2013年11月21日
時間売ります
その昔 学校で経済学を学んだ
マルクス経済学が主で
なかでも マルクスの初期の
経済学・哲学草稿には非常に影響を受けた。
経済を哲学的に解体して
情熱的に語っています。
働くことは 本来 芸術的な行為であり
物を作るプロセスを通じて、自分を高めていく行為だといっています。
その反対に現在の生産のように
自分で作り上げた物からの 疎外
物を作れば作る程貧しくなっていく労働
その本の中で 初めて<疎外>という言葉を知った。
マルクスの資本論は
商品と貨幣 から始まる。
この言葉が資本主義を読み解くキーワードだ。
..........................................................................
そのころ始まった イギリスの産業革命は
機械化による大量生産と大量消費への
出発点だといえる
その準備となったのが 農地改革で
たくさんの農民から土地を奪い
大量の安い労働力を都市に工場に送り込んだ
最近の中国のニュースで
強制的、暴力的に 農民から土地を奪い
高層ニワトリ小屋のようなマンションに押し込んでいる。
そこに入ったところで 今の中国に仕事は無い
しかも 次の職場で間に合う技術も無い
農業が好きで続けたいと反対する人の目の前で
その人の家が村が破壊されていく。
この 全てをはぎ取られて なにも持たない人々が
素の労働者 ということになる
資本と土地、設備を持つ資本家(雇い主)に雇われる
何も持たない 労働者(雇われ者)のことですが
さて 何も持たない労働者は なにを売って生きていくか
その流れで 以前に書いた 詩があります。
タイトルは 時間売ります
..........................................................................
< 時間 売ります >
ぼくは
この世に 産まれてきた
内に
イノチを包み
外に
ヒフを纏い
そして
いつの日か
死んでいく
イノチ の かわりに
オモイデ を 包み
ヒフ の かわりに
赤い 夕暮れを纏い
産まれ来る 時も
死にいく 時も
裸一つで
何も持たない
この世でも
僕は
何一つ持ってはいない
木を切る山も 耕す畑もなく
猟をする鉄砲も 漁をする船も
物を作る工場も設備も
会社を作る資本もなく
金を借りる度胸だって持っていない
ただ一つだけ
持っていると言えるものは
ぼくが自由に使える
僕の時間だけ
青空を見上げたり
トンボや蝶を追っかけたり
本を買って読んだり
音楽を聴いたり
自由に使える時間
それは 僕の時間だ
僕が 自分の為にその時間を使おうが
人のため、家族や友人のために使おうが
社会や会社や国の為に使おうが
それは 僕の 自由 ってもんだ
でも 自分の為だけに
自分の時間を使っていては
本もCDも家もパンも買えない
だから その時間をぼくは売って生きている
1日24時間
8時間は体と脳の為に眠り
8時間は自分の楽しみの為に使い
残り8時間は会社に売る
文字通り タイム・カード
とれたお米の重さを量るように
釣れた魚の数を数えるように
タイム・カードは時間を計る
始業時間と終業時間の刻印の間
僕は会社で 魚になる
時間の値段は 人によって違う
でも 時間は売っても売らなくても
戻ってはこない
売れば そのかわりに
お金をもらう
自分の時間を売って
お金をもらう
そのお金で
パンを買い
家具を買い
切符を買い
想い出だって
買う
その僕が 買った物や事は
どこかの 誰かが
その人の 時間を売って
出来た もの
物や事には
そのひとの 想いや 時間が
いっぱい 詰まっている
僕達
自分の時間を売って
他人の時間を
買っている
ほんとうは 自分の時間を売らずに
自分のためだけに使いたいのに
人生
持っている時間には 限りがある
使ったり売ったりすれば
そのうち 無くなるものさ
時間の買い手がいなくなった時が
失業 で
全ての時間が無くなった時が
失命
<時間 売り切れました> ってやつ
こんどは 時間のかわりに
な に を 得 る ?
永 遠 ?
そこで はじめて
全ての時間が
僕 の も の
も う
ぼくの
も
の
マルクス経済学が主で
なかでも マルクスの初期の
経済学・哲学草稿には非常に影響を受けた。
経済を哲学的に解体して
情熱的に語っています。
働くことは 本来 芸術的な行為であり
物を作るプロセスを通じて、自分を高めていく行為だといっています。
その反対に現在の生産のように
自分で作り上げた物からの 疎外
物を作れば作る程貧しくなっていく労働
その本の中で 初めて<疎外>という言葉を知った。
マルクスの資本論は
商品と貨幣 から始まる。
この言葉が資本主義を読み解くキーワードだ。
..........................................................................
そのころ始まった イギリスの産業革命は
機械化による大量生産と大量消費への
出発点だといえる
その準備となったのが 農地改革で
たくさんの農民から土地を奪い
大量の安い労働力を都市に工場に送り込んだ
最近の中国のニュースで
強制的、暴力的に 農民から土地を奪い
高層ニワトリ小屋のようなマンションに押し込んでいる。
そこに入ったところで 今の中国に仕事は無い
しかも 次の職場で間に合う技術も無い
農業が好きで続けたいと反対する人の目の前で
その人の家が村が破壊されていく。
この 全てをはぎ取られて なにも持たない人々が
素の労働者 ということになる
資本と土地、設備を持つ資本家(雇い主)に雇われる
何も持たない 労働者(雇われ者)のことですが
さて 何も持たない労働者は なにを売って生きていくか
その流れで 以前に書いた 詩があります。
タイトルは 時間売ります
..........................................................................
< 時間 売ります >
ぼくは
この世に 産まれてきた
内に
イノチを包み
外に
ヒフを纏い
そして
いつの日か
死んでいく
イノチ の かわりに
オモイデ を 包み
ヒフ の かわりに
赤い 夕暮れを纏い
産まれ来る 時も
死にいく 時も
裸一つで
何も持たない
この世でも
僕は
何一つ持ってはいない
木を切る山も 耕す畑もなく
猟をする鉄砲も 漁をする船も
物を作る工場も設備も
会社を作る資本もなく
金を借りる度胸だって持っていない
ただ一つだけ
持っていると言えるものは
ぼくが自由に使える
僕の時間だけ
青空を見上げたり
トンボや蝶を追っかけたり
本を買って読んだり
音楽を聴いたり
自由に使える時間
それは 僕の時間だ
僕が 自分の為にその時間を使おうが
人のため、家族や友人のために使おうが
社会や会社や国の為に使おうが
それは 僕の 自由 ってもんだ
でも 自分の為だけに
自分の時間を使っていては
本もCDも家もパンも買えない
だから その時間をぼくは売って生きている
1日24時間
8時間は体と脳の為に眠り
8時間は自分の楽しみの為に使い
残り8時間は会社に売る
文字通り タイム・カード
とれたお米の重さを量るように
釣れた魚の数を数えるように
タイム・カードは時間を計る
始業時間と終業時間の刻印の間
僕は会社で 魚になる
時間の値段は 人によって違う
でも 時間は売っても売らなくても
戻ってはこない
売れば そのかわりに
お金をもらう
自分の時間を売って
お金をもらう
そのお金で
パンを買い
家具を買い
切符を買い
想い出だって
買う
その僕が 買った物や事は
どこかの 誰かが
その人の 時間を売って
出来た もの
物や事には
そのひとの 想いや 時間が
いっぱい 詰まっている
僕達
自分の時間を売って
他人の時間を
買っている
ほんとうは 自分の時間を売らずに
自分のためだけに使いたいのに
人生
持っている時間には 限りがある
使ったり売ったりすれば
そのうち 無くなるものさ
時間の買い手がいなくなった時が
失業 で
全ての時間が無くなった時が
失命
<時間 売り切れました> ってやつ
こんどは 時間のかわりに
な に を 得 る ?
永 遠 ?
そこで はじめて
全ての時間が
僕 の も の
も う
ぼくの
も
の
Posted by hamabeat at 19:06│Comments(0)
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