銀月アパート その弐
銀月アパートでの約37年前の生活模様は
前のブログ 銀月アパートその壱 で書き尽くした感があり
次の続編をどう書こうかなと思っていましたが
ある方から コメントが届きました。
コメントは 今のところ あぶり出しになっていて
コメント欄をドラック選択しないと現れてきませんので
このブログにて あぶりだします、
コメントも本来公開されているものですから許可取らなくても良いかなと思い
ここに掲載いたします。
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<今私は銀月の一室をシェアで借りています。
シェアと言っても時間のシェアなので時々行って
一人で過ごすことが多いです。
まだ新参者ですので他の住人の方は知らない方が多いですが、
今でも皆さんシンプルで素敵な暮らし方をされているようです。
(音楽や芸術に携っている方が多いような)
この間はたまたま行ったときに南西角の出窓のお部屋で
10人ちょっとでお花見の宴会をしていました。枝垂れ桜は今満開です。
外はボロボロですが、それぞれのお部屋は思い思いに手作業で改装され、
私の借りているお部屋もとてもシンプルで素敵です。
当時のことを全く知らない人間ですが、
写真や文章から銀月アパートへの並々ならぬ思いを感じ、淋しい思いをされているということで、
現状をほんの少しお伝えできればと書き込みさせていただきました。
これからもまた話題に上るのを楽しみにし、
ブログを拝見したいと、思います。>
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さて、嬉しいコメントでした。
前のブログで
<その 銀月アパートも メンテナンスをする人がいなくなったせいか
それとも 住民のコミュニケーションや みんなが お掃除をしなくなったせいか
ここ数年京都に行く度に訪れる 銀月アパートですが
老朽化はまぬがれませんが それより 質素でも生活のすがすがしい匂いのする
雰囲気が全く感じられず、いつも淋しい思いをして帰ってきます。>
の文面を気にして
そうではありませんよ、それなりに皆が自由で楽しい生活をしていますよ。
というコメントですが
単に僕は外側から勝手に判断していたようです。
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僕たちが生活していた頃は 当時から 人気のアパートで
ともかく空き部屋があればすぐ手を打たないと入れないくらい全室詰まっていました。
ですから、急遽僕たちが入った北棟2階の15号室は決して良い部屋ではありませんでした。
このアパートで広くて良い部屋は全て角の部屋でした。
若い学生もいれば、サラリーマンもいれば、ヒッピーもいれば
老夫婦、老人の一人暮らし と いろんな人が暮らしを共にしていました。
長屋的雰囲気で 皆が助け合って 生活をシェアしていました。
特に南棟2階の住人は皆仲がよく僕たちもよく遊びに行きました。
南棟2階の南西角のおじいさんは 焼いた黒茄子に塩を混ぜたもので歯磨きしてました。
今は、多分 若いアーティストの方が多いようで
コメントをくれた F さんは お友達と一つの部屋を借りて
時間と空間をシェアしているようです。
Fさんと僕は 親子以上に歳は離れていると思いますが
同じ 銀月アパートを舞台にして
年月という隔たりをシェアしているように思えます。
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僕たちがそこに住んでいる頃は 何の屈託もなく
普通の過ぎ去っていく時間の流れのままでしたし
特に、何かを感じていた訳ではありませんが
今になって思い起こせば 豊かで貴重な数年だったと思います。
ですから貴方が20年後、30年後に思い返して ああ、良かったなと思える
生活を満喫して下さい。 多分されてると思いますが。
僕たちが あの頃の あの銀月の空気感 と思い起こすのとは逆に
あなたが 年老いた時に 懐かしく思い起こせる今を創って欲しいと思います。
銀月(Silver Moon)はそういう場じゃないかと思っています。
どうか 銀月アパートでの今の生活をゆっくりと楽しんで下さい。
Res Comment Blog になってしまいました。
今の銀月の枝垂れ桜の写真を送って下されば嬉しいです。
このブログのに掲載したいのですが。
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こちら 今、桜が満開です。堤防の桜並木は圧巻です。
その 福井 足羽川(あすわがわ)堤防の桜並木の」写真です。
銀月アパート 続編は 多分、銀月アパートを取り巻くお話になるかと思います。
お楽しみに。
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では
頭髪も銀(Silver)
花に嵐のたとえもあるさ サヨナラだけが人生だ
の
浜G でした。
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