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2017年10月19日

早く家(うち)へ帰りたい

早く家(うち)へ帰りたい (単行本)

高階 杞一 (著), 望月 通陽 (イラスト)


この 高階 杞一 さんの 詩集

早く家(うち)へ帰りたい




1994年に 息子 雄介君を 四歳の誕生日を前に亡くし

1995年の初夏に書き留めた 詩集

今 読んでも 切なくて 美しくて 悲しい

たぶん 普通に産まれ 育って 大きくなっていった子供達

大きくなれば そのうち 忘れちゃってるだろう 一番輝いているときを

亡くし 刻むしかない おとうさんの 子供への 切ない想い

この詩集の 最後の詩

<永遠>    という    タイトル


<パパ なあに?


あれは  一方通行

こっちから あっちにしか いけないんだよ

あれは 追い越し禁止>


雄介君は 一方通行 で 追い越し禁止 で ゆうターン禁止の道路を

青信号 手を挙げて 独りで 渡っていってしまったんだろう

たった ひとりで  お お だ ん ほ ど う  を

この子 は どこを向かって 横断 したんだろう

どこへ?   永遠 

永く  そして とてつもなく  遠い  国

     永     遠      ?



サイモンとガーファンクル の <早く家に帰りたい>に重なって書かれた詩集です


ディラン が No Direction Home のビデオのなかで さかんに言っていた言葉

い  え     に帰りたい

No Direction Home という のは 帰る家も無い と言う意味ですが

はて  彼にとって いえ とは 何なのか と 思います

妻や子供が待っている 暖かい家庭とか では 無いと思います


ほんとうの 安らぎ は 死 なのかもしれないですが

ある 戦争体験の 90歳近い ひとが ある番組でつぶやいていました

<早く 死にたいよ・・・・・・

一度死んだら 二度死ぬ事は無いからな>


…………………………………………………


今年 3月に 3人目の孫が生まれ すくすく と 成長しております

6ヶ月を過ぎる頃になりますと それなりに 眼の焦点も合い

おぼろげながらも 脳内地図も出来てきています

寝たきりの頃と違い トカゲのようにハイハイしだすと

世界も広がり 眼につく物事は未知と不思議に満ちていて

その 眼差し の 純な美しさ に 思わず 見入ってしまいます

その 初めて出合う 世界の おどろき

口に入れて ナメル  それは 未知なる世界を 取り入れる 儀式 のようなもの

そうして  広い 世界 を なめ尽くして  理解していく

まだ 深さ  という 縦のベクトル ではなく

平面の 2次元ベクトルを 限りなく進む

コロンブス の 大航海 大発見 のように

…………………………………………………

昨日の夜 風邪気味で何となく重い夢を見ました

大阪で 延岡の友達と会い 福井にやっと帰ってきました

重い荷物を沢山背負って 駅からバスに乗って

停留所を降り なんとか 足を引き摺りながら帰ってくる夢でした


バスも停留所も そこからの道も そして帰ってきた家も少年のころのままでした

ぼくは  沢山夢を見ますが  小さな頃の家や道や風景がほとんどで

現在の 新しいといっても 50年以上経つ家での夢は見た事がありません

少年の頃に住んで暮らしていた うち  が 自分の ホーム のような気がします

今は得ることのできない ある  永遠の安らぎ のようなものかも知れない

…………………………………………………

<うち>  は それこそ  内 と 外 であり

本来 世間や学校や国家 からの圧力から防御された

シェルターのようなものですが

シェルターも逆になれば 外から隔離された ドメスティックバイオレンスの囲いにもなります

最近の 暗い悲惨なニュース は 親が子供を殺めるというニュースが多すぎますね

いえ は そこでは 逃れなれない 力も頼るべきものも無い 

小さな子供にとって  過酷な強制収容所になります

自分達を 守ってくれるべき 親達が

自分達の 殺人者 となれば 彼らは 救いというものが無くなるではないか

………………………………………………

<早く家に帰りたい>

ぼくは 

早く家に帰りたい

時間の川をさかのぼって

あの日よりももっと前までさかのぼって

もう一度

扉をあけるところから

やりなおしたい


………………………………………………

<時間の川をさかのぼって   あの日> というのは 息子 雄介君 が 亡くなった日 のことでしょう

子供や愛する人をいきなり亡くした人は みな そう思う

その日のまえの 何もなかった 日々の 日常を

その 笑顔で ドビラを あけて

帰ったよ   xxx 君    楽しかった? という

何でもない ごく  普通の 日常の その 出来事が

普通じゃない  至高の 生 に 変わっていく

その反動で ワタシ は  悔やみ に 落ち込んでいくことになります

その 扉は 子供 から 閉ざされています

残されたものに  開ける事は できません

…………………………………………

最近 多いのは 学校内の 虐めによる 少年の 自殺 です

友達 によるものが多いですが

教師による虐待も多くなりました

その生徒個人の感情に 向き合う事なく 

申し訳ありませんでした  (でも わたしだけの せいではありません)

 と ただ社交辞令で頭を下げる

そんな  数秒の ご挨拶で かたのつく  ことで ありましょうか

一日一日 地獄の思いで 何年も悩み続けてきた 少年少女の思いを無視して

自分だけの責任ではありません 申し訳ありませんでした という

確かに 自分だけの責任ではありません であれば

どこに 責任があるのか を 追求しようともしない

謝れば そこで 済む   そんな ものでしょうか

時が過ぎれば 忘れ去られます

忘れて欲しい と 関わった人達は その場しのぎで 頭を下げます

忘れられない 愛する人を 亡くした 人達は

いったい どうなるんでしょうか ?

そして 若くして死を選んだ 亡くなった  子供達 の魂は

いったい どこへ行けば 安らぎを得られるのでしょうか

いっそ 死んだ方が 楽になれる という この社会環境

死を 選ぶ 若者達 が 沢山いて

それに 眼をつぶっている 多くの教師 が いる


そんななかで 見た この 詩集

なかなか 手に入らない 本 ですが

是非 読んで下さい

亡くなった 子供と

失った 子供と共有した時を 発掘するしかない  親の 美しさと 悲しさを

その日 に 時が止まってしまった 人達 のため

忙しく カリキュラムを進めるしかない 教師達よ

いちど 時を 止めたまえ




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Posted by hamabeat at 19:14│Comments(0)別れの準備
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