載機種は DEMEKIN でめきん という
ほとんど でっかい 一つ目ん玉の この デメ
透明な金魚鉢のプラパック に入っていて そこんとこが かわいい
他にも いろんな アクセサリー や 姉妹機 があって 遊び心 いっぱい
モット アソボ的 アナーキズム
……………………………………………………………………………
いつも使っているのはデジタル一眼レフですが
アナログ一眼からの癖でファインダーを覗いて撮るタイプなのですが
(決して 液晶画面を見ながらは撮りたくない)
最近ホルガの過激な思想に感化されて
ファインダーを覗かずに撮ることが多い。
確かに予期せぬ面白い写真ができる
イカリさんを撮る時も ファインダーを覗いて撮るときは
イカリさん 意識して 固くなるし 構えてしまう。
こちらもファインダーを覗きながら 妙にトリミングなぞを決めようとしている
これ 相手を撮っているというより 自分で写真を作ろうとしているようだし
余計な計算や欲やエゴが入ってしまう。
人間関係も同じ様なもので ファインダーを通して会話なぞしてると
ぎこちない関係になってしまう。
カメラも同じ仲間なのだ
カメラと僕とアナタ が 一緒に楽しみながら
一枚の写真が出来上がっていく。
そこが よい
イカリさんは カメラのことをよく知らないし 慣れていない
でもその方が 良い写真をとる
僕が画面の片隅に映っていて 空間がたっぷりある
余白の空気感がとてもよく出ている写真を撮ったりする。
で へたな知識や常道 といったものを捨てることにした。
カメラで遊ぶ
ファインダー覗かない方が カメラが喜んでいて
カメラくんが 写真を撮っている という感じがする。
僕が撮るからダメなのだ。 カメラにお任せする。
そして コンピューターの画面で初めて画像を見たときに
驚きの発見というものがある。
カメラの眼 で 世界を見ている感じで
ワクワクする。
プリントが上がってくるまでの ゆるーい 距離感 を感じる
ホルガとイカリ に とても過激で 素敵な撮り方を教わった。
……………………………………………………………………………
なにげにふと撮った夕暮れの飛行機雲

……………………………………………………………………………
撮りためたたくさんの写真の中で お気に入りのものがあります。
それを Tシャツや トートバックや ランチョンマット
額にいれて飾る ブックカバーにする
いろいろ考えてます。
Tシャツは
出来た
次回にアップ
しばらく お待ち下さい
全国の写真愛好家の方々に過激に
呼びかけ オルグし アジテートするために
ホルガもポラもデメキンももっともっと遊ばせるために
写真帳や押し入れのダンボール箱に幽閉されている多くの写真達の為に
写真に 自由を!
……………………………………………………………………………
その 銀塩を Tシャツ、トート に 定着印画
それは こちら
過激に しかも 密かに 準備中
染型工房 横山工藝
オーダー ぷりんと屋
オーダー よさこい屋
デジタルカメラ に 銀塩カメラ
一眼、二眼、に トイカメラ
最新機種 に クラッシック
いまどき 若い女の子も古いアンティークなカメラをおしゃれにぶら下げ
なにげに パチリ
……………………………………………………………………………
この前 それとなく トイカメラを買った。
はまりそう
ホルガ Holga120GFN


ポラの電池が入ってるとこが こだわってる ホルガ
それから Polaroid Pro

こいつ ブラックで なかなかプロっぽい顔してる。
フィルムはフジフィルムのものが使える。
ポラロイドSX-70 はフィルム復活して うれしい

早速 白黒ポラロイドフィルムを買った
僕の SX-70 にはカラーが入っているのでこれを撮り終わったら
白黒で撮ります。
でもフィルムが高いナ
もっと皆が ゆるーい フィルムの面白さに気が付いて
需要が過激に増大していけばもっと安くなるかもしれないし
なにより フィルムが無くなる心配もなくなるのに
絶滅種というのは なにも 動物だけじゃあ ない
……………………………………………………………………………
ホルガは ブローニーフィルム を使う。
スクエア な写真がまた良い
フィルム買ったが まだ撮っていない。
二眼レフもブローニーフィルムだから
どちらにも使える。
ホルガの謳い文句が面白い。
……………………………………………………………………………
およそカメラとしての致命的欠陥を全てもちながら
「世界で唯一魂を持ったカメラ」と呼ばれる
カルトカメラのキング HOLGA
HOLGAの不完全さと、あなたの操作ミスが
とんでもない映像を生んでしまう。
ちゃんとしたカメラ好きなら決して寄り付かない制御不能で
とてつもなく魅力的なカメラ
それが HOLGA です。
フィルム装填の注意書きには
蓋は完全には閉まらないので心配な方は黒テープを貼ると良い とある。
目張りするカメラなんて初めてだけど
堂々と書かれていると 憎めない
少し光りが漏れたくらいの方が面白い写真になるの とでも
言いたそう
失敗写真を支援するカメラといったところか
まじめに構図を決めて露出がどうのF値がどうのという
おじさんたちを馬鹿にしているようでもある。
遊びながらパチパチ撮りまくる方が
確かに面白い写真は撮れる
遊びをせむとや生まれけりの ホルガです。
……………………………………………………………………………
ホルガのポラロイド版というのがあって
POLGA ポルガ
ポラドロイド といい ニクイ ネーミング
姉妹モデルやオプションもたくさん出ていて楽しめる。
広角レンズ搭載機種は DEMEKIN でめきん という
ほとんど でっかい 一つ目ん玉の この デメ
透明な金魚鉢のプラパック に入っていて そこんとこが かわいい
他にも いろんな アクセサリー や 姉妹機 があって 遊び心 いっぱい
モット アソボ的 アナーキズム
……………………………………………………………………………
いつも使っているのはデジタル一眼レフですが
アナログ一眼からの癖でファインダーを覗いて撮るタイプなのですが
(決して 液晶画面を見ながらは撮りたくない)
最近ホルガの過激な思想に感化されて
ファインダーを覗かずに撮ることが多い。
確かに予期せぬ面白い写真ができる
イカリさんを撮る時も ファインダーを覗いて撮るときは
イカリさん 意識して 固くなるし 構えてしまう。
こちらもファインダーを覗きながら 妙にトリミングなぞを決めようとしている
これ 相手を撮っているというより 自分で写真を作ろうとしているようだし
余計な計算や欲やエゴが入ってしまう。
人間関係も同じ様なもので ファインダーを通して会話なぞしてると
ぎこちない関係になってしまう。
カメラも同じ仲間なのだ
カメラと僕とアナタ が 一緒に楽しみながら
一枚の写真が出来上がっていく。
そこが よい
イカリさんは カメラのことをよく知らないし 慣れていない
でもその方が 良い写真をとる
僕が画面の片隅に映っていて 空間がたっぷりある
余白の空気感がとてもよく出ている写真を撮ったりする。
で へたな知識や常道 といったものを捨てることにした。
カメラで遊ぶ
ファインダー覗かない方が カメラが喜んでいて
カメラくんが 写真を撮っている という感じがする。
僕が撮るからダメなのだ。 カメラにお任せする。
そして コンピューターの画面で初めて画像を見たときに
驚きの発見というものがある。
カメラの眼 で 世界を見ている感じで
ワクワクする。
プリントが上がってくるまでの ゆるーい 距離感 を感じる
ホルガとイカリ に とても過激で 素敵な撮り方を教わった。
……………………………………………………………………………
なにげにふと撮った夕暮れの飛行機雲

……………………………………………………………………………
撮りためたたくさんの写真の中で お気に入りのものがあります。
それを Tシャツや トートバックや ランチョンマット
額にいれて飾る ブックカバーにする
いろいろ考えてます。
Tシャツは
出来た
次回にアップ
しばらく お待ち下さい
全国の写真愛好家の方々に過激に
呼びかけ オルグし アジテートするために
ホルガもポラもデメキンももっともっと遊ばせるために
写真帳や押し入れのダンボール箱に幽閉されている多くの写真達の為に
写真に 自由を!
……………………………………………………………………………
その 銀塩を Tシャツ、トート に 定着印画
それは こちら
過激に しかも 密かに 準備中
染型工房 横山工藝
オーダー ぷりんと屋
オーダー よさこい屋
2010年04月24日
Patti Smith Dream Of Life
Patti Smith のドキュメンタリーDVD
Dream Of Life
映像はほとんど粒子の粗い白黒
ロストメモリーなテイスト ハードエッジな映像
とても よかったです。
特典映像も 紹介も 何も無い DVD
勿体振った アンコール の無い ライブみたいに
彼女らしくて 好きだ。
………………………………………………………………………………………..
この人のルーツ
ホイットマン、ケルアック、コーソ、ギンズバーク、バロウズ、ブレイク
ビートニク、ランボオ、ディラン
ビートニクでもありNYパンクでもあり
アジテーターでもポエット(詩人)でもありますが
アナーキスト、無政府主義者、無国籍 が相応しい

………………………………………………………………………………………
NYの ストリート パフォーマー に
ローリー・アンダーソン がいますが
ローリー・アンダーソンはテクノ的朗読者で 論理的、構築的
パティ・スミスは詩的情念のアジテーターで 破壊的、破滅的
ローリー・アンダーソンは ゼロ? アンド ワン? の世界
パティ・スミスは ゼロではなく マイナス 負の 世界
マイナス、負、欠如、無、虚無
そして それら全てからの 解放 ですか
二人とも ニューヨーク を土壌にしなければ産まれなかった人達です。
どちらが好き? と言われても 困る
どちらも 好き
………………………………………………………………………………………………….
パティ・スミス
とりまく 多くの親しい人達を亡くしています。
師、先達、友、主人、肉親を 数年の間に 次々と
DVDでの サム・シェパード との ホテルの一室での歌は 微笑ましい。
そして やはり チェルシー・ホテル での
メイプルソープとサム・シェパードとの思い出
作り上げたものより 亡くしたものの方が 深くて重くて そして 大きい
………………………………………………………………………………………………….
Dream Of Life というタイトルのドキュメンタリー
最愛の人達を亡くした失意の時に渡されたという Poraloid Land 250 で
撮りまくっているシーンが多い
白黒の 4x5 の大判の ピールアパートタイプのフィルムを
ざーと引き抜いて ジャっと剥がすスタイルが サマになっている。
映像も白黒で 粒子が粗く、ボケぎみで 漂っている感じが良い。
メモリーとアートとラフなミュージック が 程よくブレンドされている
お薦めの ビターな一品です。
…………………………………………………………………………………………………
そのヴイデオの冒頭の一節 長いですが 引用します
ポエトリー・リーディング風な ナレーションが流れる
< 私はアメリカの大都市シカゴで産まれた 第二次大戦の混乱の最中
すぐに妹リンダが産まれ 1949年一家でフィラデルフィアに越した
そこで弟トッドが誕生
1957年 ニュージャージー州 南部の田舎へ
家の前はダンスホール 妹のキンバリーが誕生
私は16歳の時 工場で働きだした
1967年 NYに出て ロバート・メイプルソープと出会った
1969年2人で チェルシー・ホテルに移った
1974年 <ピス・ファクトリー>を録音
1975年 <ホーセス>
1979年 NYを出て デトロイトに移り住んだ
フレッド・ソニック・スミスと結婚 2人の子 ジャクソンとジェシーをもうけた
1986年 友達でピアニストのリチャード・ソールが参加し
<ドリーム・オブ・ライフ>を録音 カバー写真はメイプルソープが撮影
私たち2人の 最後の共作となる
1989年 メイプルソープがエイズによる合併症で他界
1991年 リチャード・ソールがリウマチ性の心疾患で他界
1994年の終わり 夫 フレッドが急死
その1ヶ月後 弟 トッドが急死
フレッドは 愛したデトロイトの古い船の墓標の下に埋葬
そこは私たち皆にとって 巡礼の地
記憶の地 帰るべき地となった >
…………………………………………………………………………………………………
別れの準備 的 履歴である
でも 彼女にとって 別れの準備では 全くない
亡くなった友に 戦う歌を 捧げている
悲しんでいる暇なんて ないんだよ
やるべきことが まだまだ あるのよ
私が 命を分け合った人達の為に
と 生き様を吐出しているように思える
…………………………………………………………………………………………………
彼女は 私 が強い それは逆に言えば 自己防衛の現れ と思う
攻撃することで 身を守る
ディランには 私は 無い
I'm not There ボクは 何処にも いないぜ
私は 何処かに 置いておく
? 謎 として
A . ランボオ は
我 とは 一個の 他者なのだ
と 言う
太宰 は
他者 とは 無数の我なのだ
そう 言った訳ではないが
世間 世間! という人に
<世間って あなたのことでしょう?>
と 人間失格 で つぶやく
人間失格 Human Lost
僕は 勝手に そう 解釈しているだけかもしれないが
…………………………………………………………………………………………………
この辺で 写真を
Patti Smith の写真集からの引用です
まず ランボオ の写真

ディランになりたかった 彼女のポートレート

泥棒日記 の ジュネ

Tom Waits もそうですが
Patti Smith は 立ってるだけで サマになる

…………………………………………………………………………………………………
Patti Smith の音楽を 最近あまりまともに聞いた事は無いが
とても気になる フシギでミリョク的な 人です。
という ことで
オヤスミ カフカ オヤスミ 浜Gでした
オーダー ぷりんと屋
染型工房 横山工藝
オーダー よさこい屋
Dream Of Life
映像はほとんど粒子の粗い白黒
ロストメモリーなテイスト ハードエッジな映像
とても よかったです。
特典映像も 紹介も 何も無い DVD
勿体振った アンコール の無い ライブみたいに
彼女らしくて 好きだ。
………………………………………………………………………………………..
この人のルーツ
ホイットマン、ケルアック、コーソ、ギンズバーク、バロウズ、ブレイク
ビートニク、ランボオ、ディラン
ビートニクでもありNYパンクでもあり
アジテーターでもポエット(詩人)でもありますが
アナーキスト、無政府主義者、無国籍 が相応しい

………………………………………………………………………………………
NYの ストリート パフォーマー に
ローリー・アンダーソン がいますが
ローリー・アンダーソンはテクノ的朗読者で 論理的、構築的
パティ・スミスは詩的情念のアジテーターで 破壊的、破滅的
ローリー・アンダーソンは ゼロ? アンド ワン? の世界
パティ・スミスは ゼロではなく マイナス 負の 世界
マイナス、負、欠如、無、虚無
そして それら全てからの 解放 ですか
二人とも ニューヨーク を土壌にしなければ産まれなかった人達です。
どちらが好き? と言われても 困る
どちらも 好き
………………………………………………………………………………………………….
パティ・スミス
とりまく 多くの親しい人達を亡くしています。
師、先達、友、主人、肉親を 数年の間に 次々と
DVDでの サム・シェパード との ホテルの一室での歌は 微笑ましい。
そして やはり チェルシー・ホテル での
メイプルソープとサム・シェパードとの思い出
作り上げたものより 亡くしたものの方が 深くて重くて そして 大きい
………………………………………………………………………………………………….
Dream Of Life というタイトルのドキュメンタリー
最愛の人達を亡くした失意の時に渡されたという Poraloid Land 250 で
撮りまくっているシーンが多い
白黒の 4x5 の大判の ピールアパートタイプのフィルムを
ざーと引き抜いて ジャっと剥がすスタイルが サマになっている。
映像も白黒で 粒子が粗く、ボケぎみで 漂っている感じが良い。
メモリーとアートとラフなミュージック が 程よくブレンドされている
お薦めの ビターな一品です。
…………………………………………………………………………………………………
そのヴイデオの冒頭の一節 長いですが 引用します
ポエトリー・リーディング風な ナレーションが流れる
< 私はアメリカの大都市シカゴで産まれた 第二次大戦の混乱の最中
すぐに妹リンダが産まれ 1949年一家でフィラデルフィアに越した
そこで弟トッドが誕生
1957年 ニュージャージー州 南部の田舎へ
家の前はダンスホール 妹のキンバリーが誕生
私は16歳の時 工場で働きだした
1967年 NYに出て ロバート・メイプルソープと出会った
1969年2人で チェルシー・ホテルに移った
1974年 <ピス・ファクトリー>を録音
1975年 <ホーセス>
1979年 NYを出て デトロイトに移り住んだ
フレッド・ソニック・スミスと結婚 2人の子 ジャクソンとジェシーをもうけた
1986年 友達でピアニストのリチャード・ソールが参加し
<ドリーム・オブ・ライフ>を録音 カバー写真はメイプルソープが撮影
私たち2人の 最後の共作となる
1989年 メイプルソープがエイズによる合併症で他界
1991年 リチャード・ソールがリウマチ性の心疾患で他界
1994年の終わり 夫 フレッドが急死
その1ヶ月後 弟 トッドが急死
フレッドは 愛したデトロイトの古い船の墓標の下に埋葬
そこは私たち皆にとって 巡礼の地
記憶の地 帰るべき地となった >
…………………………………………………………………………………………………
別れの準備 的 履歴である
でも 彼女にとって 別れの準備では 全くない
亡くなった友に 戦う歌を 捧げている
悲しんでいる暇なんて ないんだよ
やるべきことが まだまだ あるのよ
私が 命を分け合った人達の為に
と 生き様を吐出しているように思える
…………………………………………………………………………………………………
彼女は 私 が強い それは逆に言えば 自己防衛の現れ と思う
攻撃することで 身を守る
ディランには 私は 無い
I'm not There ボクは 何処にも いないぜ
私は 何処かに 置いておく
? 謎 として
A . ランボオ は
我 とは 一個の 他者なのだ
と 言う
太宰 は
他者 とは 無数の我なのだ
そう 言った訳ではないが
世間 世間! という人に
<世間って あなたのことでしょう?>
と 人間失格 で つぶやく
人間失格 Human Lost
僕は 勝手に そう 解釈しているだけかもしれないが
…………………………………………………………………………………………………
この辺で 写真を
Patti Smith の写真集からの引用です
まず ランボオ の写真

ディランになりたかった 彼女のポートレート

泥棒日記 の ジュネ

Tom Waits もそうですが
Patti Smith は 立ってるだけで サマになる

…………………………………………………………………………………………………
Patti Smith の音楽を 最近あまりまともに聞いた事は無いが
とても気になる フシギでミリョク的な 人です。
という ことで
オヤスミ カフカ オヤスミ 浜Gでした
オーダー ぷりんと屋
染型工房 横山工藝
オーダー よさこい屋
2010年04月22日
銀月アパート その参
銀月通信
銀月アパートに現在住んでおられる F さんからの コメント
前回の 銀月アパート その弐で紹介しました。
で Fさんから 沢山の 現在の銀月アパートの写真が
CD-Rに保存して送られてきました。
以下の写真は 今年の4月の銀月桜と生活模様です。
これらの写真は 多分一眼レフで撮られたものと思いますが
高画質でこだわりショットが多かったです。
ブログに掲載となるとかなり画質を落とさないといけないので
Fさんには申し訳ありませんが ほんの一部ですが掲載させて頂きます。
これは 今年現在の 銀月アパート内側からの通信です。
真ん中に映っている2階の窓が南西角の出窓



銀月アパート南西角の出窓から見た枝垂れ桜

銀月アパート西側の疎水の桜

銀月アパート玄関の掲示板

生活のすがすがしい匂い

……………………………………………………………………………
次は Fさんから送られてきた 桜の押し花 です。

CD 桜の花 封筒とマスキングテープがコラージュ風でした
…………………………………………………………………………
僕にとって 銀月を舞台にして
全く見ず知らずの方と 今と昔の交流ができたこと 良かったと思います。
次のブログは 多分 チェルシー・ホテル からみに なると思いますが
この チェルシー・ホテル に近い何か
空気というものが この銀月にはあります。
……………………………………………………………………………
僕が銀月に住んでいる頃
同人誌を皆で手作り 三月書房に置いてもらっていたりしましたが
その 友人 ワタル が言った言葉
<若いうちは特に 今でしか感じられない感受性があるんだ
一年一年 感性も鈍っていく だから 今の感性を全開にして
今の瞬間を感じ取らないと駄目なんだよな >
彼と二人で <麦星> という 同人誌を作った。

京大くまの寮にいた Y君が彫った 木版一色刷りの 素敵な表紙です。
ワタルは2編の詩 僕は エア・ポケット という詩と
ディラン・トマス の 十月の詩 の訳詞を掲載
近くに 英国会館 があり ディラン・トマスの本や
彼の 詩の朗読レコードを借り オープンリールテープに
録音しておいたが テープは今はもう無い
ディラン・トマス は チェルシー・ホテル 205号室にいて
アルコールに溺れ 1953年チェルシー・ホテルのそばの路上でのたれ死ぬ。
……………………………………………………………………………
麦星(むぎぼし)は うしかい座にある恒星 アルクトゥルス のこと
春の夜空を代表する星として昔から親しまれている。
おとめ座のスピカが近くに輝いており
アルクトゥルスのオレンジ色とスピカの青白い色の対比から
アルクトゥルスとスピカは夫婦星と呼ばれ
アルクトゥルスが男性、スピカが女性だそうです。
日本では、麦星、五月雨星、麦刈り星、麦熟れ星など多数の和名がある
このうち、麦星などは、麦が熟れる頃になると
アルクトゥルスが昇ってくることから名付けられている。
以上、ウィキ調べ
……………………………………………………………………………
銀月 と 麦星
どこか 通じ合っているものがあって 良い
ちなみに 月といえば
下弦の月 刃のように 鋭く細い月が好き
星 と言えば オレンジ色に輝く 麦星 が好き
と いうことで
今夜も オ ヤ ス ミ カ フ カ
カ フ カ オ ヤ ス ミ
で は
星に想いを の ハ マ G でした。
オーダー ぷりんと屋
染型工房 横山工藝
オーダー よさこい屋
2010年04月14日
廃墟 Desolation Row

Bob Dylan の Highway 61 Revisited というアルバムに
Desolation Row (廃墟の街) という曲がある。
<シンデレラは いかにも気楽に 笑いながら
「あることを把握するには そのことを識る必要があるのよ」 と言う。
そして
「此処じゃないんだよねぇ それって 自分で見つけるもんだよね」 >
以上 勝手に自分で訳したもので 意訳(異訳?) なのですが。
……………………………………………………………………………
この前 テレビで 廃墟、軍艦島 特集を やってました。
廃墟 というのが 好きなもので つい最後までみてしまった。
若い人の 訪問者が多いのに ビックリ
軍艦島の当時の生活者や 年配のノスタルジーを感じて訪れる人が多いのかな
と思っていましたが ああ そうか そうかも という ヒントがありました。
…………………………………………………………………………
僕たちが育った頃は 未知で 知られざる 世界が多かった。
だから 恐怖心や好奇心や冒険心が旺盛な時代でした。
教科書じゃ、地球は丸い なんて言ってても
俺たちフラットな大地を歩いてる
地球が宇宙に浮いて自転して軌道を描いて移動している?
回転なんてしてたら 振り落とされる ゾ
この地球じゃ 飛んでる物も浮いてる物も いずれ落っこちる
なんで 浮いたまま動いてるのさ
自分の眼で見ないうちは 信じない。
でも 今じゃ 地球を衛星から 高解像度に見れる
確かに地球は 宙に浮いてるし 確かに丸い
ということが 実映像で見れるようになった。
そうなると フシギ が無くなり 当たり前の事実になる。
でも 何かを介して見ているだけで 自分の眼で見ている訳ではない。
教科書に書いてあることと同じで 自分で体得したわけでもない。
新聞だってテレビ報道だって同じで
報道というより事実の報告に近い。
報道というからには 道というものがある
報告には 道といううもう一つ上のレベルがない。
淋しいこった
だから 新聞もテレビも ぼくは 鵜呑みにはしない。
本当かよ それって という見方でみている。
…………………………………………………………………….
さて、お月さんには ウサギさんが餅つきしてるでしょ
なんて ファンタジーが 全く無くなった
アマゾンの奥地には 人食い人種がいて とか
黄金の秘宝が眠っていてとかの
得体の知れない 怖さとか 夢 とか 希望とかが 無くなった。
謎 で 不可解 で 知られざる世界
夢 ロマン 冒険 そういった 少年少女を かきたてる 謎が 無くなった。
だから コンピューターゲームの空間で謎やファンタジーを追い求める。
でも それは 攻略本を読めば 解ける世界で
永遠の謎ではない。
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ビスコンティの映画 <ルードヴィヒ> の最後に
<全ては謎のままで終わりたい。自分自身でさえ謎のままに…..>
というセリフがありました。
自分を いかに 謎 にするか
そこが ポイント
相手に 読まれたら ダメ
読めない オトコ に ならなきゃネ
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話を戻します
その 軍艦島とか 日本各地の廃墟を訪れる若者たち は その 謎や未知に憧れているのではないかナ
僕たちが 小さい頃は 謎や未知だらけで もっと身近にありました。
こちら 今でもありますが 笏谷(しゃくだに)石の産地で
石の採掘のトンネルが 沢山ありました。
今でも 大きな縦穴が残っています。
錆びた鉄の梯子が ずーっとしたの暗闇まで続いています。
近寄ってはいけない場所ですが そういう処ほど 少年にとって魅力がある。
何人かで探検するぞ と計画を練って
ローソク、マッチ、懐中電灯、ロープ、ナイフ、チョークと用意して さて 探検ゴッコですが
いまでも 憶えていること
真っ暗のトンネルを皆が 恐る恐る ハグレナイように 歩いて行きますが
元の入り口に戻れるように 右側の壁にチョークで印を付けながら進みます。
穴は 単純に一本だけの通路ではなく 進む度に 枝分かれしていますが
ともかく 途切れて 分かれていても 右側の壁にチョークしていけば戻れる
と信じ込んて進んで行きましたが
進んでいると思っていたはずが 随分進んでから
気が付きました。
進んでいると思っているはずの 右側の壁に チョークの跡があります。
ああ 自分たちは 進んでいたと思っていたけど
同じところをグルグル廻っていたんだと気が付いた時に
誰ともなく 顔を見合わせ 恐怖におののきました。
そうなると パニックに襲われますが なんとか冷静に行動し 入り口に辿り着きました。
あちこちに そういう 危険で禁断の洞穴があり
冒険 探検 という 魅力的な言葉のもと 危険な遊びをやってました。
そういう場所は 今じゃ埋められ、柵ができ、立ち入り禁止になっています
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今の子供たちには
眼をカッと全開に見開いても全く何も見えない 漆黒の闇も
その漆黒の闇に身を置き 神秘的で美しい星空を見ることもできない。
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さて 廃墟
廃墟は 役目を終え、打ち捨てられ 意味をなくし 繋がりを持たない
意味と繋がりと位置と理由を強要され 行き場のない若者たちにとって
廃墟 とは むしろ 共感できる不思議な Zone なのかもしれない。
廃墟 というより ラビリンス (迷宮) かな
僕には 廃墟 のほうが 似合うが。
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銀月アパートも 自分にとっては そういうニュアンスがある。
亀岡の K と よく行った 三国の海岸
浜辺に打ち上げられた 漂流物
こいつらも 役目を終え、打ち捨てられ 意味をなくし 繋がりを持たない もの
それらを拾い集めて 部屋に並べておく
ある意味 タイポグラフィー や コラージュに 近い
関連されてはいない物たちの配置によって
別の 世界が産み出されていく という意味で
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パコン パコン と 型押しで作られた物で育った世代
プラスティック世代といっても良いかもしれないが
何故か 旧いものに 郷愁を感じているような気がする。
骨董だとか アンティーク とは違った
身近な 生活雑貨的な 物たち
歴史や物語を感じさせる 物たち
そういうものたちに 囲まれていたい
そんな 感性の人たちが 増えてきている 気がする。
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イカリさんは こう言いました
< さっきから ハイキョ、ハイキョ ってさかんに言ってるけど
その ハイキョ って あなたのことじゃ ないの ? >
ん ーーーーーー ん
役目を終え
打ち捨てられ
意味をなくし
繋がりを持たない もの
か
< 価値あるものなら 文化遺産、世界遺産 になるけど
価値がなけりゃ ただの ゴミだわ >
返す言葉のない ハマ G でした。
このブログも やはり
カ フ カ 的 廃墟 の 世界
ブラッドベリ の 短編集のタイトル
ウ は 宇宙船 の ウ
ス は スペース の ス
じゃないけど
ハマ G の G は Gomi の G
と いうことで では
オ ヤ ス ミ カ フ カ

