2008年12月03日
別れの準備-2
とあることで
35年前に別れた友人の連絡先が解り
すぐ 携帯に電話しました。
.............................................................................................................
その友人 K は
My Back Pages シリーズの次回
1971年 京都 岡崎 (このブログはまだ書いていません。)
の頃 一緒に遊んだ友人です。
当時 彼は京都の魚の卸売り市場で働いていたので
おいしい魚をいつも土産に持ってきました。
イカリさんは近くのジャスコの中の お肉屋さんでアルバイトをしてましたから
貧乏ながら 美味しいものを食べるのにはこと欠かなかったのです。
.............................................................................................................
さて唐突に 彼に電話
もしもし? Kか hama や
エッー 嘘だろー
といった風で 慎重な受け答えをします。
しばらく話していると 打ち解けて来て
ササ(イカリの当時の呼び名)と食事しながら酒呑んでるんや
えー まだ 一緒におんのかいな
ああ まだ 一緒のおんの これからも ずーっと
今 なんの仕事しとんや
今 葬儀社に勤めとる。
靭帯を切ってしもて 労災で12月一杯まで休みなんや
そのうち 遊びにいくわ と K
それで電話を切った
10月の終わり
.............................................................................................................
11月の20日頃
22日に遊びにいくわ と Kから電話
さて その11月22日土曜日 午後6時
改札を出てすぐ右の広場に出て待っててくれるか? と電話をし 駅に車で迎えに。
さて これからが問題なのです。
なにせ 35年ぶりですから 彼の顔姿は
想像するしかありません。
最後に逢った20代の頃の顔を頭に浮かべ
35年の年月の劣化と肉体の増加を加減していっても
想像を遥かに超えたところにいるのが我々2人です。
その外の広場の待合場に着きましたが
6時を廻っていて薄暗く 何人かの男の人が
それぞれの迎えをまっていましたので 一目で分かるはずもない。
そこで彼の携帯に電話しました。
きょろきょろと見回し、さて 誰が携帯を取り出すか?
取り出した途端に
やあ!
とお互い手を挙げましたが
それが すぐ 前の 男 でした。
おいおい 電車で向かいに座っていてもお互いに解らへんな
と 帰りの車の中で 笑いながら 我が家に 着きました。
ササとも同様なご対面でしたが
一緒にお酒を呑みながら話しているうちに和んできました。
でも 声や喋り方やアクセントなんかは全然変わってないな
ということに落ち着きました。
35年の歳月のギャップもお酒が廻り始めるころには
どこかへいってしまいましたが
なんだろうね これって
.............................................................................................................
7〜8年前に東京のビックサイトの展示会場に行った時
ブースの人と僕が喋っている時に
いきなりとなりの男が 浜やんやんけ
と 大声をあげました。
この友人 僕の声と喋り方で気がついたといいます。
今は年一回の年賀状が月遅れで中国から届きます。
.............................................................................................................
さて K の話に戻ります。
大阪でも大手の葬儀社らしく
それはそれは 大変忙しいようです。
靭帯を切ったのは湯灌の時
100キロくらいの人を持ち上げた時にいきなり と
それはそうでしょう 上がるはずが無いですよね
相撲取りなんかの葬儀もあるそうで
そんなでかい棺は特注で作るんやろな
どうやって運ぶの?
弟子たちが何人かで運ぶんや
ナルホド ね
神戸の震災の時とかの苦労話を沢山聞かせてもらいました。
最後に
俺が死んだら 頼む わ と
予約しておきました。
.............................................................................................................
明くる日は3人で おそばを食べ
三国湊の 旧森田銀行の通りを 散策し
東尋坊の近くの 風の扉(ドア)という
おしゃれな喫茶店で紅茶を飲み
(ここは また 別な時にご紹介します)
いつも笑顔のおしゃれな 奥さんと 朴訥とした ご主人
好きな人たちです
また 鋳物の白いメールボックス がよいのです。
.............................................................................................................
そして 湯でたての蟹を買って帰りました。
今年はずわい蟹が豊漁でメスのせいこが少ない水揚げだったせいか
値段がそう変わらず、おかげで ずわい を買いました。
その夜は3人で ものもいわず ただ
むしゃむしゃ づるづる ちゅーちゅー と
蟹をむさぼり お酒を飲んだのは いうまでもありません。
こんな 湯でたてのおいしい蟹はこちらでもなかなか食べれないので
ぼくもイカリも大満足でございました。
明くる日、Kは 奥様への せいこガニを持って大阪へと帰って行きました。
夜、このせいこガニの方が
数段美味しいと 電話がありました。
.............................................................................................................
京都1967年のブロクに書いた
下鴨高木町の下宿にいた時の友人が
2004年に送って来たメールの中に
こんな一節がありました。
.............................................................................................................
山頭火の句に
”分け入っても分け入っても青い山”
というのがある。
青い山(せいざん)には 死に場所という意味があるそうで
山頭火 とは 焼き場の意味だそうです。
最近、彷徨ってます
.............................................................................................................
この最後の一行
はて 困ったな
彷徨うのは僕だけにしておいて欲しい。
.............................................................................................................
僕とイカリが最初に出逢ったのは 42年前
夏のキャンプの肝試しのパートナーとして
その村の近くの 三昧(さんまい:火葬場のこと)まで
二人で手をつないで 肩寄せ合って 恐る恐る
というのが そもそもなので
なにかそういう縁があるのかな
ということで
別れの準備 その2でした。
次回は 津軽の友人 REM へと飛びます
35年前に別れた友人の連絡先が解り
すぐ 携帯に電話しました。
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その友人 K は
My Back Pages シリーズの次回
1971年 京都 岡崎 (このブログはまだ書いていません。)
の頃 一緒に遊んだ友人です。
当時 彼は京都の魚の卸売り市場で働いていたので
おいしい魚をいつも土産に持ってきました。
イカリさんは近くのジャスコの中の お肉屋さんでアルバイトをしてましたから
貧乏ながら 美味しいものを食べるのにはこと欠かなかったのです。
.............................................................................................................
さて唐突に 彼に電話
もしもし? Kか hama や
エッー 嘘だろー
といった風で 慎重な受け答えをします。
しばらく話していると 打ち解けて来て
ササ(イカリの当時の呼び名)と食事しながら酒呑んでるんや
えー まだ 一緒におんのかいな
ああ まだ 一緒のおんの これからも ずーっと
今 なんの仕事しとんや
今 葬儀社に勤めとる。
靭帯を切ってしもて 労災で12月一杯まで休みなんや
そのうち 遊びにいくわ と K
それで電話を切った
10月の終わり
.............................................................................................................
11月の20日頃
22日に遊びにいくわ と Kから電話
さて その11月22日土曜日 午後6時
改札を出てすぐ右の広場に出て待っててくれるか? と電話をし 駅に車で迎えに。
さて これからが問題なのです。
なにせ 35年ぶりですから 彼の顔姿は
想像するしかありません。
最後に逢った20代の頃の顔を頭に浮かべ
35年の年月の劣化と肉体の増加を加減していっても
想像を遥かに超えたところにいるのが我々2人です。
その外の広場の待合場に着きましたが
6時を廻っていて薄暗く 何人かの男の人が
それぞれの迎えをまっていましたので 一目で分かるはずもない。
そこで彼の携帯に電話しました。
きょろきょろと見回し、さて 誰が携帯を取り出すか?
取り出した途端に
やあ!
とお互い手を挙げましたが
それが すぐ 前の 男 でした。
おいおい 電車で向かいに座っていてもお互いに解らへんな
と 帰りの車の中で 笑いながら 我が家に 着きました。
ササとも同様なご対面でしたが
一緒にお酒を呑みながら話しているうちに和んできました。
でも 声や喋り方やアクセントなんかは全然変わってないな
ということに落ち着きました。
35年の歳月のギャップもお酒が廻り始めるころには
どこかへいってしまいましたが
なんだろうね これって
.............................................................................................................
7〜8年前に東京のビックサイトの展示会場に行った時
ブースの人と僕が喋っている時に
いきなりとなりの男が 浜やんやんけ
と 大声をあげました。
この友人 僕の声と喋り方で気がついたといいます。
今は年一回の年賀状が月遅れで中国から届きます。
.............................................................................................................
さて K の話に戻ります。
大阪でも大手の葬儀社らしく
それはそれは 大変忙しいようです。
靭帯を切ったのは湯灌の時
100キロくらいの人を持ち上げた時にいきなり と
それはそうでしょう 上がるはずが無いですよね
相撲取りなんかの葬儀もあるそうで
そんなでかい棺は特注で作るんやろな
どうやって運ぶの?
弟子たちが何人かで運ぶんや
ナルホド ね
神戸の震災の時とかの苦労話を沢山聞かせてもらいました。
最後に
俺が死んだら 頼む わ と
予約しておきました。
.............................................................................................................
明くる日は3人で おそばを食べ
三国湊の 旧森田銀行の通りを 散策し
東尋坊の近くの 風の扉(ドア)という
おしゃれな喫茶店で紅茶を飲み
(ここは また 別な時にご紹介します)
いつも笑顔のおしゃれな 奥さんと 朴訥とした ご主人
好きな人たちです
また 鋳物の白いメールボックス がよいのです。
.............................................................................................................
そして 湯でたての蟹を買って帰りました。
今年はずわい蟹が豊漁でメスのせいこが少ない水揚げだったせいか
値段がそう変わらず、おかげで ずわい を買いました。
その夜は3人で ものもいわず ただ
むしゃむしゃ づるづる ちゅーちゅー と
蟹をむさぼり お酒を飲んだのは いうまでもありません。
こんな 湯でたてのおいしい蟹はこちらでもなかなか食べれないので
ぼくもイカリも大満足でございました。
明くる日、Kは 奥様への せいこガニを持って大阪へと帰って行きました。
夜、このせいこガニの方が
数段美味しいと 電話がありました。
.............................................................................................................
京都1967年のブロクに書いた
下鴨高木町の下宿にいた時の友人が
2004年に送って来たメールの中に
こんな一節がありました。
.............................................................................................................
山頭火の句に
”分け入っても分け入っても青い山”
というのがある。
青い山(せいざん)には 死に場所という意味があるそうで
山頭火 とは 焼き場の意味だそうです。
最近、彷徨ってます
.............................................................................................................
この最後の一行
はて 困ったな
彷徨うのは僕だけにしておいて欲しい。
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僕とイカリが最初に出逢ったのは 42年前
夏のキャンプの肝試しのパートナーとして
その村の近くの 三昧(さんまい:火葬場のこと)まで
二人で手をつないで 肩寄せ合って 恐る恐る
というのが そもそもなので
なにかそういう縁があるのかな
ということで
別れの準備 その2でした。
次回は 津軽の友人 REM へと飛びます
Posted by hamabeat at 20:59│Comments(0)
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