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2008年07月29日

京都1967

さて Kyoto Revisited Album Vol.2 になります。


その前に 1966 で書き忘れたことをひとつ

アルバイトを終えて、夜 帰りに

うどん屋さんに入り、うどんを食べていた時のこと

テレビの生の中継放送でビートルズの来日東京公演をやってました。

当然うどん一杯で最後まで見てました。

1966年6月でしょうか?梅雨時で雨が降っていたと記憶しています。


前回のブログ 1966 の続き 第二弾になります


では1967に話を戻します。

下鴨高木町の下宿で1年くらい生活し

上賀茂に下宿を移ります。

生協の軽のトラック1台分の荷物は

布団と机と衣類と本くらいのものでした。


1969年までこの下宿におりました。

離れの縁側と床の間のついた広い部屋だったため

みんなのたまり場になりました。

この下宿のおばさんは看護婦長あがりの

サバサバした方で随分お世話になりました。


アルバイトでためたお金でステレオを買いました。

Pioneer の C-300というブックシェルフ型の

セパレートタイプのコンパクトなもので

レシーバーアンプは真空管方式。

これはずっと長く使いましたが今はもうありません。

なぜか取扱説明書だけが手元に残っています。


この頃の喫茶店にはたいがいジュークボックスが置いてあり

ジュークボックス・ランボオことボブ・ディランの

Like A RollingStone をいつもかけました。

コインをいれるとカラカラカラカラとドーナツ盤をとりにいき

セットされてプレイされるまでの あの時間が好きでした。


この頃見た映画で印象にのこっているものは

アルジェの戦い ジュリアーノ・モンタルド監督

質屋 シドニー・ルメット監督

いずれも白黒の映画で、もう一度見てみたい映画です。

あと アポロンの地獄 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督も

自主上映とかやっていた頃で、映画は大きな楽しみであり

中身の濃い映画がたくさん作られた時代です。

アメリカンニューシネマが出てくる前になりますが。

ゴダールやパゾリーニなどヨーロッパ系のシネマが多かったですね。


この頃ディランは Blonde on Blonde をリリースしたあと

バイクで事故をおこし、僕たちにとっては消息不明のまま

伝説の中に隠れていったように思っていましたが

ウッドストックで The Band とともに次の 場(ステージ)に向かって

静かに醗酵していた時期だったようです。

京都1967



Blonde on Blonde でほぼ完成し燃焼しきったディランは

ランボオが詩を捨ててアデンに徒歩で向かったように

ひたすら身を隠し、地下室で The Basement Tapeに録音していたのでしょう。


ところで I'm not There という映画が公開されていますが

こちら ローカルなので放映している映画館がありません。

DVD発売を待つしかありません。


この映画のタイトル曲 I'm not There は ちょうどこの1968年ころの録音だと思われます。

The Basement Tapes のCDの中には入っていませんが

サウンドは間違いなくこの頃のもので

The Band と一緒にやっています。


I'm not There

ブートレグレコードで1970年頃に随分聞きましたが

VD WALTZ というブートレグに入っています。

京都1967

おなじみ ブタマーク TMOQ は今や 伝説の ブランドとなっています。

無地のジャケットに最初はスタンプだけでしたが

そのうちシールとモノクロコピーが付くようになります。


ブートレグのレコードに関しては次回大阪がメインの舞台になります。


最近改めて The Basement Tapes をCDで聞きました。

当時は Blonde on Blonde の余波でピンとこなかったけど

今聞くとすごく良いですね。


The Band の1968年のファーストアルバムはこの延長線上にあります。


この The Basement Tapes は Blonde on Blonde以前の

ディランの曲のイメージは微塵もない。


The Bandの影響もあってか この頃から裏声が登場し

John Wesley Harding  Nashville Skyline   Self Portrait

の歌い方に変わっていきます。


その後、公に姿をあらわしたのが

1968年 の Woody Guthrie Memorial Concert

他のミュージシャンがアコースティックに演奏している中

The Band とエレクトリックにガンガン

そして がなりたてるように歌っていますが

とても 好きな ライブ です。


みんなが まだカレッジ・フォークの ヌルい浴槽 につかっているころに

彼は すでに 荒波の大海へと船出をしている というような 対比です。


<僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい>

京都1967

ポール・ニザン「アデンアラビア」の冒頭の一節です。

ランボオとポール・ニザンとアルジェとディランが

混ぜ合わさった感の上賀茂の部屋でした。


Dylanのアルバム Bringing It All Back Home の中の

It's All Over Now, Baby Blue の中で


This sky, too, is folding under you

この空でさえ あんたの足元へ折り畳まれていき

The carpet, too, is moving under you

カーペットでさえ あんたの足元では動いているんだぜ


とアジテートし

そして

Strike another match, go start anew

And it's all over now, Baby Blue.


新しいマッチを擦って 新しく始めようじゃないか

全ては終わったんだぜ ベイビー ブルー

と締めくくります。


次のアルバム Highway 61 Revisited の

Ballad Of A Thin Man ”やせっぽっちのバラード”の一節では


Because something is happening here

But you don't know what it is

Do you, Mister Jones?



何かが今ここで起きようとしている。

そのことがいったい何なのか解るかい?

ジョーンズさん

とディランはオルガンとピアノの不気味な旋律で歌います。


この時代を象徴しているこれらの歌の内容を

当時はまだ皆が理解できなかったように思う。

1970年まではいろんなことが あらゆるところで 同時に 起き、

蠢き、混沌 としながらも加速していくスピードに

快感をおぼえているような

刺激的でハッピーな時代だったような気がします。


1970年代は色々な事件や事故が起き

全てのものがバランスを失い始め

人々は自分へと帰っていくような

Bringing It All Back Home な

年代であったように思います。


次は 第三弾1969年大阪

第四弾 京都岡崎

そして 第五弾 北白川伊織町の銀月アパート へと続きます。

どこか ロード・ムービー風なブログになってきましたね


では

                つづく。


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Posted by hamabeat at 19:11│Comments(2)僕の裏ページ
この記事へのコメント

まさしく釣り糸からはずれたウキですな。海原を漂い、防波堤に寄り添い、波にのまれ岩場に叩きつけられたりと。
Posted by beatneko at 2008年07月30日 19:19

僕はウキオです。存在の耐えられない軽さ という映画があり、好きな映画です。その軽さが浮き、漂う秘訣のように思えます。僕は何時でも軽いのです。当時はただ浮きながら波間に身を任せていました。波のうねりや大きさや海面の温度は解ったものの、底の方で蠢いている潮流とやらにはまだ気が付いていませんでした。ただ、流れに身をまかせているのが精一杯でした。自分の中に羅針盤があれば釣り糸なんかは切ったほうがいいんじゃないかな。と思ったりもする。 では。
Posted by hama at 2008年08月08日 21:08
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