KNZW W673 退院の日 決定しました

hamabeat

2018年10月03日 15:09


退院の日 が決まったので お伝えします

10月4日(木曜日)   です

退院の前に この金沢の病棟から この間の心の浮き沈みを吐露します


正直 死にたいと思いました 何度も 死にたいと

機会はあったが その度に 連れ戻された

こんな 苦しみや苦痛を味わわなければいけないのなら

死んだ方が ましだと 思った

気を失って そのまま 死にスライドすれば

そんな 楽な死に方はない と思った

ICU のベットの上で 白い天井を見ながら

またこの世に連れ戻された

何か やり残したことがあるんだろうか?

だとしたら 何だろう?

何度も考えたが 答えは出なかった


最初の手術の時の主治医の初老の医師が 今も時々訪ねてくる

『命に関わる3つの大病をクリアーしたんだから 生きて下さい』 

と 仏さんの微笑みのような 笑みをうかべて 諭してくれる

若い女性の薬剤師の方が 『生きるだけ生きたら死にましょう

死ぬまでは 生きるだけ生きたらいいのよ』
 と言ってくれました

同じ病棟の50代くらいの肺がんの女性に

<死にたいなんて思っちゃだめですよ 生きましょうよ

ねえ 生きるんですよ>
   と強く言われた

ベットの上でうとうとしていて目が醒めた時 看護師さんの顔が目の前に見えた

しかも手を握っていて 微笑みながら 

『おぼえていますか?』

『うん 憶えているよ』

 ICUでお世話になった看護師さんです

病棟の病室に入ったら 必ず元気な顔を見に行きますからね

と 約束してくれた人です 嬉しかった 本当に


そして ここまできたら 生きるしかないワ と 思った

もう やりのこしたこと とか 人生の意味だとか 目的 だとか考えずに

ただ ほそぼそとでも 静かに生きていればいい

それが 皆さんへの恩返しだと思った


そして やり残したこと は むしろ 未来にヒントがあるのじゃないか

これから いつかどこかで 出逢えるかもしれない

そう思うことにした


心配してくれた方々 朝の4時まで10時間も手術して下さったスタッフのみなさん

『三途の川まで連れ戻しにいくからな!』といってくれた会社のM君と会社の皆さん

ヘリまで送ってくれて佐々の面倒を見てくれた M自動車のオッチャン

病院に僕の車の回収に来てくれた ユージン夫妻

40数年ぶりに電話で話した 鳥取のアイ君

延岡の K君とS君 アリガトウ

顔も知らない 読者の皆さん にも アリガトウ

そして 兄妹 家族 

とりわけ 50年来の連れ添いの 佐々(イカリさん)に感謝です


そう長く 生きれるとは思っていない

世話ばっかりかけたけど 先が短いので 

恩返しできずにサヨナラかもしれない

その時は 世話かけるだけかけて逝きやがったな と

線香の一本もあげてください


ふっきって 居直って 生きるのも悪くはないな

残りの時間を 小さな庭の四季を感じながら 細々と生きていきます

時々 嘘 や ホラ を吹きながら


佐々が いつも言ってた 

<わたしは あなたに だまされ続けた。 だますなら 死ぬまで騙してちょうだい>

はい  ぼくという 存在そのものが 嘘でできています

最後に骨をひろう時に 骨のささやきが 聞こえるでしょう

白い 乾いた声で <これが 本当の おれだ> というのが


あ それから 帰ってから したい もうひとつ のこと

寝っ転がって 尾崎放哉 の 句を読むこと

辞世の句 を 書くためにも

では 退院したら また 報告します




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