ちょっと気になる映画 映画館で公開されていますが
こちら ローカルでは上映している映画館はありません
で レンタル開始を待つしかありません
映画のタイトルは
さざなみ です
この映画の予告編はこちら 下の絵をクリックして下さい
そして 22分あまりでちょっと長いですが
町山智浩 という人の
YouTubeのこの映画の評がかなり面白いので先に ご覧ください
さざなみ の原題は 45Years です
キャストは
シャーロット・ランプリングと
トム・コートネイ
シャーロット・ランプリングは
愛の嵐 が最初に見た映画
あの狼のような 水色のうつろな瞳がよい
トム・コートネイは
長距離ランナーの孤独 が最初に見た映画
この 全てを拒絶する まなざしと風貌
原作小説 は
アラン・シリトー です
白黒のこの映画は 僕たちの原点です
さざなみ という映画で思い出すのは
まぼろし という映画です
これも シャーロット・ランプリングの演技がすばらしい
ブリュノ・クレメールの始まり部分の彼女との空気感がいいです
まぼろし の原題は Sous le Sable 「砂の下で」 です
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町山智浩氏 の映画評はとても的を得ていて 参考になりました
その中の情報ですが この映画の原作者は
実際の新聞の記事を読んで思い立ったそうです
それは ある男の登山家の冬山での事故死のお話です
登山の前に奥さんのお腹に子種を残していったそうです
彼の死の随分後になって凍結された死体が見つかったそうで
その後産まれ育った息子が遺体の確認にいったところ
自分よりも若い父親との対面になったということです
このお話とは ちと違いますがなにか 似ているお話です
最近の記事ですが YouTube で話題になったというお話はこうです
小さい頃よく父親と車のレースのゲームをやっていた子
青年になって久々に 昔懐かしいそのゲームをやっていたときのことです
最も早いスコアーの車の足跡は保存されていて
その車が透明な車(ある意味ゴースト)としてゲームに出てくるのですが
それは少年の頃勝てなかった父親の運転する車のゴーストで
その少年はいまや親父を越せる腕はあるにしても 越してしまえば
親父が 消えてしまう ので いつも 後に停止して 親父の後ろ姿を見ているという
そういう 美しい話を 思い出したのです
さてその <さざなみ> のお話に戻ります
ストーリーは予告編とかでおおよそ解ると思います
70歳を過ぎた老夫婦が結婚45周年のパーティーを企画している時に
結婚前に夫が真剣に付き合っていて事故死して行方不明になった少女の
氷河の中の冷凍遺体が発見されたという連絡からの葛藤
レイ・ブラッドベリー の
<みずうみ> という短編に話を移します
その少年は小さい頃好きだった女の子の回想から始まります
夏の終わりの あの みずうみ から帰ってこなかった タリー
10年後結婚した妻が あなたの育った東部の町に行きたいと言われ
その町のみずうみのほとりにたったとき 偶然引き上げられた少女の遺体
<ぼくは考えた。人は成長する。ぼくも成長した。だが、彼女は変わらなかった。
いまでも小さい。いまだに幼い、死は成長と変化を許さなかった。
いまでも金髪はそのまま。おそらく永遠に幼く、
ぼくもまた、永遠に彼女を愛することであろう。>
<さざなみ> と <みずうみ> はよく似ています
どちらも 歳を重ねた男の視点であり 若い頃の少女への純な愛です
どちらのお話も 輝いていた幼い頃の純な領域に戻ってしまった男
現在の自分に戻れなくなってしまった男と
年老いたまま取り残されてしまった老婦の物語です
<まぼろし> という映画は逆なんですよね
50代の子供のいない熟年の夫婦の物語です
南フランスの別荘にバカンスの休暇を楽しみに行くところから始まります
一人海に泳ぎに出た夫が帰らぬ人になります
失踪なのか自殺なのかわからぬまま 独りパリに帰りますが
夫の死を受け入れられない彼女シャーロット・ランプリングは
自分が作り上げたまぼろしとしての夫と生活する事になります
夫がいなくなってから10年くらい経ったある日電話があります
ご主人と思われる方の遺体が引き上げられたので確認にきて欲しいと
その電話を受けてからは 夫のまぼろしは出てこなくなります
そして 介護施設にいる夫の母親に会いに行きますが
<あの子(夫)のことは わたしはなんでも知っているわ
あなたになんか解るもんですか きっとあなたが嫌になって失踪したのよ>
と なじられます
その後 遺体の確認に行きますが
遺体は時を経てみるに耐えない状態になっています
見ない方が良いと言われるが 全てを見せてと言います
DNA鑑定でも歯型の確認でも 本人と合致していますと言われるが
遺品の時計を見て急に笑い出し この時計は主人のではないと言います
夫に間違いないことは解ってはいても 受け入れられず強く拒否します
夫と長い間仲睦まじく暮らしてはいても
実は その夫のことをなにも知らなかったし理解もしていなかった
夫がまだ生きていて二人で生活している時に
彼女は勝手に夫のイメージを作り上げて 付き合っていたとしたら
生身の夫も その夫との生活も全て まぼろし にすぎないのではないか
だから 夫が亡くなったあとも 自然に夫のまぼろしと生活できたのではないかと思う
そして 夫の死を受け入れることは まぼろし を崩壊させることになる
最後に 海辺の砂を掘りながら 泣き崩れたときに
同時に海辺に作った砂の城のように まぼろし は崩壊したように思います
でも最後 夫らしきまぼろしが遠くで海を見つめているのを見つけ
彼女は少し笑みを浮かべ 走りよっていくというエンディングになっています
これは 無かったほうがいいかもしれませんが 終わり方は難しいですね
ただ この二人の演技はすばらしいものがありますので
ぜひ 見て下さい。
自分達も 1960年代にカウンターカルチャーの波にのり
同じように60歳後半になって 思う事
40年以上連れ添って同じ屋根の下で生活してきたものの
この映画のように 自分達も 解り合っているなんてのは 錯覚ではないかと
こうして 家の中で二人だけで生活する事が多くなると
そう思う事が多くなります
では