KNZW W673 金沢 追悼 樹木希林
今年は災害の多い年でした
福井の豪雪から始まって
夏の酷暑 豪雨 洪水 土砂崩れ
熱中症で無くなった方も多かった
それに 巨大台風 (うちの屋根瓦が数枚めくれました)
北海道の地震 関東のゲリラ豪雨
災害は忘れた頃にやってくる という言葉がありますが
いまは 違います
5年前に洪水の被害にあったところの人が言ってました
50年に一度の災害と言っていたのに また今年も同じことか起きた と
今年のこの連続の災害の時 僕はいつも安全な病院に入院していました
佐々が言います あなたは 避難民 よ レフュジー よ と
そうです レフュ爺 です
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それと 多かったのが 癌で亡くなった人達です
急に亡くなられた人が多かったですが
樹木希林さん は 癌の手術をしてから14年 全身癌です と宣言してから5年
色々あったとは思いますが つい最近まで活動されていました
何も無かったかのように元気そうに微笑んでいましたが
内情はそんなものではなく外に出さなかっただけだと思います
是枝裕和監督のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作『万引き家族』にも出演されてました
受賞決定前に この会場に行くときの飛行機が気流が悪くて
天井から酸素吸入器やら何やらがパラパラと落ちて来て
希林さんは是枝監督に <もう受賞はないでしょうね
だって くす玉割れちゃったもの> といったそうです
彼女らしい ブラックなジョークです
樹木希林さんは 女性にはめずらしく 浮遊した人です
どこにも自分を定位させず ギアは常にニュートラル
全てを ありのままに受け入れる人です
映画は以前 <あん> を一本だけ見ました
お孫さんと共演されていました
ハンセン病の死に行く人を演じていましたが
演技と思えないくらい 自然な穏やかな表情でした
逆に 今回亡くなったことが 演技のように思えてなりません
一人の人間としても 一人の役者としても
彼女に代わる人はいません
これからの 映画界も大変だろうな
希林さんの 生前の名言のとおり
「はい、みなさん、今世はこれにてご無礼いたします」
と 旅立っていかれました おつかれさまでした
で主演された 本木雅弘 さんは
樹木希林さんの おくりびと を立派に努められました
次の写真は SWITCH 2004年10月号 家族特集の表紙です
2004年は 彼女の乳癌が発覚した年ですが 多分その前の写真です
一番いい時期に撮られた写真じゃないかと思います
僕自身の 病の心情の吐露 も書く予定でしたが
長くなったので 次回に廻します。
では みなさん ご自愛なさってください
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