2008年11月14日
1970 大阪 前編
1970 大阪-1
1970年1月1日0時0分0秒
を
「UNIX epoch(ユニックス・エポック)」と呼ぶ。
.....................................................................................................
そしてイカリさんと二人 drifters escape 逃避行の始まりです。
大淀区の下町の下宿
大家さんは
沖縄出身の気さくなおじさんとおばさんで
子だくさんの仲のいい家族が一階に住んでおりました。
ちょうど大阪万博で沖縄から親戚の方々とかがいつも大勢でこられ
毎晩 泡盛を飲み三線かき鳴らし陽気に踊っておりました。
2階が僕たち含めて3世帯
四畳半での生活が始まります。
.....................................................................................................
1970年3月14日から9月13日まで大阪万博
大阪にいて 一度も万博には行きませんでした。
興味がなかったことと、人の多い所が嫌い
昔から並ぶというのが嫌いなもので。
.....................................................................................................
3月31日 よど号ハイジャック事件
この時、下宿の近くの韓国出のおばさんがやっている
小さな焼き肉やさんで 友達とイカリさんと3人
テレビのニュースで報道している画面をみて
いろいろ喋っておりました。
カウンターの奥(といっても5席くらいなのでほぼ隣ですが)の
着流しの その筋の中年のかたが 話しかけてきました。
内容は憶えておりませんが 随分お話をしました。
その方は 帰りに僕の肩をたたいて挨拶をして出て行きました。
.....................................................................................................
4月8日 天神橋六丁目(天六)地下鉄工事現場のガス爆発事故
この時、イカリさんと二人すぐ近くにおりましたが
救急車やパトカーの慌ただしい走りに なにか事故でも起きたのかと
その方角に歩いていきましたが
すれ違う人達は皆けがをしており、大変なことでもおきたのかと
大きな通りに出ました。
その情景に思わず足がすくみました。
広い大きな通りでしたが 地下鉄工事のため
コンクリートブロックが道路一面に敷き詰めてありましたが
それが あちこち 縦に立っており
通行中の車が何台も落ちかけて煙をあげていました。
道路の真ん中にでっかいガスバーナーのように
大きな火柱が吹き上げていました。
戦場のような有様で、2次事故の恐れも心配して
早々にその場を立ち去りました。
帰ってラジオを聞くたびに死者の数が増え
結果、死者79名、重軽傷者420名の大惨事であったようです。
.....................................................................................................
11月25日 三島由紀夫 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自殺
大阪梅田のビルに一階にある古本屋さんにいました。
どんより曇った夕方だったと思います。
古本屋の主と、知り合いか馴染みの客かと二人で
ラジオの報道に耳をかたむけていました。
ラジオのボリュームも次第に大きくなり
なにか 大きな事件が起きているような殺気立った報道でした。
市ヶ谷自衛隊総監部からの実況中継の生々しい報道でした。
うやむやとしたその時の暗い気持ちを今でも思い出します。
??斧がわたしの首を断ち落とす前に 私の中で死んでいった美しい少年
.....................................................................................................
前のブログにも書きましたが1970年代は
あらゆる分野でバランスを失っていく年代です。
インディアン、ホピ族のことばで「 バランスを失った世界」という意味の
フランシス・フォード・コッポラの映画『コヤニスカッティ』
この映画についてはまたの機会に書きます。
.....................................................................................................
この年に映画館で見た映画
イージー・ライダーとウッド・ストック

ウッド・ストックは情報の極めて少ないこの頃に
アメリカの当時のミュージックシーンを目の当たりにできたという意味で
衝撃的なドキュメンタリー映画でしたが、とてもハッピーな映画です。
一方の 映画イージー・ライダー が今回のお話になります。
この映画、40年ぶりくらいに二人で見ました。
この頃の映画にしてはリマスターのせいもあってか
きれいな映像でした。
この映画が最初に見たロードムービーです。
この後のロードムービーの定番になっていきますが
移動の時に流れるロックが良いです。
The Band の The Weight
1968年に The Band として Music From Big Pink をリリースした
翌年 1969年に作られた映画ですから
当時の最新のロックを取り入れています。
この映画気になることがあり 確認の為もあって再度見た理由
終わりの方 ニューオーリンズ・マルディグラ
LSD でトリップ状態の不思議な映像のなかに
一瞬最後のバイクが炎上している映像が挿入されます。
その映像が強く記憶に残っていましたが
僕の幻視だったのかもしれない いやそうじゃない
という不確かさ
でもやはりありました。イカリさんにも確認してもらいましたので。
最初、大金を手に入れて旅に出るときに
時計を投げ捨てます。
これが この映画の始まりです。
この映画を見た当時はよくわからなかったことですが
アメリカのごく日常的な暴力と狂気を描いています。
バイクやヒッピーや音楽や長髪ファッション?
いやむしろ アメリカの普通の潜在的な暴力性に恐怖を感じます。
最近見た映画 No Country for Old Men
これもアメリカの暴力と狂気を描いています。
モンスターのシガーは描写的には恐いですが
イージー・ライダーの何処にでもいる農夫や町の保安官のほうが
よっぽど恐い存在です。
No Country for Old Men はずっと残る映画ではないと思いますが
イージー・ライダーはこれからも残っていく映画でしょうね。
1969 Cinema Epoch
.....................................................................................................
また機会があれば書きますが
インディアンの立場から書かれた本や映画
”我が魂を聖地に埋めよ” ”小さな巨人” ”
style="color:#0000ff">ダンス・ウイズ・ウルブス”
白人にとっても仲間であるはずの白人が最も恐い存在として描かれています。
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今回は1970年の出来事と映画イージー・ライダーについて書きました。
1970年大阪 は 次回後編 に続きます。
1970年1月1日0時0分0秒
を
「UNIX epoch(ユニックス・エポック)」と呼ぶ。
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そしてイカリさんと二人 drifters escape 逃避行の始まりです。
大淀区の下町の下宿
大家さんは
沖縄出身の気さくなおじさんとおばさんで
子だくさんの仲のいい家族が一階に住んでおりました。
ちょうど大阪万博で沖縄から親戚の方々とかがいつも大勢でこられ
毎晩 泡盛を飲み三線かき鳴らし陽気に踊っておりました。
2階が僕たち含めて3世帯
四畳半での生活が始まります。
.....................................................................................................
1970年3月14日から9月13日まで大阪万博
大阪にいて 一度も万博には行きませんでした。
興味がなかったことと、人の多い所が嫌い
昔から並ぶというのが嫌いなもので。
.....................................................................................................
3月31日 よど号ハイジャック事件
この時、下宿の近くの韓国出のおばさんがやっている
小さな焼き肉やさんで 友達とイカリさんと3人
テレビのニュースで報道している画面をみて
いろいろ喋っておりました。
カウンターの奥(といっても5席くらいなのでほぼ隣ですが)の
着流しの その筋の中年のかたが 話しかけてきました。
内容は憶えておりませんが 随分お話をしました。
その方は 帰りに僕の肩をたたいて挨拶をして出て行きました。
.....................................................................................................
4月8日 天神橋六丁目(天六)地下鉄工事現場のガス爆発事故
この時、イカリさんと二人すぐ近くにおりましたが
救急車やパトカーの慌ただしい走りに なにか事故でも起きたのかと
その方角に歩いていきましたが
すれ違う人達は皆けがをしており、大変なことでもおきたのかと
大きな通りに出ました。
その情景に思わず足がすくみました。
広い大きな通りでしたが 地下鉄工事のため
コンクリートブロックが道路一面に敷き詰めてありましたが
それが あちこち 縦に立っており
通行中の車が何台も落ちかけて煙をあげていました。
道路の真ん中にでっかいガスバーナーのように
大きな火柱が吹き上げていました。
戦場のような有様で、2次事故の恐れも心配して
早々にその場を立ち去りました。
帰ってラジオを聞くたびに死者の数が増え
結果、死者79名、重軽傷者420名の大惨事であったようです。
.....................................................................................................
11月25日 三島由紀夫 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自殺
大阪梅田のビルに一階にある古本屋さんにいました。
どんより曇った夕方だったと思います。
古本屋の主と、知り合いか馴染みの客かと二人で
ラジオの報道に耳をかたむけていました。
ラジオのボリュームも次第に大きくなり
なにか 大きな事件が起きているような殺気立った報道でした。
市ヶ谷自衛隊総監部からの実況中継の生々しい報道でした。
うやむやとしたその時の暗い気持ちを今でも思い出します。
??斧がわたしの首を断ち落とす前に 私の中で死んでいった美しい少年
.....................................................................................................
前のブログにも書きましたが1970年代は
あらゆる分野でバランスを失っていく年代です。
インディアン、ホピ族のことばで「 バランスを失った世界」という意味の
フランシス・フォード・コッポラの映画『コヤニスカッティ』
この映画についてはまたの機会に書きます。
.....................................................................................................
この年に映画館で見た映画
イージー・ライダーとウッド・ストック

ウッド・ストックは情報の極めて少ないこの頃に
アメリカの当時のミュージックシーンを目の当たりにできたという意味で
衝撃的なドキュメンタリー映画でしたが、とてもハッピーな映画です。
一方の 映画イージー・ライダー が今回のお話になります。
この映画、40年ぶりくらいに二人で見ました。
この頃の映画にしてはリマスターのせいもあってか
きれいな映像でした。
この映画が最初に見たロードムービーです。
この後のロードムービーの定番になっていきますが
移動の時に流れるロックが良いです。
The Band の The Weight
1968年に The Band として Music From Big Pink をリリースした
翌年 1969年に作られた映画ですから
当時の最新のロックを取り入れています。
この映画気になることがあり 確認の為もあって再度見た理由
終わりの方 ニューオーリンズ・マルディグラ
LSD でトリップ状態の不思議な映像のなかに
一瞬最後のバイクが炎上している映像が挿入されます。
その映像が強く記憶に残っていましたが
僕の幻視だったのかもしれない いやそうじゃない
という不確かさ
でもやはりありました。イカリさんにも確認してもらいましたので。
最初、大金を手に入れて旅に出るときに
時計を投げ捨てます。
これが この映画の始まりです。
この映画を見た当時はよくわからなかったことですが
アメリカのごく日常的な暴力と狂気を描いています。
バイクやヒッピーや音楽や長髪ファッション?
いやむしろ アメリカの普通の潜在的な暴力性に恐怖を感じます。
最近見た映画 No Country for Old Men
これもアメリカの暴力と狂気を描いています。
モンスターのシガーは描写的には恐いですが
イージー・ライダーの何処にでもいる農夫や町の保安官のほうが
よっぽど恐い存在です。
No Country for Old Men はずっと残る映画ではないと思いますが
イージー・ライダーはこれからも残っていく映画でしょうね。
1969 Cinema Epoch
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また機会があれば書きますが
インディアンの立場から書かれた本や映画
”我が魂を聖地に埋めよ” ”小さな巨人” ”
style="color:#0000ff">ダンス・ウイズ・ウルブス”
白人にとっても仲間であるはずの白人が最も恐い存在として描かれています。
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今回は1970年の出来事と映画イージー・ライダーについて書きました。
1970年大阪 は 次回後編 に続きます。
Posted by hamabeat at 18:14│Comments(0)
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