今までね ブログ 月一回 とか 月二回とかでしたけど
ま 毎日 日記みたく ブログ もよいかな
でも 日々吐き出すものがないと書けません
ですが そうじゃないんです
毎日 書こうと思えば 日々じゃなく その時々に 考えるようになる
一ヶ月サイクルで考えるか 一日サイクルで考えるかの違いですよね
僕の場合 一日が 短くもあり 逆に 長くもあります
そして 家でコンピューターで仕事してると
人との関係といえば イカリさんとのおしゃべりしかないですよね
ただ 井戸端的おしゃべりも すばらしい コミュニケーション であり
ひとびとの 何気ない 楽しみではないかと
ひとり 考える このごろで あります
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前々回の さざなみ という映画 とうとうレンタルで見ることができました
結果 ちょっと ガッカリなんですが
この映画の 対比 が 結構面白いので ちょっと つぶやきます
前々回の僕のブログを見るか この さざなみ という映画をみてないと
以下の内容は解らないとおもいますので
是非 レンタル で見てから おいでください
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彼女(シャーロット・ランプリン)は 結婚後の思い出の写真がほとんど無く
もっと写真(メモリー)撮っておけば良かったワ といいます
でも 夫の若い彼女との写真は沢山隠されています
輝かしく初々しいメモリーはそこに埋蔵されていますが
今のわたしたちに それは無い
せめて 写真という メモリーだけでも という 想いかも
結婚後 45年という長い歳月に 何も無かったの が 幸いなのか
はたして…… というテーマ でしょうか
対比 は 思い出の写真だけではありません
私 (シャーロット) は年老いていますが
夫の 当時の素敵な彼女は その20代のままで 私の前に現れた こと
結婚45年で お祝いのセレモニーを企画していましたが
この45年という長い月日を語る何も無く
あの頃の 若い夫と 彼女の 短くも 激しく燃えたような その一瞬の時の 対比
でも 45年で 語るものが無い 夫婦って 何でしょうね
少なくとも この映画で その 二人の思い出やメモリーは一切有りません
そう 仕掛けているのかもしれません
この夫婦に 45年の間に培ってきた 思い出や 愛 を
見いだす事ができません
そして 今の二人の間には 子供がいません
あの写真の 若い 彼女の微笑みの下のお腹には 子供のふくらみがあります
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対比 といえば もっとあるかもしれません
いつも 出てくる シェパード
毎朝 彼女は シェパードと 散歩しますが
日を追うごとに シェパードとの距離が長くなります
シェパードが 夫だとすれば 日々 離れて行く 夫との距離でしょう
彼女が 夫の昔の彼女の資料が隠してある屋根裏部屋に登ろうとすると
シェパードは激しく吠えます
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さてこの映画 結婚45周年パーティーの ダンス
なぜか 幸せそうに二人で 踊っているところで 幕を閉じます
その 交わる事の無い 溝を それなりの ウソで うめる
なんか 私たちの さりげない 日常を思わせててくれる 終わり方です
私たち 夫婦で 何十年と生活していても
決して 相手のことを解っていませんし 解る事は できない
というのが 最近の 僕の結論です
解らないし 解る必要がない といえる
Think different って そういうことじゃないかなと思う
その違いをはっきり認識していないと
おかしな 共同幻想に落ち入ったりするかも
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この映画を見て とくに思ったのは
女性は この 今 に生きて そのまさに 今の バイタリティーで生活を乗り越えていますが
男は 激しくも美しかった あの過去の一ページを想い続け
有りもしない 未来に想いを馳せている
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さて ぼくも あの日の あのことの夢を
では みなさん おやすみ